皇帝 -エンペラー-
商人の息子は商人になるのが当たり前。行商人ならなおのこと。
僕はそんな世間の常識のままに、共に旅する父親の稼業を継ごうと決めました。
それを父親に相談してみたら、どうでしょう。商い以外ではほとんど会話らしい会話をしなかった父親が、信じられないほどすらすらと、語ってくれました。
「お前は、俺が偶然通りすがったときに死にかけていた娼婦の子だ。その娼婦から託されて、俺は今までお前を育ててきた。いいか、サファリ──要するに、お前は俺の実の子どもじゃないんだ。そして俺はお前の実の親じゃない」
衝撃的な事実でした。まだ幼かった僕にとっては、ものすごく。けれど、思い当たる節はありました。何といっても、まずこの容姿です。雲みたいに真っ白い髪、緑と青を混ぜたような瞳、白い肌。黒髪黒目で、生まれついて肌も浅黒いのだという父親とは似ても似つかぬ容姿をしていました。世の親子というのは、どこかしら一ヶ所ずつくらい、似た容姿を持つものです。僕は母親似なんだ、と気にしないようにしていましたが。
現実を、突き付けられました。
「だから、お前が俺に引きずられて商人になることはない」
突き放されたような気がしました、色々なものに。世界に、現実に、父親と信じていた人に。
けれど、僕はすぐに父親の側を離れたり、別の道を模索したりすることはありませんでした。そうするには、僕はあまりに父と共に歩む生活に慣れすぎていました。
そんな僕に父はそれ以上、何か言うことはありませんでした。僕の行動を反抗ととったのかもしれませんし、そうじゃないかもしれません。とりあえず、父は僕に選択を委ねることにしてくれたのだと思います。
本当は僕が商人になるのを何としても止めたかったんじゃないかと思います。この世界は厳しいです。お金が全てという世界ですから。信頼関係だって、結局はお金が元で成り立っています。そんな世界で生き抜いていくためには、お金を上手く回していくための口八丁が必要でした。そう、時には薄汚い嘘だって、吐かなくてはならないのです。父はたぶん、僕にそんなこと、させたくなかったんじゃないでしょうか。
父は何も言いませんでしたから、その真意はもう確かめようがありません。けれど、そんな意図を察しながらも、僕が商人になろうと決めたのは、ある女の子と出会ったからです。
その子は僕と同じくらいの年の子で、女の子だけど自分のことを「ボク」と呼ぶ子でした。鶯色の髪を持ち、瞳を様々な色に輝かせる子です。その目の輝きが特別なものであることから、村人たちに[虹の子]だの[神の子]だのと奉られていました。その割、彼女はとても人間臭くて、子どもらしい子どもで。ただ、自分の存在が争いの火種になりかねないことをきちんと理解し、憂えている、しっかり芯のある子でした。
その村を訪れたとき、僕と会うなり彼女は同じ年頃というだけで親近感を抱いたようで、よくよく店を訪ねてきました。知識欲が旺盛なのか、旅の話やなんてことない雑学を楽しそうに聞いていきました。
そんな彼女があるとき、自分で描いたというタロットカードを持ってきました。
タロットカードの大アルカナ二十二枚。小アルカナがなくても占いができるんだよ、と教えたら、占い方を教えてほしい、と言われたので、通りすがりの村人を捕まえて占いをし──その結果、彼女を泣かせてしまいました。
僕は、占う相手を[客]として扱いました。[客]は持ち上げてなんぼです。そのために僕は、占いの結果を告げるときに、大きな嘘を吐きました。[客]を喜ばせるためとはいえ、あんまりな嘘に、彼女は泣いてしまったのです。
そんな彼女を見て、僕はぼんやり悟りました。自分は商人に向いているのかもしれない、と。
彼女は泣いてしまったけれど、僕は平気だったのです。[客]のために嘘を吐くことに、何の疑問も抱きはしませんでした。それが商人の適性のように思えたのです。
その村を出てから、僕は父に改めて商人になると決めた旨を伝え、ついでに母親のことを聞きました。父はあまり話したくないようでしたが、ぽつりぽつりと語ってくれました。
「俺が一人で行商して歩いているとき、荒んだ街で過ごしたことがあった。とにかく大きい街なんだが、治安がいいとは口が裂けても言えないようなところだった。──俺がその女に会ったとき、それが事実であることをいやに実感したよ」
父は無表情に、思い出とは到底呼べそうにない苦々しい現実を語りました。
「その女は、娼婦として自分の体を売って稼いでいた。生まれつきの白髪という珍しい容姿のために、親に売られてその世界に入ったんだと言っていたな。ただ、ある一人の客に恋をして、子どもができてしまったがために、店から追われて……俺と会ったときはもう、虫の息だったよ。それでも大事そうに赤ん坊を抱えていた。娼婦が子どもを作るなんて、それ以上とないタブーだというのは、ぺーぺーの商人の俺ですら知っていたことだ。それでもその女は──お前の母親は、お前を守ろうとした。その志を汚さないために、俺はお前を引き取り、育てることにしたんだ」
すごく商人らしくない言葉でした。けれど、父が言うと、なんだかしっくりきました。父が真っ直ぐな目をしていたからかもしれません。
「その女はどんな目をしていたの?」
僕は最後に一つ、訊きました。
「青い目をしていたよ。白髪の奥によく映える……空を映した、海みたいな色だった」
僕はやはり、母さん似なんだな、と少し安心しました。
「それから父さんはどんどん店のことは僕に任せるようになっていきました。数年後、病に倒れ、息を引き取りました」
これで僕の身の上話は終わりです、と誰にともなく呟くと、白髪の少年は腰のポーチからカードを取り出しました。タロットカードです。その中から威風堂々とした女性が描かれているナンバーⅢの[女帝]と、並んでいた厳つい顔つきの王冠をかぶった男性のカード──ナンバーⅣの[皇帝]を探し出します。海色の眼差しが懐かしむような色を湛えて、二枚のカードをみつめました。
「これが[女帝]さんや、ついでに言うと[皇帝]さんを見ると、僕が感傷的になってしまう理由、かな」
「なるほど」
厳かな女性の声が呟きました。語りかけられた[女帝]のカードです。対して、[皇帝]は何も言いませんでした。元々、この[皇帝]は無口なのです。それを「誰かさんにそっくり」と言って、少年はくすりと笑いました。
少年は、ふと引いていた荷車を見上げます。そこには「行商人 サファリ=ベル」の看板がありました。よく見ると、「サファリ」という名の部分がペンキで塗り潰された後に書かれたのがわかります。
「僕は父さんの店を継ぎました。荷車ごと、ね」
そう呟いた少年の白い髪を、静かな山の風が揺らしました。
[皇帝]
ナンバーⅣ
基本的な絵柄→王冠をかぶった壮年の男性が右手に杖を持ち、座っている。
カードの持つ意味→誠実、真面目、男性、父親。
前回のヘキサグラムでは、このカードの逆位置を「父親が死んでいる」という風に解釈しましたが、基本的に逆位置は逆の意味、つまりこの場合は「不誠実」だとか「不真面目」という捉え方の方が一般的。