その5
9 混沌の世界
――生徒会、通り雨、将棋――
今井網による実験が行われた翌日。午前の授業が終わって昼休みになる。勢いが弱まったとはいえ、始業式のほとぼりが冷めない現在、私と紫條院清華は今日も屋上へと行く。屋上に出てすぐ、私と清華のプライベート空間――と言っても昨日簡単に網に侵入を許したのだが――であるプレハブ小屋に這入る。
「ふうん。あたしの予測よりも三十二秒早かったじゃない、京極聖夜」
「あっ、お邪魔しているわ、アーノルド」
私は扉を開けた瞬間、その場で膝を落として頭を抱えた。
部屋には、大理石のテーブルを挟んで、アテナと今井網がソファに腰かけているのだ。異常な組み合わせである。そして、一度侵入した網ならともかく、屋上で僕と清華が共に過ごしていることすら知らなさそうなアテナがどうしてここにいるのかが疑問だ。第一、二人はどういう関係なんだ? それもわからない。謎過ぎる。
「何でお前らがここにいるんだよ! 屋上は立ち入り禁止で鍵がかかっているんだぞ!」
僕は思わず二人に向かって叫ぶ。
「自分のことは棚上げにしておいて、相手は批判するんだ。へえ~。それとも、自分だけ許される立場にいるのかな? まあ、落ち着いたらどうなの」
網は抑揚なく言葉を紡ぐ。
「そうよ、アーノルド。ひとまずソファにでも座ろう」
アテナは立ち上がり、網に賛同するように言って僕の肩に触れる。
「……っ、そもそも! 何でアテナが屋上にいるんだ?」
「僕? 屋上に繋がる階段を上っていく網ちゃんを見かけたから、話しかけてみたの。そしたら、アーノルドに、全国模試二位の紫條院清華の名前が出てくるじゃない。それで、ここが秘密基地みたいだからついてきたの」
「……じゃあ、二人は初対面なのか?」
私はアテナと網を交互に指さしながら訊く。先に「そうよ」と網が答えた。
「彼も中二病の傾向が見られるから、放課後に実験に付き合ってもらうつもりなの。ついさっきまでその話をしてたところよ」
大体の経緯はわかったが、私としては困ったことになった。当初は私と清華だけの空間だったのに、それがいつの間にか二人も追加されているという。もしもこの現状を清華が目にしたら何て言うだろうか。まず驚くだろう。怒るか否かはわからないが、私に説明を求めるかもしれない。ただ、私は弁明もできないし、二人を追い出すこともできない。
その時――部屋の扉が開く音がして、私の背後に人の気配がした。心臓が握られたのかと思ったくらい驚き、ゆっくりと振り向いて後ろを見る。アテナと網も同様に来訪者に視線を送った。
「な、何ですの? これは……」
紫條院清華は眉をひくつかせ、引きつった表情で私達を見る。驚きや戸惑い、様々な疑問が清華の中で飛び交っているのだろう。現状をまだ処理し切れていない。
「聖夜! どういうことか説明しなさい」
「愚問だな。神に選ばれし四天王がここに集結しただけだ」
「私が納得できる形でですわ!」
それは難しい、というか無理な話だ。誰が納得するだろう、ピッキングで侵入した網にアテナがついてきたなんて話。それに、清華とアテナは恐らく初対面だ。私がこの二人の仲介役をしなければと思うと、何だか気が重い。多分、相性は良くないと思う。
「とりあえず落ち着こう、清華。ほら、かけて」
私はゆっくりと話し合いをするためにも、清華にソファへと座るように言った。今にも噛みついてきそうなくらい警戒心を露わにしている彼女は、臨戦状態のまま網の隣に腰かける。それを見て、私とアテナは反対側のソファに座った。
私は扉側の奥、清華はテーブルを挟んで私の正面、アテナは窓側の奥で私の左隣、網は窓側の手前でアテナの正面――という配置だ。
部屋は四人いてちょうどいいくらいの広さになる。清華と二人きりの時は、どうしても広くて落ち着かなかった。しかし、四人だと狭くはないのだが、面子が面子だけに落ち着かない。
「昼休みなんだし、弁当でも食べながら話をするか?」
「嫌ですわ。はっきりさせてからでないと喉を通る気がしませんもの」
「……わかった」
気を紛らわせようとして言ったのだが、却下された。私は仕方なく、手短に終わらそうとありのままの事実を話す。
「俺の隣にいるのは、以前話した先輩のアテナ。今井網が屋上へ侵入しようとしたところをこの人が話しかけて意気投合。二人してここに来たってわけ。今井網が屋上へ侵入した理由は不明。で、俺とお前が続けざまにここへ這入って来た。ざっとこんなもんだ」
清華は話の内容を噛み砕くように何度か頷き、「そう」と相槌を打った。
「一つ疑問なのは……今井網、あなたは何の用があってここにいるのかしら?」
「京極君に用があってね。ここなら変に煙が立つことなく話せると思ったわけよ」
「許可なく屋上へと這入ってきてまでする話とは思えませんわ」
「そうね。廊下でうっかり口を滑らせて屋上のことを言っていいのなら、ここに来てまで話をする必要はないけど」
網の切り返しに清華は言葉を返せない。痛いところを網は突いてきた。屋上で私と清華が会っていることが生徒達にばれたら、どんな憶測が飛ぶか。目撃できない分、いくらでも虚構で飾り立てることができる。そして一旦噂が広がればもう止まらない。私達は肯定や否定もできなくなる。一言でもしゃべれば火に油を注ぐ事態になってしまうからだ。
清華は、それだけは起こって欲しくないと思っているだろう。彼女は目を閉じて、静かに息を吐いた。
「……もういいですわ、お好きにしてくださいませ」
清華は半ば投げやりにそう言って、視線をアテナの方に向ける。
「そう言えばあいさつが遅れましたわね。私は紫條院清華。よろしくお願いしますわ」
「僕はアテナ。聖夜君に話を聞いているみたいだから、説明はいらないよね? こちらこそよろしく」
「でも、意外ですこと。まさかあなたが聖夜の言うアテナだったなんて。がんり――」
「わああああああああ――――っ!! 言っちゃ駄目ぇええええええええっ!」
清華が何か言おうとした時、アテナがいきなり叫び出して両手をばたつかせた。清華は元より、僕や網も驚き、思わず体を引いてしまう。
「い、いきなりどうしたんですの?」
「僕の名前を知っていても、それを口にしちゃいけないわ」
アテナはものすごく慌てている。そんなに自分の名前を言われるのが嫌なのか? でも気になる。清華は『まさか』と最初に付けた。ということは、アテナは少なくとも名前が多く知られている人なのか?
「何だ、清華。アテナの名前を知っているのか?」
「ええ。一応、全校生徒の名簿は控えていますのよ。でも……聖夜、気付いていないのかしら? この人は生徒会で書記の職を務めている方ですわ」
「なんてこった。アテナは生徒会の回し者だったのか!」
「何で僕を悪い風に見るの!?」
アテナはオーバーに肩を竦めて言った。
「生徒会はトラブルの火種だ。事件は生徒会が巻き起こす」
「偏見よ、聖夜君! ライトノベルの読み過ぎ!」
しかしアテナが生徒会の役員とは知らなかった。想定外だ。だけど、元中二病が生徒会書記って大丈夫なのか、うちの学校の生徒会は? と、私は一抹の不安を感じる。
「じゃあ、網は? アテナの正体を知っていたのか?」
「もちろんよ。学校のポスターに名前とか書いてあったし、入学式の時も隅にいた記憶があるわ」
網は知ってて当然とでも言うように話した。一人だけ知らない私を、彼女は蔑むような目で見てくる。私は少しだけイラッとした。
「確か……巌流獅子左衛門よね」
「何普通に言っているの!? 網ちゃん!」
遮るのが遅かったのか、それとも構えていなかったのか――アテナは網が名前を言った後にソファから立ち上がって怒る。
「えっ? ただの確認よ……大丈夫、アテナさんの名前は絶対口にしないから」
「もうしているよ!」
普段冷静で穏やかに振る舞っているアテナから、渾身の突っ込みが出る。
私は最初、それが名前には聞こえなかった。アテナと網の会話からそれが名前だと理解し『巌流獅子左衛門』と心の中で確かめるようにつぶやく。
何てカッコイイ名前なんだ。『巌流』という姓に生まれ、『獅子左衛門』の名を親から授かる――息を呑むほど男らしい名前だ。つけるのにためらってしまうほどの名前だが、子供が強くあって欲しいと願う親の気持ちがひしひしと伝わってくる。
ただ、今はその名前からは程遠い存在に変わり果てているのだが。
「あああ……聞かれたくなかったのに」
アテナは私を見て嘆いた。どうして私に本名を聞かれることがそんなにも嫌なのか、私には皆目見当もつかない。ただ、相当落ち込んでいる様子なので、僕は声をかける。
「別に……少し変わった名前だけど、男らしくてカッコいい名前じゃないか」
「えっ、そ、そんな……とと、とにかく嫌なのよぉおおおおおおおおおお!」
アテナはしどろもどろになり、顔を赤く染め、それを隠すために両手で顔を覆い、叫びながら部屋を出ていった。通り雨さながらの早い退散だ。私は、ただその様子を呆然として見ている。
アテナは今までにない慌てようだった。彼が去った後、まるで部屋の時間が遅れてやって来たかのように、私と清華と網はようやく静止から解除される。
「な、何だったんだ一体?」
「初対面である私にわかるはずがないでしょう」
「同じく……全く意味不明で理解不能な行動ね」
私は正面のソファに座る清華と網に訊くが、二人は首を振り、私が求める答えを言うことはなかった。まあ、最初に関わりを持った私にだってわからないのだから。アテナ本人に訊くしか一連の行動の真意はわからない。
私が首を傾げて考えていると、網が無駄のない動作で立ち上がった。
「アテナさんが帰ったことだし、あたしも用件を済ませたら帰ろうかな」
「用件? ああ、そう言えば俺に用があるって言ってたな。何だ?」
「今、実験のデータを解析しているの。あんたの頭は普通じゃないって結果が出たから、色々調べているところ。近い内にまた話をする機会を設けるから、その時はよろしくね」
「わかった」私は頷く。
頭が普通じゃないと言われるといい気持ちはしない。ただ、私の頭の何を調べているのかには興味があった。どうせ説明されても半分くらいしか理解はできないと思うが。
「そうだ……お前、昼はどうするんだ?」
私は、部屋の扉まで歩んでいく網を見て、その背中に声をかけた。
「弁当はあの実験室にあるわ。いつもそこで食べているの」
「そっか。じゃあ、また暇だったらこっちに来いよ。多分職員室や校長室より快適だ」
「考えとくわ」
網はそれだけ言い残すと、扉を開けて部屋を去る。数秒後に扉が閉まる音がし、部屋には私と清華だけが残った。
「はあ……何だか無駄に疲れましたわ」
清華は溜息をつきながら、いそいそとテーブルの上に置いてある包みを解き、三段ある重箱を曝す。私も弁当をカバンから取り出し、ふたを開けて箸を持った。
「そうだな。あいつらの相手をすると疲れるよ、毎回。まあ、ゆっくりと弁当でも食べて落ち着こう」
「そうですわね……って、そんな悠長なことを言っている場合ではありませんわ! あと二十分で昼休みは終わりですわよ!」
「マジか! 無駄話をし過ぎた! 次の時間は社会の平松だぞ」
「知っていますわ! あの嫌味ったらしくて粗野な先生でしょう? 一秒でも遅刻したら何を言われるかわかったものじゃありませんわね」
「そういうことだ」
私と清華は弁当に舌鼓を打つ暇もなかった。ただ機械的に食物を胃の中に放り込んで、栄養を補給するための食事になる。お互いに交わす言葉は一切ない。部屋には空調の音、箸が重なり合う音、弁当箱の底をつつく音、食物を咀嚼する音だけが聞こえる。いつもより早いペースで食べ進めると、私達は十分足らずで弁当を平らげた。
私はペットボトルのお茶を飲んで喉を潤し「じゃあ、先に行く」と言って立ち上がる。
「そんなこと言ってる場合ですの? 同時に出ますわよ。あなたが速く歩けばそれでラグは生まれますわ」
清華はそう言い返し、私が何か言う前に立ち上がり、部屋の扉に向かって歩き出した。
この状態の清華は、まるで斜面を転がる巨大な石だ。意思が固くて、決めたことを曲げようとせずに真っ直ぐ進み、触れようものなら容赦なくはね飛ばされる。特に今は、網とアテナのせいで機嫌が悪そうだ。
なので私は、清華に素直に従うしかない。清華より先に部屋を出る。部屋にいては外の風景がわからなったが、今日もよく晴れていた。
私は屋上から俯瞰で町を眺める。その時、一瞬町の光景が一面の草原に移り変わった。緑が生い茂り、風によってたなびく――そんな光景が目に映る。しかし、それは瞬きした瞬間に消え去った。
私は不思議に思って立ち止まり、目を擦ってもう一度町を見る。だが、それは常と変わらない町の光景だ。どこにも草原なんてない。
「何をボーっと突っ立っているんですの?」
屋上からの町を見ている私を、清華は訝しんでいる様子で訊いてくる。
「あっ、いや、何でもない」
気に留めている時間はなかった。私は清華の言葉で我に返り、急いで屋上を後にする。階段を下りる途中で、あれは気のせいだろうと私は結論付けた。教室に戻る頃には草原を見たことは忘れ、社会の小テスト対策に思考を切り替えている。
幸い――清華が教室に戻ってから数分後にチャイムが鳴り、遅刻は免れた。
唐突や突然という言葉は、果たしてこの世に存在するのだろうか? 一体どれだけ、前触れが存在する物事があるのか? 私は常々そのことについて思ったことがある。ほんの暇潰しにも満たない刹那の思考だ。だから、放課後に訪れたそれも、当然前触れが起こることなくやってきた。
と――長々と前置きを述べたが、放課後に来たのは一通のメールである。
『今からお会いすることはできるかしら?』
それは、清華からの初めてのメールだった。私は帰ろうと廊下を歩いていたところだ。歩きながらメールを返す。
『いいぞ。どこで落ち合う?』
それから一分もかからずに返信が来た。
『屋上の部屋で待っていますわ』
初めて女子とメールのやり取りをして、私は興奮する。その相手が紫條院清華なんだから、私の動悸は治まらない。
清華はクラスで最初に話をした女子だし、席も隣同士だ。だけど、始業式の時の一件でクラスの注目を浴び、教室では事務的な言葉以外交わしていない。屋上で話をすることは多いが、最近はアテナや網が加わったことで、私と清華の二人きりという状況があまりなかった。その機会が突然訪れたので、私はすごく緊張する。用があってもなくても清華と会うのは嬉しいのだが、会うということがわかっていると、何を話せばいいのかわからなくなる。初めて清華と二人きりで話した時は、嬉しさと中二病についてどう説明するかという気持ちで一杯だったので、緊張という言葉が存在しなかった。
しかし、出会いや互いを知る段階が終わると、途端に話すことが思いつかなくなる。
でも待てよ――私はそこまで清華のことを知っているのか? まだ入学式から四日しか経っていない。未だ入学して最初の週なのだ。だから清華のことは詳しく知らないし、それが当然だろう。少しずつ知っていけばいい。まあ、それができないからこうして悩んでいるのだが。
気付けば私の足は既に屋上への階段を上り終えていた。立ち入り禁止の鎖を跨ぎ、清華からもらった鍵で扉を開ける。屋上の中心には孤島のようにプレハブ小屋が建っていた。
ここまで来たら考えも何もない。自然体で構え、出たとこ勝負だ。
私は歩を進め、一瞬ためらってから、思い切って中に這入った。
「よう、清華」
私は普通にあいさつをする。清華は部屋の奥側のソファに腰を沈めていた。上質な黒のパンティストッキングに包まれた脚を綺麗にそろえ、紅茶を飲んでいる。カップの取っ手に指を通さず、つまんで持っているところが上品だった。
「来ましたわね」
清華は私の存在を認めると、音を立てないようにカップをソーサーに置き、首だけ私の方に向けて言葉を返す。それから、首を左右に振って私の背後を気にする素振りをした。
「どうしたんだ?」
私は振り向き、それから清華に視線を戻して訊く。
「いえ……巌流先輩や今井網がついて来ていないか心配だったんですのよ」
「そうか。でも何が心配なんだ? アテナや今井網が苦手なのか?」
「苦手ではありませんわ。ただ、そう頻繁にここへ来られては困るだけですわ」
確かに、私と清華の時間が邪魔されるのは快くないと思う。
第一、アテナと網がここを訪れる理由がわからない。私と清華はクラスメイトの関心がなくなるまでの一時的な避難――と清華は主張している――だが、ならあの二人は何の目的があってここに来る?
シンプルに考えれば、ただ暇だからという理由が挙げられる。人間は全ての行動に理由があるわけもないのだから。逆に深く考えると、あの二人には友達がいないのかもしれない。二人の性格からして、コミュニティーを形成できずに孤立し、居場所が限定されているからここに逃げ込んだのか。
考えてみれば、ここは逃げ込むのにふさわしい駆け込み寺のような場所だ。誰も近付かず、誰の目にも留まらず、誰の耳にも届かず、誰の口からも発せられない。いい意味で学校から隔絶された空間だ。
とはいえ、アテナと網に友達がいないというのは仮説であって、真実ではない。アテナは生徒会で書記を務めているのだ――人と関わらない方が少ないくらいだろう。網だって祖父が有名人だから人は集まると思う。
問題は、多くの人と接していて、その人達全員が友達なのかだ。これは間違いなくノーと言える。ただ興味を抱いただけで話しかけてみるやつもいるだろう。果たして、集まった人数のどれだけが友達として残るか。
「そうかな? たまに遊びに来るくらいならいいと思うが」
現時点では、アテナと網がここへ来る理由が明確でない以上、すぐ拒絶するのはまずいと思い、清華に曖昧な答えを返す。
「そういう興味本位で来られては困りますわ」
「でも、あの二人はまだわからない。ひょっとしたら俺達と同じ理由でここにいるのかもしれない」
「『達』って何ですの? 『達』って。友達がいないあなたと同じにされては堪ったものではありませんわ」
「ああ、悪かったよ。俺とお前は同じじゃない」
いちいち突っ込むのも面倒だったから、私は適当に謝っておいた。清華はまだ納得がいかないような顔で憤慨している。
「それよりも、今日は習い事とかないのか?」
「そうでなければ放課後にわざわざ呼び出したりしなくってよ。そういうあなたは……ああ、訊くまでもないですわね」
「訊けよ! 確かに、俺は部活もやってないしバイトもやってないよ。ただ、俺は他のやつと違って与えられた時間を有効に活用している」
「へえ。ならその与えられた時間で何をしているんですの?」
「何って、それは………………………………………………………………べ、勉強」
「普通ですわね」清華は肩を竦めて言った。
「違う! あ、あれだよ。勉強って帝王学だからな! 世界の覇権を握る者は今の内から勉強するんだ」
清華は私が必死になって語っているのを、にやにやと笑みを浮かべながら眺めている。その嗜虐的な笑みも堪らない。
「そ、それより、俺を呼び出したのにはそれなりの理由があるんだろうな?」
私は清華の沈黙に耐えられず、無理矢理話題を変えるという手を使ってしまった。
「ええ」清華は笑みを崩さず頷く。「とりあえず、座ったらどうですの」
ようやく本題に入るのか、と私は一つ息を大きく吐き、テーブルを挟んだ反対のソファに座る。正面に座る清華をちらりと窺い、脚を組むかどうか待っていたが、そんな気配はなかったので視線を上げた。
「実は……聖夜に頼みたいことがありますわ」
「俺にできることか?」
「あなたくらいしかお願いできる相手がいませんのよ。そして、あなたならきっと快諾してくれるものだと思っていますわ」
私にしか、という言葉に疑問を抱くが、まず、その頼み事が何なのか聞かないことには判断のしようがない。「何だ?」と清華に訊く。
「実は、私の叔父は玩具メーカーを経営しているんですの。と言っても子供向けではなく……大人向けですけど」
大人のおもちゃ――私は一瞬卑猥なイメージを思い浮かべてしまった。そんなまさか、と思う。
「主に将棋、チェス、囲碁、麻雀などを製造していますわ」
しかし、その一言で想像と違っていたことが明らかとなる。当たり前か。そうと知っていたら清華が言えるわけない。
「なるほど。それって、駒とか台とか全てを?」
「そうなのですが、叔父の会社が作る物は全て普通ではありませんの。例えば、駒に触れなくても自動で動かすことができたり、対局を記録してデジタル媒体に保存できたり、何かと利便性を求めたハイテクな物を開発していますわ」
「すごいな。まるでテレビゲームでやるようなものじゃないか」
「まあ、それでも画面でプレイするのとは違うから、半デジタル・半アナログと言ったところですわね。そこがいいとは思わないかしら?」
「思うよ。興味深い」
そんなのがあるなんて知らなかった。一体どんなものなのかこの目で見てみたい、と私は強く思う。
「それで……今日聖夜を呼んだのは、叔父が開発した新作を私と共にプレイして欲しかったからですのよ」
「清華と共にってことは、二人用のゲームなのか?」
「元は三人用のゲームになりますわね。でも……」
清華はそう言いながらカバンを探り、謎の黒い物体を取り出した。それは『週刊少年』と銘打つ雑誌くらいの大きさだ。重厚感ある長方形の黒い物体をテーブルの上に置くと、清華はおもむろにそれを開けた。
開けた――と表現したのは、それが二つに折り畳まれたものであり、清華が本を開くようにしてそれを展開させたからである。
「これは?」
「――デジタル式軍人将棋ですわ」
「軍人将棋?」私はオウム返しする。「聞いたこともないな」
響きはカッコイイが、残念ながら将棋に関係する何某かくらいしかわからない。
「簡単に言えば、戦略性が高い将棋と言ったところかしら。普通の将棋と違ってセオリーや駒の動かし方に決まりがないから、飽きずに楽しめるんですのよ」
へえ、と相槌を打ち、私は黒い将棋盤を見てすぐに気付く。
「おい、これ……駒に何にも書いてないぞ。それに、盤の形も普通と違う」
「ええ。これこそ軍人将棋の醍醐味ですわ」
清華は、将棋の駒と同じ形をしている、何も書かれていない駒を一つ手に取る。そしてそれを裏返して私に見せた。裏面は全てディスプレイになっていて、いくつか文字が書かれている。
「駒は『大将』『中将』『少将』の将官が一枚ずつ、『大佐』『中佐』『少佐』の佐官が一枚ずつ、『大尉』『中尉』『少尉』の尉官が二枚ずつ、他にも『飛行機』『タンク』『地雷』『工兵』が二枚ずつ、『騎兵』『軍旗』『スパイ』が一枚ずつ……十六種二十三枚で構成されていますわ」
「ほお~、多彩だな。それに普通の将棋よりも駒の名前が断然カッコイイ」
清華は「そうかしら?」と言って説明を続けた。
「それで、自陣の駒の配置は自由に変えられるんですのよ。そして、駒の種類は相手から見えないようになっていますわ」
私は清華の説明をよく聞いて考える。多数の駒、並び替えることができる配置、互いに見えない駒の種類――私は、すぐに軍人将棋の趣旨がわかってきた。
「なるほど。相手の駒がわからない状態で、いかに交戦によって相手の駒を推理するってことか。そして、駒の配置を変えることで戦略の幅は無限大といってもいい」
「鋭いですわね。口で説明するのもつまらないですし、やりながら覚えますわよ」
「おお、そうこなくっちゃ。俺はどんなゲームでも説明書を読まずにやるからな」
それもどうかと思いますが、と清華は苦笑いする。
まずは駒のセッティングを始めた。
「盤は八×六で、最後方の真ん中二マス分のスペースが総司令部。で、自陣と敵陣の境の左右から二マス目に突入口があって、駒はここから敵陣に侵入するのですわ」
確かに、盤中央は切り離されていて、突入口だけ橋のように繋がっている。
「一ついいか? この総司令部って何だ?」
私は唯一の二マス分のスペースを指さして訊く。
「大事なところですわね。軍人将棋の勝敗は、総司令部を占拠することで決まりますの。総司令部を占拠できるのは将官と佐官だけになりますわ。ちなみに……そこは二マス分のスペースがありますけれど、置ける駒は一枚だけで基本的に一マスと変わらない扱いですので、気をつけてくださいませ」
駒の裏に書かれているのは、十六ある駒の種類だった。どれかをタッチすると、その駒の種類が決まる。いちいち駒を動かして並び替える必要がないので非常に便利だ。
「ルールとして、突入口の前に地雷か軍旗を置くのは禁止されていてよ。まあ、その盤は問題があれば警告音が鳴りますので、配置するのに困ることはありませんわ」
私は試しに二つの駒に大将を選び、盤上に置く。その瞬間、安っぽい警告音が鳴り響いた。確かに、数合わせをするにはちょうどいい。
駒を並べようとしたところで、私は肝心なことに気付いた。
「……清華。やっぱり説明書か何かないか?」
「あら? あなたは説明書を読まずにゲームをするのではありませんでしたの?」
「駒の動き方がわからねえんだよ。これじゃあ配置もできやしない」
「説明書はありませんが、私は何度かやっていますので、教えますわ」
それから私は、駒の動きを清華に教えてもらった。
普通の将棋と違うのは、斜めの動きがない。それが一番だろう。駒は縦か横にしか動かないのだ。それはシンプルでいいと思った。
まず、将官と佐官と尉官、それにスパイは前後左右に一マス動ける。
タンクと騎兵は前後左右に一マス動けるが、前方に限っては二マス動くことができる。ただ、手前に駒がある時は、それを飛び越えて二マス前に進むことはできない。
飛行機は左右に一マスだが、前後には何マスでも動ける。更に、この駒だけは他の駒を飛び越えられ、突入口を無視してどこからでも相手に攻め入ることができるという。
工兵は、普通の将棋で言う飛車と同じく前後左右に何マスでも動ける。だが、他の駒を飛び越すことはできない。
そして、地雷と軍旗は設置したらその場から動かすことはできなくなる。
「なるほど」私は頷いた。
特徴的な動き方の駒は結構ある。特に飛行機。縦横無尽に駆け回れるが、いきなり突入口を無視して相手を攻めれば、相手にその駒が飛行機であることを教えることになるわけだ。この軍人将棋は情報戦でもあるわけだから、行動は慎重にということか。
面白い、と私は思った。
「それで、普通の将棋と違って駒には優劣がありますのよ。基本的に階級の高い方が強いという解釈で構いませんわ」
「某海賊漫画よろしくのシステムだな」
「それは知りませんが……」
それから清華はわかりやすく駒の強さを教えてくれた。
飛行機はほぼ全ての駒に勝つのだが、将官にだけ負けるという。十分強い。
タンクは佐官以下に勝利するが、将官、飛行機、工兵、地雷に負ける。使い勝手が悪いな。
地雷は飛行機と工兵に敗れはするが、それ以外の全ての駒と相討ちになると。将官と共倒れしてくれるのはありがたい。
工兵はタンクと地雷とスパイに勝ち、それ以外に全て負ける。使う機会がなさそう。
騎兵は工兵とスパイにだけしか勝てないという、はっきり言って役立たずだ。
スパイもほぼ全ての駒に負けて、唯一、大将だけ倒せるという。何かカッコイイ。
軍旗は特殊な駒で、後ろの駒と同じ強さになるという。例えば、軍旗の後ろに大将がいれば、軍旗は大将と同等になり、中将以下全ての駒に勝利し、スパイに敗北する。ただ、後ろの駒が移動していなくなったり、軍旗を一番後ろに持っていったりすると、全駒中最弱になるという、変な駒だ。
最後に、同じ駒がぶつかれば相討ちで両方とも盤上から消えること、普通の将棋と違って相手の駒を倒しても使えないこと、倒した駒が何であるかわからないまま進むということを聞いた。全て聞き終えて、私は言う。
「大将と中将と少将強くねえか! 飛行機を撃墜したり戦車を破壊したり……人間じゃねえ、神だ!」
「変なところに興奮してますわね。それより、駒の動きは覚えましたの?」
清華が首を振って呆れた感じで私に訊く。
「ああ。大体わかった。あとは駒を配置するだけだ」
駒の種類と行動範囲と優劣を覚えたところで、私と清華は駒の配置へと移った。
ようやくゲームの始まりだ。
私は、駒をどの位置に置こうか迷う。セオリーや決まりがない分、配置は多岐にわたる――どれが最善かはない。多少の運要素も絡んでくることに、私は今更ながら気付く。
総司令部を占拠できるのは佐官以上だから、総司令部に置く駒は佐官以上が望ましい。占拠されない確率が高いのは大将だろう。しかし、大将は軍の最高戦力だ。総司令部に置いて前線の戦力が削がれ、相手に攻め込まれる可能性だってある。中将から少佐は、上の階級に倒されたらその時点で占領されて負けだ。
他にも、最前線に送り込む駒も迷いの種である。一手目から敵と戦うことになるので、下手な駒を配置できない。
考えれば考えるほど難しいということがわかるが、それでも、これから始まる戦いへの期待感の方が大きかった。
結局、配置を考えたのは将官と飛行機と地雷くらいで、あとは適当に並べた。
「では戦争を始めよう」
私は声を低くして威圧的に軍人将棋の開始を宣言する。それには特に何も答えず、清華は先手後手を決めるじゃんけんをするよう促した。結果は清華が勝って先攻、私が後攻になる。
「ん~、どちらから攻めようかしら。まあ、最初ですし……迷ったら左ですわ」
顎に手を当てて悩みながらも、あっさりと清華は最初の勝負を仕掛けてきた。清華から見て左――私から見て右――の突入口から、清華の駒が私の駒にぶつかる。
軍人将棋は通常、相手に駒を見せない秘匿性から、勝敗の判断を審判役の人に任せるというシステムになっている。だから、軍人将棋は三人用の遊びとされているのだ。
しかし、清華の叔父が開発したというこの『デジタル式軍人将棋』は、駒を相手の駒の上に乗せると自動で勝敗を判別してくれる。つまり審判役が必要なくなり、二人でできるスムーズな軍人将棋となったのだ。
私の駒の上に清華の駒が重ねられ、数秒後に判定が出る。明るいメロディが鳴り、何も映し出されていない駒の表側に赤色で○が表示された。
「うふふふ、幸先いいですわね」
「……マジかよ」
清華は微笑み、下にある私の駒を盤上から除外する。
私は最初の交戦で破れてしまった。立て直したい場面ではあるが、私はこの敗北が大きな意味を持っていることに気付く。
最初に倒された駒はタンクだ。そしてそれは、次の一手への迷いを生む。タンクを打ち破れるのは、将官と飛行機と工兵である。自陣に侵入した駒が何であるか、五種類に絞り込めた。その中から、私は工兵と飛行機を候補から外す。何故なら、地雷除去と戦車退治しかできない工兵にわざわざ先陣を切らせるかという疑問が浮かぶ。完全にタンクが先頭だと読んでいない限り、その選択肢は薄い。飛行機は、その機動力と将官以外倒せないという強みがある。一気に飛んで正体がばれても、将官に倒されるまでにより多くの敵を倒せる飛行機を、一マスずつ進ませるのは非効率的だ。よって、タンクを破壊したのは将官――大将か中将か少将の三種類に限定される。
そしてその場合、運が悪いことに私の右陣営には将官がいない。なので対策ができないという結論に至った。
私の将官は、総司令部に少将、左陣営の突入口前に中将、大将はそのすぐ後ろに位置している。これは、中将と大将で敵総司令部を真っ直ぐ目指すという作戦だ。守りは薄いかもしれないが、中将と大将のコンビで相手に攻め込まれる前に決着をつければいい。
最初の駒が取られて私の番になり、一分は思考しただろう。
「俺の最初の一手は……これだ!」
私は大将の後ろに配置した飛行機を真っ直ぐ進め、敵陣の最奥に置いた。
「聖夜……正気ですの?」
「ああ、もちろん」
勝利のメロディが流れ、飛行機は生き残る。
私は苦渋の決断をした。それは、攻め込まれた右陣営を放棄するというものだ。ただ、動かないだけで見捨てるわけではない。右陣営には地雷を埋めてある。それも、三つだ。タンクの真後ろに一つ、その左に一つ――最後はその前に軍旗を置いて三つ目になる。私の陣地に侵入した清華の将官には、右と前に地雷が待ち構えているということだ。
左以外なら相討ち。確率は三分の二。殺れる――清華の将官を。
その間に、飛行機で奥、中将で手前から敵を殲滅して、総司令部までの道を作る。飛行機の駒を二つ使ってでも道を開く一点突破だ。
「まあ、いいですわ。人それぞれ戦い方はありますもの……私は私の戦い方をしますわ」
そう言って清華は、流れるような手つきで駒を持って先に進めた。駒は初手で私の陣地に侵入した将官、進めた先は正面の地雷だ。かかったな。私は顔に出さないように笑いを抑え、引き分けの時のメロディはどんなのだろうと想像する。
判定が終わり、流れたのは勝利のメロディだった。
「はあっ!?」
私は驚きの声を出す。多分、表情は引きつったものになっている。ある程度確定された予測がこうも簡単にひっくり返ったのだ――驚きを禁じ得ない。
地雷が負けたことによって、今二歩目を進んだ清華の駒は、将官ではないことがわかった。飛行機か工兵、そのどちらかだ。工兵の場合は目の前に私の少尉がいるから倒せる。ただ、飛行機の場合は手に負えない。右の陣営は壊滅させられる。
「どうしたんですの? そんなに驚いて」
清華はにやにやと妖しい笑みを浮かべながら訊く。
「くっ……何でもない」
次の番は中将を前に出して交戦し、勝利を収める。清華は先程の駒を右に移動させ、地雷を破壊した。同時に、その駒の後方にある軍旗が無力化される。
私はその駒を無視することにした。放っておけば次々と自陣の駒が取られる。しかし、犠牲なくして勝利は得られない。この作戦では長くは持たないので、短期決戦で行くしかないのだ。
意を決して、私は侵攻を続けるべく中将を前へと進めて敵と戦う。が、無情にも判定は負けだった。暗いメロディが鳴り、駒に青色で×印が表示される。
「…………ッ!」
顔に出さないようにしようと心掛けても、中将の喪失は大きく、苦虫を噛み潰したような顔になる。
失ったものは大きいが、得るものもあった。中将を倒したということは、その駒は大将と確定されるのだ。そして幸運なことに、私のスパイは最初に中将がいた場所のすぐ左に位置している。チャンスだ。
清華は大将を進めて突入口前に持っていく。私はスパイを右にずらし、大将の前に立ち塞がる。と――清華は迷わず大将を前に進めて、私のスパイによって倒された。
「嘘! 私の大将が……」
「どうしたんだ? そんなに驚いて」
流石に清華も驚いている様子だ。私はさっき彼女に言われた言葉を返す。彼女は悔しそうな表情で「何でもありませんわ」と言った。
完全に流れが来ている。私はスパイをどかして大将をひたすら真っ直ぐ進ませた。前にいる敵はことごとく撃破される。清華はその侵攻を阻もうとせず、左の突入口から次々と駒を送り込んでいた。
清華も、私と同じく真っ直ぐに総司令部を狙うつもりなのだろうか? もしそうだとしたら、一足遅かったと言うべきだな。
現在――敵陣の最奥にある飛行機が手前にある駒に倒され、その駒を大将で敵討ちしたところだ。その駒が中将だろうと少将だろうと関係ない。そのどちらかは散り、もう一方は総司令部に居を構えているはず。ならば、大将で総司令部を占拠して私の勝ちだ。
「これで終わりだ、清華!」
私は大将を総司令部に移動させる。敵の駒の上に大将を乗せて、判定を待つ。その時、聞いたこともないメロディが流れて、駒の画面に緑色で△が表示された。
「……へ? これって、どういうことだ?」
「どういうことって、見てわかりませんの? 引き分けですわ」
嘲笑しながら清華は二つの駒を将棋盤から除外する。
「なっ、何だって!? そ、そんなことがあるはず――」
大将が引き分けなんて考えられない、そう言おうとして、気付く。清華の大将がいない状況で、私の大将が引き分けになるたった一つの対戦カード。
「清華……総司令部の駒は地雷だったのか!」
「別に、総司令部に地雷を置いてはいけないという禁止事項はありませんもの。そういうあなたは、大将を失ったのではないかしら?」
「何故わかった?」
あまりにも簡単に言い当てられて、私は否定せずに訊いた。
「私の大将がスパイで取られたのは不運でしたわ。通常、敵の大将を確定させるのは難しいことですのよ。百パーセント自信がない場合にスパイを送り込むのは、リスクが高過ぎますわ。だけどその中で、百パーセント大将だと確定する方法がありますの……それは、中将が倒されること。つまり、先陣を切った駒は中将ということになりますわ」
「でも、少将だという可能性が残されているぞ?」
「それはあり得ませんわ。何故なら、あなたが飛ばした飛行機を私は撃墜していますのよ……それは将官にしかできないことで、私に残された将官は中将と少将ですわ。あなたが少将でぶつかれば引き分けか負けのどちらかで、勝利はありませんわね」
「くっ……地雷があったから、俺の大将を泳がせたのか?」
その質問には「いいえ」と清華は首を振る。
「泳がせたというより、手に負えなかったのですわ。私のスパイの位置取りが悪くて、大将だとわかっていても倒しに行けませんでしたのよ。だから、仮にあなたが飛行機で総司令部にある地雷を撤去していれば、私の負けでしたわ」
「おい、何さりげなく勝った風に言っているんだ。それはこの勝負が終わってから言え」
「あら、失礼しましたわ」
清華は悪びれた様子もなく、軽い感じで謝った。
私と清華は対局を再開させる。
結局――私はなす術もなく敗れた。最初にタンクと地雷二つを破壊した駒の正体は工兵だという。私の予想で一番確率の低いと看做した駒だ。清華曰く「どうせ聖夜は最初からタンクや飛行機を進めてくるんじゃないかしら」とのことで、両方の突入口に工兵を置いたのだという。
工兵の活躍で道が開き、右の突入口から清華のタンクが突入して、更に、両サイドから飛行機による空襲を受けて私の軍は壊滅する。そして最後に、清華の中将が私の総司令部にいる少将を倒して終結となった。終わってみれば見事な惨敗だ。
「……参ったな」
私は大仰に手を上げて肩を竦めた。
「清華、お前結構やり込んでいるだろう? 戦い慣れしてやがる」
「そ、そんなことありませんわ」清華は慌てるように首を振って否定する。「少しだけ、家の人達とやっただけですわよ」
「それでも一日の長はあるじゃねえか。道理で強いはずだ」
「でも、初めてやったにしては上出来でしてよ。家の執事やメイド長には遠く及びませんが、経験を積めば化けるかもしれませんわね」
「お前の家、執事とかメイドがいるのか。疑わしく思えるほどの金持ちだな。まあそれはともかく……お前はその執事とメイド長とやらには勝ったことがあるのか?」
「いいえ、全くですわ。その二人に関しては恐ろしく頭が切れますの。軍人将棋初見で、慣らした私を完膚なきまでに破りましたのよ」
「確かに恐ろしいな」
何だか口頭だけで聞くと、執事とメイド長は威圧的で仕事は完璧にこなす機械のような人間だろうなと思ってしまう。私の偏見だが。
「あなたは粗削りですが、中将のそばにスパイを置いたり、将官で積極的に攻めたりする戦略はよかったですわ」
「お褒めに預かり光栄です、お嬢様」私は慇懃に頭を下げる。「というのは冗談で、うん……面白いわ、これ。やればやるほど面白くなる」
「気に入ったのであれば嬉しく思いますわ」
「軍人の階級とか、駒の種類とか、駒の優劣とか……どれを取っても熱いぜ」
私は腕を組みながら唸る。清華は賛同しかねるのか、私とはトーンが違う唸り声を響かせた。
「決めたぜ! 俺は軍人将棋を『中二病将棋』と呼ぶ!」
「いきなり何を言い出すんですの!?」
「この軍人将棋は俺の心を震わせた。中二病の要素が含まれている……故に中二病将棋と呼ぶんだ」
「はあ……勝手にしてくださいませ。どう呼ぼうとあなたの勝手ですわ」
清華は呆れ果てた感じで力なく言い、艶のある黒髪を後ろに流す。
「よし。何となく流れがわかったところで、もう一回やるか?」
「構いませんわよ。では、駒を並べましょう」
清華は思いの外簡単に再戦を受け入れてくれた。
最終下校時刻まであとどれだけあるかはわからないが、少なくとも清華が付き合ってくれる限りやろう。
これほどの面白いゲームを、清華と共にできる幸せを噛み締めながら。
翌日――入学してから最初の休日に、私は今井網に呼び出される。
どうやら解析の結果が出たらしい。
10 厨二病ワンダーランド
――鍵――
僕はハーレーで、映画の背景のように変わらない道を延々と走り続けている。しかし、頭の中は考え事で一杯だったからそんなにも暇を持て余してはいない。
「…………鍵穴はあるのに、鍵が無い宝箱、か」
ちらりと後ろを振り返り、座席の後部にくくりつけてある一斗缶くらいの宝箱を見る。鍵が無くても力ずくで開きそうなのだが、それはエリが許さないと言っていた。それに、僕だってそんなことはしたくない。
ふと、エリの反対の能力で施錠されている鍵を開錠することはできないのかと思った。それは気になる。エリだったら気付いてやっててもおかしくはないが、ひょっとしたら、その方法を思いつかずにやっていない可能性も。
僕は前後左右に人の影がいないことを確認――どうも《白雉》の襲撃の頻度が多くなってきているため――し、道路の端にバイクを停めて降りる。それから十歩も歩かない内に草原へと辿り着いた。
爽快な風が、涼しさと共に気分が落ち着く草の匂いを運んできてくれる。
「――わあっ!」
「!?」
いきなり大声をかけられて、僕は驚きのあまり声が出なかった。一時的に呼吸を忘れてしまう。全身が一瞬だけ緊張して銅像のように固まった。
瞬間的な衝撃から解放され、僕は錆びついた機械よりも重々しい動作で大声をかけられた後ろを見る。
そこには、悪戯っぽく笑うエリの姿があった。健康的な白い歯を僕に見せ、その間から笑い声を零している。
「エリ……驚かさないでくれよ。心臓が止まるところだった」
「えへへ、大失敗」
「本当にすぐやってきたな。だけど、背後から大声出すのだけは勘弁して欲しいね」
風と共に来ると言っていたが、それほど早いとは思っていなかった。
「まあ、そこは小さ目に見ないで。それより、どうかしないの? 割と遅めに来なかったじゃない」
大目に見るかどうかはさておき、僕は本題に入ることにする。
「エリに訊きたいことがあるんだ。結構重要なことだから」
「何? もったいぶってよ」
「この宝箱は、君の反対の能力で開かないの? つまり、閉まっている状態から開いている状態にするってこと」
「それは許せることなのよ」エリは首を振った。
「どうして?」
「『ゴミ箱は鍵を以て施錠せよ』というのが、草原と河川の巫女の言い伝えじゃないの」
「じゃあ、反対の能力で開けることは禁じられていたということか?」
エリは「いいえ」と頷く。
「でも、あたしはその教えを何回も守ったことがあるわ」
人差し指を立てて、エリは言った。
「反対の能力を試したんだな? そ、それで……?」
「成功したよ。でも、反応があったんだ。能力は使わなかったはずなのに。どうやらなくても、ゴミ箱は閉まらなかったわ」
「そうか。ということは、特別な力がこの宝箱にはかかっているわけだ」
「違うわ。だから、あんたが鍵を紛失するしかゴミ箱を閉める手段はあるわけよ」
「なるほど」
となると、その特殊な宝箱の中に入っている宝物は一体何なのかが余計気になってくる――厳重に閉ざされた宝箱の中身を見たいというのは、人間の性だろう。
「エリは、鍵がどこにあるのかわからないのか?」
「わからなかったら楽してるわ」
エリは溜息をつきながら何度もかぶりを振る。
「だろうね。だとしたらこれ以上に厄介なことなんてない。この広い世界で、手掛かりもなしでその宝箱を開ける鍵を探すなんて」
「簡単なことを言っていないのは承知の下よ。でも、怠けて」
エリはそう言うと、次の瞬間には風に乗ってどこかへと消えていった。残されたのは、頬を撫でる微風と無理難題と――途方に暮れた僕という存在だ。
よく考えてみると、鍵を探す必要はないんじゃないかと思えてくる。絶対に開けなければならないという使命はない。エリからの依頼もない。宝箱はエリからもらったものだから、開けても開けなくてもその決定権は僕にあると言ってもいいくらいだ。
だけど、やっぱり中身を見たいという純粋な好奇心は抑えられない。中身を見ないで旅を続ければ、歯の間に挟まったネギのようにいつまでも引っかかって気になるだろう。
エリは草原と河川の巫女になってからずっとそんな状態なのだから、いい加減宝物が何であるか見たいはずだ。何とか鍵を見つけて開けてあげたい。
そうは言っても現実はどうだ? ただ漠然とどこかにあるかもしれない鍵を、ヒントもない状態で探すという。まるで、砂漠のどこかに落ちている一カラットのダイヤモンドを探すみたいだ。
「砂漠……、砂漠か。駄目元で行ってみるか」
ふと出てきた砂漠に心当たりがあり、僕は道路から右手に映る砂漠を見る。ランランの管轄している砂漠を。その手前は荒野になっていて、相変わらず、赤いコモドドラゴンが舌を見せながら四足で地を這うように歩いていた。
僕はハンドルを切って道路を外れ、荒野へと進む。舗装されていない道が、ハーレーのサスペンションを無視するように襲ってくる。尻の奥に響く振動と折り合いをつけながら荒野を横切り、赤いコモドドラゴンの影も見えなくなったところでバイクを停め、砂の上に降り立った。
「……そこうよ」
いきなりの出現はエリので慣れていると思ったが、僕は思わず息を呑んだ。ランランは僕の目の前にいる。瞬きをしていなかったのに、現れる瞬間を見ることはできなかった。始めからそこにいたかのように、気付いたら目の前にいたのだ。エリの時は、前兆として風が吹いた。しかし、ランランにはそういったものが見受けられない。
「やあ、ランラン。一体どうやって現れたんだ?」
彼女は、前に僕があげたスマートフォンを使って声を録音して逆再生させる。
『私は雷を操れる。だから雷と共に現れて、雷と共に去ることができるの』
「えっ? でも、僕と最初に出会った時は落雷と共に現れたけど、今回は落雷がなかったぞ。どうしてだ?」
『あの時はコモドドラゴンを怯ませるために電力を多めに使用。今回は少しの電力だけでここに来た』
「ん? どういうこと? 電力を弱めて雷を落とせるの?」
ランランの言っている意味がわからず、僕は訊く。スマートフォンを介しての会話なので多少時間はかかったが、彼女は丁寧に教えてくれた。
通常、空気は強い絶縁体である。空気自体が強い抵抗を持っているのだが、雷はその抵抗を上回る電気を持っているから、空気の抵抗をものともせず地面に落ちることができるのだ。
それだと、ランランの負担は大きくなるらしい。そこで彼女は逆行の能力を使い、限定された範囲の空気の抵抗を減少させ、少ない電力で雷を落としたのだ。
これは逆行の能力を使用しているが、トータルで見ると普通の雷を落とすよりも負担は軽くなるという。
なのでランランは、微弱な雷を僕の目の前に落とし、その落雷と共に現れたのだ。
光速での移動だから、風よりも桁違いに速い。攻撃も移動も超一級品だ。僕は、改めて荒野と砂漠の巫女であるランランのすごさを知った。
「……なるほど。確かに、これならすぐ会いに行けれるね」
風や音なんか目じゃない――宇宙一の速度なのだから、彼女が現れる瞬間を僕が目撃できないのも無理はない。
登場についての説明を終えると、ランランは改めてスマートフォンを僕に向けた。
『何の用? あなたが会いに来たのには理由があるはず』
「うん、そうだよ。実は探し物をしているんだ。だけど手掛かりも何もなくて、手当たり次第探そうと、まずはここに来たのさ」
『探し物って何?』
ランランは首を傾げながら言う。
僕はバイクの座席後部にくくりつけてある宝箱を彼女に見せた。
「この宝箱の鍵を探している。何の情報も当てもなしに探し当てるのなんて不可能に近いんだけどね」
『すごく古そうな宝箱。どこで手に入れたの?』
「ああ、実は道路を挟んだ向こう側には草原があるんだけど、知ってる?」
ランランは頷く。
「そこには君と同じく、草原と河川の巫女が存在する。それについては?」
ランランは首を振った。やはりエリと同じで、互いのことは知らないみたいだ。たかが道路一つ挟んだだけなのに。それとも、彼女達にとって道路一つが世界の境なのかもしれない。そこから先は異世界で、行くことも深く知ることもできない、とか。
僕としてはランランとエリを会わせてあげたい気持ちがある。最初は意思の疎通で手間取るかもしれないが、僕にだって二人とわかり合えたのだから、彼女達だってうまく行くはずだ。それに、同じ巫女として長年を生きてきた二人なら話題も尽きないだろう。
二人とも道路の手前まで来ることはできても、それ以上は進めないから、道路を挟んでの話し合いになるな。それでも、話し合わないよりはマシだ。きっと二人とも同じ境遇で同じ気持ちを持つ仲間と話したいと思っているはずだから。
大きなお世話と言われればそれでお終いだけど、僕はそう思っている。
「僕は君と別れた後に草原に寄って巫女に会った。エリって言う女の子なんだけど、まあ話せば長くなるんだけど、色々あって僕はこの宝箱を彼女から譲り受けたんだ。何でも、草原と河川の巫女が代々守ってきたものだとか」
僕の話を聞くと、ランランは興味深そうに見る角度を変えながら宝箱を眺めた。
『でも、鍵は無い』
ランランは振り向いて僕に言う。
「そう。だから開けられなくて、当然中身も見られない。それに、元の持ち主の意向で、無理矢理開けることも駄目」
ランランは頷いて、宝箱に視線を戻した。
『鍵があれば開けられる』
確かめるように言う彼女に「そういうこと」と僕は相槌を入れる。
「何でもいいんだ、何か知っていることがあったら教えてくれないか?」
僕が訊くと、彼女は少し考え込んでから答えた。
『鍵には心当たりがある』
「本当に?」
ランランは頷き、ついてくるよう手を振って歩き出す。僕はハーレーのエンジンをかけて、先を行く彼女に追い付く。それを見計らって彼女は走り出し、更に加速した。バイクに乗っている僕が、走っている彼女に置いて行かれそうになる。エンジンを唸らせて彼女の後についていく。
僕は戸惑う。もしかしたらと思ってランランのもとを訪れたのだが、こうもとんとん拍子に物事が進むとは思わなかった。知らない、の一言で鍵探しはいよいよ諦めるしかないと考えていたのに、彼女は心当たりがあると言ったのだ。まるで何かに導かれるように、唯一の望みが繋がっていく。不気味なほどに。
ただ、まだ確定したわけではない。ランランの知る鍵が宝箱を開ける鍵になり得るとは限らない――彼女の向かう先に答えはある。
十分ほど走って辿り着いたのは、以前案内されたことのある石造りの家に似ている建物だった。同じだと言われれば信じてしまいそうなくらい似ている。きっとこんな感じの家が砂漠には点々と建てられているのだろう。
僕はバイクから降りてくくりつけてある宝箱を持ち、扉の前で待ってくれている彼女に「ここ?」と指をさして訊いた。
彼女は『ここ』と言って頷き、扉を開けて石造りの家の中へと這入っていく。僕もその後に続いた。古めかしくはあるが管理が行き届いていて、前の時に訪れた家よりは過ごしやすそうな感じがする。
『数ある砂漠の家の中でも、ここは休憩場所や観測場所ではない、本当の意味での家』
「なるほど」
確かに、人が住む家というイメージが強い場所だ。広々とした空間は生活スペースが十分に確保されている。僕はランランの後をついて廊下から居間へと移動し、彼女が止まったところで同じく歩みを止めた。
ランランは、部屋の隅の少し高いところにある神棚のようなところから、背伸びをして何かを取って僕に見せる。それは、鍵だった。
丸い輪から下に棒が伸び、その先端がFを逆さにしたような形をしている――一目見て鍵だとわかる象徴的な形の鍵だ。
『これは、荒野と砂漠の巫女が代々受け継いできたもの。「世界を開ける鍵」と言われている』
「……『世界を開ける鍵』」
僕はランランの言葉をなぞるように言った。しかし、その名前だけでは鍵の用途を理解するまでにはいかない。ただ、いいにしろ悪いにしろ、その響きからは素晴らしい鍵かもしれないことを予感させる。
『この鍵は、対となる錠が存在しない。鍵は施錠し、開錠する物が存在するからこそ同時に存在している。開閉する錠がないのに鍵は必要ない。逆に言えば、鍵が存在するということは、対となる錠も存在しているということ』
「じゃあ、鍵が無いこの宝箱がそれだというの?」
『あるいは』
絶対そうだと言い切れない分、ランランの返事は曖昧なものになった。誰もそのことは知らないのだから、答えられるはずがない。ただし、今はその答えがすぐにわかる状況にある。何せ宝箱と鍵が両方そろっているのだから、鍵を宝箱の鍵穴に差し込めば、宝くじのように当たりか外れかが揺るぎない結果として現れる。
「試してみよう」
僕はそう提案して、宝箱を部屋の中心にある木の机の上に乗せた。ランランは頷いて、鍵を持ったまま宝箱に近付く。僕が手を差し出すと、彼女は鍵をその上に乗せた。その鍵を握り締め、僕は宝箱と対峙する。
開くかどうかわからないのに、僕の心臓は乾いた音を絶え間なく打ちつけていた。緊張もあるが、どことなく不安も感じている。
鍵の無い宝箱や錠が無い鍵――その二つはそれぞれ道路を挟んだ二つの世界で見つけられた。二つともその世界の巫女が所有している。これを偶然と言っていいのか? あまりにもでき過ぎている。まるで誰かが敷いたレールの上を歩いているみたいだ。だからこそ不安な気持ちにもなる。
僕は疑念を振り払うかのように二、三度首を振って、深呼吸をした。気持ちを落ち着かせ、僕は鍵を真っ直ぐ宝箱の鍵穴に差し込む。
鍵は何の抵抗もなく奥へと入っていった。
「……行くぞ」
覚悟を決める言葉を言い、僕は鍵を左右に捻る。左に回して駄目だったから右に回したところ、かちりと鍵が開く高い音が部屋に響いた。同時に、僕の心臓は鼓動の制御装置が外されたかの如く早鐘を打つ。
『開いた! 開いたよ!』
ランランは、喜びよりも驚きが多く含まれている声を出した。概ね僕も同じような感情である。
『ねえ……あなたは運命の存在を信じる?』
僕は返事に迷う。運命なんて偶然の重なりなのだが、この偶然が続き過ぎる展開を説明できる言葉が、もうそれくらいしかなくなってきたのだ。
「信じてもいいって思えるよ」
『ねえ、開けないの?』
「ちょっと待って。こんな簡単に開くって不思議じゃない? それに、この鍵って『世界を開ける鍵』と呼ばれているんだよね? じゃあこの宝箱は『世界』ということになる。でも『世界』って何だ?」
『私にはわからない。誰にもわからないんじゃないの』
僕は宝箱を開けることにためらっている。何が入っているのかわからないし、開けた瞬間に何かが起こりそうで怖い。
そして僕は、もう一つ開けることができない理由を見つけた。
「そ、そうだ、ランラン。僕はエリと約束をしたんだ。鍵を見つけたら、一緒に宝箱の中を見ようって。だから、今は開けられない」
ランランは目を伏せて、残念そうな表情を浮かべる。
『そう。じゃあ、私はその後でも構わない』
「いや、そうはしないよ。ランランも一緒に見よう。ほら、巫女は自分の世界からは出られないけど、道路のすぐ近くまでなら来られるだろう? ちょっと離れるかもしれない。でも、僕が道路の真ん中で宝箱を開ければ二人とも見える」
『わかった』と言って彼女は頷く。
「それに、同じ巫女であるエリと話をしたいと思わない?」
『思う。会って、色々と話をしたい』
ランランの目は自身の名前のように輝いていて、期待に満ちていた。
「じゃあ行こうか……道路まで」
僕は開けた宝箱を施錠し、鍵をランランに渡す。
僕とランランは道路を目指して砂漠を走る。僕としては、ランランとエリを引き合わせるきっかけが作れてよかったなと思った。