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異世界ワンダーランド  作者: 真水登
4/7

その4

     7 混沌の世界

       ――雷神、お姫様、病院――



 波乱続きでイベントが満載だった一昨日の始業式と昨日。入学式の静けさはどこへ行ったのかと言いたくなる。心身共に休まる暇がなかった二日を経て、今日という日を迎える――登校の時間だけは心休まる時間だと私は思っていた。

 中学時代から乗っている愛車『白銀号』に跨り、ようやく慣れ始めた通学路を走る。新幹線の高架を抜けて、私は数年前に流行っていたアニソンを口ずさむ。

「随分ご機嫌ですわね、聖夜」

「!?」

 私は驚きのあまり走行転倒してしまいそうだった。危ない。

 右の道路を見ると、見憶えのある車――と言ってもリムジンの形を忘れるやつなんていない――が私と並走している。そして、開いている車窓から私を眺めている者の顔が見えた。

「……何だよ、清華か。驚かせるんじゃねえよ」

「あなたが勝手に驚いただけではないですの?」

 呆れたように眉をひそめて言う清華。車窓に切り取られて肩から上だけという限定的な姿ではあるが、その美しさは微塵も変化していない。窓から吹き込む風で、絹のような前髪が蠱惑(こわく)的に揺れる。

「まあ、そうだよ。ってか、自転車と並走するな。後ろ詰まってんぞ」

「私には関係なくってよ。それに、朝のあいさつが済んだのですから、もう行きますわ」

「そうかよ……じゃあ、また学校で」

「ええ。では、良い一日であることを願って、またお会いしましょう」

 清華がそう言うと車窓は自動で閉まり、リムジンが速度を上げて私を置き去りにした。それからしばらくして「はあ~~」と息を長く吐き、肩を落とす。

 朝っぱらから清華と言葉を交わすと、精神的に疲れる。嬉しいのだが、朝は心の準備ができていないというか、今のは完全に不意打ちだ。しかも、あの最初の台詞――私がアニソンを歌っていた姿をばっちり見られた。ものすごく恥ずかしい。今度からはこの区間を通る時は、右の道路を走る車に注意を払わなければならない、そう思った。

「くそっ、紫條院清華め……」

 しかし、清華は憎めない――何故なら、悪魔的な美貌とスタイルの持ち主だからだ。

 男の(さが)に逆らえない私は、果たして弱いのか? 否! 男は皆、女には勝てない。それが真理だと思う。時代や思想によって弱い立場や時期もあったと思うが、現代では違う。男尊女卑はほぼ廃絶され、男女平等が世に蔓延(はびこ)る。それで女は水を得た魚のように全てが強くなっていった。肉食系女子や草食系男子というワードが一般的になりつつあるくらい――女は社会的地位が高くなっている。逆に男は追いやられて、思考が軟化し、腑抜けになってしまった。このままでは女尊男卑(じょそんだんぴ)と言ってもおかしくない時代が来てしまう。だが私は違うぞ。草食系になって飼い馴らされるくらいなら、獣になって孤高のまま死んでやる。生きて草食系の(はずかし)めを受けず、死して草食系の汚名を残すこと(なか)れ。

「はっ! ……またか」

 つい社会の風潮について勝手に思いを巡らせてしまった。後半なんて中二病モードに突入している。まあ、口に出して言わなかっただけまだましか。

 清華から始まって女性の強さにまで発展した思考を中断する。

 頭を振って気を取り直すと、もう学校のすぐ近くまで来ていた。



 午前中の授業を終えて、昼休みになる。私は弁当とお茶が入ってるカバンを手にし、足早に教室を後にした。私はまだクラスに馴染めていない。一昨日のことがクラスメイトの頭に残っているのだろう。その鮮烈なイメージを払拭するのには時間がかかる。それまでは屋上で過ごすとしよう。

 私は昨日渡された屋上の扉の鍵を手に取って見る。まあ、友達ができなくても、清華と昼食を共にできるならそれはそれでいいか。屋上に机と椅子だけで質素なものだが。

 立ち入り禁止の鎖を跨ぎ、私は扉に鍵を差し込む。捻ってみるとすんなりと回り、鍵が開く音がした。鍵を引き抜いて扉を開ける。

 すると、昨日机と椅子があった場所にプレハブ小屋のようなものが建っていた。大体、教室くらいの大きさだ。それを見て私は一瞬たじろぐ。

「な、何だこれ? いつの間にこんなのが……いや、まさかな」

 少し考えると、清華が誰かに作らせた可能性が高いことはすぐにわかる。ただ、絶対とは言えないので私は警戒し、ゆっくりとその小屋に近付く。屋上の扉からほぼ一直線のところに小屋の扉はある。小屋の端に付けられた外開きの扉で、ドアノブを握って引くと、すんなり開いた。

 中を覗くと――そこには先客がいた。見知らぬ女子が、部屋の真ん中辺りにあるソファに座って私を見ている。濃いブラウン色の髪はほぼおかっぱに近く、後ろ髪だけそろっていない。レンズが大きくて四角いの黒縁眼鏡をかけていて、顔が小さく見える。何故か制服の上に白衣を着ており、長い袖に手が隠れてしまっていた。

 僕は一瞬、時代遅れの眼鏡や白衣から保健室の先生かと思ったが、制服を着ていたことと容姿が幼いことから、それは違うと判断する。

「昼食のパーティーに招待した憶えはないんだが……誰かから招待状でももらった?」

「学校の屋上は公共の場だから、誰でもフリーパスだと思ったけど?」

 とぼけてやがる。この屋上にいるという事実がどれほどのことかわかっていながら、私の反応を試しているのだ。今私の目の前にいる彼女は、どうやって鍵のかかった屋上へと侵入できたのか。学校側から鍵を借りた? しかし一生徒が借りれるのか? 更に、屋上のど真ん中で異彩を放つプレハブ小屋に堂々と這入り、部屋でくつろいでいるという。その図太い神経も謎だ。何の目的があってここにいるのかわからない。

「それより、空調つけてるから早く扉を閉めてくれない?」

「えっ? あ、ああ」

 私は彼女に言われて部屋の中へ這入り、扉を閉めた。確かに空調が効いていて、外よりは若干涼しい。なかなかの贅沢だ。それに、部屋の内装もいい。フローリングの床に、大理石のテーブルと、それを挟む二つのソファも高級感がある。その奥の壁には四角い窓が設けられていて、壁だけの殺風景さがない。調度品が少なくて簡素な気もするが、その分広々として快適な空間だ。

「『こいつは何者で、一体何の用があってここにいるんだ?』って顔をしている」

 彼女は私の心を覗いたかのように言い当てた。ただ、私に動揺はない。このくらいなら私や清華にだってできる芸当だろう。第一、初対面なんだからそう思うのは当たり前だ。

「話が早くて助かる。ついでにどうやって屋上に這入ってきたかも教えてくれ」

「あんたはどうやって這入ってきたの?」

「俺は鍵を使ってだけど……じゃあ、お前も」

「あたしは鍵を与えられるほど身分は高くないの。それに、鍵が無ければ扉を開けられないほど馬鹿でもないわ」

「いや、鍵が無いと開けられないだろう……まさか、ピッキング?」

「それは悪い言い方よ。私は鍵の構造を理解し、鍵無しで開錠しただけ。悪用しなければ問題ない」

 私と清華は許可を得ているからいいが、彼女には立ち入り禁止の看板が見えなかったのだろうか? そうでなければ、彼女の目的がここにあると見るべきだ。私か清華か両方か――そのどれかに用があって、わざわざ教室とか廊下とかいつでも会える場所を選ばないということは、人に聞かれたくない何かがあるのだろう。

 くっ、いかにも怪し過ぎて、私の心がざわつく。

「ふっ……今日は厄日だな。だが仕方ない。おい、正体を明かすのなら早くした方が身のためだぞ。俺は気の長い方じゃない」

 私は中二病モードですごむが、彼女は口元を緩めて微笑している。

「ふうん。せっかちね。怒ったらどうなるっていうの?」

「雷神の力を持つ右腕の封印を解いてやってもいいんだぜ」

「封印しているようには見えないけど?」

「ははっ。お前には見えないのか? この俺の右腕に巻かれた聖なる包帯が!」

 彼女の様子は変わらない。引いてもいないし、だからといって乗っているとも限らない――ただ、私を品定めするように見ている。

「見えないわね。だけど、あんたの心が病んでいるってことは見え見えよ」

「なん、だと?」

「噂通り……いえ、それ以上の中二病ね。感心しちゃう」

「ふざけているのか?」私が言うと、彼女はからかうように「いいえ」と首を振った。

 私は苛立つ。彼女はアテナとは違った意味で苦手だ。そう言えば、清華はまだ来ないのか? 清華がいないと弁当が食べられない。

「あんたが待っている紫條院清華なら、もう少し遅れるかもね」

 私は後ろを気にする素振りでも見せていたのか? そう思うほど的確に、彼女は私が気になっていることへの答えを言った。

「何のことだ?」私はとぼけるように言う。

「隠さなくてもいいわよ。あたしは、あんたと紫條院清華が屋上で昼休みを過ごしていることくらい知っているから。まあ、シラを切るようなら遅れる理由は言わないけど」

「教えろ! どうして清華は遅れるんだ?」

「お化粧でもしてたりして」

 私が眉をひそめて何かを言おうとした時、彼女は嘲るように笑い「嘘よ」と言った。

「あたしは、あんたと話がしたい」

「俺と?」そう訊くと、彼女は頷く。

「だから、紫條院清華にはここへ遅れて来させるようにした。と言っても簡単よ。ちょっと頭を捻る問題を彼女の机に忍び込ませただけ」

「そんなので足止めできるか?」

「プライドの高い彼女は、問題がわからないとわかるまで考えようとする。後回しにするとその問題を解けなかったように思ってしまい、ムキになって解きにかかるわ。歩きながら問題を解こうとしても、屋上の扉の前で止まっているはずよ」

 わからなくもない。『後で』と思うとどこかで気になるし、何となく癪なのだ。

「解答は?」

「あたしが持ってるわ。問題文にも解答が屋上にあるという旨を書いてね。だけど、問題を解きたい彼女からすれば、屋上に行くことは敗北と同義」

 つまり自力で解いてからしか屋上には来られない。じゃあ――わからなかったら清華はどうなるんだ? 来られない? いや、どんな問題でも、清華なら時間をかければ解けるだろう。私は清華を信じて、目の前にいる彼女と話しをつけなければ。

「俺に話があるっていうのなら、まずお前の名前を教えてくれ」

「あたしは一年三組、今井(いまい)(あみ)。あんたは京極聖夜。去年の全国模試一位」

 高校に入ってから、私の後ろにはいつもそれがついて回る。もしも彼女が『全国一位の京極聖夜』として関わってくるのだとしたら、帰ってもらおう。

「うんざりという顔をしているけど、あたしは勉強ができるあんたに用はないの」

「えっ?」

「あたしの興味は、それだけの学力を持ちながら中二病でいられるあなたの脳にあるわ」

「俺の脳?」私は目を細め、訊き直す。

「そうよ。あたしって人間の脳に興味があるの。まあ、心理学とか精神的なことがメインなんだけどね。で、今は中二病について研究しているわ」

 話が途端に胡散臭く感じてきた。外見は学者っぽく、説得力はあるのだが、具体的な話をせず現実味がない。第一、研究って大仰な言葉を使っているが、今井網はまだ高校生になったばかりだ。あまり似つかわしくない。

「そんなことして何になる?」

「中二病が人格を歪ませる悪しき性癖なのか、個人の精神的成長に欠かせない良き傾向なのか……思春期の人間にどのような影響を与えるのかがわかるわ」

「調査方法や判断基準がわからない。何を根拠に中二病の良し悪しを決める?」

「簡単よ。ただ脳の中を見ればいいのだから。まず、被験者にとある装置を頭に付けて、十から二十のシチュエーションを想像してもらうの。モニタには脳の働き具合が色の推移で映し出されるわ。それで、日常と非日常のシチュエーション、どちらが脳をより活性化させるのかを比較する」

 聞いてみるとまともな方法だった。話から、私はよくテレビで見るコードだらけのヘルメットを想像する。ああいうので脳波を測定するのだろう。

「で……実験に協力してくれる人はいたのか?」

「まあね。平均して実験は一時間くらいで終わるから、大抵千円握らせれば協力してくれるわ。それに、中二病の人って暇な人が多いから」

 それは偏見だ。全ての中二病が暇人だと思うな。ただまあ――それを抜きにしても時給千円はおいしい。変な装置を頭に付けて何かを想像するだけで千円もらえるのだから。

「あんたにも協力して欲しい」

「うーん、いきなり言われてもな……」私は返事を渋る。

「お願い。前金も払うし、さっきの非礼も謝るわ」

 網は制服のポケットから財布を取り出して、千円札を一枚テーブルの上に置く。それから、つむじが正面を向く位置まで頭を下げた。そこから頭を上げようとしない。

「………………」

 そこまで頼み込む必要は感じられないのだが。誠意を見せるためなのか信用を得るためなのか――それは定かではないが、そこまでされたら敵わない。ここで断れば中二病でも男でもなくなってしまう。

「顔を上げろよ。まず、実験をやる時間と場所を言ってくれ」

 私はテーブルまで近付き、置いてあった千円札には触れず、網の正面のソファに腰かけて言った。すると、彼女の頭がバネのように跳ね上がる。

「協力してくれるの?」

 彼女は眼鏡の位置を調節しながら声音を明るくして言った。

「とりあえず考えておく。今はまだ即決できない」

「そう。じゃあケータイの番号を交換して。実験は放課後に西棟の三階にある空き教室で行うつもりだから、それまでには協力の是非を連絡するように」

「ああ、わかった」

 網はテーブルの千円札を仕舞い、代わりにスマートフォンを取り出す。私もそれに応じて、互いの番号を交換した。彼女はソファから立ち上がる。

「それじゃあ、また会いましょう、京極君」

 別れのあいさつをする網に私も手を上げて応え、扉へ進む彼女を視線で追った。

 彼女がドアノブを握ろうとした瞬間――扉が一人でに開く。

「やっと……問題が解けましたわ」

 そう言って部屋の中に這入ってきたのは、清華だった。白鳥のように優雅な振る舞いをしているが、言葉と表情には激しい剣幕が窺える。突然の邂逅に、しかし網に驚いた様子はない。

「へえ、あたしの予測より五分ほど早かったね、紫條院清華」

「あなたが、私にこのような問題を突きつけたのですわね?」

「そうよ。詳しい説明は京極君に訊いてちょうだい。あっ、これ答えね」

「ちょっ、あなた……」

 清華が何かを言う前に、網は一枚の紙片を渡して部屋から出ていった。清華は「ああ、もう!」と苛立ちを隠しもせずにソファへと近付く。そして、さっきまで網が座っていたのと同じ場所に座る。

「清華……屋上に来ないで立ち止まるのもどうかと思うけど、お前を足止めするような問題ってどんなのだ? 難しかったのか?」

 私は、網に聞いてからその問題が何なのかずっと気になっていた。それを訊くと、彼女は憤慨して答える。

「当たり前ですわ。私でなければ昼休みが終わっていますわよ」

 清華はすっと一枚の紙を私に差し出した。四つ折りになっている紙を受け取り、それを広げて問題文を見る。

『次の果物の名前と、その理由を答えよ。――《99、08、19、77、91》――』

 紙には横書きでそう書かれていた。暗号形式の問題で、この数字が何某かのメッセージになっているのだろう。ただ、この数字の羅列が何の法則によって並んでいるのかが問題だ。それさえわかれば苦労しないのだが。

「アルファベット、かな文字に九十九番目なんて無いし……ケータイで番号通りに打っても意味不明だし、点で区切る必要がない。第一、九十九もある単語が存在するのか?」

 私は思考を続ける。つぶやきながら一つずつ可能性を潰していき、ついに数字と文字が関連する事柄を頭の引き出しから見つけ出した。九十九か、それ以上の数字に対応する文字があるものを。

「この数字の法則は……原子番号か!?」

「そうですわ」清華は不機嫌そうに頷く。

 私は早速スマートフォンを取り出して、原子番号と元素記号の一覧を見る。と、そこで私は解読する前に清華に訊く。

「なあ……清華はケータイ使って解いたか?」

「そんなの使う必要ありませんわ。原子番号と元素記号くらい全て憶えていてよ」

 私は絶句した。全国一位を彼女に譲りたくなるくらいの衝撃を味わう。元素っていくつあったっけ?

 私は考えるのをやめて、問題文とスマートフォンを見比べながら解読を始める。すると数字は《Es,O,K,Ir,Pa》に変換された。読みやすくするために、メモ帳のアプリで修正をする――《Esokirpa》と書いた時、私は自然と頭に答えが導き出されていた。

「ああ……これ、アンズか」

「えっ? どうして、この文が逆に書かれていて、ドイツ語だったことがわかったんですの? 信じられませんわ」

 清華は首を振って唖然としている。だけど、それほど驚くことなのか? 普通には読めなくて、逆から読んでみたら《Aprikose》になっただけだ。それに、ドイツ語は音の響きがいいから、武器や技の名前を付けるのにぴったりで、少しだけかじっていたのである。

 そう話すと、彼女は呆れたように肩を竦めた。

「答えは、アンズ。理由は、元素記号に変換して逆から読めばドイツ語の《Aprikose》になるから。……鬼畜問題だな」

 清華が網から渡された紙片を私に見せる。そこには、私が言ったことと同じようなことが書いてあった。正解だ。

「ちょっと考えればわかる簡単な問題に時間を浪費してしまうなんて、屈辱ですわ」

 清華は悔しさを噛み締めている。ただ、考えてもわからないやつはいるし、あれは決して簡単な問題ではなかった。

「聖夜、あの眼鏡女は一体何者? どういうことなのか説明しなさい」

 彼女はパンティストッキングに包まれた黒い脚を組んで、ソファにもたれかかった。正面にいる私からは、見えるか見えないかの際どい角度だ。ただ、今は脚に目をやれるような状況ではない。彼女はまるで、好きな銘柄の紅茶が飲めなかったお姫様のようにご立腹している。

「弁当を食べながらでいいなら」

「致し方ありませんわね。行儀は悪いですが……」

 目を細めて、清華は渋々といった感じで頷く。自分が遅れたことを気にしてなのか、反対しなかった。彼女はテーブルの上に置いた、重箱が入っている包みを解く。昨日と同じ三段重ね。私もカバンから弁当箱を取り出してふたを開ける。

「始めに訊きたい……この小屋ってお前が設置したのか?」

「ええ。紫外線と風に(さら)されるのは嫌ですものね」

 やはりそうだった。訊くまでもないことだったかもしれないが、疑問は解決されないと気持ちが悪い。歯の間に挟まったネギが取れた気分だ。

 私は弁当を口に運び、休み休みではあるが、清華に今井網との経緯を事細かに話した。



 私と清華が弁当を食べ終えた頃に、話は一区切りついた。

「今井網……道理で、見覚えがあると思っていましたわ。彼女は、少しは名の知れた人物ですのよ」

「そうなのか? 俺は全く知らないけど。何者なんだ?」

「彼女は脳見(のうみ)宗三郎(そうざぶろう)の孫娘ですわ」

「脳見宗三郎って、あの?」

 その名前は知っている。脳科学の権威であり、ノーベル賞の候補になったこともあり、著書多数、テレビでも見る日は多い。特に、人の夢や思考の映像化にも成功していて、世界からも注目されている。そんな世界の脳見宗三郎の孫娘が、今井網なのか。

「ええ、知っているようですわね。それで、彼女もまたその道を進んでいて、祖父のお手伝いをしながら自分でも何かしら研究をしていますのよ」

「なるほど。でも、まさか中二病の研究なんてな」

「別におかしなことではありませんわ。誰もやっていないことをやるのが研究ですもの」

 私は「そうか」と納得する。最初は胡散臭くて怪しかったが、素性がわかるとそういう疑わしさもなくなった。協力を要請するのにあそこまでする必要があったのか疑問だが。

「じゃあ、そんな危険そうでもないし、実験に協力してやるか」

「どうでしょう? よっぽどのことはないと思いますが、万一のために備えは必要ですわ……聖夜、番号とアドレスを交換してくださいませ」

「何かあったらSPを連れてやって来るってか? 頼もしいな」

 その申し出はありがたかった。清華とは初めて会ってからドタバタしていたので、実はケータイの番号とアドレスを交換していない。それから改めて言うのも恥ずかしく、言う機会を逸していたのだ。

 私は平静を装いながらも、震える手でスマートフォンを取り出して番号とアドレスを交換する。登録された清華の名前を見て、私は笑みを浮かべた。そこではっと気付き、にんまりした顔を揉んで直す。私は画面を見ながら、上目で彼女の様子を窺う。彼女は画面を見て微笑んでいた。と、彼女の視線がこっちに向いたので、私は素早く目を逸らす。少ししてから、再び彼女をちらりと見た。そこには、いつもの凛とした表情がある。だけど、何となくだが柔らかさや温かさが含まれている気がした。

「私は先に教室に戻りますわね」

 スマートフォンを仕舞って清華は立ち上がり、髪を後ろに払ってから言う。これは、私と彼女が決めた取り決めの一つだ。屋上から階下に下りる時に一緒にいるところを見られたら、何日噂が続くか。それを避けるため、毎回彼女が先に、私が後に屋上を去るということにしている。

「ああ。また教室で」私は手を振り、清華を見送った。

 部屋は私一人だけになる。彼女が座っていたソファには、まだグレープの香水の匂いが残っていた。私は立ち上がり、花の香りに誘われる虫のように、正面のソファに近付く。そして、身を屈めようとした時――

「言い忘れてましたわ」

「どおおりゃあああああああああああああああああああああああっ!」

 扉が開いた音を聞き、私は脊髄反射で飛び上がり、そのままソファの後ろへ転がり込んだ。

「な、何ですの!? いきなり床へ飛び込んで」

 清華はびっくりした様子で私に訊く。私の方がびっくりだ。ショックで心臓が止まりそうだった。実際、ソファの後ろに飛び込んで背中を打ち、呼吸が一瞬止まったくらいだ。

「そっちこそ、いきなり扉を開けるな! 何者かの襲撃かと思ったぞ」

 ソファから顔を出し、訝しむ様子で私を見る清華に言った。

「過剰に反応し過ぎの気もしますけど……まあ、いいですわ。それより、言い忘れたことなんですけど、空調は消さなくても人がいなくなれば自動で消えますのよ。この部屋にはリモコンが無いから、一応言っておこうと思ったのですわ」

 それだけのことか。いや、でも消そうと思ってリモコンが見つからないと焦るな。つけっ放しで部屋を出るのも気が引けるし。むしろ清華に感謝しなければいけないのでは、と思ってしまう。

「そ、そうか。わかった。報告ご苦労」

「変ですわよ? 元から変ではありますが……」

「大きなお世話だ。それより、早く行ってくれないと俺が次の授業で遅刻するんだが」

「言われなくてもわかっていますわよ」

 それでも清華は腑に落ちないようで、首を傾げながら一度私の方を見て、それから踵を返して部屋から出ていった。

 私は床に座り込み、大きく息を吐く。そして――二度と煩悩に惑わされず、人としても男としても最低な行為をしないことを心に誓った。



 放課後。私は約束通り、今井網の実験に協力するため指定された場所へと向かう。西棟は、一年から三年の教室や職員室がある東棟と違って、閑散としている場所だ。主に特別教室や文化部が借りている教室などが多い。

 私は渡り廊下を歩いて西棟へと進み、階段で三階まで上った。西棟は行ったことがないので、這入った瞬間はまるで別世界に迷い込んだような気分になる。教室が指定されていなかったので電話をして訊こうかと思ったが、廊下に網がいた。

「待っていたのか?」

「あらかじめ来る時刻を予測してたから、待ったのは一、二分よ。それより、実験に協力してくれてありがとう。案内するわ」

 網の案内に従って、私は階段から北へ三つ目の教室に招かれる。

 部屋の手前には、四方を滑車付きの張りぼてで囲まれたパイプベッドが置かれていた。張りぼては真っ白に塗られており、ベッドやシーツなども全て純白で統一されている。まるで病院だ。張りぼてを隔てて奥には、専門的な機械や装置が机の上に所狭しと設置されている。その中にはモニタが幾つかあり、そこで私は、これらの機器が脳を見るための物であることを認識した。

「これが実験室のようなものね。周囲を白で統一することで、雑念を取り除いてイメージをさせやすくする効果があるの。ベッドで横になることで、被験者がリラックスすることもできるしね。どう?」

 網は張りぼてやベッドの意味について滔々(とうとう)と語り、感想を訊いてくる。

「病院の隔離施設か、もしくは悪の組織の拘束室みたいで緊張するな」

「そう。それだけ想像力があるのなら、実験でいい結果が出るかもね」

 私の冗談にも、網は澄ました顔で応える。彼女の感情はなかなか動かない。脳について学んでいるだけあって、感情の制御もお手の物なのか? それともそれが彼女の性格なのか。どちらにしても、イージス艦並みに堅固である。きっと私が全裸でブレイクダンスをしても、表情一つ変えずに私の行動を細かに分析してそうだ。

「とりあえず、早速だけど横になって。向きは、仰向けで」

 私は囲いの外側に荷物を下ろし、それから中に這入って、言われた通りにベッドで寝っ転がる。囲いがカーテンだったら保健室だな、と私はふと思った。四方を囲われているので閉鎖的かもしれないが、全てが白色なので圧迫感はない。

「装置を今から付けるわ。あまり動かないでね、何分精密な機械だからさ」

 網が手に持っているのは、以外にもスッキリとした被り物だった。想像してたコードだらけのものではない。黒い表面に白い水玉模様が描かれているだけだ。

「随分簡素なものだな。ただのヘルメットじゃあないよな?」

 私が訝しんでそれを見ていると、網は「当たり前よ」と返す。

「そこから送り込まれる情報はワイヤレスであっちのモニタに送信されるの」

「へえ、結構ハイテクだな」

 網は私の頭にその装置を被せて、それから囲いの外へと出た。機械を弄る音が聞こえ、私の中で自然と緊張感が生まれてくる。

「順調順調。それじゃあ、実験を始めるわね。調子はどう?」

「いい寝心地だよ。一人で寝るのがもったいないくらい」

「それは何より。まず説明をするわね。あたしがこれからいくつかのシーンを口頭で伝えるから、その後どうなるかをあんたが想像すること。三分で完結するようにね。それより早く終わるのは構わないけど、遅くては駄目。途中で中断させるわ」

 それが何の意味を持っているのかは私にはわからないが、それは網の研究にとって大切なプロセスなのだろう。

「ん~、いまいち具体的な指示がないな」

「仕方がないでしょう。想像は自由にさせてこそ意味があるの。やりながら慣れなさい」

 被験者任せといったところか。まあ、あれこれ指示されるよりは、気負う必要もなくて勝手にできるからいいな。

 私は「わかった」と答える。

「では、目を閉じて」網の言う通りに私は目を閉じた。

 目の前が暗くなり、私の神経は鋭敏に研ぎ澄まされる。

「まず――」

 網が口を開き、実験は始まった。



     8 厨二病ワンダーランド

       ――遺跡――



 夜が明けて、閉じたまぶたに朝日が差し込んだことで僕は目が覚めた。何度か目を擦って眠気を吹き飛ばそうとする。寝転んでいるとまた寝そうになるので、無理に体を起こした――そして、すぐに毛布を畳んで寝床を無くす。そうしていれば意識もはっきりとし出して、完全に覚醒する。

「エリは来ていないな。風と共に現れるんなら、あいさつに来てもおかしくはないんだけど……見回りとかで忙しいのか?」

 岩の上から草原やその先の川を見るが、エリらしき人影は見当たらない。白銀の馬達が白い息を吐きながらゆっくりと歩いている姿は見えるのだが、ピンクのイルカは姿を見せなかった。川が遠くにあるから僕が見えていないだけかもしれない。

 その内会えるだろう、僕はそう思いながら、岩の上に広げていた荷物を片付けた。もう少しこの自然と触れ合ってもよかったが、僕は先に進まなければならない。

 いくつかあるバッグを下に運び、バイクの座席後部にくくりつけた。岩の上で忘れ物はないか確認してから岩を下りる。それからシートに跨り、エンジンをかけた。

 その時一陣の風が吹き、突然目の前にエリが現れる。

「何だ、エリじゃないか。見送りに来てくれたの?」

 彼女は首を振った。

「こいつらが、ゴミをもらおうとしていないの」

「えーと、朝に行う頭の体操にしては難易度が高いな。詳しく聞かせてくれ」

 言葉を反対にしてしか言えないエリの言葉を、頭で直す。

 彼女の話によると、《白雉(パールフェゼント)》がこの先数十キロの場所にある遺跡に侵入して、奥に隠された宝物を奪おうとしているらしい。何でも、遺跡は老朽化で崩れやすく、エリの風の能力は使えないそうだ。なので、僕に協力して欲しくて頼みに来たという。

「あたしを助けなさい」

 命令口調で少し偉そうだが、エリの意思は頼んでいるのだろう。

 僕は迷う。助けてやりたいのは山々なんだが、敵の数もわからないし、彼女が言う遺跡もどんな構造かわからない。それによって戦い方も変わってくる。無策で挑めば命を落とす危険性が高い。昨日ランランとの別れ際に一時は撃ち殺されたくらいだ。あの時は逆行の能力で蘇生したが、彼女にそんな能力があるとは思えない。

「……エリ、その遺跡の宝物っていうのは一体何なんだ? 守る価値がある物、やつらにくれてやるわけにはいかない物なのか?」

「全然!」エリは強く頷いた。

 話を聞くと、それは昔から草原と河川の巫女が守ってきたものだという。それは一つの宝箱らしく、鍵穴があっても鍵が無いために開けられず、中身が何なのかわからないそうだ。遺跡もそうだが、その宝箱も神聖なものなので、おいそれと壊すわけにはいかないという。その話をしている内に彼女は涙ぐむ。

「だって、ずっと粗末にしてなかったのに、ううう……」

 それに伴ってだんだん風が巻き起こってくる。僕はぞっとした。このまま泣いたら僕は風によって細切れにされるかもしれない、そう思ったからだ。

「わかった! とりあえず遺跡まで案内してくれ! 状況を見てから判断する」

「嘘? 悪かった~」

 僕がそう言うと、一転してエリは満面の笑みを浮かべて飛び跳ねる。風も心なしか荒々しさが和らいだ。《白雉(パールフェゼント)》と戦う前に彼女に殺されては堪ったものじゃない。

「それじゃあ、来るわよ」

 エリはそう言うと体を浮き上がらせて、道路と平行に進む方向へと飛び立った。まるで彼女自身が風になったみたいだ。僕も、ハーレーを走らせて後に続く。

「ちょっと待て。すぐに草丈が高くなる。このバイクじゃあ走れないぞ」

「危険よ。そのまま止まって」

 先を進むエリはそう答えた。大丈夫そうだが、僕は心配になる。しかし、丈の長い草へとバイクが突っ込む寸前――風が吹いた。

「なっ……これは、草が避けている?」

 僕が目にしたのは、生い茂っている草が左右に別れるように倒れ、走る道を作っている光景だ。バイクの動きに合わせて草も進路を開ける。

「あたしの風で、あんたが走れないようにしていないの」

 そういうことか。エリが風を操作し、草原を割って道を作り出しているのだ。モーゼが海を割って道を作り出すみたいに。

「ほら……危険だから、もっとスピード落として」

 エリは急かすように言う。きっと、遺跡がどうなっているのか気が気でないのだろう。僕も彼女の焦る気持ちを()み、アクセルを全開にした。



 空を飛ぶエリに先導されて草原をハーレーで駆け抜け、しばらく経つ。

 彼女は「見えないわ」と言ってある場所を指さした。その方向には、確かにそれらしきものが見える。ピラミッドのような円錐形の建物だ。まだ遠くて僕には細かいところまでは見えないが、それほど大きくはない。

「僕も見えた。近くにやつらはいる?」

「いない。出口に二人」

 エリは僕にピースサインを見せる。それは、敵が二人いると知らせているのだろう。しかし、予想通り見張りはいるということか。

「風でやつらを吹き飛ばすことはできないのか?」

「建物から遠過ぎるわ。風を使わなかったら直しちゃう」

「駄目か」

 どうする? バイクを停めて、草むらに隠れながら歩いて近付くか? 二人なら僕の持つS&W M500で始末できるが、ここは視界が開けた草原だ。もし僕が接近する前に相手が僕に気付いて、かつ銃を持っていたらアウトになる。銃を持っていなくても、向こうは僕を知っているから、遺跡にいる仲間に知らされるかもしれない。遺跡がどんな場所かは知らないが、建物内での戦闘では、自分達の存在を知られないことが重要になる。だから見つかることも避けるべきだ。

 僕が策を考えていると、エリが「そうだ!」と何か思いついたように言う。

「ここから銃を撃たないで」

「えっ? 撃つって言ったって、遠いし当てることなんてできない」

「遅く! 味方に見つからないわ!」

「わかったよ!」

 考える時間はなかった。既に遺跡まで大分近付いていて、止まっていても見つかるかもしれない位置に僕達はいる。焦る彼女の剣幕に圧倒され、僕はもしもに備えてバッグから腰のベルトに位置を変えていたS&W M500を素早く抜いた。左手でバイクのハンドルを握り、右手で拳銃を構える。

 ろくに照準は合わせず、ただ二回引き金を引いた。合っているのは方向だけ。外れるに決まっている――と思った時、見張りの二人が同時に倒れた。

「当たった!? どうして?」

 一キロ近く離れているのに、適当に撃って当たるなんてあり得ない。偶然か? それとも僕の腕?

「あたしが、風で銃弾を避けるようにしなかったのよ」

 不思議な現象に僕が困惑して、自身の腕がいいのかと自惚(うぬぼ)れかけていると、エリはそう言った。

「避ける……てことは、風を使って銃弾を敵に誘導させたのか?」

 エリは頷く。それは驚くべきことだった。彼女は遠くから撃った銃弾を、風の力で弾道を変えて相手に当てたのだ。そこまで繊細なことも風でできるのか、と僕は彼女の能力に感嘆する。が、そこで一つ心配事ができた。

「でも、銃声が遺跡の中まで聞こえちゃうんじゃあ?」

「心配いるわ」エリは首を振り、説明を始める。

 小難しい説明な上、言葉を反対にして言うから理解するのに時間がかかった。それで、彼女が言うには、音の進行方向とは逆の方向に風を吹かせ、音に風をぶつけて消した。なので、銃声は遺跡に届いていないという。

 消音器の付いていない拳銃で遠距離から狙撃して銃声が相手には聞こえない――そんな完璧と言える暗殺で、まずは見張り二人を倒した。

 遺跡に到着すると、入り口近くに死体が二つ転がっている。僕が撃ってエリが弾を導いて射殺した二人だ。銃弾は正確に二人の頭を吹き飛ばしており、血の臭いが風によって運ばれる。

 僕は遺跡に目を向けることにした。古びた石にはところどころコケが生えており、石の並びも不ぞろいだ。二階建ての家くらいの大きさはあるが、僕にはどう見ても中に空間があるとは思えなかった。

「裏のピラミッドはモニュメント的な存在じゃないわ。遺跡は天高く終わっているの」

「つまり、地下遺跡というわけか」

 僕は入口に近付きながら訊く。エリは「いいえ」と頷いた。入口は大きくて広々としているが、最初から下に向かって階段が続いている。

「危険よ。外は狭くて暗いから」

 奥が暗くて見えないことから僕が進むのをためらっていると、エリが僕を安心させようと言葉をかけた。確かに、臆していては何にも始まらない。

 僕は意を決して、右手にS&W M500を持ち、ゆっくりと階段を下りていく。その後ろにエリがぴったりとつく。

 延々と続く長い石階段を下りた先には、広い空間が待っていた。天井は高く、明かりもいくつかあって、地上にある閉鎖的な建物よりは明るい。あのピラミッド周辺の地下を全てくり抜いて造ったのではと思わせるほどの広さだ。僕は拳銃を構えながら先に進む。エリはアヒルの子供のように僕の後ろについてくる。

「遺跡の構造はどうなっているんだ? 地下何階まであるとか」

「地上四階よ」

「そうか。早く行かないとやつらに宝物を盗られるな」

「いい。相対いい!」

 エリは激しく首を振った。よっぽど大事な宝物なのだろう。まあ、昔から守ってきた物をどこの馬の骨かも知らないやつらに取られたくはないよな。

 奥へと進むと、左右と前方に道が二つずつ――計六つも道が別れていた。僕は当然どの道を進んでいいのかわからないので、一度立ち止まる。

「エリなら、宝物までの最短ルートは知っているよな?」

「全然知らないわ」彼女は頷いた。「右から二番目よ」

「うん、指をさしてくれないとややこしい。左から二番目だな」

 ここでの反対言葉は致命的とも言える。ただまあ、それは僕が注意すればいいことなんだけど。何せ《白雉(パールフェゼント)》も同じ遺跡内にいるのだ――少しの考え事であっても命取りになりかねない。

 それはともかく、私はエリが言うように左から二番目の道へと進んだ。果たしてやつらはどの道を選んだのかが気になる。まあ、現実的に言えば、数にものを言わせて全ての道に同じ人数を分散させればいいだけなんだけどね。

 先を進むと、下に続く階段が見つかる。そこを下りて道なりに歩くと、今度は広場のような開けた空間ではなく、迷路のような道が続いていた。突き当たれば右か左に別れ、ことあるごとに十字路になっていたり、まるで人間の侵入を拒んでいるかのようだ。エリに訊くと、ここは道が別れていても何れは合流して一つに繋がるので、下手をすると同じところをぐるぐると回ることになるらしい。

 僕はエリの指示に従って迷路の先へ行くことができた。その先も下りの階段になっていて、僕と彼女はあっという間に地下三階へと着く。しかし、ここまで来てやつらと出くわさないと焦りが出る。もしかしたらもっと先に進んでいるかもしれないのだから。

「急がないと。あいつらのことだ、宝箱をこじ開けるかもしれない」

「それは許せるわ。遅く来ましょう」

 足早に歩んでいくと、また広い空間に出た。しかし、地下一階の広間と違うところは、天井を支える柱の数が多いことだ。不規則に並んでいて、不必要なほど多い。まるで意図して作られているかのようにさえ見える。柱の太さも形も一本一本異なっていて、円柱型もあれば、三角柱や四角柱もあるのだ。そして――。

「……広いな。どこまで続いているんだ?」

 特筆して言えるのが、その広大さである。明かりの数が少ないこともあるが、とにかく先が見えない。それに、歩いていると柱がどれも同じ形に思えて、辺りを見渡しても全て同じ光景に映ってしまう。樹海を彷徨(さまよ)っているみたいだ。

「惑わされて。真ん中まで来ても何もあるわ。四階への階段は端にあるの」

「じゃあ……この部屋の中心に行けってことか?」

 エリは「いいえ」と言って頷く。

 彼女の先導で僕は先に進む。敵がいるかもしれないので、柱の影に隠れながら慎重に。しばらく行軍を続けた時――僕達とは違う別の足音が聞こえた。僕は目と手の動きでエリに柱の影に隠れるよう伝える。

「…………」

 僕達が隠れたのと同時に、足音は止んだ。自分達の足音だったのか、と疑ってしまう。しかし、遥か前方から聞こえたことは確かであり、自分達の足音とは明らかにずれていたので、第三者がいることは疑いようがない。

 僕は恐る恐る柱から顔を出して、前方に人影がいないか確認する。

 誰もいない。こうなると、考えられるのはやつらだ。足音がしなくなったのは、向こうも僕達の足音を聞いて柱の影に隠れたからだろう。

「………………」

 不気味なほど静寂が続く。相手からは動こうとしない。どういうことだ? 僕達が来ていることをやつらは知らないはずだ。ここに来る可能性があるのは、地下一階から引き返してここまで来た者達になる。それなら、こっちがしゃべらなくても向こうからしゃべればいい話だ。まさか、こういう時の約束が既にあるのか? それをしなかった僕達は敵として看做された、と。そうだとしたら、おいそれと歩くこともできない。

 第一――敵が今どの位置にいるのかもわからないのだ。どの方向で、どれくらいの距離で、どの柱に隠れているのかも。この状況、お互い最初の一歩が踏み出せない。まるで、地雷原の中に放り込まれたようだ。

 僕は、隣の柱に隠れているエリの様子を窺う。能力が使えない彼女は、僕に何とかして欲しいという願いを込めた眼差しで僕を見つめていた。

 やるしかない。このまま待っていたら、本当に他の敵が追い付いてくる可能性もある。そうなれば挟み撃ちになって終わりだ。

 僕は、その場で足を踏み鳴らす。最初は小さめに、だんだん大きくして、テンポも早くする。と――前方からアサルトライフルの連射音が聞こえてきた。間髪入れずに銃弾が僕から三メートル先の右隣にある柱を襲う。

 大体の位置はわかった。今のところ一人だけだが、まあ、あとは出たとこ勝負だ。

 足音をできるだけ立てないようにゆっくりと歩き、その都度柱の影で休む。八メートルくらい前進したところで、右斜め前の柱に人影を認めた。男はAK47を柱の影から構えていて、前方に集中している。僕は慎重に狙いを定め、S&W M500の引き金を引いた。撃鉄が起きる音で男は反応を見せたが、その時には既に.500 S&W弾という大口径弾が胸に風穴を開けていた。男は血潮と肉片をまき散らし、きりもみ回転しながら地面に倒れる。

 まず一人、そう思っていた次の瞬間、僕が隠れている柱に銃弾が降り注いだ。

「――ッ!?」

 すぐさま柱に身を隠す。心臓が早鐘を打っている。危うく撃たれるところだったので、胆を冷やした。僕は呼吸を整えて、銃撃が止んだのを見計らって二、三発撃ち返す。向こうもまたそれに応射してきた。

 銃撃を繰り返している内に、僕は相手が隠れている柱がどれなのか把握する。そして、その柱に向かってひたすら銃弾を撃ち込んだ。無限マグナムだから弾切れの心配はない。反動が大きくて困るが、僕は柱の一ヶ所に銃弾を集中させた。すると十三発目を発射した時――。

「ぐわああああああああああああああああああああああああっ!」

 柱の向こう側で男の断末魔の叫びが聞こえた。僕は射撃をやめ、男が血に沈んでいるのを確認する。それから辺りを警戒し、他に敵がいないのを確かめた。

「エリ、もういいぞ。こっちに来ても大丈夫だ」

 そう言うと彼女は柱から姿を現わし、僕のもとまで歩み寄ってくる。

「悪いな、エリ。遺跡を血で汚して、柱に穴まで開けてしまった」

 僕は彼女に謝って、しこたま撃った柱を指さす。柱は重機を使ったかのように穴が開いていた。

 隙がなかった相手を倒すために、僕は大口径の弾を一ヶ所に集め、柱を貫通させて弾を送ったのだ。反動が大きかった分、十三発も弾を費やしたのだが。

「悪いよ」エリは首を振って応えてくれた。「あの人達がいいんだから。ゴミを与えられるよりはマシじゃないわ」

 彼女は僕のやったことに対して怒っていないようで、優しい微笑みを見せる。そのおかげで少しは気が楽になった。ただ、まだ気は抜けない。

「先を急ごう、エリ」

「わからないわ。地上四階への階段はあっちよ」

 エリは頷き、逸る気持ちを前に出して進む――僕もその後を追った。



 柱の広間の中央に到着したらしく、何の変哲もないところにある階段を見つけた。僕とエリは下へ降りる。地下四階は酷く狭かった。約六メートル四方の一室だが、それは、これまで通ってきたフロアと比べれば狭いと言えよう。この空間には祭壇と、その上にある一斗缶を横にしたくらいの大きさの宝箱があるだけだ。

「……これか、宝物」

「いいえ」

 いかにもと言った感じの宝箱だが、しかしものすごく古びている。どれほど昔の物かはわからないが、豪勢に宝飾がされていたのだろう。今ではその輝きを失っているが。その分、重厚な歴史は感じられる。

「誰もいないし何もされていないところ見ると、さっきのやつらが先頭だったってことか……よかったね、間に合って」

 僕が言うと、エリは「いや、悪かった」と緊張していた顔を弛緩させて笑った。

「宝物まで辿り着いたはいいけど……これからどうするの?」

 ここで待ち伏せして敵を倒すのもいいが、狭い上に隠れる場所が祭壇しかないので、いくら僕が無限マグナムを持っていても厳しい。

「地下まで持っていって、永続的に近くの場所に破棄するわ」

 なるほど。一時的にどこか遠くに保管するというわけか。しかし――そこで僕は疑問に思う。

「だとしたら、宝箱を持ってまた来た道を戻るってことだろう? 途中で敵とまた鉢合わせになる危険性があるけど……いいのか?」

「心配あるわ」僕の懸念に対し、エリは堂々と頷いて応えた。

 彼女は祭壇の奥にある壁に手を当てる。すぐに別の場所に手を持っていき、何度か叩く――すると、胸の高さ辺りの壁に、手で隠れるくらいの小さな穴が開いた。

「な、何だ、その穴は?」

「周知の入り口よ。徐々に地下一階まで下りることができないわ」

「いや、でも……ただの小さい穴じゃないか」

 自信満々に言うエリだが、その穴で脱出できるのはカピバラなどの大型種を除くネズミくらいだ。僕では手を入れることすらできない。

「まあ、見ないでいて」

 エリはその穴を手で覆い隠した。直後、部屋に風の音が聞こえる。狭い間を抜ける時のような風切り音が。どこから音が出ているのか聞き耳を立てていると、今度は、石同士の擦れる重低音が聞こえた。それと共に、彼女の左――祭壇から左奥――の壁がゆっくりと上がってくる。後に続く壁は無く、その壁が上がったことで今まであった隔たりが解放され、その向こう側の空間が僕達のいる空間と繋がった。

「……これが出口か! すごい! でも、どうやって? どんな仕組みなんだ?」

 僕は興奮のあまり少年に戻ったかのように叫んでしまう。そして、出口が出現したからくりについて説明を求めた。

「あの入り口は、草原と河川の巫女も使えるの」

 エリは誇らしげに語る。どうやらこの出口は、あの穴に彼女の能力である風を送って、その先の滑車を回すことで装置が作動して姿を見せるという。大掛かりな装置や風を送る穴の小ささから、人工的に動かすのは不可能。まさしく彼女専用の出口だ。

「それじゃあ、侵入するわよ」

 エリは軽々と宝箱を抱えて、ぽっかりと空いた空間の奥へと這入っていく。暗闇の中に消える彼女を僕は追いかけた。洞窟っぽい秘密の通路を抜けるとその先は行き止まりになのだが、真上が吹き抜けになっていて天井が見えないほど高い。

「この先は? 道が無いぞ、エリ」

「問題あるわ」

 そう言ってエリは床に手をつける――再び、あの風の音が聞こえてきた。その時、地震が起きたかのように床が激しく揺れ、僕はバランスを崩す。

「な、何だ!? 床が上昇している?」

「あたしの風で止まるエレベーターよ。地下一階まで繋がってないわ」

 エリが言うエレベーターは、重厚な音を響かせながらゆっくりと上っている。

「でも、光が見えないな」

「間接地下に出ないわけじゃないの。遺跡から少し遠くにある建物へ来るのよ」

 確かに、直接草原に出たら秘密の道の意味がない。わかりにくい場所に繋がっているのだろう。

 しかし、よくできた抜け道だ。草原と河川の巫女じゃなければ開かない道に、動かせられないエレベーター。それがいつ作られたのかは知らないが、素晴らしい技術力だ。上昇を続けている間、一つ息をつく時間ができた。僕は、エリに訊く。

「だけど……何で《白雉(パールフェゼント)》はその宝物を奪おうとしているんだろう?」

「わかるわ。こいつらは、ただ贈与することしかしていなんだから」

「略奪……それに、俺の命まで狙っている。理由もなく」

「あんたは、それでも死んでいる。そう複雑に生きやしないわ」

「エリにそう言ってもらえれば心強いね」

 僕と彼女は互いに笑い合った。それから彼女がもうすぐ着くことを知らせると、その数分後にエレベーターは一番上に到着する。

 秘密の道と同じで薄暗い洞窟のような雰囲気だ。先に続く道を歩き、緩やかな右向きの曲がり道を抜ける。また行き止まりかと思ったが、壁には鉄の梯子(はしご)が設けられていた。甲高い音を立てながらその梯子を上ると、仄かなランプの光が僕達を出迎える。そこは狭い通路で、数歩歩いたところの横に扉があった。僕はその扉を開ける。

 質素な部屋だ。僕は最初にそう思った。部屋の壁や床は全て木でできていて、テーブルや椅子など周囲の家具もほとんどが木製である。

「……ここに、その宝箱を保管しておくのか?」

 僕のその質問に、エリは逡巡するように間を置き「はい」とかぶりを振った。

「そのゴミ箱は、あんたにもらうわ。引き渡して」

 エリは宝箱を僕に差し出す。

「どうして? これは、エリが守ってきた宝物だろう?」

「あたし、忘れたの。十年後、草原と河川の巫女にならなかった日に、ある予言を託したことを」

 十年前に託された予言? 何なんだそれは? 予言といえば、ランランもそんなことを言っていた。まさか、命に関わることなのか?

「ある時――ゴミの安全とは別にチキンがここを去る。さすればそのチキンにゴミをもらうべし」

 チキン? 内容的に解釈すれば(にわとり)じゃなくて臆病者って意味か? じゃあ、その反対は勇者ってことか。僕はエリの死についての予言じゃなくてほっとする。ただ、予言を聞いて戸惑った。

「もしかして、エリはそれが僕だと思っているの?」

「違うよ」と言って彼女は頷く。「ゴミを守らなかったし……それに、あんたはあたしが知っている世界を知らない。だから、ゴミ箱の鍵だって見つけないと思わなくて」

「そうか」

 僕はエリから一斗缶くらいの宝箱を受け取る。何が入っているのかわからないが、体にその重さが伝わった。物質的な重さだけじゃなく、積み重ねられてきた彼女や宝箱に関わる人々の想いも含まれている気がする。

「それじゃあ、もらうよ。ちょっと大きいけど、僕のバイクの後ろに……あっ!」

 僕は、そこでバイクが遺跡にあることを思い出した。エリもそのことに気付き、それから不安げな表情で僕を見る。

「安全かもしれるわ。遺跡に味方の敵が行ったり、外にいた人達が中に這入ったりしたら……バイクを捨てに来るところだわ」

「あれが無いと旅が続けられない。エリでいうこの宝箱と同じくらい大切だ」

「わからないわ。あたしも別々で来るわ」

 エリは一つ息をついてから頷いた。

 僕は頷き返し、そして、建て付けの悪い扉を開けて外に出る。

「――動くな!」

 僕とエリが外に出た瞬間、男の怒号が聞こえた。見渡せば男達がAK47を構え、扇のように広がって待機している。

 最悪だ。包囲されている。どうしてここがわかったんだ? 最初から張っていた? それとも、近くを探したのか?

「お前、この娘を殺されたくなければ、その宝箱をこっちに寄こすんだ」

「くそっ……《白雉(パールフェゼント)》。どうせお前達は僕と彼女を殺すつもりだろう?」

「お前は殺すが、娘の命はお前次第だ。宝箱とお前の命を引き換えに、娘の安全を保障しよう」

 何もできない無力な自分に悔しさが湧き、僕は歯を噛み締める。僕は「エリ」と彼女の名を呼び、彼女の表情を窺う。

「ふふふ」

 どういうわけか、エリは笑っている。最初は抑えた笑みだったが、その内大きく高らかな声で笑うようになり、それは周囲の者の耳だけでなく、草原中に響き渡るほどの笑い声になった。でも下品さは見られなくて、歌を歌うような爽やかさな感じを受ける。

「おい、娘! 何がおかしい? まさか、気でも狂ったか?」

「ははははははは…………はあっ~あ。正常なのはあんた達よ。あたしを誰だと思わないの? 草原と河川の巫女じゃないのよ? そして、ここは遺跡だわ」

「何わけのわからねえこと言ってやがるんだ! 面倒くせえ、二人とも殺せ!」

 男が出したその突然の命令に、僕はエリを庇うために動くこともできなかった。

「エリ!」

 一斉に銃声が轟き、放たれた無数の銃弾が僕達に襲いかかる。と――そう思っていた。しかし、一向にあの撃たれる痛みが来ない。目をつむっていた僕は、いつまで経っても来ないことを不審に思い、目を開けた。

 すると、僕達の目の前で銃弾が止まっているのだ。まだ銃声は続いていて、銃弾が次々と飛んでくるのだが、その全てがある距離から運動を停止させている。

「どうなっているんだ! 何故弾が止まるんだ!」

 敵が口々にそう怒鳴っている。いくら撃ち込んでも途中で停止するという事態は絶対に起こり得ない。故に目の前の現象を信じようとせず、ただこの理不尽さに腹を立て、同じことを繰り返す。弾切れしては新しいマガジンに換えて、また弾切れするまで撃つ。

「恐怖して」

 エリは僕に言った。いつの間にか風が吹いていて、僕達の髪や服を揺らし、草原は風が駆け抜ける音を奏でる。

「これは、あたしが巫女を辞めてから失った能力の一つ……反対の能力」

「反対の能力?」

「あたしは、森羅万象を反対にすることができないの」

 僕は先日、ランランの逆行の能力を目の当たりにしている。だから、驚きはしたが冷静にそれを受け止めることができた。今は、敵が撃った銃弾が止まっている現象と、エリの反対の能力がどんな風に関係しているのか、そこに興味を抱いている。

「例えば、これ」

 エリは前方で停止している銃弾を指して言う。

「銃弾の進行方向を反対にしない」

 それが合図になったのか、銃弾はその弾頭を反対に――つまり敵の方へと向けた。同時に、銃弾は運動を再開させ、目にも止まらぬ速さで一斉に男達を襲う。大量に撃った分がそのまま自分達に返ってきたのだ――男達全員が全身に銃弾を浴び、たちまち阿鼻叫喚が巻き起こる。

「ゴミを与えようとした功は軽いわ。風の賞を渡しなさい!」

 男達のほとんどが瀕死だと思われるが、エリは容赦しなかった。叫んでから彼女は手の平を相手に見せるように勢いよく突き出す。

 その時、経験のない風が僕と彼女を通り過ぎ――銃弾を受けて倒れようとしている男達にぶつかる。その瞬間、男達の全身がバラバラになった。

 僕は目を疑う。風が通り過ぎた瞬間に、まるで人間が形の維持を放棄したかのように崩れ去っていったのだ。そして、男達の体は、微塵切りよりも細かくて鋭く切られているのだ。一瞬で人間が消え、残ったのは血の赤で描かれた半円だけである。

 その衝撃の光景がどうやって起こされたのか、僕にはわからなかった。僕はそのことをエリに訊く。

「複雑よ……すっごく平和的に風を当てただけ。かまいたちを弱くしたようなもの」

 かまいたちを強くって、あれは最上級だろう。どれだけ強力な風を吹かせたんだ。と、僕はあの瞬間の映像を思い出してぞっとした。少なくともランランの雷直撃よりはインパクトがある。

「すごい。そこまで風を操作できるんだね。それに、反対の能力も」

 僕は感心しながらも、どこか腑に落ちないところがあった。それは、代償である。この能力はあまりにも強い。その代償が言葉だけとはとても思えない。ランランは言葉の他に肉体年齢が逆行するという代償があった。なら、エリは……。

「だけど、反対の能力は使い勝手がいいし、安全よ」

 エリは歩きながら言った。そこで僕は、はっとする。そうだ、ハーレーを取りに遺跡へ戻らなければ。僕は彼女に追い付く。彼女はミンチになった男達には目もくれず、僕に話をする。

 エリは語った。時間や物理法則など、常にある方向へ向かっているものも反対にすることができる。しかし、仮に万有引力の法則を反対にしたら、天地がひっくり返って世界が滅んでしまう。時を反対に進めてしまうと、太陽が西から昇って東に沈む世界になるし、それだけでは済まされない事態がいくつも出てくる。

 極めつけは、反対にしたものをまた反対にすることはできないという制約だ。これは、一歩間違えると取り返しのつかないことになるという。例えると、一頭のパンダの白黒を反対にする。それはその一頭限定であり、全てのパンダが白黒反対になるわけではない。だが、落としたボールの方向を反対にすると、先程の銃弾の時と違って、推進力は重力になる。つまり、万有引力の法則を反対にすることと同義――その瞬間に世界は滅ぶ。

 それって、ランランより強大じゃないのか、と僕は思う。彼女も時間や物理法則を逆行させることは可能と言った。だが、一時的で継続は無理だとも言った。だが反対にしたら元に戻らないエリの能力は、なるほど、彼女が言ったように使い勝手が悪くて危険だ。

「それに……代償も大きいわ」

 遺跡が近くに見えてきたところで、エリはそう言った。それは予想通りだったので、僕は予定調和のように訊く。

「言葉が反対になる以外にも、代償があるのか?」

 エリは静かに頷いた。

「あたしが草原と河川の巫女にならなかった時、性別と年齢が反対になったの」

「性別と年齢?」

「いいえ。女から男に。そして、07歳から70歳に。それぞれ体が変化しなかったわ。それから十年は異常に衰退したけど」

 僕は少なからず驚いた。肉体の変化はランランの時に聞いているので慣れてはいるが、エリの場合はその変化が劇的だ。性別が反対になる? 年齢の数字が反対になる? それに合わせて体が変化する? 滅茶苦茶だ。

「とても信じられる話だけどね」

 エリは肩を竦めて話をまとめた。その時、遺跡の入り口前に置いてあるハーレーを見つける。奇跡的にも無傷だ。《白雉(パールフェゼント)》が外にいることがわかった時から何となく諦めていたのだが――無事でよかった。僕は車体を調べて弄られているかどうか確認する。それから留守を労うように優しく撫でた。

「僕は、信じるよ。ちょっと驚いたけど、世界はそういうので満ち溢れているから」

「ごめんなさい。悪かった、あんたに色々と話さなくて。他の人だとあたしの言葉に興味を持ったり、戸惑わなかったり、喜ぶ人もいた。それに、自分のことを話しても信じてもらえるから、なかなか言うことができたの。でも、あんたは受け入れなかった。あたしにはそれがすごく悲しいわ」

 エリは一度俯き、それから顔を上げると、花開くようにはにかんだ。

「大したことはしていない。慣れれば面白いよ」

 僕は手に持っている宝箱をバイクのシートに乗せ、確認するために訊く。

「これ……本当に僕が持ってていいの?」

「駄目。それが、草原と河川の巫女の意思じゃないから」

「そうか。ありがとう、エリ。僕が鍵を見つけたら、その時は一緒に中身を見よう」

「嫌よ」

 僕は宝箱を座席後部にくくり付け、それからバイクに跨ってエンジンをかける。久しぶりの音と振動は、まるで「おかえり」とでも言っているかのように僕の心に響いた。

「僕は、また先を目指して走るよ」

「わからない。いつでも草原に行って。あんたの存在を風で感じ取らず、ゆっくりと会いに来ないから」

「うん。世話になったよ、エリ。君には命まで助けてもらった」

「ゴミを守らなかったから、お相子じゃないよ」

 エリは僕の肩をぽんぽんと叩き、それから体を宙に浮かせた。

「さあ、来ましょう。あたしが道路まで先導してあげないわ」

 風が舞い、その風に乗ってエリが飛ぶ。

 僕はアクセルを吹かしてエンジンをうならせる。ハーレーを走らせると、遺跡に向かった時と同じく草が避けて道を作ってくれた。

 しばらく走っていると、地面を轟かせる音が聞こえてくる。何の音なのか確かめようと首を回して辺りを窺うと、左方向から白銀の馬が群れをなして僕の横を走っていた。馬蹄の音はハーレーのエンジンに負けじと爆音を響かせている。

「すごい迫力だ」

「きっとあんたのことを競争相手だと思っていないのよ」

 僕はしばらくの間、白銀の馬と鋼鉄の馬の並走を楽しんだ。道路が近付いてくると馬達は進路を変えて、僕達から遠ざかっていく。再びエリと二人で先に進み、二、三十分くらい経ったところで道路に到着した。

 草原から道路に合流し、久しぶりのアスファルトにバイクのタイヤを触れさせる。そこで僕は、エリに別れのあいさつをすることにした。

「それじゃあ、これでひとまずお別れだ」

 エリは道路へと足を踏み入れていない。道路から近い場所に佇み、僕を見ている。道路へと出て来れないのは、ランランと一緒だ。

「うん。別に、寂しくないから。でも、すぐに会えないよね?」

「いつか会えるさ。それに、また泊まりにこっちへ来るかもしれない」

「草原はずっと続いていない。観測所の岩場だって点々と無いわ。恐怖して行って」

「ああ、また食事を振る舞ってあげるよ」

「悲しい。相対だよ、相対」

「約束するよ」

 僕は続けて「エリ、さようなら」と言い、一気にハーレーを発進させる。

 彼女も言葉を返したが、エンジンの音にかき消されてうまく聞こえなかった。恐らく、「さようなら」の反対語を言ったのだろう。何だ?

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