節制 -テンパランス-
[アスクがカードを手に入れなかった場合の未来]は──
「[節制]……これはバランスが良いことやむやみやたらに誘惑に負けないことを意味します。まさしく節制ですね」
白い髪に碧の瞳の天使が両手に持つ壺から水を移し替えている絵です。なんとなくですが、サファリに似ている気もします。今は関係ないでしょう。
ですが、そのカードを見た瞬間、これまで微動だにせず、余裕綽々だったアスク氏に僅かに動揺が走りました。別段、動揺するほどの結果でもないはずです。先程の[太陽]と比べても遜色ない程度の結果です。
占い師モードのサファリは、相手の反応をいちいち気にしません。淡々と解釈を進めていきます。
「このカードには中立、という意味も含まれます。第三者的立ち位置……別な視点で物事、この場合は収集するものを見定めることができるようになるのかもしれません」
そう告げると最後の一枚に手をかけます。遠い未来です。
「[世界]。これはタロットカード最後のカード。全体の調和を表します。平和、とも解釈できますね」
絵柄は様々な生物が少女を囲んでいる花畑。種族の垣根を越えて共に同じ世界に生きる、ということなのでしょうか。
[死神]が示す混沌の未来と[世界]が示す調和の未来。サファリは出揃った結果に、ちら、とアスク氏を見ます。
アスク氏の動揺は先程の一瞬だけだったようで、今は真顔に戻っています。
今回、サファリはお得意のインチキや嘘はやっていません。そもそも、サファリがそれをするのは優しい方便です。
けれど、誤魔化しがないからこそ、今回の真剣勝負は冷や汗が止まりません。
しばらく、アスク氏は展開を見つめ、沈黙していました。サファリは固唾を飲み、その様子を見守ります。
どれくらいの時間が経ったでしょう。アスク氏はようやく口を開きました。
「ふむ、君はなかなかの豪運のようだね。ハクアから聞いていた通りだ」
「えっ」
ハクアの名前が出て、びっくりしました。ハクアは一山二山向こうくらいの街を治める領主です。領主同士、知り合いだったということでしょうか。
そういえば、商人が信じられないのなら、占い師は信じられるか、というサファリの問いに、アスク氏は明確に答えていませんでした。ハクアは領主であり、高名な占い師でもあります。サファリの問いに肯定も否定もしなかったということは、ハクアから何か聞いていて、サファリの占い師としての実力を推し量るべく、保留にした、と考えられます。
「ああ、私とハクアは文通していてね。まあ、領主という地位に就いているのだ。日々の問題解決の相談やら、互いの近況報告やらをよくやりあう仲だよ」
サファリが眉をぴくりと反応させます。
「つまり、ツェフェリのことも知っていたのでは?」
「ご慧眼だね。その通りだ」
「では、ハクアさまを通して、ツェフェリのタロットカードを手に入れることもできたのでは?」
すると、アスク氏は今までの物静かな印象から一変、はっはっはっ、と豪快に高らかに笑った。
「つてを使って手に入れる。なるほどそれも入手方法だ。だがね、サファリくん。収集家としての私はそれをナンセンスだと思うのだよ」
「ナンセンス、ですか」
「そう。私流の拘りといってもいい。いいかい? 貴族の領主というのはね、コネクションだけが権力の誇示ではないのだよ。財力も物を言う」
アスク氏曰く、部屋に飾られている絵画は全て自費で買ったものだ、とアスク氏は語りました。
貴族や領主などは貴重品をコネクションで手に入れたことを自慢しますが、アスク氏の論理でいけば、それは貴族として、領主として、些か権威に欠ける手法だそうで。
「領主、貴族というものは、土地を与えられて、治めるものだ。その土地を、土地に住まう民を潤していかなければいけない。そこで重要なのが、お金の循環のさせ方なんだ。こうして商人から物を買うことによって支出する。支出したお金はお店の儲けになり、給料になる。給料は他の店に買い物に行ったりして消費される。売買の循環のうちに生まれる税を領主の私がもらう。それを私がまた街に支出する。そうしてお金がスムーズに循環することが土地にとっても民にとってもいいことだと私は考えている。事実、この街には貧困が存在しないだろう?」
確かに、その通りでした。ですが、疑問はまだ募ります。
「お金だけが社会ではありませんし、世界でもありません」
サファリの主張に、アスク氏は大きく頷きます。
「全くもって、その通りだ」
「それに、私は旅の商人。私にお金を払ったところで、この街で循環するとは限りません」
「それもその通り。だが、この街だけが世界の全てではないだろう?」
言われて、サファリは目を見開きます。アスク氏の言いたいことがなんとなくわかったのです。
サファリは街で物を売って、お金を得ます。そのお金を路銀に、旅をします。他の街で宿を取ったり、物を買ったり。そうして行商人という媒介を経て、他の街のお金も循環させる、アスク氏が言いたいのは、そういうことなのです。
そんな広い視野を持つ余裕があるからこそ、アスク氏には貫禄を覚えずにはいられないのでしょう。そうして安定を得る。まさに節制と言える人物なのかもしれません。
「しかし、君にとって、そのカードは余程大切なもののようだね」
アスク氏は話題をカードへと移しました。サファリは少し身構えます。いくら積まれても、このカードを売る気はないからです。
「カードは使い手があってこそ生きるもの。いつかハクアが言っていた言葉だ。……君が持つからこそ、そのカードには価値があるのだ、ということがよくわかったよ」
アスク氏から出たのは、購入する意思ではなく、[節制]が示した中立の第三者的視点から出た言葉でした。
「君の力なら、どんなカードでも御すことができるだろう。だが、カードは違う。使い手を選ぶ部類のカードだ。知ってるかい? 大抵画家や絵師の処女作というのは、その描き手の魂が込められた逸作なのだよ。粗が多く、扱いづらいが、良い使い手に当たれば、下手な量産品より力を増すことがあるんだ。それこそがそのカードの真の価値と言える。
つまり、君とそのカードたちを引き離すのはかなりの悪手ということだね。私は収集家とはいえ、そこまで野暮なことはしないさ」
ここでようやく、サファリはほっと一息吐きました。つまり、このカードを売らなくても良い。一か八かの賭けでしたが、どうやら勝てたようです。
胸を撫で下ろしていると、アスク氏がテーブルに広げられたカードのうちの一枚を手に取りました。手に入れなかった場合の未来で出た[節制] のカードでした。
「……昔を思い出すね」
「昔? ですか」
「ああ。君は母親にそっくりだ」
そんなアスク氏の言葉にサファリがびくりと反応します。
震える声で尋ねました。
「……母を、知っているんですか?」
「ああ。娼婦だったのだろう? あれは可哀想なやつだった」
アスク氏の言葉に、サファリが拳を握りしめます。
「……どういうことですか」
もうそれは問いかけではなく、怒りの発露でした。
アスク氏は肩を竦めます。
「あれはな。悪い客に当たったんだよ。そうして、娼館を逃げ出した。子どもをその身に宿してな。誰も助けてやることはできなかった。何せやつはこの辺で幅を利かせている悪党に追われていたからな。庇えば殺された」
「だから、貴方も見捨てたんですか」
「仕方なかろう。人間というのは他人よりも自分の方が可愛いのさ」
サファリはゆらりと顔を上げました。その表情には怒りが満ち満ちています。
「我が身可愛さで人を見捨てたというんですか。この人でなしめ……!」
サファリは現在に出たカード、[悪魔]を手にします。
それをアスク氏に突き付けて言い放ちました。
「貴方は悪魔だ!!」
タロットカードナンバーⅩⅣ
[節制]
基本的な絵柄→二つの壺の水を入れ替えている天使の姿
カードの持つ意味→中立、節制、バランスのとれた状態




