1話
エレベータの方と西原を交互に見たむつは、何か悩んでいる素振りを見せた。西原の方に身体は向いていたが、踏みとどまりむつは、その場で小さく手を振るとビルの中に入っていった。西原は、むつが見えなくなると、車に乗り込んだ。
車の走り去る音が聞こえなくなってから、むつはエレベータのボタンを押して乗り込んだ。ビルに入っている他のテナントの人とも出会わずに、ほっとしたと同時に、ドキドキとしてきた。
薄暗い廊下を歩いて、電気はついているが、クローズと書かれたドアを開けた。
「…遅くなりましたぁ」
小さく声をかけると、新聞を広げて読んでいた山上が顔を上げた。元々、細く鋭い目をさらに細めてむつを見た。
「西原と何してたんだ?」
「えっ!?」
「顔に書いてある。嘘ついて、遅くなりましたってな。しばらく下で車停めてたみたいだし」
「…ごめんなさい。ちょっと…えーっと…あれ、あれ、あれだよ‼」
「何だよ。逆ギレか?」
「は、話があるの…です。だから、もう…もう少し遅くなっても…いいかなぁ?」
「変な日本語使うな。話?何だ?まぁ聞くけど、ここでのが良いか?どこででもいいなら飯食いながらにしよ。待ってたから腹減った。奢れ」
ばさばさと新聞を畳み、帰り支度を始める山上が、じろっとむつを見た。むつは緊張したように、固くなっている。
「戸井さん所にするか…どうせ客も居ないだろ。ほら、行くぞ?そのまんま帰れるんだろ?」
「う、うん…」
山上が顎をしゃくってドアの方を指すと、むつは慌てて廊下に出た。あとから山上が出て、がちゃがちゃと鍵をかけ廊下を歩き出すと、むつは少し後ろからついていった。