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異世界ワンダーランド  作者: 真水登
1/7

その1

     1 混沌の世界

       ――イカスミ、リムジン、告白――



 私ことアーノルド・W・スタローン――間違えた、京極(きょうごく)聖夜(せいや)は人間と、人間が支配するこの世界が嫌いである。

 しかしながら私は男の本能に忠実で、性欲には決して抗うことができないでいた。中学生の女子は発育が途上の段階であり、更には、丈の長いスカートでその操を守っている。だが、高校生になると女子は自らスカートの丈を短くし、健全に発達した肢体をこれでもかと見せびらかすようになるのだ。偏見かもしれないが、その行為はまるで発情して男を誘っているようにしか見えない。

 私にとって誘惑が多き花園――否、肉林に、私はこの度進学することになった。

 入学式が終わり、今日は始業式だ。これから高校生活の三分の一を過ごすことになる者達と本格的な顔合わせになる。つまりこの日が、焔坂(ほむらざか)高等学校一年生としての第一歩なのだ。

 稲の無い乾いた田んぼが広がる風景を抜けて、大型パチンコ店が隣接する道路を北へと進む。新幹線の高架をくぐって、反り立つ(かわら)の屋根が特徴的な建物が見えたところで西に曲がる。しばらく進むと学校が見えてきた。家から学校まで十五分。

 私は自転車置き場に愛車『白銀号』を駐車して、地上に降り立つ。下駄箱までの道程はそう遠くはない。私の前にはぞろぞろと有象無象が歩いている。目障りではあるが、同じ学校の生徒達のなのだ、いちいち気にしていられない。

 と――その人混みの中で私の目を引くものがあった。

 前方六メートル先を歩いている、一人の女子の後ろ姿だ。腰の長さまで伸ばされた髪は(からす)の濡れ羽色で、歩く度に一本一本が意思を持っているかのように揺り動き、日光に照らされ輝いている。膝上十二、三センチくらいの黒のプリーツスカートから(のぞ)く脚は、イカスミのように黒いパンティストッキングによって露出がシャットアウトされていた。

 気温がまだそこまで上がっていないとはいえ、何故彼女は陽気穏やかな春先にパンティストッキングを着用しているのだろう。気になる。

 私は彼女の黒い脚を観察する。ふくらはぎにやや丸みを帯びていて、膝下は転んだだけで骨が折れてしまいそうな、そういった危うさが感じられない適度な太さだ。そして、膝上から(もも)にかけてなだらかな美しい曲線でふくらみが増している。

 太い――が、彼女が太っているわけではない。内側から溢れ出る扇情的な太さは、黒色のパンティストッキングでもエロティックさが隠し切れていない。

 私は、中学生のある時から、生足よりもタイツやパンティストッキングに包まれた足にフェティシズムを感じるようになった。

 ここで重要なのは、太さだ。丸太のような太さでもなく、だからと言って木の枝のような細さでもない。巷の女性は細い足が美の象徴とされているが、私に言わせれば、そんなものは鼻をかんだティッシュと共に捨てればいい。私の理想は丸太を十、木の枝を一とした時の五、六くらいになるが、彼女は五・六という奇跡と言っていいほど私の嗜好に直撃する太さだ。

 後ろ姿を見ただけでわかる――彼女はいい。これまで見てきたどの脚よりも美しいし、スカートの上からでも見え隠れする豊満な尻のラインも抜群だ。後ろ姿を見ているだけで私の核と言うべき部分が熱くなるのを感じる。

 何より、エロティックを醸し出しておいて彼女自身は清楚に満ちている。歩き方や髪の質感、雰囲気が高貴だ。

 三年の先輩だろうか? 確実に一年生ではないな。十五、六の中学上りがこんな後ろ姿のはずない。

 思考に(ふけ)っていると私はいつの間にか下駄箱についていて、彼女は既に上履きに替えていた。急いで私も上履きに替え、階段を上る彼女の後をつける。見上げると、最上段にいた彼女のスカートの中が見えた。一瞬だけ、黒いパンティストッキングの奥に仄かな白い輝きが、ふくよかな双丘と共に。一瞬だけでも大いに興奮した。

 私は階段を上がり、踊り場から次の階段へと向かう。が――そこに彼女の姿はなく、見失った私の失態と落胆だけが残っていた。

 悔いは残るが、同じ学校なのだから何れまた会う機会があるだろう。そう考え、私は彼女の思いを一旦置いて、二階にある一年四組に足を踏み入れる。


 教室には、黒足の彼女がいた。


 落ち着け。彼女ばかり見るな。挙動不審になるな。他のクラスメイトも見ているんだ。自然体で、私はまず机に貼られている紙に書かれた名前を見る。出席番号は五十音順だから、容易に『京極聖夜』と書かれた紙がある机まで辿り着く。

 そこは、黒足の彼女の隣だった。通路を隔ててとかではなく、机同士が接してしまうほど近い隣だ。私の席は、教壇を北と位置付けした時の南東――つまり、廊下側の一番後ろの席である。その左隣の席に、彼女は座っているのだ。

 私が席に座ると、静かに座していた彼女の目が動き、それから首が動く。私の視線と彼女の視線が一つに重なり合った。

 つり上がった目は強い意志を持っていて、鼻梁は高く、薄い桃色の唇はきつく結ばれている。凛としていて、息を呑むほどの美少女だ。気が強そうだな、と私は思った。

 視界の端には、ブレザーの上からでも強く主張している胸のふくらみが映っていた。

 ただ、視線は彼女の深く濃い瞳に固定されているままだ。

「ねえ、あなたが京極聖夜ですの?」

 眉をひそめて、彼女は訊いた。

「そうだけど」

 私は頷き、続けて何か言おうとして、彼女の名前を知らないことに気付く。

「え、えっと……」

「私の名は紫條院(しじょういん)清華(さやか)

 名前の響きまで高貴だった。私は彼女の机を見て漢字を確認し、それを改めて感じる。しゃべり方にも気品があり、声も澄んだせせらぎのようだった。

「紫條院さん……よろしく」

 好都合だ。どうやって話しかけようかと迷っていたので、彼女の方から声をかけてくれてよかった。

「私はあなたと馴れ合いをするつもりはなくってよ。全国模試一位の京極聖夜を倒すためにここへ来たのですわ」

 お近付きになろうとしたら断られ、(にら)まれた。しかし私は、言い知れぬ高揚が心に湧いてくるのを感じる。

 この挑発的な態度、私を打倒するという宣言――何て鮮烈なあいさつを。駄目だ、我慢できん。

「……貴様、もしや俺への刺客か! どこの組織の者だ! 正体を明かせ!」

 私が啖呵を切ると、私を見る彼女の目の色が変わった。

「ちょっと、いきなり何ですの? 私は去年の全国模試であなたに負けて二位に甘んじた……だから、ただ再戦したいだけですわ」

「過去の因縁があって俺に復讐をしようというのか? くそっ、俺は一体何度命を狙われればいいんだ? が、それも宿命というやつか。世界を救うのに戦いが必要というのならば、いくらでも戦おう。貴様、闇討ちをせずに堂々と宣戦布告するとはいい度胸だ。望み通り戦争をしよう」

 私は言いながら席から立って軽快に体を動かし、最後は指を下斜め四十五度に向けて、彼女を指さした。そんな彼女は、片足を失った子犬でも見るような憐れむ視線を私に送っている。

「痛々しい……京極聖夜。勉強のし過ぎで頭がおかしくなったというんですの?」

 そこで私は気付いた。またやってしまった、と。それも、私の理想の脚線美を持っている稀有(けう)な彼女に向かって。

 紫條院清華の戦意はどこかに消え――私は明らかに彼女にドン引きされていた。

 天からの助けのようにチャイムが鳴り響き、教室には担任の教諭が這入(はい)ってきた。

 私と彼女が話し合う様子を見ていたクラスメイトは、視線を私達から外して各々の席に戻った。私も席に着く。

 ちらりと横にいる彼女を見る。私の視線に気付いた彼女は、一旦こちらを見て、すぐに視線を教壇にいる教師の方へ戻した。

 挑戦的な態度を取ったのは向こうにせよ、私の対応は酷い。向こうが抱く第一印象は最悪と言っていいだろう。誤解を解くのには相当時間がかかりそうだ。

 高校生活の大事な日に、悪い癖が出てしまった。

 私は、紫條院清華の言う通り去年の全国模試で一位を取った。一昨年は九位だった気がする。普通の人よりは頭がいいと自覚している。

 だが、私は一昨年から今に至るまで――現在進行形で中二病なのだ。



 始業式の今日は午前中だけで終わった。昼食にはまだ早く、学校にも慣れていないクラスメイトも自らの所在を探っている。外が騒がしい。恐らく、部活動の勧誘で上級生達が普段見せないような姿を新入生に見せようと必死なのだろう。最初の数週間なんてハチミツよりも甘い(うた)い文句で新入生を入部させ、その後は手の平を返して奴隷の如くこき使うのだ。私はこういった部活動の勧誘を、性質の悪いキャッチセールスと同等に見ている。

 なので私の行動指針は始めから決まっており、それ(すなわ)ち帰宅である。選択肢として紫條院清華とコンタクトを取るというのもあったのだが、第一印象の悪さは尾を引くと判断し――触らぬ神に祟りなしとも言うので――、次の日に持ち越すことにした。

 私が立ち上がると、彼女もほぼ同じタイミングで立ち上がる。私は椅子を机に戻して、踵を返す。

「正門で待っていてちょうだい」

 一言、周囲に聞こえない小声で彼女は言った。

「…………」

 私は動きを止めずに教室から出ていく。しかし心の中は歓喜に()いていた。またもや向こうから話し合いの機会を設けてくれたのだ。感謝しかない。私は、ふと彼女の黒いパンティストッキングに包まれた美脚を思い浮かべる。膝から太ももへ、スカートに隠れた部分は階段で見た映像の記憶で補完。あの肉感的な脚は脂肪の軟らかさでできているのだろうか、それとも筋肉質な硬さを有しているのだろうか、感触を想像する。――何を考えているんだ、私は! 性的な視線でしか彼女を見ていないのか? 恥を知れ。

 まず、何を話すにしても私の中二病を説明しなくてはいけない。そして、そのせいで彼女に不快な思いをさせてしまったのだから、その謝罪もしなければ。

 そうとわかっていても、廊下を歩く私の口角は緩むばかりだった。下駄箱で靴に替えると、いよいよ期待が高まる。

 この学校は駐輪場と下駄箱が裏手にあり、正門が校舎を挟んだ反対側にある。どちらが正面でどちらが背面なのかは判別できない。だが、そんなのは些細なことだ。私は校舎を回り込み、正門へと辿り着く。あとは紫條院清華が来るのを待つだけだ。

 そう思って正門近くで待っていると、私の目の前に黒いスーツを着た男が二人現れた。二人とも背が高く筋骨隆々で、顔のほりは深く、目元は黒のサングラスで隠している。

 私の危機意識が働いて『逃げよう』と思った時には、既に遅かった。黒ずくめの男達は私の両脇から丸太のように太い腕を絡めて、抱え込むように拘束したのだ。

「ちょっ、何なんだよ一体! 離せ!」

 そのまま私は男達に連れられて正門から出る。そこにはリムジンが待っていた。普通の車の二倍長い車体が私を出迎えている。男達はリムジンの前まで私を引っ張り、自動で開いたドアの中に私を押し入れた。

 ドアから出て行こうとしても、鍵がかけられていて開かない。そしてこのドアにはそもそも鍵が付いていなかった。つまり私は今、リムジンに閉じ込められたことになる。

 誰が、一体何の目的で。私の拉致? だけど未だに発車されていないのはおかしい。どうなっているんだ?

 広々としたソファの真ん中に座って色々考えていると、再びリムジンのドアが開かれ、誰かが這入ってくる。

「……あっ、えっ? 紫條院、さん」

 こなれた風に屈んだ姿勢で中に這入ってきた彼女。その時――ブレザーのわずかな隙間から胸の谷間が見えた。一歩踏み出す度に胸は揺れ動き、同時に私の心も揺さぶられる。

 それは一瞬のことで、彼女は、まるでそこがいつも座っている場所だと言わんばかりに私の隣に座った。拳が一つか二つ収まる程度の間しかない。座った拍子に、彼女の体から(かぐわ)しいグレープの香りが鼻孔をくすぐる。鼻につくような香水ではなく、優雅でいい匂いのする香水だなと思った。

「私のことは清華と呼んで構わなくってよ。私もあなたのことを聖夜と呼ぶから」

 いきなり名前で呼ぶように言われる。多少の抵抗はあるものの、彼女がそれを望むのならば是非もない。清華、か。

「これは、一体どういうつもりなんだ?」

 どちらかと言えばうれしいのだが、やはり状況を説明して欲しい。そうでないと不安の方が勝ってしまう。

「あなたと話がしたくて、ご同行していただいたのですわ。どうしても学校という場は他人の目や耳があり、かつ根も葉もない噂が伝播しやすい環境ですもの」

 いつの間にか、リムジンは発進していた。車道の幅が狭い日本――それも、田舎に近いこの町――でリムジンは走れるのか疑問に思ったが、今はそんなこと問題にならない。

 車内で、私と清華が隣り合わせで座って話をする。これ以上の問題など宇宙に存在しない。

「……このリムジンは?」

「私専用の送迎車ですわ。ちなみに先程の二人は運転手とドアマン兼SPよ」

「どこに向かっている?」

「決してあなたの損にはならないところですわ」

 私は一つ息をついた。これからどこへ行くのかわからずに、清華と話を進めるしかないようだ。

「わかった。じゃあ……清華は、俺に何を訊きたいんだ?」

「あなたの発言の真意を」

 そう言うと、清華はカバンからファイルを取り出して、数枚の紙を取り出す。

「京極聖夜。十二月二十五日生まれ、十五歳。身長百七十六センチ、体重七十一キロ。一昨年の全国模試が九位、去年が一位。体力測定においても全種目で八点以上をマークするなど……文武両道ですわね」

「俺のことを調べたのかよ。その時間を使って勉強をしたらどうだ?」

「ご心配どうも。でも、調べ物は専用のハッカーに任せているから」

 それっていいのか? もしかして私のプライベート丸裸にされてる?

「それより……データから見れば非の打ちどころのない人間よ、あなたは。とても欠点があるとは思えない。だからこそ、あの意味不明な言動が引っかかるのですわ」

「いや、あれは」

 言うべきなのか? ここで私が中二病であることを告白するべきなのか?

「そう言えば、休み時間にあなたと同じ中学校だった男子に話を聞いたんだけど、あなたは中二病だとか何とか言ってましたわ。何ですの? 中二病って」

 答えろというのか? 中二病患者に中二病の説明をしろと? 地獄だな。何て言えば、清華は理解してくれる?

「調べたところ、思春期に見られる症状で、逸脱した思想や妄想を抱き、身の丈に合わない言動を繰り返す精神的な疾患のようなものですわね」

 私が迷っていると、清華が勝手に自分の見解を述べた。それは的を射ており、否定しようにも言葉が出てこない。

「俺はそんな……」

「コーヒーに砂糖とミルクは?」

「入れない。ブラックだ……はっ!」

「ほら。無理をしていますわね。ブラックコーヒーなんて十年早いですわよ」

 私は言い知れぬ敗北感を味わった。清華から顔を背けて、膝に肘を乗せて組んでいる手の指先を見つめる。少し間を置いてから、私は口を開く。

「そうだよ。俺は今でも中二病だ。あの時は、清華の言葉に触発されて、つい顔を出したんだ」

「中二病になった原因は? 勉強のストレス? それとも他に……」

「違う、そうじゃないんだ。俺は中二病になってから勉強ができるようになったんだ」

「どういうことですの?」清華が訊いた。

「中学二年の時、俺は世界の支配者になりたいと思った。言っておくが真面目な話だぞ。で……そのためには勉学を究めるべきだという結論に至ったわけだ。国語は、演説をして人心掌握するためにも、豊富な語彙(ごい)を覚えるのに必要だ。数学は、金融を支配するのに何かと学ぶ必要がある。社会は、世界情勢を熟知して、今後の活動に生かすために必要だ。理科は、科学を知って工業分野にも手を伸ばすための一歩でもある。英語は世界共通言語だから、支配者になるためには必修だ」

 熱心に話す私に、清華は冷たい視線を向けている。

「つまり……あなたは世界の支配者になるために勉強して、全国一位にまで上り詰めたというの?」

「まあ、結果が後からついてきたってだけだ。全国一位になったところで、うれしくとも何ともない。これは第一歩だ。俺が世界の支配者になるためのな!」

「ちょっと、中二病になってますわよ」

「ん? あ、ああ……すまない。やっぱり、まだ色濃く残っているんだ。それに、これが人格形成の一端になっているから、やらないと調子が狂うんだよ」

「そう。でも、まさか私が中二病に負けるなんて、屈辱ですわ。特別な勉強法でも?」

 私は首を振る。

「ない。俺は重度の中二病だったから友達がいなかった。だから単純に勉強時間が長かったんだ。それに……勉強することで支配者の道を歩んでいると、自己陶酔のような感覚になってモチベーションが無限大だった。それが要因だろう」

「それじゃあ、今は……?」

 私は少し考えてみるが、答えが出なかった。

「わからない。俺はいつからか、自分の理想が叶わないものだと気付き始めたんだ。世界の支配者になるって言っても、具体的なプランがない。ニュースで最新の世界を見れば、自分のちっぽけさがありありとわかる。そして、自分が今何をしているのかわからなくなるんだ。先が見えなくて、不安の暗闇を歩いている」

「冷めたのですわね、きっと。いえ、冷めつつあるのかしら?」

「どうだろう。ただ、最近は強く女性に惹かれるようになった」

「女性に?」清華は驚いた風に言う。「何故ですの?」

「さあ。中二病になった当初からそういう傾向もあったんだが、今では強くなっている。中学二年と三年の時はそんなことなくて、中二病で周囲を俺自身が拒絶していたのにな。通常モードと中二病モードで両極端だったんだ。だけど……最近は両方が混在するようになったんだ」

「きっと、それは精神的に成長しているということではありませんの?」

「わからない」

「ねえ、聖夜。こっちを見て」

 清華に言われて、私は自分の手から視線を外して彼女の方を向く。

「私には惹かれているの?」

 清華と目が合い、私は恥ずかしくなって目を逸らす。

「すごく。魅力的だと思っている」

 これは真実だ。彼女の美脚は素晴らしい。もちろん全体も含めてだが。

「ふん……お世辞として受け取っておきますわ」

 正直に答え過ぎて、かえってそう聞こえたのだろうか? でも――今の言葉は自分でも信じられないほど恥ずかしいものだったので、そう受け取ってもらえてよかった。

「それより、学力を落とさないでくださってよ。精神が不安定で勉強ができないあなたに勝っても、私は全然うれしくないですからね」

「望むところだ。俺が実力の半分も出していないことを証明してくれる」

「ふふ、何か慣れないですわ、中二病モードは」

「…………」

 何て返せばいいのか困っていると「到着しました」と運転手から声がかかる。

 清華に続いて私はリムジンから外に出た。彼女が言うには、私が決して損をしない場所らしいが、一体どこなのか。

 正面を見ただけでわかった――ここは私の家の前だ。

「ね? 損はしないでしょう?」

 清華は自信に満ちた笑みを浮かべて訊いてくる。

「明日登校するのに、自転車がないんだが」

「歩くのもいい運動になるわ」

 これ以上の議論は不毛だと感じて、私は清華と別れた。

 考えてみれば――紫條院清華と会話を重ねることができたのだ。

 損失なんてあるはずがない。


     2 厨二病ワンダーランド

       ――ハーレー・ダビッドソン――



 空気には暑さも寒さも感じず、湿り気も乾きもない。ただ、風だけは僕の頬を心地よく突き抜ける。自分が風になったとさえ思える爽快な気分だ。

 そんな状態かもしれない。僕は今、アスファルトで舗装された道路を走っている。足でではない、バイクでだ。フロントフォークが長く、異常に歪曲したアップハンドルという仕様の、ハーレー・ダビッドソンのチョッパーである。エンジンは胸の奥に響く重低音を奏で、僕を力強く運ぶ。

 どれだけスピードが出ているのかはわからない。僕の乗っているハーレーにはスピードメーターが無いのだ。それどころか、バイクに付いている計器類が全て無い。だから、どのくらいスピードが出ていて、僕があと何キロ走れるのかがわからないのである。体感で六、七十キロくらいだろうか。

 アスファルトの道路は、地平線の彼方まで真っ直ぐ伸びていた。走っても走っても先が続いているようで、途方もなく長い。道路は三車線分の幅がある。しかし、線は中央線の一本だけだった。対向車も見えない今――僕は道路の中央を堂々と走っている。

 空を見上げてみると、雲がまばらに浮かんでいた。それは戦闘機に見えたり、歯車のような形をしていたり、リンゴともミカンとも言えない球形だったり、様々だ。見方や考え方を変えるだけで、どんな風にも見える。

 太陽がほぼ真上から照りつけてくるが、不快感を覚えるほどではない。

 次に僕は周囲の風景を見る。

 右側の道路沿いには、サバンナのようにちらほらと木が生えているだけの荒野があり、全身赤色のコモドドラゴンが長い舌を出し入れしながら歩いていた。その少し先には、広大な砂漠がずっと先まで見えている。砂漠の先にはいくつもの高層ビルがそびえ立っていて、あの下に都市があるのだろうか、と高層ビルに思いを馳せる。

 僕は左側に視線を移す。そこは逆に緑豊かで、風にたなびく草原が僕の視界を占めていた。草原では、白銀の毛を生やした馬が何頭も競うように駆けている。馬蹄の轟く音が、ハーレーのエンジン音にも負けないくらい大きく響く。奥には道路と平行して川が流れていて、ピンクのイルカが時折水面から跳びはねていた。

 左右の風景は瞬く間に過ぎ去っていく。だが、道路と同じでその風景もまた、変わらずに先の先まで続いている。アクセルを吹かして速度を上げても、移ろいでいく風景が速くなるだけだ。右側では赤いコモドドラゴンが舌を見せ、左側では白銀の馬達が競争をし、ピンクのイルカが泳いでいる。

 僕は目に映る不思議な光景を一旦頭から外した。

 僕はいつからかこの道を走り続けている。しかし、いつこの道を、一体どこから、どのようにして、何故走っているのか――僕は忘れてしまった。理由なく、ただひたすら走り続けている。なのにどういうわけか、先を進み続けなければならないという絶対的な意識はあるのだ。引き返そうと思ったことがない。それに、後ろにはさっきまで通ってきた道があるだけで、その道もまた地平線の遥か先まで伸びている。引き返そうにも、行き着く先に何があるのか不確かだ。バイクのガソリンが持つのかどうかも定かではない。どうせ不確かなら、先を進んだ方がどこかに辿り着く可能性はある。

 問題は、今ここがどこなのかだ。ハーレーの後部には大きい荷物がロープでくくりつけてあり、僕が旅をしているのはわかる。だが、この道がどこまで続いていて、どこに行こうとしているのかがわからない。僕にはハーレーでこの道を走る以前の記憶がすっぽりと欠落していた。どれだけ記憶を辿っても思い出せれない。

 その手掛かりを探すためにも、僕は先の見えない道を走り続けている。

 だが、それも悪くないと思った。ただひたすら続く道路を、速度の制限も関係なく一人でぶっ飛ばす。天候にも恵まれていて、僕は気分が乗り、ステッペンウルフの『ボーン・トゥ・ビー・ワイルド』を口ずさんだ。



 しばらくすると、人が道を(さえぎ)るように立っているのが見えた。僕は速度を落として手前で止まる。立ち塞がっていたのは五人の男達で、凶悪な格好だった。男達は青龍刀のような分厚い剣や、木を伐採するのに使う大きな斧を持っている。ファッションの欠片もない刺々しい服や装備を身にまとい、赤色のモヒカンや緑色のリーゼントなど派手な髪型をしていた。男達は一様に下卑た顔で僕を見ている。

「悪いが、お前には死んでもらう」

 男の一人が言った。その発言には驚いたが、どういうわけか僕はそれを冷静に受け止めている。

「何故だ? お前達は一体何者なんだ?」

「俺達は《白雉(パールフェゼント)》の一員だ。どうしてもお前には死んでもらう……覚悟!」

 男達は一斉に襲いかかってきた。

 僕の体は自然と動く。ハーレーから降りて、座席後部にある、複数のバッグが集合した荷物の中から一つのバッグを開ける。手に取りやすい位置にあったある物を引き出す。

 それは拳銃――S&W M500という大型リボルバーだ。僕は、理由はわからないがこの拳銃のことを知っている。その扱い方も。

 右手を伸ばしてグリップを強く握り、左手を右手に添える。右足を引いて半身の体勢にし、両脇を締めた。撃鉄を起こして狙いを定め、引き金を引く。耳をつんざく銃声が鳴り響き、反動で腕が跳ね上がる。

 銃弾を喰らった男は、巨大なドライバーで突き刺されたかのように、胸に大きな風穴を開けた。そのまま力なく後ろに倒れる。

 僕は立て続けに四回、撃鉄を起こして狙いを定め、引き金を引くという作業を繰り返した。男達は銃弾を喰らう度に肉片をまき散らし、巨人の手で張られたかのように勢いよく吹き飛んだ。

 ものの十秒の間に、僕は五人の男を撃ち殺した。何とも不思議な感覚だ。どういうわけか、僕はこういった人達に対抗する術を知っていた。

 命を狙われているのに冷静でいられたし、《白雉(パールフェゼント)》なる組織の名に聞き覚えがあるし、拳銃がある場所を知っていたし、その使い方も知っていたのだ。

 僕は、一体何者なんだ?

 いくら考えたところで思い出せない。僕は拳銃S&W M500をバッグに戻し、ハーレーに(またが)ってエンジンをかけると、すぐにアクセルを吹かして発進させた。音と振動がシートから腰に伝わってくる。男達の死体を踏まないように避け、赤黒く染まるそれらを尻目に僕は先に進んだ。



 雲行きが怪しくなってきたと思ったら、すぐに水滴が落ちた。そして、それは瞬く間にプールの水をひっくり返したかのような豪雨へと変貌(へんぼう)する。更には強烈な風が吹き、雨を乗せて僕に襲いかかってきた。

 僕が着ている分厚いジーンズも革のジャケットも全てずぶ濡れだ。荷物はカバーをかけてあるから心配ないが、合羽(かっぱ)を持っていない僕はどこかで雨宿りをしなければならない。そう思い、僕は辺りを見渡す。

 道路の左側の草原地帯は、風雨を防げるような場所が一つもない。白銀の馬達は雨から逃げるように走っていた。輝く毛並も今は濡れて体に張り付いている。イルカ達は、濁流になりつつある川の流れに逆らわず泳いでいた。

 僕は道路の右側の荒野地帯に目を移す。何の木か知らないが、人一人が雨宿りするには十分だろう。僕は横道を逸れて荒れた道を走る。バイクのサスペンションでも衝撃を逃がし切れず、腰に次々と振動が走った。木陰に入ってハーレーから降りる。木の隙間を()って大きな水滴が垂れてくるが、土砂降りをもろに喰らうよりは断然マシだった。

「はあ~。いつになったら止むんだろう、この雨」

 雨に濡れて冷たくなった体を震わせながら、僕は一人つぶやく。空を見ても、墨で塗ったかのような曇天だ。止みそうな気配は見られない。

 気長に待つか、と思ったその時――僕の正面に赤いコモドドラゴンがいた。降り注ぐ雨を受けても微動だにせず、僕のことをじっと睨んでいる風にも見える。

『他所者、ここから出ていけ』

「えっ? 何だ、今の」

 一瞬、赤いコモドドラゴンから声が聞こえてきた気がする。もう一度耳を澄ませてみると『出ていけ』と、どこから声を出しているのかわからないが、はっきりと聞こえた。

 雨音が偶然そう聞こえたとかいうものではない。どうしてしゃべっているんだ、という疑問が浮かぶ。だが、考えている暇はなかった。

 言い終えた赤いコモドドラゴンは、四本の足で僕の方に這い寄ってくる。

「ちょっと、待ってくれ。僕はここに雨宿りしに来ただけで……」

『喰い殺されたくなければ早々に立ち去れ』

 舌を動かしながら這い寄ってくる赤いコモドドラゴンに釈明をするが、聞く耳を持ってくれなかった。

 僕は身の危険を感じて、バッグから再びS&W M500を取り出す。撃鉄を起こし、狙いを定めて撃つ。銃弾は肩口を(えぐ)ったが、それでも、四メートルの巨体は動きを止めない。続けて五発連射して、ようやく赤いコモドドラゴンは力尽きた。

 そこでふと、僕は違和感を覚えた。

 撃った銃弾が一発多い。

 S&W M500は、五十口径という大型故にリボルバーであっても装弾数は六発ではなく五発だ。なのに僕は、リロードもせずに六発撃っている。それどころか、少し前に五人の男を射殺した時も、撃ったっきりでリロードをしていなかった。

 僕は慣れた手つき――何故か手が自然と動く――で、弾薬が収められているシリンダーを横に出す。そして、適当に一発を取る。それは撃ち終わった後の薬莢(やっきょう)ではなくて、先端に弾丸まで付いた完全な弾薬だった。

 元に戻っている? いや、既にリロード済みなのか? 違う、どちらもあり得ない現象だ。これじゃあ、何発も撃てることになる。

 僕は頭を傾げて考えるが、諦めてその弾薬を装填し直し、シリンダーを元の位置に収める。それから、拳銃の全体を矯めつ眇めつし、銃身に彫られた刻印を見つけた。口に出して読んでみる。

「えーっと……《Smith & Wesson M500 MUGEN》。ムゲン?」

 刻印の最後には『∞』が刻まれていた。僕はそれを見て胸が高鳴る。次に拳銃をひっくり返して裏側を見た。そこには《Unlimited Bullet Works》の文字が。

「まさか、これは無限マグナムだっていうのか?」

 弾切れを起こさずに、ずっと撃ち続けることができる夢のような拳銃。

 どうしてそんなものがあるのか、どんな原理なのか、何故それを僕が所持しているのか――疑問は尽きない。しかし、今はそういった疑問を考えている暇はなさそうだった。

 僕が雨宿りしている木の周りに、次々と赤いコモドドラゴンが集まってきたのだ。

 更に、追い打ちをかけるように天候が悪化し、雷が鳴り始めた。

 まずい。このまま木の近くにいたら、雷が木を伝って僕に落ちてくる。

 雷が鳴り響く中で木の下にいることの危険性を知っている僕は、すぐさま離れることを決意した。ハーレーに跨り、エンジンをかける。状況を観察して、比較的赤いコモドドラゴンがいない場所を見つけ――S&W M500を連射した。

 頭や足を吹き飛ばされて(ひる)んだ隙を逃さず、僕はハーレーのアクセルを吹かして一気に包囲網から抜け出す。

 ほっとしていると、目の前が真っ白に光った。同時に空を切り裂く強烈な音が振動と共に響く。十数メートル先の木に雷が落ちたのだ。

 僕はブレーキをかけてバイクを止める。まばゆい閃光の影響で目がくらみ、しばらくの間何も見えなかった。何度か瞬きをして回復を待つ。

「ふう…………えっ!?」

 視力が回復してから、落雷を受けて煙が立っている木を見る。一度視線を外しかけて、視界の端に何か動くものが映ったので二度見し、僕は驚愕した。


 木の下には、少女がいたのだ。


 こんなところに少女が? いや、それよりも落雷をもろに受けた? 何か、平然と立っているけど。まさか、立ったまま?

 僕は再びハーレーを走らせて、危険を承知で少女が立っている木まで近付く。すると、信じられないことに、少女は僕の方を見た。生きている。つまり、さっき視界の端で動いていたのは少女だったのだ。

 とりあえず少女が生きていることに安堵した。だが、鳴り止まない雷に、まだ危機を脱していないということに気付かされる。

「君……早く木から離れるんだ!」

 僕は少女に呼びかけるが、少女は首を振った。また激しい光と同時に轟音が聞こえる。近くの木に雷が落ちたのだ。このままでは、少女の近くにある木に再び落雷が来るかもしれない。それに――。

 僕は後ろを振り返る。そこには、赤いコモドドラゴンの群れが近くにまで迫っていた。ここで立ち止まっていたらやつらに喰われてしまう。少女の目にもこの赤いコモドドラゴンの群れが見えているだろう。どうして木から離れることを拒むのか。

 そう思いながら、視線を少女に戻す。

「てきにちっこ」

 少女は僕に向かって言った。しかし、何を言っているのか意味不明だ。

「はあっ? 何だって?」僕が訊き返す。

「てきにちっこ、くやは」

 何を言っているのか理解できなかったが、少女は、今度は手招きをしながら言い、踵を返して走り出した。

 ついて来いってことなのか? でも、一体どこに行く気なんだ?

 少女の走るスピードは速く、陸上選手並みだった。迷っている暇はない。すぐ後ろには赤いコモドドラゴンの群れが迫っているのだ。

 僕はハーレーを走らせて少女に追い付き、その行く先を見る。

 先に見えるのは砂漠だったが――何故か砂漠だけ雨が降っていなかった。ある場所から雲が切れていて、こちらと向こうではっきりと明暗が分かれている。

 こうして僕は、雷と共に現れた少女と一緒に雨の荒野から脱出した。

 太陽が見えて、僕はゆっくりと息を吐く。そして、雷と赤いコモドドラゴンの群れから救ってくれた少女に「ありがとう」と言って感謝をする。

 少女は手を振り、笑顔で返してくれた。

「てしましたいーど」

 ただ、少女の言葉は何回聞いても意味不明だ。

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