3話
むつが菜々とこさめと食事を楽しんでいる頃、山上は颯介と祐斗にも早めにゆっくりランチに行かせていた。誰も居なくなった事務所で、山上は机に灰皿を置いて、堂々とタバコを吸っていた。だが、臭いが残らないようにと窓は開けてある。
冷えたコーヒーを飲みながら、山上が新聞ではなく、単行本ほどの厚さのある本を読んでいる。かなり古い物のようで、本の端は糸で結んである。いわゆる、和本というやつだった。紙は黄色く変色しているし、ミミズがのたくっているような文字で、とても読める物ではない。だが、山上は真剣に目を細めて、文字を追っている。時折、ページを戻ったりしながら、読み進めている。
こんなに真剣な表情は、付き合いの長いむつであっても、競馬か競輪の予想の時にしか見た事がないと言うだろう。
そんな山上が、無精髭を触りながら本を読んでいると電話が鳴った。誰かが取るだろうと思ったが、誰も取る様子はなく、少し、むっとしたように顔を上げた。そう言えば、全員ランチに行かせてるんだと思い出し、山上が受話器を取った。
「はい、お電話ありがとうございます。よろず屋です」
『………』
「もしもし?聞こえてますか?」
『…そちらに、むつという女性、いらっしゃいますかね?』
ゆったりとした聞き取りやすい声だが、若くはない男の声だった。
「えぇ、おります。只今、席を外しておりますが…どういったご用件でしょうか?」
名字ではなく、名前を言った事を怪しいと思ったのか、山上は肯定したが、むつの名字は出さなかった。相手が、名前を知っていても、むつ本人を知らないんじゃないかと思ったからだ。