1話
「いや、そんなにだぞ?だから、気にすんな」
ははっと声だけで笑ったむつは、また黙った。だが、西原に背を向ける事はしない。ちらっと夜景を見て、そのまま西原に視線を向けたが、またうつ向いた。
「ねぇねぇ…あのさ、ちょっとだけ我慢して欲しいんだけど…」
「ん?なん……だよ、びっくりするだろ」
西原の返事を待つことなく、むつは西原に抱き付いた。驚いたような顔をした西原だったが、ほんのりと笑みを浮かべるとむつの背中に手を回した。
ずっと鼻をすすり、小刻みに身体を震わせているむつ。溜め息のような息をはき、またすんっと鼻をすすっている。
「…いつから辞める事、考えてた?」
「遥和さんのホテル…泊まってる時から」
「わりと前からだな。部屋探し一緒に行ったし、少し前にも会ったのに…全然、そうだと思わなかった。元気ないな、とは思ってたけど」
「い、いの…気付かれたくなかったし」
はぁーと深々と息を吐いたむつは、もぞっと身動ぎをすると西原から離れようとした。だが、西原はむつの背中に回した腕に力をこめて、さらに引き寄せた。
「うぅ…はーなーしーて」
「何で?」
「汚れる…ファンデとかついちゃうもん」
「洗えば良いだろ」
「…落ちにくいよ?手洗いになる」
「知ってる。中性洗剤で洗うんだろ?」
前にもお前につけられたから、と西原が笑いながら言うと、むつはごめんと謝ったが、西原の首元に顔を埋めるようにすりよった。