戦車 -チャリオット-
しくしくしく。
ある森の片隅で静かに泣く女の子が一人。身の丈に合わないのではというほど長いローブで、フードもすっぽり被っているので表情はわかりませんが、時折嗚咽のようなものが漏れ聞こえます。
そこにからからと荷車を引く少年が一人通りかかります。雲みたいに白い髪に海のような瞳を持つ変わった容貌の少年でした。
少年はふと足を止め、女の子に近づきます。
「どうしたんですか?」
細波のような声で女の子に問いかけました。女の子は俯けていた顔を上げ、少年を見ました。はらりとフードが落ち、少年は現れた顔にはっと息を飲みます。
「おうちわかんなくなっちゃった……」
女の子は黒い髪の合間から黒い瞳を覗かせて言います。その黒い瞳にはうるうるとしたものが湛えられ、幾筋か黒い肌を伝っていきました。
少年は何かを言いたげに口を開きかけますが、きゅ、と引き結びます。
少し考えてから、荷車から手を離し、女の子の傍らに腰掛けます。改めて口を開きました。
「おうちがあるのはどんな街ですか?」
少年が細波の声で優しく問いかけますが、女の子は答えず、首をふるふると横に振ります。また目尻に溜まった涙が溢れ出て、少年はよしよし、と女の子の頭を撫でるに留めました。
しばらく沈黙が続きました。少年は何も言おうとしない女の子に何も聞きませんでした。ただずっと、隣にいます。
女の子はそんな少年が不思議でした。荷車を見ると[行商人 サファリ=ベル]とあります。おそらくどこかの街に向かっていたのでしょう。日も傾いてきて、森の木々の合間から零れる光はオレンジに変わりつつあります。日暮れ前に街で宿を見つけないと野宿です。
「お兄ちゃん、引き留めてごめんなさい。街、行って」
女の子は少年にそう言いました。けれど少年は首を横に振ります。
「こんな森に可愛い女の子を一人にしておくなんてできません。僕は野宿でもかまいませんが、君さえ良ければ、僕の知っている街に一緒に行きませんか?」
街、と聞いて女の子の肩がびくんと震えます。
「で、でも、わた、し……」
女の子は怯えながらも本心を紡ぎました。
「わたし、街、行きたくない……怖い……」
「……差別、ですかね」
少年の呟きに女の子は驚きます。
「なんで知ってるの?」
聞き返してきた女の子に少年は悩ましげに眉をひそめて答えました。
「僕は行商人ですから、色々なことを風の噂に耳にします。この近くの街には[黒人差別]があるというのも聞きました。君のように肌の黒い人を虐げる街があると」
「お兄ちゃんは、変って、思わないの?」
女の子が透明な黒い眼差しで海色に問いかけます。少年はどうしてですか? と問い返しました。
「僕は商人ですから。商品を買ってくださるお客様に黒も白もありませんよ。……それに」
少年は頬をぽりぽりと掻いて、どこか恥ずかしげに告げました。
「僕の父さんも、黒人だったんです」
「ええっ?」
女の子は驚きました。目の前にいるのはふわふわとした白い髪と同じくらいに真っ白な肌を持つ少年だったからです。その父親が黒人とは俄に信じ難いことでした。
少年は本当ですよ、とはにかみます。
「君と同じで黒い髪、黒い目、黒い肌……僕とは全然似ていないでしょう? 親子といっても、僕は拾われっ子でしたから」
「あっ……」
女の子が言葉を失います。気にしないで、と細波の声は微笑みました。
「でも僕にとって父さんは僕の父さんです。見も知らない僕を赤ん坊の頃からずっと育ててくれたんです。感謝してもしきれません」
「そうだったんだ……」
「で、そんな僕の知り合いがいる街ですから、大丈夫だと思いますよ。行ってみますか?」
少年の説明の後押しがあったが、女の子はいまいち気が向かないようで、俯いて黙り込んでしまいます。少年が嘘を吐いているとは言いませんが、女の子は出会ったばかりのこの少年を完全に信じきることができませんでした。
それほどに彼女に向けられた差別は根深いものだったのでしょう。少年は察してごり押しはしません。ただ、何やら箱を一つ開け、カードを取り出しました。
鮮やかな手さばきでカードを切っていきます。ある程度切ると、一旦カードを女の子に預け、荷車に何かを取りに行きました。
女の子は好奇心からカードの中身を覗きます。馬車の描かれたカードが一番下にありました。
ほどなくして少年は戻ってきました。荷車から折り畳み式のテーブルを引っ張り出してきたようです。テーブルを広げると、女の子からカードを受け取り、再び切りました。
「ちょっと占いしませんか?」
「占い?」
少年の唐突な提案にこてんと女の子は首を傾げます。
「これはタロットカードと言います。占いをするカードです。僕は少しばかりこのカードで占いの真似事をできるんです。占いといっても、あまり具体的なことは言えない、気休め程度のものですが、それでもよろしければ」
「でも、占うって……何を?」
「君のこれからを。そうですね、[三つの運命]なんていかがでしょう? 君がこの先選ぶ三つの選択肢からどれが最良かを見るんです。
選択肢は……
一つ、元の街に戻る。
一つ、僕と一緒に行く。
一つ、その他の道。
といったところでしょうか」
少年が示した三本指を女の子はきょとんとした眼差しで見つめます。
「最後の、[その他の道]って?」
「自分で旅をするんです。他にも、この森に定住しちゃうとか、可能性はたくさんありますね。君は今のところ、どんな風に考えていますか?」
少年の問いに女の子は少し悩みます。けれどわりとすぐに答えました。
「あの街じゃないどこかに行きたい」
「そうですか。では」
少年はテーブルに広げて混ぜていたカードを一まとめにします。
しゃん
手首のブレスレットが涼やかな音を立てて揺れます。女の子は思わず息を飲みました。
少年の横顔が研ぎ澄まされたように鋭く──いっそう美しく見えたのです。
カードの山を三つに分け、一つに戻し、少年はカードを女の子に渡しました。
「では、自分がこの先どの道を選べば幸せになれるのか、と願ってください」
戸惑いながらも女の子はカードを受け取り、一心に祈りました。
わたしは、どうすれば幸せになれますか?
「そうしたら、先程僕がやったのと同じように山札を分けて、戻してください」
「こう?」
見よう見まねでカードを三つに分け、戻します。
少年は頷いて、女の子からカードを受け取りました。女の子を自分の側へ手招きします。
「今から展開しますが、タロット占いを見るときは同じ方向から見るといいんですよ」
説明しつつ、少年は左手前に五枚重ね、上に、一枚、一枚と二枚連ねます。それを右隣、更にまたその隣にと繰り返し、最後に残った一枚を脇に置きました。
「解釈を始めます。左側から[元の街に戻る場合][僕と行く場合][その他の道]になっています。手前から[現在][未来][最終予想]です。
まずは[元の街に戻る場合]から順に見てみましょうか」
少年が開いた一枚目は大きな塔が雷に打たれて崩壊している姿。[塔]である。
「[塔]は崩壊を示します。災害、予期せぬトラブル……君は差別を受けていたわけだから、自分の意思とは関係なく、厄介事によく巻き込まれていたってところかな」
「……合ってる」
女の子がぽつりと呟きます。
さて、少年が次に開いたのは[戻る場合]の[未来]。出たのは[月]です。夜空に浮かぶ月を犬が二匹と池から出てきたザリガニが見上げています。
「[月]のカードは夜の暗闇の中、光を求めてさまようような不安を表します。きっと、戻ってしまったら、今まで以上に不安な日々が続くのかもしれませんね。
そんな選択肢一の[最終予想]は──[審判]の逆位置。よくないですね」
天使が空でラッパを吹き、それを聞きつけて穴から人が出てくる、という復活の場面を表す[審判]のカードは逆さまで出ました。
「悪い意味でもう戻れない、だろうね」
女の子はその結果に何も言いません。予想はできていたのでしょう。
迷子の子どものように幼く儚く見えた彼女ですが、街から逃げたのはそれなりの覚悟があったに違いありません。
少年は次に[少年についていく場合]の列に手をかけます。
[現在]に出たのは[法王]です。
「ひとまずほっとしたって感じかな。こんな森の中、人に会えなければ生きた心地はしないかもしれませんね」
実際、この森は獰猛な獣などは住んでいませんし、危険な植物はほとんどありません。よほどでなければ生きていけますが、何も知らない女の子からするとやはり一人というのは心細いでしょう。
少年に出会ったことで精神的に安定を得られたのです。
続いて開かれた[未来]はライオンを抱く少女[力]です。
「これは文字通り力があることを示すカード。力といっても腕力とか暴力とかの力じゃなくてね、心の強さの方を示すんだ。君にはそれがあるから乗り越えていけるよ。
さて、[最終予想]は」
「が、骸骨……」
出てきたおどろおどろしい姿に女の子は顔をひきつらせます。言わずと知れた[死神]──の、逆位置。
「逆さまだから、悪い意味じゃないよ。[死神]は死の他に物事の終わりや停滞を表す。逆だと、今までのことは終わって新しい道が始まるってとこか。まあ、悪くない結果だね。
さて、可能性の広い[その他]に行って見ようか」
[現在]は[愚者]。考えてもみなかった新たな可能性に気づいたこと、少し希望に似た感情も入っているでしょう。
[未来]は[悪魔]の逆位置。悪縁を断ち切った生活ができるかもしれません。
[最終予想]は他のものよりわかりやすく──さんさんと照らす太陽の下、笑う男の子[太陽]です。
「[太陽]は純粋に幸せを意味するカードだよ。二番目の選択肢は[悪くない]だけど、これはこの中で一番[いい]選択肢かもね。
さぁ、どうする?」
「あの……最後の一枚は?」
女の子は脇に避けられた一枚を指します。最後の一枚だったので余っただけかもしれない、と思いましたが、少年はあっと声を上げてめくりました。
「忘れてた。これは全体を通して鍵になるカードだよ。結構重要だね」
「あ、さっき見た」
女の子はそのカードを見て、小さく声を上げます。先程カードをちらりと覗いたときに見た馬車のカードです。疾走感のある馬車を鎧を纏った勇ましい騎士が見事に操っている様子が描かれています。
「どんな意味?」
「これは物事が勢いよく進む様子を表しているカードだよ。果敢に立ち向かい、スムーズに事を進める。正位置だからいい意味かな。
他にもこの様子は敵地にいる味方を助けに行く様子という話もあるから、[味方]という意味もあるんだ。君が味方を手に入れることが重要って意味なのかもしれないし、味方の方からやってくる、味方に恵まれるとも捉えられる」
「味方」
呟き、女の子は少年を見上げました。
「じゃあ、お兄ちゃんについていく」
「おや、どうして?」
少年が訊ねると女の子は[太陽]の男の子にも負けない弾けんばかりの笑顔で言いました。
「お兄ちゃんはわたしの味方だと思うから」
[戦車]
ナンバーⅦ
基本的な絵柄→馬車、もしくは馬を御し、乗りこなしている人物。
カードの持つ意味→物事が勢いよく進む様子。敵地に向かう姿を描いていることから味方を意味する。




