力 -ストレングス-
前回の続きです。
とんとんとん。
街の中にでんと建つ、大きな大きな屋敷の扉を叩く者がありました。
その人影は二人。一人は白髪と海色の瞳を持つ美少年。その傍らに頭一つ分くらい背の低い女の子。長いローブのフードを被って顔を隠しておりますが、袖からちらりと出た手は浅黒く見えます。汚れている、というわけではなく、地色のようです。
まだ完全に夜というわけではありませんが、人が出歩くには少々薄暗いこの時間に、荷車を引いていたらしい二人の姿は何とも奇妙でした。荷車の[行商人 サファリ=ベル]の看板を見るに商人のようですが、それが尚のこと奇妙です。商いをするにはもう遅い時間ですから。
そんな二人の前の扉がきぃ、と小さく開きました。中から鶯色の髪が覗きます。少年より少し背の高い気のする女性が、夜に染まり始めた空と同じ色の目で少年の姿を認めます。
瞬間、ぱあっと女性の表情が明るくなりました。
「サファリくん、久しぶり!」
「こんにちは、ツェフェリ」
ツェフェリと呼ばれた女性が扉から出てきて、少し興奮気味に少年──サファリの手を取り、ぶんぶんと握手しました。彼女の勢いにサファリは苦笑いします。
あれ、とその光景を傍らで眺めていた女の子は首を傾げました。サファリと握手するエプロン姿のツェフェリの目、先程は今の空と同じ藍色に見えたのに。
「夕暮れみたいな……オレンジ?」
女の子が小さく疑問を声にするとツェフェリはん? と女の子の方に目を移しました。すると目の色はきらりと緑色に変わり、女の子は混乱します。
「キミは?」
ツェフェリはきょとんとして問いかけました。
女の子は恐々と答えます。
「わ、わたし、は、アルジャン」
「ちょっと訳ありなんだ。一緒に泊めてもらえないかな?」
サファリの言葉にツェフェリはこくりと頷きました。
ひゅう。
風が突然、三人の間を抜けました。そのせいか、アルジャンのフードがふわりと落ちます。
黒髪、黒目、そして黒い肌。
現れたそれらにツェフェリは納得を示しました。
「さ、早く中へどうぞ」
ツェフェリは優しく、アルジャンの背中を押し、中に入りました。
通された先は大広間、というと過剰表現かもしれませんが、少なくともアルジャンは目にしたことがないほどの大きな部屋でした。
白で統一された色調は清潔感が漂います。アルジャンは慣れない様子できょどきょどと辺りを見回していました。
なんとなく、自分の姿に目を落とします。粗末なローブ、黒い肌。白で調えられた部屋にはあまりに不釣り合いな気がして、アルジャンは縮こまりました。
そこへ盆を持った青年が入ってきます。鳶色の髪、鳶色の瞳の青年は背が高く、だからといって周りを見下ろすような感じのない、穏やかな雰囲気を纏っていました。
青年の持つお盆からは清涼感のある香りが漂ってきます。
「ジャスミンティーです。どうぞ」
丁寧な手つきで青年はアルジャンの前にカップを置きます。爽やかな香りがすんとアルジャンを抜けました。
隣に座すサファリは貴族かと見紛うほどの優雅な所作で一口、紅茶を飲んでいます。アルジャンも見よう見まねで一つ口をつけました。
「おいしい」
アルジャンの一言ににっこりと微笑み、青年は皿を差し出します。
「クッキーもどうぞ」
勧められるままにぽり。少し辛いのですが、それがくせになるというか。アルジャンはぽりぽり、と二枚目、三枚目に手を伸ばします。
「アルジャンすごいですね。ジンジャークッキー平気なんですか。僕は辛くてだめなんですよ」
「味覚も見てくれもいつまで経ってもおこ」
「このクッキー目潰しにちょうどよさそうな大きさですね、サルジェさん」
「やめろ、サファリ! 食べ物を凶器にするな」
アルジャンは食べ進めながらそんな二人の軽口の叩き合いを眺めます。
なんだか、現実感がありません。サファリについて、この屋敷にやってきたアルジャンは、まだ差別のない空間がふわふわとして現実味のないように思いました。けれど、青年サルジェも、玄関で会ったツェフェリもアルジャンの容姿に何か言うことはありませんでした。
ぼーっとアルジャンが空を見つめて不思議に思っていると、今度は鶯色の髪の女性が入ってきます。ツェフェリです。彼女もまたお盆を抱えていました。
「スコーン焼けたよー」
「わぁ、これは嬉しい」
「なんだその露骨な態度の違いは」
言葉どおり嬉しそうなサファリをサルジェが軽く小突きます。そんな二人はさておき、ツェフェリはアルジャンにスコーンの皿を差し出しました。
「アルジャン、どうぞ」
「あり、がとう……」
笑いかけるツェフェリの目は今は金色に揺らめいています。アルジャンがスコーンを頬張る姿を見つめる瞳はなんだかとても楽しそうです。
「どうして……わたし、黒いのに、何も言わない……の?」
アルジャンが躊躇い気味に問いました。ツェフェリはくすりと笑って答えます。
「黒いも白いも関係ないよ。ボクは女の子のお友達ができて嬉しいな」
「とも、だち?」
「うん! アルジャン、友達になろう」
普通、順番が逆では、というツェフェリの台詞回しでしたが、アルジャンは戸惑いながらも嬉しくて、迷わずうん、と頷きました。
その夜は、サファリはサルジェの部屋に、アルジャンはツェフェリの部屋に泊まることになりました。
ツェフェリはアルジャンに簡単に身の上話をしました。ツェフェリは光の加減によって様々な色に見える目のために、かつてある村で神様みたいに奉られていたと言います。差別ではなかったけれど、"ヒト"という枠組みからはみ出たような扱いは少し寂しかった、と語りました。そんなツェフェリの今の瞳は紫に翳っています。
続いて、よかったらアルジャンの話も、とツェフェリは促しました。アルジャンは少し俯いて、ぽつりぽつりと語り始めます。
「わたし、お父さんもお母さんも、白い肌の人で……不義の子って、親から嫌われた。街のみんなからも、黒い肌は穢らわしい、不浄だって……死んでしまえ、と言われたこと、あった。でも、色んな仕事をするならって、許してもらって。道の工事、汚水の始末、炭鉱掘り、墓守……色々、やった。でも、でも……疲れて、逃げ……うぅっ」
泣き崩れるアルジャン。そんな彼女をツェフェリは優しく抱きしめました。
頭を撫でながら言います。
「一人でずっと、頑張ってたんだね。苦しかったね、辛かったね、疲れたよね。よく耐えてきたね。……キミはすごく、強い人だ」
ツェフェリの囁きにアルジャンはばっと顔を上げ、大きく頭を振ります。
「わたし、強くない! 弱虫って、ひょろっちいって、いっぱい言われた。力がなくて、役立たずって……叩かれた……」
ツェフェリの表情に痛みが走ります。けれど彼女は落ち着いた声で応じました。
「キミは強い人だよ。力には、色々あるんだ。体力や暴力みたいな力も強さの一つではあるけど、それよりもっと大切な力がある」
言うと、ツェフェリは作業机の隅にあったカードに手を伸ばします。その中から、一枚のカードを選び、アルジャンに示しました。
ライオンを抱きしめる少女の絵──タロットカードのナンバーⅧ[力]です。
「これは」
見覚えがあります。サファリがアルジャンのために展開した[三つの運命]の[サファリと行く場合]で出たカードです。
なんとなく、絵の雰囲気も似ています。
「ああ、あれはね、ボクが初めて描いたタロットカード。サファリくんが買い取ってくれたんだ。活躍してるみたいだね」
嬉しい、とツェフェリは笑いました。
「ツェフェリは、タロットカードを描いてるの?」
「うん。みんなに幸せな占いが届くようにね。キミにも届けられたなら、嬉しい」
でね、とツェフェリは[力]のカードに目を戻します。アルジャンもつられて視線を落としました。
「このカードは獰猛な獣を女の子が恐れることなく抱きしめてる。色々な解釈の仕方があるけど、主に[心の強さ]を表しているんだ。[力]っていうとどうしても体力や暴力とかを思い浮かべちゃうけど、一番大事なのは、心なんだよ。
だから、どんな仕打ちにも耐えてきたキミの心は強いんだ」
そう言ったツェフェリの言葉がアルジャンの胸にじわりと染み渡りました。
翌朝、屋敷から街に出ようとしたサファリを呼び止める者がありました。アルジャンです。
「サファリ、わたし、ツェフェリのところで絵の勉強する」
「おお」
サファリは驚きましたが、にこやかに快諾します。
「君と一緒に商いも悪くないかと思いましたが、うん。確かに商人よりは絵師の方がきっといい。君は自由なのですから、好きなことをやって、幸せになってくださいね」
「はい!」
アルジャンの笑顔に見送られて、サファリは街へ商いに出て行きました。
アルジャンはアルジャンの道を歩む。それが一番の道でしょう。
[三つの運命]で一番いい結果が出たのは[その他の場合]なのですから。
サファリの旅は続きます。
[力]
ナンバーⅧ
基本的な絵柄→ライオンを抱きしめる少女
カードの持つ意味→精神的な力。獰猛なライオンを抱きしめる少女の姿は人間が感情を制している様子という解釈もあり、理性という意味を持つ。ゆえに逆位置だと理性が効かなくなった状態として、感情の意味を持つ。




