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異世界ワンダーランド  作者: 真水登
6/7

その6

     11 混沌の世界

       ――幻覚、アインシュタイン、大学ノート――



 休日は決まって昼まで寝ると決めている。なので私は、土曜日を昼まで寝て過ごした。午前の二時半に寝たから、九時間はぶっ通しで睡眠を取ったことになる。入学式から昨日まで早起きしてきたのだから、休息のためにも許されるだろう。特に心身ともに疲弊するほどの出来事が起きたのだ――好きに寝かせて欲しい。

 しかし、私は午後から今井網と会わなければならない。私の頭について何を語るのか、戦々恐々といった心情だ。イカレた頭だ、とか言われるならばまだマシだけど、脳腫瘍が見つかって余命幾許(いくばく)もないとか言われたら私は絶望する。唯一の救いといえば、網が午後に予定を入れて私に休息する時間を作ってくれたことだ。

 朝食兼昼食であるミートソーススパゲッティを二人前平らげ、口に付いたソースを、顔を洗うついでに洗い落とした。服を着替えて出かける準備をし、母親には「友達と遊びに行く。いつ帰るかわからないから晩御飯は作らなくていい」と適当に嘘をつく。

 母親は何も疑わず「気をつけて行ってらっしゃい」と言って私を送り出した。

 私は愛車『白銀号』の鍵を持つ。と――一瞬、鍵が大きくて太い物に見えた。スマートフォンの絵文字に出てきそうな象徴的な形の鍵だ。

「……ん?」

 何度か瞬きをすると、手に持っている鍵は普通の小さい自転車の鍵に戻っていた。私は首を傾げ「見間違いかな?」とつぶやく。ただそこまで深くは考えず、網との待ち合わせの時間が近付いていたこともあり、気にせず自転車のロックを外した。

 私は『白銀号』に跨り、ペダルを踏み込んでゆっくりと走らせる。家を出て、途中まで通学する時と同じ道を行く。

 網が指定した待ち合わせ場所は、学校よりも遥か北に位置する。以前にアテナと遊びに行った大型スーパーよりも北だ。私の行動圏外であり、どこに何があるのか地理的特徴を全く知らない。ぼんやりとか薄らのレベルではない、真っ白である。

 今井網は、モーニングコールの如く私が起きようとする昼前に電話をかけてきた。その時に聞いた道を辿り、私は今待ち合わせ場所に向かっている。

 道路を走っていると、急に、今走っている道路が広大なものに変貌した。三車線分はあるのではと思うくらい広い二車線道路だ。そして、私は自転車ではなくバイクに乗っている。詳しくはわからないが、多分ハーレー・ダビッドソン。

「な、何だ……これは?」

 私の体は勝手に動き、ハーレーのハンドルを捻って加速させている。

 視界は遮るもの無くどこまでも広がっていて、右には荒野と砂漠、左には草原と河川という正反対の世界が見えた。

 次の瞬間――耳をつんざくけたたましい音が私を現実に引き戻す。右から軽のワゴンが大きく膨らんで私を追い抜いていく。どうやらクラクションを鳴らされたようだ。状況を確認すると、私はいつの間にか道路の左端から真ん中辺りに寄って走っている。後続にも迷惑がかかると思い、私は速やかに自転車を左端に寄せた。

 わずかに歩道がある場所に来たところで、私は自転車を歩道の内側に入れて停車する。縁石に右足を置き、ハンドルに両肘をかけて頭を抱えた。

「何だったんだ、あの光景は? 幻覚? 俺、疲れているのか? でも、九時間熟睡したばっかりだぞ。くそ! どうなっているんだ」

 昨日網に頭が普通じゃないと言われたことを思い出し、私は不安に駆られる。胸騒ぎがするし、嫌な予感がする。こういう場合、的中するのがオーソドックスな展開だが、果たして――とかそんな悠長なことを言っている余裕がないほど、私は落ち込む。

「……それでも、行かねえと」

 待ち合わせの時間は刻一刻と迫っている。私は深呼吸を三回して、酸素と二酸化炭素を入れ替えて体中に循環させた。それから再び自転車を走らせる。

 もう幻覚を見ることはなかった。

 しばらくして待ち合わせの場所に着く。急いで走らせたので遅刻は一分程度で済んだが――待ち合わせ場所にいた今井網は、眉をひそめて不機嫌そうな表情で出迎えてくれた。白の無地Tシャツに黒のスラックスという色気もクソもない格好である。

「お待たせ」

「あたしの予測よりも九十七秒遅かったわ、京極聖夜」

「誤差だろう、そんなの。いつもより多く信号に捕まったんだよ」

 まさか調子が悪くて停車し、深呼吸してたから遅刻したなんて言えない。私は適当に嘘を言った。網は目を細めて、疑うような目を私に向ける。

「そうだといいんだけどね」

 嘘がばれているのではと勘繰りたくなるほど思わせぶりな言葉が返ってきた。

「それで……ここに何の用だ? コンビニだぞ、ここ」

「そんなこと知ってるわ、見ればわかるって。馬鹿なの?」

 網は蔑んで目で私を見て言った。私が何か言い返す前に、彼女は続ける。

「今からとある研究所に行くの。あんたに直接場所を教えるわけにはいかないから、とりあえず近場のコンビニを待ち合わせ場所に選んだわけ」

「あー、なるほど……えっ? ちょっと待て。研究所? お前、研究所なんて持っているのか?」

 僕は手を打ち、網の説明に納得しかけたところで疑問が湧いた。

「あたしの研究所じゃない。そんなことどうでもいいから、自転車を置いていって。ここからは歩きで行くわよ」

「……オーケー」

 どうせろくに説明もないだろうと思い、私は素直に従って、コンビニの駐輪スペースに愛車『白銀号』を置いて鍵をかけた。

 網は一人で勝手に歩いていって、後ろを確認しようともしない。私は彼女に追い付いて横を歩く。彼女の表情は、顔だけ時間が止まっているかのように変わらない無表情を張り付けている。眉の上で切りそろえられている前髪が上下に揺れるだけだ。時たま大きい黒縁眼鏡を指で持ち上げる動作が見られる。しかし、基本は歩くことに集中しているような感じを受けた。彼女は歩いている間、何もしゃべらない。私はそんな沈黙に耐えかねて、彼女に質問してみる。

「なあ、今から行く研究所っていうのは、頭に『秘密』や『極秘』とかの文字が付くような研究所なのか?」

「そうよ。でも、微妙に違うわ。研究所とか言っても公式的な施設じゃない――言わば、プライベート空間ってところ」

「確かに、それならおいそれと他人に場所を教えたくはないわな」

 そこで会話は途切れ、私と網に再び沈黙が訪れた。



 十分か二十分か、それくらい長く歩いたところで、ようやく今井網は足を止める。それまでに田んぼが続く道を歩き、民家を何軒か通り過ぎ、右へ行き左へ行きで私はうんざりしていたところだ。

 辿り着いたのは、一見して工場のような佇まいの建物だった。壁は()びていたりくすんでいたりして、小さいころに近所で見たゴミ屋敷を想起させる。その割に窓ガラスは一枚も割れていなくて、ヒビの一つも入っていない。

「ここって、工場なのか?」

 私の問いかけに網は「四分の一正解」と答えた。

「遠いな。だったら何なんだ?」

「ここは工場だけど、とっくの昔に潰れているわ。そして、廃工場という姿は表向き。だから四分の一正解なのよ」

 網は工場の裏に回り、スラックスのポケットから取り出した鍵を使って扉を開ける。廃工場の裏口なのに三つも錠が取り付けられていて、セキュリティの高さが窺えた。

 表向きは廃工場――つまり中は真新しい研究設備でもあるのか、そう思いながら網の後に続いて中へと這入る。しかし、広がる光景は埃まみれの荒廃した工場のものだ。どこにも研究設備なんてない。あるのは、使われなくなって何年経っているのか見当もつかない機械ばかりだ。まるで機械の墓場だと私は思った。

「これのどこが研究所だ? 何にも無いぞ」

「当たり前よ。だから言ったでしょう、これは表向きだって」

 網は迷うことなく工場内を歩く。薄暗い中を一歩一歩大きく踏み出し、機械と機械の間を縫うように歩き、やがて奥の方にある機械に囲まれた場所で動きを止める。そこは一層暗闇になっていて、誰も寄り付かないところだった。

「中まで表向きって、じゃあ、裏はどこに……」

 網は答えず、暗闇に沈み込むようにしゃがんだ。床に手をつけて何かを探っている。その様子を後ろから眺めていると、突然何かが外れる重い音が響いた。見ると、網は両手を上げて、板状のものを片側だけ上げている。もう片側は床に固定されていた。

 網が持ち上げていたのは上向きに開く扉だ。七、八十センチ四方の扉で、表側は工場の床と同じだが、裏面は清潔な白さを持っている。

「研究所の本当の入り口は、ここよ」

 網は言いながら私と目を合わせ、それから下を示すように視線を下げた。私はその先を見る。そこには穴があった。床にある扉と同じ大きさの穴で、壁も同じく輝くほどの白さだ。正面には下りるための鉄製の梯子が設けられている。穴の中は等間隔で明かりが付けられていて、底までの深さがどれくらいあるのかわかった。結構深い。落ちたら即死するレベルだ。

 研究所の入り口というよりは、秘密基地や地下世界への入り口といった印象が強い。

「地下に研究所が隠されているのか……へえ、いい趣味してるな」

「あんたに言われたくないね。ほら、さっさと下りるわよ」

 網は慣れているのか、ためらうことなく穴の中へと体を入れ、高さの恐怖を微塵も感じることなく素早く下りていった。

「あたしがいいって言うまで下りて来ないでよ。あんたが落ちてきたらあたしまで道連れにされるんだから」

 しばらくして、穴の中から反響した網の声が届く。

「了解!」

 私は梯子を下りている網に聞こえるよう大きく返事をした。

「あと、下りてくる時に扉を閉めてきて。この穴の存在が誰かにばれると厄介だから」

「わかった!」

 返事をした直後に、下りる時にどうやって扉を閉めるのかという疑問に気付く。

 梯子を片手で持ちながら片手で扉を閉めろというのか? 初めてここに来る私にそれをやらせるってどうかと思うぞ。もしそれをわかってて先に下りたのなら、網は最悪なやつだと認定しよう。もし無事に下りられたら絶対何か言ってやる。

「いいわよ、下りてきて」

 網の合図が遥か下から聞こえてきて、私は動く。梯子を下りるという経験があまりないので、慎重に、緊張感を持ちながら。

 まずは穴の縁に腰かけて足を穴の中へと入れる。それから宙ぶらりんの足を伸ばして梯子にかけ、手も伸ばして梯子の一番上の部分を握った。手足の感触を確かめ、体を梯子に寄せて全身を穴の中へと入れる。

 四肢によって体を支えているという事実は、意外と恐怖だ。そのどれかを滑らせるなり何なりして支えを失えば、たちまちバランスを崩す。何メートルあるか知らないが、無事では済まないことは確かだ。幸い、穴の幅が一メートルもなくて狭いので、落ちても手足を伸ばせば落下を止められるかもしれない。手足は酷い擦過傷を被ることになるが、まあ死ぬよりマシだ。

 と――そんな想像を延々と巡らせながら、私は確実に地下へと潜っていく。地上の音は消え失せ、今や梯子を踏み鳴らす乾いた音だけが響き渡る。絶対に下を見るものかと思いながら梯子を下りているので、今がどの辺りなのかわからない。

 それでも、確認するために下を見るのも嫌だったのでそのまま無心になって下りていると、下に伸ばした足が硬い物にぶつかった。それでようやく下り切ったことを認識する。手を離しても落下しない。横を見ると、すぐそばに今井網の姿があった。

「あんたって高所恐怖症か閉所恐怖症? 顔色が悪いわよ?」

「こんな高いところを梯子で下りて顔色が良くなるやつなんていねえよ」

「そうかな? 別にどうでもいいけど」

 網はさして興味がないのか適当に返事をし、すぐに踵を返して奥に繋がる通路へと歩き出した。

「何だか、随分簡素な作りだな。まるで避難経路みたいだ」

 私は網の後をついて歩きながらそう漏らす。

 今歩いている通路は、ジャンプすれば頭が当たるくらい低く、幅も二人が接触なくしてはすれ違うことができないくらい狭い。

 網は振り向かずに答える。

「その通りよ。そのまんま、ここは非常用の脱出口。今はそれを逆走しているようなものなの。研究所への入り口はもっと簡単に行けるところもあるわ」

「じゃあ、何でそっちに行かなかったんだ?」

 私は網にわざわざ遠回りする理由を問わずにはいられなかった。

「どこの入り口も人通りが多いからよ。あんまり目立った行動はしたくない」

「それってどういうことだ? 人目についちゃマズイとでも言いたいのか?」

「詳しい話は後で……って、そんな必要もないか」

 網は途中で何かに気付いて言い直す。それは、もう目的の場所のすぐ近くに来ているということなのか?

「あんたに会って話をしたい人がこの先で待っている。この非常用の脱出口も、実はその人の部屋と直通なんだ」

「俺に会いたい人? ……って誰だ?」

「日本国民なら誰だって一度はその名前を聞いたことがあるわ」

 通路の突き当たりにある扉の前で立ち止まり、網は振り向いて私を見る。

「あたしの祖父――脳見宗三郎よ」

 言い終えると同時に、扉は開かれた。



 狭い通路から出てきた先は、研究室というよりは書斎に近い感じの部屋だった。

 壁は一般に使われる扉以外本棚で囲まれている。というのも、実は本棚の一つが隠し扉になっているので、非常用の脱出口は普通誰の目にも留まらない。

 まるでこの部屋の壁は本棚でできているのかと思わせるほどの光景だ。その本棚には、学術書から文庫本まで多岐にわたる本の数々で埋め尽くされている。それでも足りないのか、部屋の中央より奥にある執務机の上にまで何冊か分厚い本が積み上げられていた。机に置かれているデスクトップ型のパソコンは、肩身の狭い思いをしている。

「おじいちゃん、連れてきたよ」

「ああ、おかえり、網ちゃん。そしてようこそ、京極聖夜君」

 本棚から出てきた私と今井網に、しゃがれていても張りのある声がかけられた。声のする方を見ると、回転式の高級そうな椅子に腰かけた初老の男が私達を出迎える。

 ぼさぼさの頭はその全てが白髪で、後退しているのか額は広い。同様に口髭も白くなっている。輝きを失っていない目に、精悍な顔つき――どことなく物理学者のアルベルト・アインシュタインに似ている顔だ。服装は紺色のスーツに白衣。

 その人の名前を尋ねるまでもない。私はその顔をテレビで何度も見たことがあるのだから。間違いなく、脳科学の権威、脳見宗三郎である。

 この部屋に這入る前に網から聞かされたが、いざ会ってみると、ものすごく緊張する。超が付く有名人であり、私にとって雲の上の存在で、会うことすらおこがましいと思えるほどの人物だ。

「は、はじめまして。京極聖夜です」

 緊張して声が震えてしまう。

「ほほっ、そう畏まらなくてもいい。わしは脳見宗三郎。よろしく。孫の網が世話になっているようで」

 テレビで聞く声が私に向けられて、緊張している反面、嬉しくも思う。

「少しは網から聞いているとは思うが、君を呼び寄せたのはこのわしだ」

「はい。お聞きしています」

「網が君の頭のデータを見せてくれたのでな。わしは、それを見てびっくりしたよ。他の者と比較しても異常だった。故に興味を持ったのだよ」

 脳見は口髭を指で擦りながら言った。その言葉に、私は緊張よりも不安が強くなる。どうして私の頭のデータで世界の脳見が驚くのかわからないからだ。網と行った実験は、彼女が言うシチュエーションを想像するもので、それで脳の働きをデータに取る。その結果に何の興味を持ったというのか。

「……どういうことなのか、説明していただけませんか?」

「もちろん、君のことなのだから当然だ」

 脳見はキーボードを打ち、マウスを動かして何度かクリックする。

「これを見てみなさい」

 私は脳見に言われて、網と共に机を回って彼の横に行く。彼が指をさしたのは、デスクトップの画面だった。そこに映し出されているのは、ピカソでも描きそうにないほど崩れた絵のようなものだ。形を作ろうとして失敗していたり、色彩を施そうとして塗り潰されてしまっていたり、一見しただけでは何も言えない。

 脳見がマウスをクリックすると、その絵が流動的に形を変え色を変え、下手なアニメーションのように動いていた。

「この映像は……?」

「網の言うところでは、君の知り合いの巌流君かな? その子の脳内映像だよ」

「これが、脳の映像?」

「うむ。これが人間で、横にもう一人いる」

 言われてみれば何となくそう見えなくもない。酷く抽象的というか、骨格が合っているだけで細かいディテールが曖昧なのだ。まるで粗いモザイク画を見ているみたいな印象を受ける。

「何というか、ぼやけていますね」

「そうじゃろう。人間の想像力は、どれだけ訓練を重ねても輪郭線を一本に絞ることすらかなわない。曖昧なものなのだよ。人間の世界と同じくね」

「目に映るような映像にはなり得ないというのですか?」

「いかにも。わしの開発した装置は脳内を正確に投射する。が、肝心の脳はそこまで精巧にできていないようで、人の想像を映像にすれば、こんな混沌としたものになるのだよ」

 普通はね、と脳見は最後に強調して言った。それから机に置いてある紙を取り、スーツの胸ポケットにある老眼鏡をかけて紙に目を通す。

「手元の資料では『被験者に十三のシーンを口頭で説明し、三分間自由に想像させる』と書かれてる。そして、その十三のシーンについても」

 脳見はマウスを繰って画面を変更する。

「これは……シーン6『乗り物に乗って移動する』だ。見えにくいが、巌流君のは恐らくオープンカーだと思われる。他には自転車や飛行機を想像する者もいる」

 私にはどう見たって人生ゲームの駒である車と人型のピンにしか見えない。

「問題は、このシーン6における君の映像だよ」

 マウスをクリックする小さな音が聞こえた瞬間、画面にはそれが映し出される。

「!?」

 映像はあまりにも鮮明で、ハイビジョンで撮影された現実の映像かと思うほど秀逸なものだった。比較として見たアテナの脳内映像とは比べ物にならなかった。子供がクレヨンで描いた絵と写実派の画家がいくつもの道具を使って描いた絵くらいの違いがある。そして私は、その綺麗な映像以上に、その内容に驚く。

 映っている人物はバイクに跨って果てしなく続く道路を走っていた。右には荒野が広がり、その奥には砂漠も見える。左には新緑の草原が風に揺られ、奥には川も見える。

 それは、今日自転車で待ち合わせ場所に向かっている時に見た幻覚と同じ光景だった。バイクに乗っていて、右に荒野と砂漠、左に草原と河川。その偶然の一致に、私は震えるほど驚いたのだ。

「わしもこの映像を見て今でも鳥肌が立つ。普通はこうならない。どれだけ訓練を重ねようと、意識を洗練しようと、どれだけ悟りを開こうと、な。絶対に輪郭が定まらない。しかしどうだね、これは? まるでCGの如く緻密だ。芸術の域だ! ブラボー!」

 目を血走らせ、興奮した様子で滔々と話す脳見。

「おじいちゃん、落ち着いて。血圧上がるよ」

 網が冷静に脳見をなだめる。それを聞いて彼は「おお、そうだった」と我に返ったのか肩の力を抜く。

「年甲斐もなく熱くなってしまったよ。こうも熱くなったのは夢の映像化に成功して以来になるな。ふっふっふ」

 脳見は肩を上下させながら笑い、遠い目でどこかを見ながら口髭を指で擦っている。

「もしかして、他の映像も?」

「そうじゃ。ただ、全てではない。十三あるシーンの中で、五つだけ鮮明に映し出されている。他の八つの映像は普通だった」

 脳見は机にある紙を私に渡してくれた。十三のシーンで五つにチェックが打たれている――これが鮮明に映像化されたシーンだろう。

 最初に該当したのがシーン6の『乗り物に乗って移動する』。次にシーン7の『武器を使って敵を撃破する』。シーン8の『大自然で野宿する』、シーン12の『魔法で敵を撃退する』、シーン13の『宝箱の中身を想像する』が該当していた。

「何でこれらの映像だけが鮮明になるんですか?」

「すまないが、それはわしにもわからん。だが、網が取ったデータは私の頭に入っている……後は君にいくつか話を聞けばわかるやもしれん」

「そうですか」

 世界の脳見宗三郎が真剣に私のことを考えてくれている、それだけで感動だ。私は次の言葉を待つ。

「私の仮定だが、映像が鮮明に映し出された理由は、脳の出力の違いだと思う。提示された何かを一から想像して脳内で形作る。想像し続けても一定の形は保てず、少しの乱れでタバコの煙のように歪む。それが普通だ。しかし、脳の中にあらかじめ何かしらの光景が存在していて、その光景をそのまま映像で見せている。それなら、映像が鮮明化されていてもおかしくない。ただ、それは随分特殊なのだがね」

「じゃあ、僕のは後者になるというわけですか?」

「そうじゃ。そしてその光景は限定的だから、当てはまらない場合もある。それが十三の内の八だ」

 脳の中にある何かしらの光景。私は、やはり今日見た幻覚が気になる。あれが疲れから来る幻覚なのか、それとも脳内にある光景なのか――知っておきたい。

「しかし、脳見さん。その後者の仮説はどのようにして打ち出したのですか?」

「おお、いいところに気付いたね。わしが今からそれを説明しようと思っていたところだ……さて、画面を見たまえ」

 脳見はパソコンを操作して画面に資料を映した。それは脳を真上から見た映像で、サーモグラフのように色が推移しているのが見える。

「これは脳の活動を記録したもので、赤い部分は活発に働きを見せている」

「…………」

「一見してわからないだろう。ここ、よく赤くなっているのは前頭葉。想像力を働かせるのは前頭葉の役目。君が頭をフル回転させて想像している証拠だ」

「はあ、どうも」

 頑張ったという自覚はあまりないので、どう返事をすればいいのかわからなかった。

「注目したいのはここだ。脳というのは使われていない部分が多い。しかし君の場合は、使われている部分が多いのだ。多過ぎるくらいに。ここや、ここ、ここも赤い。そしてそれが一定の値を保っている」

 言われてみればそうかもしれない。ただ、そのことに何の価値があるのだろう。それは私の頭がいいと言いたいのだろうか?

「考えられるとすれば、君の脳にもう一人、君の(あずか)り知らない自分がいる」

「それって、二重人格?」

「そうじゃ。そしてもう一つ……君の脳に独立した世界が構築されている」

「えっ? それは、どういうことなのですか?」

「外的又は内的要因によって君はこの世界を拒絶し、無意識の内に脳にもう一つの自分だけの世界を作った。もしくは、超高度な自己暗示をかけて、意図的に自分の脳内に自分が設計した世界を植え付けた」

「何ですかそれ……人間にそんなことが可能なのですか?」

「不可能ではない。わしは脳の謎というトンネルを常に先頭で掘り続けておるが、いかんせん開通できる見込みがなくてな。それほど脳は奥が深いというわけだ」

 脳見の言葉は抽象的なのだが、専門的な用語を使わない分わかりやすく、納得させられる説得力があった。しかし、私の疑問は消えない。

 仮に脳見の仮説が本当だとしたら、何故私が脳の中に一つの世界を作り上げる必要があるのだろうか? 事故で頭を打ったわけでもないし、トラウマになるようなイジメを受けたこともない。普通に人生を送ってきた。いや、普通か?

 私は、脳見の言った『意図的に世界を植え付けた』という言葉に引っかかった。

「ふう……さて、今わしにわかるのはこのくらいだ。今度はわしが訊きたい。これは二つある仮説を一つに絞るための質問だ。君は、時々記憶が途切れることはあるかね?」

「ありません」

「誰かがそばにいる感覚があったり、誰かが語りかけてきたりしたことは?」

「どれもありません」

「なら二重人格である可能性はない。もう一人の君がよっぽどの恥ずかしがり屋か尻尾を見せない用心深い性格でなければね」

「では、僕はもう一つの仮説……脳内に別の世界があると思っていいんですか?」

「データと憶測と経験則から言えば」

 確定はしないが、それは誰にだって無理だろう。でも、脳見の言葉はそれに近付いている感じはする。

「あの……僕の脳内にこの世界とは違った世界が存在するとしたら、それはいけないことなのですか? 現実世界に何か障害でも?」

「それはわからないが、君はここ最近、心身に異変を感じたことはないかね? 最近でなくてもいいが、中学校以降で」

 中学で変わったことは思い当たらないが、高校に入学してからは思い当たる節がいくつもある。私は思い切って打ち明けることにした。

「……実は、たまにではありますが幻覚を見ることがあります。偶然かもしれませんが、バイクで走っているものでした」

「何!? そうなのか? まさかここで見た映像と同じか?」

 驚いた様子で訊く脳見に、私は何度か頷く。

「ふうむ。それは恐らく偶然ではないぞ。君の幻覚とこの映像が同一だとすれば、脳内の一部で収まっているはずの世界が君の脳を侵食していることになる。京極聖夜君、時間は空いているかね?」

「もちろん空いてますが、今何故それを?」

「君の脳を見てみたい。すぐ済むから構わないじゃろう」

 脳見は返事を待たずに立ち上がり、部屋の扉へと向かった。

 私は不安に苛まれる。私の中の世界が脳を侵食しているという言葉にいい響きがなく、どうなるのかの説明もないのだ。不安を煽っといて結論を後回しにされ、まだ消化し切れていない。

 私の脳に一体何が起きているのか。

 今からそれを知らされそうで、私の足取りは重い。今井網を見るが、彼女の表情に変化はなく、何を思っているのかは窺えなかった。



「……これは、わしとしても想定外のことじゃ」

 研究所のとある一室。私は横になって黒い表面に白い水玉模様が描かれた実験装置を頭に被っている。私の脳内を見て数分後に、脳見宗三郎は不吉な言葉を口にしたのだ。

「どうしたんですか?」

 脳見は私にモニタを見せる。そこに映っていたのは、先程と同じで脳を真上から撮った映像だ。赤や青や緑が不均一に散りばめられ、不思議な模様になっている。さっき見たのと変わらない気もするが。

「君が作り出した世界は、緩やかにではあるが、脳全体を侵食し始めている」

 脳見はモニタを操作して画面を二つに分け、左右に一昨日と今日のデータを並べた。よく見比べて見ると、赤い部分がわずかに大きくなっている。本当にわずかだが。しかしそれでも、私の動悸は激しくなる。額からは冷や汗が滲み出てきた。

「それで……侵食が進んだらどうなるのですか?」

 脳見は唸るだけで、答えようとしない。まるで言葉を選んでいるかのような沈黙だ。彼は口髭を指で擦りながら考えている。しばらくして、彼は私の目をじっと見ると、重い口を開いた。

「君の脳内にある世界が現実世界を塗り潰し、今わしと話している君の現在の意識は、その世界へと移ってしまう」

「……仰っていることがよくわからないのですが」

「二重人格で例えると、もう一人の自分に意識を支配され、永遠に自分は表に出られないという状況だ。つまり君は、脳内で構築された世界に閉じ込められて恒久的にその世界で過ごすことになる」

「何ですって? 僕は、僕は死ぬんですか!」

「死なない。君は心身ともに生きている状態になるのだが、はたから見れば植物人間だ」

「………………」

 頭が潰れそうなくらい強くハンマーで叩かれたような衝撃が私を襲う。視界がぐらりと揺れ、天地がひっくり返りそうだ。何も考えられなくなるくらい頭が真っ白になって、気持ちが悪く吐き気もする。私は答えを聞かないわけにはいかないし、ここで聞かなかったらきっと後悔するだろう。そう思って、脳見に教えてくれと目で訴えた。彼はそれに応えてくれた。だけど、想像を遥かに超えた事実に私はただただ驚愕する。

 死にはしないと脳見は言った。でも、この現実世界でもの見、聞き、しゃべらなければ死んでいるのも同じだ。もう一つの世界で永遠に生きる? 何だそれ? この現実世界で生きられないなら意味ないじゃないか!

 どうしてこうなった? そう自分に問いかけても答えは出ない。どれだけ考えようと、納得のいく答えが出ない――ただただ『どうして?』と繰り返す。

「おじいちゃん。その……何とかならないのかな?」

 茫然自失している私に代わって、今井網が脳見に訊いた。

「何とかと言われてものお……どのような経緯で脳内に世界が創造されたのかもわからないんだ。当然、対策も不明。わしでも全てが未知の領域なんだ。人間は時に我々の想像を遥かに超える。どうしようもならない時だってある。すまない」

 お手上げだという風に脳見は力なく言った。

 そして――しばらく私と脳見と網に重い沈黙が訪れる。

「ねえ、京極君」

 長く続いた沈黙を破ったのは、網だった。答える気もないし、その必要も感じなかったのだが、私は「何だ?」と反射的に返す。

「これはあたしの仮説なんだけど……あんたの中二病が原因ってことはない?」

「俺の、中二病?」

「何だねその病気は? わしは聞いたことないぞ」

 眉間にしわを寄せて脳見が首を傾げる。

「おじいちゃん。正確には病気ではないんだけど、心を病んでいるっていうか……とりあえず思春期に現れる症状ってこと」

「ふうむ。それで、その中二病とやらがどう関係しているのかな? 網ちゃん」

 脳見に促されて、網は私を見た。

「中学の時にあんたは自分の世界を設定して、それを脳内に刷り込んだんじゃない? その世界が心身の成長と共に脳内で独立して、更には脳内を侵食しているってこと。それがあたしの仮説よ」

 唐突に出された突拍子もない仮説に、私は考えさせられる。

 中二病なんていつでも発症しているのだから、思い当たる節が多過ぎるくらいだ。それでも、僕の脳内に作られた世界となれば、私にとって何か特別なものだと思う。だから、印象に残ったことや心に響いたシーンを中心に記憶を探る。

「何か思い出した?」

 早くもなく遅くもないタイミングで網が訊いてきた。

「いや……今は、何だか頭にもやがかかったみたいに不明瞭で、そして重いんだ。とても昔を思い出すことなんてできない」

「そう」網は嘆息する。

「仕方あるまい。今はまだ頭の整理ができていないんじゃ」脳見は網を諭すように言ってから私の方を向く。「君に必要なのは時間じゃ。気持ちを落ち着かせる時間、ゆっくりと考える時間がの。焦っていては何も生まれない」

「そんな悠長なこと言って……放っておいたら僕は死ぬんでしょう? 一体どれだけ時間が残されているんですか?」

「死にはしない。それに、侵食していると言ってもその速度は緩慢だ。ただ、見た限りで計算してみたが、残念ながら君がゴールデンウィークを迎えることはない」

 今日は土曜日だから、ちょうどあと二週間でゴールデンウィークになる。

 私は脳見に余命二週間を言い渡されたようなようなものだ。

「な……何とかならないんですか! 僕は、どうすれば?」

「先程も言ったが、不明じゃ」

 私は心の中で『クソッ!』と叫ぶ。今は冷静さを失っている。話の流れまで忘れて一度訊いたことをまた訊いてしまった。そのことに苛立つ。

「今日はもう帰りたまえ。わしだってこのようなケースは初めてなんだ。できる限りのことはする。ただ、わしは明日からアメリカでプレゼンがある。何かわかったら網に言いなさい。これからは網を挟んでの連絡になる」

「……わかりました」

 私の返事は、自分でも驚くほど声が出ていなかった。



 来た道を戻り――このルートが本来の使い道なのだが――、私と網はホコリ臭くて暗い工場へと着く。

 道中はまるで自分が自分でないような感じがして、何というか、ふわふわしていた。あれだけ恐怖を感じた梯子だったが、私は淡々と上っていった。感情が揺れ動くことは全くない。

 それもそうだろう。私は既に感情がぐちゃぐちゃにかき乱されていて、あまねくものを全て飲み込むように混沌としているのだから。

「あたしは思うんだけどさ」

 廃工場を出て、私の愛車『白銀号』が停めてあるコンビニへと行く道中、網は言った。

「本当はただあんたが頭良過ぎて脳が活発化しているだけかもしれないって。おじいちゃんが言うような脳内の世界が自分の脳を侵食して乗っ取るなんてなくてさ」

「俺もそうだと信じたいよ」

 私は空を見る。いつの間にか日は傾き、太陽は茜色に変わっていた。

「でも、それは本当のことなんだろうね。現実的に症状だって出ているし、これから更に症状が出る可能性もある。そうなるとおじいちゃんの仮説に現実味が増してくる」

「不思議だよな……自分のことなのに全然わからないんだからさ。この世界で意識が戻らなくなるとか言われても、実感がわかない」

「そういうものよ。大抵、人は自分のことを全て把握してなんかいないし、死やそれに準ずるものを実感することなんてできない」

「原因が何だかわからないけど、中二病が原因で死ぬのだけは嫌だな」

「それに関しては同感ね」

 私と今井網はその後何もしゃべらずにコンビニへと到着し、そこで別れた。

 目に映る夕日はものすごく現実的で暖かい。

 だけど私の心は冷めていて、胸にはぽっかりと空虚な穴が開いているようだった。



 帰宅した私に待っていたのは、いつもと変わらない日常であった。夕飯を食べ、風呂で体を洗い流し、テレビでニュース番組を見て、歯を磨き、二階にある自分の部屋に行く。そんな日常を習慣的にこなした。

 世界は普通で普遍的な通常運転で時を刻んでいる。

 ともすれば、その緩慢な時の流れに身を任せてずっと漂ってしまいそうだ。

「……余命二週間、か」

 私は自分の死というのを想像できなかった。あまりにも出し抜け過ぎて、一体何の冗談なのだろうかと思う。ひょっとしたら、今井網が脳見宗三郎まで巻き込んで私を騙そうとしているのだろうかと勘繰ってしまう。ひょっとしたら新手の実験かもしれない。余命を宣告されれば人間はその日に暗示効果で死ぬのか、とか。

 冗談でも冗談でなくとも、自分の死は受け入れられない。

 そのことに思考を巡らせているが、体はいつも通り勉強をしようと机に向かっており、ルーズリーフに目を向けている。しかし、それを見たことでふと思い出す。

「まさか……」

 私は中学三年の頃から勉強や受験に忙しかった。高校に入学してからも暇のない日々を送っている。そのせいか、今の今まで忘れていたことがあったのだ。

 何かに突き動かされるように私は机の引き出しを開ける。そこにはタイムマシンなんてない。だが代わりに、私の大事な物が多く収納されていた。

 小学校と中学校の卒業アルバム、家族と旅行へ行った時に撮った写真を収めているミニアルバム、現在読んでいる村上春樹の小説、参考書などがある。私が求めていたものは、引き出しの中心に置いてあった。

 それは――何の変哲もない一冊の大学ノートである。表紙に書かれているタイトルは、『世界の設計図(バイブル)』。名前のところには『アーノルド・W・スタローン』と記されていた。

 そう、これは私の中二病によって生み出された秘蔵のノートなのだ。他人に見られたくない禁断の書。超特級機密文書。たとえ合衆国大統領が閲覧を求めても、私は頑なに拒絶する。絶対に。

 私はその大学ノートを久しぶりに開く。およそ一年振りだろう。ページを繰り、当時の記憶と照らし合わせながら見る。書かれているのは膨大な量の文字と、雑なイラストだ。殴り書きとも走り書きとも取れる汚さである。

 武器の名前や強さ、魔法の呪文や効果や威力、モンスターの特徴やステータス、ファンタジーの世界観や細かな設定、キャラクターのプロフィールなど――私の創作が全てそのノートに記されていた。

 中学二年の時だからまだ拙さもあり、矛盾を孕んでいて無茶苦茶だ。だけど、その時の私の魂がそこにはあり、燃え盛る炎のように溢れんばかりの勢いがあった。

 ノートを読み進めていると、ある場所で指が止まる。ちょっとしたストーリーが設定と共に書かれていて、題名は『混沌の世界』だ。少年はハーレー・ダビッドソンに跨って、永遠に続く道路を走っていくという内容で、私はそれを読んで手が震える。

 目を文字に走らせ、急いで先を読み進めた。

「ハーレー・ダビッドソン……右には荒野と砂漠、左には草原と河川……」

 ここに書かれている『混沌の世界』の風景は、明らかにあの幻覚で見た風景と一致している。これだけの符合は偶然では済まされない。

 私はいても立ってもいられず、すぐに今井網に電話をかける。七回目のコールでやっと電話に出た。

『何かわかったことでもあった?』

 電話口の網は夜遅く――午前零時を回ったところ――に電話をかけたことについては何も咎めず、私が電話をかけた理由を見抜いていたのか、第一声で訊いてきた。

「ああ。手掛かりが見つかった。今日見た俺の脳内映像があっただろう? バイクを走らせて、右に荒野と砂漠、左に草原と河川が見えるっていう。実は、中学二年の時に書いたノートにその光景が記されていたんだよ」

『そう。じゃああたしの仮説通りだったってわけね。あんたが設定したそれが、そのままあんたの脳内で世界として構築された』

「そんな簡単にできるのか? ただ中二病の時に書いた物語の一つだぞ?」

『あんたには素質ってものがあるんだと思う』

「素質? 何の?」

『ありとあらゆる素質よ。だって、勉強を本格的に始めて一年か二年で全国模試一位なんて取れるはずがない。でもあんたはそれをやってのけた。それでいてスポーツも万能じゃない。完璧人間よ、性格以外ね。で……その要因は、恐らくインプットとアウトプットの能力が優れていることにあると思うわ』

「何だそれは?」

『つまり、頭に取り入れた物事を十全に取り出すことができる。あんた、多分暗記したものを忘れたことなんてほとんどないでしょう?』

「まあ、そうしなきゃテストで点は取れないからな。でも、それは誰にだってできるだろう? 俺だけが例外なんてあり得るか?」

『じゃなきゃ全国模試一位なんて取れないわ。きっと二位の紫條院清華は、脳科学に基づく超効率的な勉強法で、それでも必死になって勉強に取り組んでいるはずよ。あんたはそんな最先端なことやってないでしょう?』

「普通にアナログな方法でやってきたな」

 網が大きく息を吐いたのが電話口から伝わる。。

『あのね……そういうのを世間では「天才」って呼んでいるのよ、馬鹿』

「天才って言っておいて馬鹿って言うな!」

『よく言うでしょう、馬鹿と天才は紙一重だって。まあ、あんたはどっちにでも振れるんだろうけどね』

 ともかく、と網は続けた。

『あんたはそのノートに書いてある世界を脳に植え付けた。それが何らかの原因で脳内を侵食し始めたのよ。それが作られた時からか、最近なのか、時期はわからないけど』

「でも不思議だ。何でその世界だけが脳内で構築され、独立しているのか。このノートには他にいくらでもそういう設定とかはあるのに」

『あたしに訊かないで。それはあんたの問題よ。あんたの中に理由はある。心当たりとかはない? 特別な理由とか、他の設定や世界との違いは』

「そんな、急に言われても……それに、原因がわかったところで何になるの?」

『少なくとも、何かしら解決方法を導き出せれるかもしれないでしょう? 異常があれば正す。そうすればあんたは死ななくて済むかもしれない』

「確定的じゃないのが不安だな」

『当たり前でしょう、あんたの頭ん中なんて誰もわからないわよ』

 網は呆れた風に言った。

『もしかしたらそのノートに何か隠されているかもしれない。中学二年の時を思い出してよく読むことね。それじゃあ、また何かわかったら電話して。あと、深夜に電話するのはこれっきりで』

「ああ、わかったよ。すまなかったな。ああ、じゃあ」

 別れのあいさつを済ませると、網からの通話が切られる。

 私はスマートフォンを机の上に置いて、再び大学ノートに目を通す。そこで気付いたのが、この『混沌の世界』から先の設定は、今までと違って現実的になっている。それまでファンタジックな面が強く、光より速く移動とか世界を一瞬で焼き尽くすとか無理な設定が多かったのに。一転して、理論や法則に従った緻密な設定になっているのだ。現実味が増していてリアリティがある。

 この変化について記憶を探ると、思いの外簡単に理由がわかった。私は、始業式の日にリムジンの中で清華に語ったことを思い出す。


『俺はいつからか、自分の理想が叶わないものだと気付き始めたんだ。世界の支配者になるって言っても、具体的なプランがない。ニュースで最新の世界を見れば、自分のちっぽけさがありありとわかる。そして、自分が今何をしているのかわからなくなるんだ。先が見えなくて、不安の暗闇を歩いている』


 私は中学二年のある日にそう思い、初めてこの世界に失望した。

 そしてその日に、『混沌の世界』を書き始めたのだ。



     12 厨二病ワンダーランド

       ――宝箱――



 砂漠を抜けて荒野を駆け抜け、僕とランランは道路の近くまで来た。僕は、赤いコモドドラゴンが怖かったのでハーレーを進めて道路へと出る。今の今まで車やバイクが通るところを一切見たことないので、堂々と道路のど真ん中へと停めた。

「じゃあ、ちょっと待ってて。今から向こうに行ってエリを呼んでくるから」

 ランランは、道路から一メートル離れた荒野のエリアギリギリのところで佇んでいる。僕がそう言って彼女から離れると、彼女は一度頷いてから手を振った。

 ちょっと待ってて、と言ったものの、実際は『ちょっと』もかからずエリは来ると思うが。草原は二車線分の道路の向こう側にあり、一分もかからず草原へと這入ることができる。それに、僕が草原の中に這入ればエリはすぐに気付き、風に乗って瞬く間にやってくるのだから。

 僕は草原に足を踏み入れる。今度は気を張ってだ。エリがいつどこから出現しても驚かないように。特に僕は、前回の時に出現した背後を気にする。

「……後ろを気にすると見せかけて前だ!」

「そう、異常に縦からだけど」

「うおおおっ!」

 前だと推理した直後に左から肩を叩かれ、僕は飛び上がるように驚いた。僕の左には既にエリの姿がある。勝ち誇った笑みを見せて愉悦に浸っている様子だ。

「左から来るなんて読めないよ、エリ。正面から来てくれ」

「平静にしてる場合だよ。あっちに行ったってことは、鍵を紛失したの?」

 エリは僕に期待の眼差しを向けて訊いてきた。僕には、その期待に応えるだけの材料がある。

「ああ。だから報告に来たんだ。そして、宝箱の中身を一緒に見るために」

「悲しいわ……あれ? でも、それだったらゴミ箱はどこに?」

 手を額に立てて遠くを眺めるようなポーズをし、僕の周囲を見回すエリ。

「エリ……実は、鍵を見つけたのはここと対をなす場所、荒野と砂漠だ。そして、鍵は荒野と砂漠の巫女であるランランが持っていた。それで、彼女も宝箱の中身に興味を持ったんだ。エリ、僕が道路で宝箱を開けるから、三人で中身を見る、ということでいいかな? ちょっとだけ宝箱から遠くなるかもしれないけど」

「構うわ。それに、あたしはそのランランと話をしたくない。違う巫女同士で色々と話が合わないかもだから」

「それはよかった」

 エリもまた、ランランと同様向かいにいる違う世界の巫女と話をしたいようだ。二人の出会いが何をもたらすのかは会ってみないことにはわからないが、話の種が尽きることはなさそうなので、仲良くなれると僕は思う。

「すぐに会えるよ。だって道路を挟んだ向こう側にいるんだから。ここから道路まで目と鼻の先だし」

 僕は先に引き返して、草原を出て道路の真ん中に行く。ハーレーの座席後部にくくりつけてある宝箱を自由にし、アスファルトの上に置いた。その間にエリは既に道路と草原の境に辿り着いており、先に荒野と道路の境で佇んでいるランランの姿を認める。

 僕は宝箱を置いてから、首を振ってランランとエリの様子を交互に見た。二人はまず、お互いの存在を確かめているかのように見つめ合っている。僕はこの先どうなるのかとても心配だったが、僕からお互いを引き寄せるような真似はせず、黙って二人が話をするまで見届けることにした。

「はじめましてじゃない」

「てしまめじは」

 最初にあいさつをしたところで、二人は同じように首を傾げる。それはそうだろう。エリは言葉が反対になるし、ランランは言葉が逆になるのだから。というより、ランランはどうしてスマートフォンを使わなかったんだ? 初対面の人にスマートフォンで話しかけるのは失礼だと思って遠慮したのか?

「あたしは神乃奈々五倍子儀襟じゃないわ」

「んらんらきろどとはしたわ」

 お互いに自己紹介をして、また同じく首を傾げる。僕は、これ以上二人を放っておいても話は進まないだろうと判断し、仲介することにした。

 まずはランランのもとに行く。

「ランラン、あの子のことはエリって呼んで。エリは言葉を反対にして言うから、不快な表現があっても気にする必要はないよ。全て反対だから。あと……スマートフォンを遠慮なく使って。逆さまのままだとエリが困ると思う」

 それを聞いてランランは静かに頷いた。

「あ、それと鍵を」

 そう言うと彼女はワンピースのポケットから大事そうに鍵を取り出す。そして、その簡素な鍵を僕に渡した。僕は「ありがとう」と言って頷き、今度は十歩も歩かずに反対側にいるエリのところへと向かう。

「エリ、あの子のことはランランと呼んでやれ。ランランは言葉を逆にして言う。だからスマートフォンを介して君と話をすると思うけど、不快には思わないでくれ」

「わからないわ」

 疑問が解決して納得がいったように言うエリ。僕が道路の真ん中へ戻っていると、ランランとエリがお互いに手を振っていた。

「それじゃあ、二人とも、後でたっぷりと話す時間はあるから、ひとまずこっちに注目。宝箱を開けるよ」

 僕が鍵を掲げながら言うと、二人は道路の真ん中に置かれた宝箱に視線を集める。何を言うこともなく、僕が鍵を宝箱の鍵穴に差し込むところも、ずっと固唾を呑んで見守っていた。

 エリは代々守り続けてきた鍵の無い宝箱の中身を知りたくて。ランランは代々受け継いできた鍵が開けるものを見たくて。二人の巫女が大切にしてきた宝箱と鍵。それが今僕のもとにある。二人がそれぞれ守り受け継いできた想いが、僕という人間を通して交錯する――僕でいいのか、という不安は強い。しかし、この運命とも奇跡とも言える瞬間に立ち会えて嬉しくも思う。何より、ランランとエリを巡り合わせることができてよかったと、心から思えるのだ。唯一、同じような苦しみを味わっている仲間との出会い。それは僕のような人間との出会いよりもかけがえのないものである。

 僕はランランの家でやった時のように鍵を右に捻った。やはり前と同じくかちりと高い音が響く。宝箱の鍵が開いた音だ。

「閉まった! 閉まったわ!」

 エリは歓喜の声を出した。満面の笑みを浮かべて飛び跳ねている。ランランと僕は一度開けているが、それでも開いた時の喜びは変わらなかった。

 鍵を引き抜いて、それを矯めつ眇めつ見る。この鍵は『世界を開ける鍵』とランランが言っていたが、そうかもしれない、と僕は思った。宝箱と鍵が、僕とランラン、僕とエリという二人の関わりから、新たにランランとエリの関わりを加えてくれたのだ。そこから三人の関係も生まれてくる。この鍵は宝箱だけでなく、僕達三人が迎える新しい世界をも開けてくれたのだと。僕は何だかセンチメンタルな気持ちになった。

 ぶんぶんと頭を振って、それから目的を果たすために宝箱のふたをつかむ。開けようとするのだが、ぎぎぎと軋む音がした。滑りが悪くて重い。中を見せまいと抵抗するようなふたを何とか開けきる。

 宝箱の中を見ようとした次の瞬間――視界がまばゆい白光に包まれた。

「うわあああああっ!」

 目の前が一面真っ白になって何も見えなくなり、僕は叫んだ。ランランとエリも短い悲鳴を上げていた。どうしていいのかわからず、僕はとっさに防御姿勢を取る。目を閉じて回復を待つが、目を閉じても目の前は真っ白だった。

 どれだけ時間が経ったのだろう、結局何も起こらず、しばらくしてから目が回復する。

「だ、大丈夫か? ランラン、エリ」

『大丈夫。問題ない』

「あたしは駄目だわ」

 どうやら二人とも無事のようだ。一体さっきのまぶしい光は何だったのか? 気になるが、僕はそれよりも先に宝箱の中を見た。それから宝箱を持ち上げて、ランランとエリの二人に中を見せる。

「何にもない。空だ。この宝箱と鍵に一体何の意味があったんだろう?」

『きっと、あの光が宝物だったと思う』

「いいえ。だから、宝箱と鍵に意味はあるのよ」

 強烈な閃光が宝箱に収まっていたというのも不思議な話だ、と僕は思った。だとしたらあの光に何の意味があったのかが気になる。一体何のために光を見せたのか。

「――うっ!」

 考えていると、急に針で刺されたかのような痛みが頭に走った。しかし一瞬のことで、すぐに頭痛は治まる。ランランとエリが気遣う声をかけるが、僕は手を挙げて「大丈夫」と言い、平静を取り戻す。

「それよりも参ったね。せっかく宝箱と鍵が奇跡的に巡り合ったっていうのに、中身が光だけなんてさ。肩透かしを喰らったみたいだ」

『結果が全てじゃない。その過程も大事』

「違うね。こういうこともないわ。あたしはおかげでランランと別れたのよ」

 宝箱の中身が空という結果にもかかわらず、二人は頬笑みを浮かべた。

 その瞬間――全てを切り裂くような銃声が轟く。僕はその時、ランランの笑顔を見ていた。が、銃声と同時に彼女は頭を撃ち抜かれ、一瞬にして笑顔は消え去った。

「…………えっ?」

 誰が見ても死んでいるのがわかる。頭を撃ち抜かれ、左側がスプーンですくったかのように抉られているのだ。ランランの一部だったものは前方に飛び散り、血と肉片と骨の欠片と脳漿(のうしょう)が荒野の地面を赤く濡らす。その一場面だけスローモーションになり、僕は彼女の瑞々しい眼球が宙を舞って荒れた地面に落ちるまでの一部始終を目の当たりにした。

 膝が崩れ落ち、ランランの体が前に倒れる。それをきっかけに、魔法が解かれたかのように時の流れが戻った。

「……ランラン?」僕は彼女名を呼ぶが、返事はない。「ランラン!」

 彼女の死という現実を認識し、僕は喉が出せる限界以上の叫び声を上げる。

「ごほっ! がはっ!」

 今度は、エリが咳き込む声がした。反射的に、僕は首を回して彼女の方を向く。そこには、うつ伏せに倒れている彼女の姿があった。

「エリ!?」

 彼女の左胸には赤いしみが滲み出ていて、それが徐々に広がっている。彼女の体を中心に血溜まりが大きくなっていく。撃たれた場所や出血量から、ランラン同様助からないことが一目見てわかった。

 だけど、銃声は一発しか聞こえなかったのに、何で二人が撃たれたんだ? いや違う。あの普通とは違う銃声――まさか、同時に撃った音なのか? でも、どうして僕だけ生きている? そもそも誰が一体何の目的で撃った?

「ランラン! エリ!」

 僕はどうしていいのかわからず、二人の名を叫ぶ。二人のもとに行こうと思うのだが、金縛りに遭ったかのように体が動こうとしない。全身に嫌な汗が溢れ出て、心臓は外へと飛び出さんばかりに大きく音を立てる。倒れている二人を前にして、僕は何もできなかった。

「その宝箱には、もっと特別な意味がある。何も無いわけじゃない」

 突如として声をかけられる。僕は声が聞こえた方へと目を向けた。それは僕の正面、これからバイクで走っていく方向だ。そいつは道路の真ん中で悠然と立っている。

「お、お前は、誰なんだ?」

 僕は一瞬、目の前に鏡があるのではと疑ってしまった。四、五メートル先にいる男は、僕と同じ顔なのだ。僕はそれに酷く違和感を覚え、嫌悪する。僕と違うところと言えば服装だけだ。白色のシャツに黒色のネクタイにジャケットにスラックスという、葬儀でしか見ないような格好だった。

 男の背後には、AK47を持って武装している男達が大勢いる。一目見ただけで、百人はくだらない。

「知っているはずだ、俺のことを。お前は宝箱を開けたのだからな」

 こんなやつは知らない。目の前にいる男と面識はなく、一度も会ったことないはずだ。なのにどういうわけか、僕はこの男を知っている。

「……あ、あああ」

 それどころではない。僕の頭の中には、この世界に関する全ての情報が詰め込まれていた。隅から隅まで、一から百まで。

 男は不敵な笑みを浮かべ「ふん」と一笑する。

「わかっているだろう。あの宝箱にはこの世界が入っていたのだ。お前は宝箱を開けて、この世界の真実を知った」

「どうやら、そのようだ。初対面のはずなのに、お前のことを知っている」

 僕が男の名前を言おうとした時、男は人差し指を口の前に持っていき、静かにするよう促した。

「おっと。いくらお前が俺のことを知っていようと、自己紹介くらいさせてくれよ。俺の名はアーノルド・W・スタローン。《白雉(パールフェゼント)》の総司令官だ」

「そして、僕が作り出した僕の敵だ」

「ああ、そうとも」

「それだけじゃない。この世界は全て僕が作ったものなんだ。この空も、この地も、この空気も。太陽と月、朝昼晩。世界を分かつ永遠に続く道路も、荒野と砂漠も、草原と河川も。赤いコモドドラゴンや白銀の馬やピンクのイルカも、建物や遺跡も、宝箱と鍵も、バイクと荷物も。それに、ランランやエリも、お前やお前の後ろにいる《白雉(パールフェゼント)》の連中も。この世界に存在する森羅万象は全て僕が作ったんだ」

「そうとも。しかし、知らないこともある」

「お前がどうしてここにいるのか? どうしてランランとエリの二人を殺したのか?」

 男は二回頷いて「そうとも」と二回言う。

「簡単なことだ……この世界を滅ぼすためだよ。巫女の二人はそのために殺した」

「僕を真っ先に殺した方が早いんじゃないのか?」

「世界の全てを知っているくせに、わからないのか? 教科書を見ながらテストを受けて百点を取れないのと一緒だぞ」

 男は大袈裟に肩を竦めてみせ、呆れた風に言った。それから面倒臭そうにではあるが、説明をする。

「たとえお前を二十ミリバルカンで蜂の巣にしても、逆行の能力で撃たれる前まで時間を戻される。核ミサイルを使ってちりも残さず殺しても、反対の能力で死を生に変えられてしまう。二人の巫女がいる限りお前は死なないってことだ」

「だから、自分に能力が使えない巫女を先に殺したのか?」

「そうとも。後は……お前だけだ」

 男は(ふところ)から拳銃――趣味の悪い金色のデザートイーグル――を取り出し、人に指をさすくらい簡単な動作で、その拳銃を僕に向けた。僕は今S&W M500を持っていない。荷物の中だ。なす術もない。

 それを知ってか知らずか、男は勝ち誇ったように気色の悪い笑みを浮かべる。同族嫌悪とでも言うのだろうか、自分と同じ顔であるが故に気持ち悪いと思った。

「僕だけ?」

「ああ、お前だけだ」

「本当にそうなのか? 本当に……僕だけなのか?」

 僕は思わず笑みを零してしまう。さっきの男のような顔になっていないといいんだが。

「何がおかしい?」男は眉をひそめて訊く。「妙なハッタリはよせ。俺の隙を窺って何をするつもりか知らんが、あの二人なら……」

 銃口を逸らさずに横目でランランとエリを見た男は、言葉を詰まらせた。

「わかっていないのはお前の方だったな」

 ランランとエリは、何事もなかったかのように立っている。頭は吹き飛んでいないし、胸が赤く染まってもいない――撃たれた跡は綺麗さっぱりなくなっていた。動揺している男に対して不敵な笑みを浮かべている。

「どういうことだ!? 二人とも完璧に殺したはずだ! まさか、お前の仕業か?」

 男は僕を睨み、当たりをつけるように訊いた。酷く狼狽した様子で、拳銃を持っていない方の手で頭をしきりにかきむしっている。

「違うね。僕はこの世界の全てを作った。だけど、世界を都合よく変えることはできない……この世界は全て設定通りに動いている」

「何だと?」

「確かにランランは頭を撃ち抜かれて即死だった。そして、エリも心臓を撃ち抜かれて即死……だと思うだろう?」

「そうだ、確実に心臓を捉えたはず。違うというのか?」

「ランランならそれで死んでいただろう。だけど、エリは巫女になって能力を得た代償として、言葉や性別や年齢など様々なものが反対になった。その中には当然、内臓の位置も含まれている」

「内臓の位置……ということは、まさか、心臓の位置が反対だったのか!」

「不、正~解~」

 エリは男を小馬鹿にするようにして笑った。

 僕は「その通り」と言って続ける。

「幸い左胸を撃たれたことでエリは即死しなかった。しかし、死ぬのは時間の問題だ。そこでエリは、即死したランランに反対の能力を使って蘇らせた。で、生き返ったランランが逆行の能力でエリが撃たれる前まで時間を戻す……これが復活劇の顛末だ」

「くっ……」

「僕は先に進む。この先にある永遠に続く道路の終点に。誰にも邪魔はさせない」

「ほざけ!」

 男は拳銃の引き金を何度も引いた。大気を振るわせる銃声が響き、銃口から火を吹かせて銃弾が発射される。だが、銃弾は僕の目の前で止まり、次の瞬間には反対向きになって進み、男の体を貫いた。

 男が倒れると堰を切ったように《白雉(パールフェゼント)》の連中が一斉に雄叫びを上げ、持っているAK47を構える。がしかし、男達は引き金を引く前に、ランランの雷やエリの風によってその身を焦がされ切り刻まれた。男達は二人の圧倒的な力の前に、断末魔の叫びを上げる間もなく無残な死を遂げる。

 落雷の音や風切り音が聞こえた一瞬の内に、百人以上いた男達は全滅した。道路には、横幅一杯に血と肉が散らばり、死屍累々といった様相を呈している。地獄の釜が氾濫(はんらん)したらきっとこうなるのだろうな、と僕は視界に広がる凄惨な光景を見て思った。

「ランラン、エリ……すまない。そして、ありがとう」

 僕は二人を交互に見て、巻き込んだことに対する謝罪と、助けたことに対する感謝の言葉をかける。ランランは頷いて応え、エリは「よくないよ、別に」と返事をした。

「そうだ。宝箱と鍵……あれ? 無いぞ」

 足元を探すが、どこにも宝箱と鍵は無かった。するとエリが「探す必要はあるわよ」と僕に言う。

 顔を上げて彼女達を見ると、彼女達は道路に一歩踏み出し、それから何の迷いもなく僕に近付いてきた。ランランが『宝箱と鍵は役目を終えたから』と補足するように言う。

「えっ? 二人ともどうして道路に這入って来れるの?」

 僕が戸惑っていると、二人は僕の前に並んで立った。荒野と砂漠の巫女であるランランと草原と河川の巫女であるエリのツーショットは壮観で、感動的だ。

『これが私達の役目』

「巫女としての役割」

 二人はそう言い、お互いの手を合わせる。右にいるランランは左手を、左にいるエリは右手を伸ばして。その時――二人の体が淡い光を放ち、合わせたお互いの手が透過した。二人はお互いの距離を縮め、相手の中へと入っていった。そのまま二人の体が一つに溶け合い、ついには二人が一人になる。その瞬間、より一層強い光を放出して、僕はまぶしさのあまり目を閉じてしまった。

「くっ、ううう……」

 まぶたの裏に光が焼きつく。目を閉じていても光を感じた。しばらくして光が収まった感じがしたので、僕は恐る恐る目を開ける。

 僕の目の前には、ランランでもないエリでもない――僕の知らない女性がいた。

「……誰?」

 名前も知らない彼女は答えない。

 ただ、白い歯を出して柔和な笑みを見せてくれた。

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