恋人 -ラバーズ-
静かな森の夜。その中にひっそりと一台の荷車がありました。木の板の看板があるようですが、今は裏返してあります。
その傍らで、夜の中にも映える真っ白い髪の少年が眠っていました。いささか無用心……にも見えますが、荷車と自分を丈夫な縄で繋いでいるあたり、抜かりはないのでしょうか。
荷車には大きなカバーがかけられています。どういうものが積まれているのかはわかりませんが、盗賊が出たらどうするつもりなのでしょう。
耳を澄ますと、何やらひそひそと話し声が聞こえます。盗賊でしょうか。
「ふん! ぼくたちはもうこんな主なんてごめんだね」
「そうよ、そうよ。ツェフェリちゃんが心を許してる相手だからついてきたけどもう耐えられない。こんないかさま占い師のところにいたら、タロットカードとしての尊厳が損なわれるわ。出てく!」
「ちょっと、待ってください、[恋人]!」
「ふ〜んだっ! いくらフウちゃんの言うことでも、今回ばかりは聞けないよ!」
「そ。みんなも、早くこんな主見限っちゃえばいいんだよ」
「「じゃあね〜!!」」
「ああっ、[恋人]!」
どうやら、少年が膝に抱えているタロットカードの声のようです。不思議なことですが、このタロットカードたちは喋るようですね。
それはいいとして、話の内容がなんともただごとではない様子を窺わせます。
察するに、タロットカードのナンバーⅥ[恋人]のカードが脱走しようとしているようですね。フウちゃん──ナンバーⅩ[運命の輪]が必死に止めますが聞く耳持たず。
ところで、カードなので自力では動けないはずの彼ら、一体どうやって脱走するのでしょう?
すると、風が一つ、ひゅうと吹きました。それが合図であったかのように、タロットに添えられていた少年の手がすとんと落ちます。弾みで一番上にあったカード[恋人]が地面に落ちました。そこへここぞとばかりにもう一風。[恋人]は勢いよく飛ばされていきます。
「みんな、元気でね〜」
呑気な声で[恋人]が遠ざかっていきます。次第に仲間のタロットも少年も荷車も見えなくなっていきました。
「ああ、なんて心地よい風なの!」
「本当、あのいかさま占い師から解放されたからか、いつもより爽やかだね」
風に揺られながら、[恋人]の中に描かれた二人の男女が語り合います。
二人はかつて、他のタロットたち共々、別な持ち主の元にいました。ツェフェリという、今、タロット絵師として名の売れてきた少女です。故あって、タロットたちは彼女の元を離れ、先程の少年を主とすることになりましたが、その紆余曲折はまた別のお話。
先程の彼は行商人として旅する傍ら、時折タロット占いもする占い師でした。
しかし、その占い方が[恋人]の二人には許しがたいものだったのです。
「思えば、初めて見かけたときから、あれはやな奴だった」
「うんうん、いくら残酷な結果だからって、解釈を逆さまにするなんて、占い師の風上にもおけないわ」
「奴には占い師としてのプライドってのがない」
占い師は占いを当ててなんぼ、とこの二人は思っています。何せ、かつての主ツェフェリは彼女が作ったタロットの占いが当たらないから、タロット絵師として世の中から認めてもらえなかったのです。
まあ、そのことに関してはタロットたち自身が「ツェフェリ以外に仕えたくない」と思っていたからというのもありますが。
そんなことは棚に上げ、二人はぶつくさと続けます。
「昨日の街でのあれは特に許せないわ」
「女の子を泣かせたあれだろう? あれは占い師の風上どころか、男の風上にもおけやしない。完全に見損なったね」
[恋人]の二人はこう言いますが、果たして昨日、何があったのでしょうか。
時を遡ります。
昼間、たくさんの人で賑わう街の片隅で、白髪の少年が日用品やら何やらと売り捌いておりました。
人の多いこの街では商品が見る間に売れていきます。商売繁盛何よりです。
そんな少年のところに、同じくらいの年頃の少女が近づいてきました。抜き足差し足、恐る恐るといった体です。少女はぼろぼろの粗末な衣服を纏っている貧しそうな子でした。
「どうしました?」
少女に気づいた少年は、客がある程度引いたところだったので、声をかけました。
「何かご入り用ですか? 大抵のものなら何でも揃うと自負していますよ」
いつもの売り込み文句をすらすら述べます。少女はちょっと遠慮気味に「いえ」と囁くように言いました。
「ごめんなさい。わたし、お金がないんです」
「そうですか。ではこの飴、お一ついかがですか? もちろんお題はいりません」
申し訳なさそうに言う少女をさすがに可哀想と思ったのか、少年は懐に忍ばせていた飴玉を少女に渡します。少女は震える手で受け取りました。
「ありがとうございます、ありがとうございます」
「いえいえ、そう畏まらないでください」
「お礼に働かせてください!!」
「……えっ?」
少女から放たれた言葉に、少年がきょとんとします。
「何でも一所懸命やりますから、このお店においてください。お願いします!!」
「あ、あの、顔を上げてください。ええと」
少女は顔を上げて少年を熱心に見つめます。晴れ渡る空と同じ色の瞳は、向かい合う少年の海色の瞳とどこか似ていました。
少年は休憩中の札を店先に立てて、少女を座らせて話を聞きました。
「わたし、仕事を探しているんです。だから、ここで働かせてください!」
「どうしてこの店に?」
「見ていて一番忙しそうだったから」
「うーん」
少年は眉根を寄せて考え込みます。それから言いました。
「僕は行商人です。色々な街を渡り歩いて、品物を売っています。だから、ある程度売ったら、この街から出ていきます。今日は盛況でしたから、夜にはもう街を出るでしょう。つまり、君を雇うにしても今日の日暮れまでです。もっと短いかもしれません。その間にお客さまがいらっしゃらなければ、君にお金を払うこともできません。そんな店で働きたいですか?」
「一緒に旅をします。ずっとついていきます。だから働かせてください」
「おやおや。ですが家族がいるでしょう?」
「いません」
「血は繋がっていなくても、一緒に暮らしている人がいるはずです」
「いません」
少女は少年の推測を頑として否定します。少年は短く息を吐くと、問いを口にしました。
「では、君には帰る家がないのですか?」
「っ……!」
少女は答えません。
すると、少年はタロットカードを取り出しました。
「今から、簡単な占いをしましょう。タロット占いというものです。君が僕についてきた場合とそうでない場合を想定した二者択一法という方法を取りましょう」
「いい結果が出たらついて行っていいんですか?」
「いいえ。君が僕の占いを信じられないとき、ついてきてください」
「えっ?」
異論を挟む間を与えず、少年はカードを切り始めてしまいます。少女は言われるがままに、カードを切りました。
少年は手招きし、少女を隣へ呼び寄せ、カードを展開します。
「タロット占いは占い手と同じ方向から見ないと正しい結果がわかりません」
手前に六枚のカードを重ね、その左上に七枚、次は反対に一枚という作業を二回繰り返します。
「手前から[現在][未来][最終予想]となっています。左側が僕と旅した場合、右側がそうでない場合です。解釈を開始します」
少年は一番手前、[現在]のカードをめくります。出たのは[吊られた男]。
「[吊られた男]は忍耐を表すカードです。君は今苦しい環境の中にいて、それに耐えています」
少女が驚きます。合っていたのでしょう。
「では、次に僕と旅する未来の方を開けていきましょう」
「はい!」
[未来]は[節制]の逆位置。
「[節制]は中立、安定を表します。それが逆位置ということは待つのは不安定な未来。それは収入面かもしれませんし、精神面かもしれない。今の状況とさして変わらないかそれより悪いかもしれませんよ。あくまで可能性ですが」
さくさく[最終予想]のカードに手をかけます。現れたのは[恋人]の逆位置。
少年はそのカードを持ち上げ、少女に渡します。
「君の望むようにはならない」
冷たい声でした。商いのときに見せる柔らかな表情とはほど遠い、何もない無表情です。
「君は君が思いついたとおりに行動しても、君が想像したとおりの未来には辿り着けない。これはそういうことを示しているんです」
「そんな……!」
少女が口元を押さえ、掠れた声で呟きます。
容赦なく少年は言葉を次ぎながら、他の二枚もめくります。
「そうではない選択の場合──[未来]は[戦車]、物事が勢いよく進んでいき、また手助けしてくれる人にも恵まれるでしょう。
[最終予想]は[太陽]。結婚や円満、端的に幸せを表すカードです。──こちらの方が幸せになれると思いますが、どうでしょう?」
少女はしばらく愕然と展開されたカードを見つめていました。なかなか答えません。少年は答えを促すこともなく、さっとタロットを片付けました。
「答えはもう出ましたね」
「え、そんな、わたしはまだついていくとも……」
「決まらないんですか? では何故迷っているのです? 明らかに僕と行く方が不幸せですよ?」
「それでも、行きたいです」
「では、だめです」
さらりと言ってのける少年に少女は酷く傷ついた顔をしました。
「言ったはずです。僕の占いを信じられないときは、一緒に旅をしましょう、と。君は信じてしまっている。だから連れていけないんです」
「そんな、そんな……滅茶苦茶ですっ」
「けれど、それが僕の価値基準です」
にこやかに少年は告げました。泣きじゃくる少女に対するには、あまりにも不釣り合いな表情でした。
「君には大切な人がいます。いないと言いましたが、家族もいるでしょう。さしずめ兄弟の一番上といったところでしょうか。年の離れた末子さんはまだ赤ん坊でしょう。独特の匂いが染みついていますよ。
大切な人がいるなら、そちらを大切にしてください」
「どうして、あなたにそんなことがわかるんですかっ?」
その問いに少年は苦い笑みを浮かべました。
「僕は嘘吐きですから。嘘吐きは大抵の嘘を見破れるんですよ」
……と、こんな下りがあったわけです。
「酷いわよ。女の子の夢壊すとか」
「そうそう、嘘を吐くなら最後まで吐き通せって。中途半端に明かすから、女の子が泣くんだ」
「本当、酷い。いつもと比べると占い自体に嘘はなかったけど、結局私たちをいいように使って自分の思い通りにことを進める利己的な奴なのよ! あの子、本当についてこなくて正解だったわ」
「やはり、[恋人]のお二人もそう思いますか」
「ええ、当然……って、え?」
聞き覚えのある声。覚えのある手の中に[恋人]のカードが収まります。見れば、白髪の少年が立っていました。
「嘘、なんでサーちゃんが!? 寝てたはずじゃ」
「冷たい風が吹くもので、目が覚めてしまったんですよ。そしたら[運命の輪]の天使さんが慌てていたから話を聞くと、二人が逃げたというじゃないですか。びっくりして探しましたよ。おかげで今荷車は完全に無防備です。盗まれたらどうしましょうねぇ」
「ぐ、サーちゃんが悪いんだから! 昼間のあの子を泣かせた罪は重いんだぞ」
[恋人]の反論に少年は苦笑します。
「でもですね、大切な家族は捨てないでほしかったんですよ」
夜の暗さと相まって深い色になった海の瞳に[恋人]は返す言葉をなくします。この少年、実の親の顔を知らない拾われっ子で、育ての親の稼業を継いで、行商をしているのです。
「それに、疑うことを知らない人は商人に向きません。──ずっと一緒に過ごしても、恋人にはなれないって、貴方たちが言うんですし、それはあの子には酷でしょう」
さらっとすごいことを言った少年に[恋人]がぶすっとした声で一言。
「顔が女殺しな自覚はあるんだね……」
[恋人]
ナンバーⅥ
基本的な絵柄→二人の男女が仲睦まじい様子でいるところを遠くからキューピッドが弓矢で狙っている。
カードの持つ意味→恋人、恋愛。恋愛はインスピレーションとも関わりが深いため、直感という意味もある。




