運命の輪 -ホイール・オブ・フォーチュン-
[行商人 サファリ=ベル]という看板を出して、日用品等々を売る白髪の少年。目は空を映した海のような青で、眉目秀麗といっても過言ではないでしょうが、彼のところにはしばらく客足がありません。誰か通りかかってくれたってよさそうなものですが、通りすぎる人は向こう側の道にまるで避けるように遠退いていきます。店主である少年、サファリは別にこの街で悪いことをしたわけではありませんし、疚しいこともありません。
では何がいけないのか──というのを当然サファリは考えたわけですが、少し、気づかないふりをしました。
何故って、原因は明らかに彼の隣の店にあったからです。
サファリの店の隣は八百屋なのですが、現在の状況はサファリと同じく開店休業状態。しかし、サファリはそんなことは望んでいません。隣の店主とて、一商人でありますから、きっと客が来ないこの状況を唯々諾々として受け入れているわけではないでしょうが……
あからさまにどんよりした空気が店の表に客寄せに来たのであろう店主から漂っています。その雰囲気があまりにも暗いものですから、お客様も近寄りがたいのでしょう。
ですが、いつまでもこの状況に甘んじているわけにはいきません。サファリは完全なとばっちりで、しかも行商人。旅をして歩く商人なのです。地元に根づいている隣の八百屋はいいでしょうが、サファリには出立の予定があるのです。何も売れずに街を去るのは行商人の名折れというもの。客足がないのをいいことに、サファリは意を決し、隣の八百屋を尋ねました。
「ごめんください」
サファリがにこやかに言いますと、店先でどんよりしゃがみ込んでいた店主が顔を上げます。若いですが、何か悩みでもあるのか少々窶れて見えますね。
それでもやはり一端の商人、サファリの顔を見るなり「いらっしゃい」と歓迎します。……しかしやはり、雰囲気は暗いです。
「客かい?」
「いえ、隣で行商をやっているものです」
「行商人さんかい、どうしたんだね?」
どちらかというと、それはサファリの台詞です。
けれどサファリも口八丁。そんな直接的な言い方はしません。
さも困り果てたように肩を竦めて苦笑いします。
「いやぁ、実はですね、客足が伸びないもので困っておりまして。見ると八百屋さんのところにも誰も来ていないようじゃないですか。挫けずお互い頑張ろうと労いに来たのですよ」
「それはどうも有難いことで」
重症だな、とサファリは思いました。普通、並んでいる商い処というのは商売敵です。労いに来たなんてなんとも嘘臭い言葉を疑いもせずに受け流すとは、よほど、八百屋の店主にやる気がないのでしょう。
けれど、見たところ、この街に八百屋はこの一軒です。需要はありそうなものですが……人っこ一人集わないのは、やはり店主のこの無気力な雰囲気からでしょうか。それにしたってサファリはここに来てから三日間、困っているのです。なんとかこの店主の雰囲気を少しでも払拭し、客が寄りやすいようにしなければなりません。
「おやおや、ご店主さん、どうも窶れて見えますが、何かお悩みでも?」
「……窶れてるかい? ……あんたもそう思うのかい」
店主ははぁ、と息を吐き出しました。どうやら窶れているのは気のせいではないようで、ついでに言えば、溜め息に悩ましげな色が漂うのも気のせいではないようでした。
「客足もないことですし、戯れにお話窺いますよ。これでも口は固い方でして。お望みとあらば、墓場まで持っていきましょう」
「そこまでしなくてもいいさ。ただ、そうさな、少し聞いてもらった方が気が紛れるかもしれない」
そうして店の片隅で、二人の商人は語らい合うことになりました。
「まあ、墓場まで持っていくほどではないが、あまり大きな声で言うのも憚られるものでな」
「と、言いますと?」
声を潜め、二人は話します。
「まあ、なんだ。こう改まって言うのも気恥ずかしいものだが……端的に言うと、恋患いでな」
「なんと」
しかし、恋患いでここまで暗いというのもおかしなものです。普通なら恋患いをした者はおかしく見えるくらいに気分が明るいものだと思うのですが……
「それが、厄介でな。俺には、許嫁がいるんだが、患っているのはそいつとは別の人物に対してだな……」
「ふむふむ」
なるほど、それは確かに厄介です。婚約者がいるにも拘らず、他に想い人ができてしまったということでしょうか。
「どちらを選べばいいかわからない、といったところでしょうか」
「そうだ。物分かりがよくて助かる」
曰く、想い人を選んでしまうと許嫁に不義理になり、けれど想い人を諦めることもできず、という板挟みになっているとのことでした。
「許嫁さんが嫌いというわけではないんですね?」
「ああ。あいつはいいやつだ。こんな寂れた八百屋なんかに嫁いでくれるなんて言うんだ」
今八百屋が寂れているのは、店主の後ろ向き志向が辺りに駄々漏れているからだと思いますが、言わぬが花というものでしょう。
どちらにも定められず、優柔不断な自分に嫌気がさしていたそうで。なるほどそれが陰気な雰囲気に繋がっていたようです。
「ふむふむ、それでは戯れついでに占いでもしてみますか」
サファリのそんな一言に店主が疑問符を浮かべます。
「あんた、商人じゃないのか」
「商人ですとも。個人で行商をやっております。いや、タロットカードの占いなんですが、客寄せにちょうどいいものでして、たしなむ程度に」
「ふぅん」
「気休めにいかがです?」
そこで店主はふと辺りを見回します。客は幸か不幸か両者の店に来ない模様です。
その様子を見て、店主は、わかった、とぼそりと言って頷きます。
サファリは自分の店から簡易のテーブルを持ってきて、そこにポーチから出したカードを広げます。二十二枚のタロットカードです。
それをばらばらにかき混ぜ、やがてまとめ、カードを一つにまとめます。手首についたブレスレットがしゃん、と鳴ると、商人らしかった顔つきが一変、占い師と呼ぶに相応しい神秘的なオーラを纏うものとなりました。
本当にこいつ占い師じゃないのか、と訝しげな眼差しを向ける店主にサファリはまとめたカードを渡します。
「これに、許嫁と想い人、どちらを選んだら良いのか、と念じてください」
「……ふむ」
念じるとは本格的に占いめいています。めいているも何も占いなのですが。
店主が念じたものをシャッフルし、三つの山に分けます。それから適当に一つに戻します。店主にも同じように混ぜてもらいました。
「はい、ではこれから展開を始めます。今回行うのは[三つの運命]です」
「それは恋占いなのか?」
「いえ、恋占い限定の占い方は別にあります」
「じゃあ何故そいつじゃないんだ?」
当然の疑問です。けれどサファリとて無策なわけではありません。
「タロットカードの恋占いには[愛の架け橋]というものがありますが、それは相手との相性占いのようなものです」
「許嫁との相性と想い人との相性を比較したらいいんじゃないか?」
「それは手間がかかりますし、何より、お客さまが来ないとは限りません。同じ占いを二回やるより、一度でわかった方がやりやすいでしょう?」
それは確かです。店主は納得し、頷きました。
「しかしその[三つの運命]? はどんな占いなんだ?」
「案外と単純ですよ。場合分けをしてそれぞれの場合の現在、未来、最終予想をするんです」
「だが、俺が見て欲しいのは二つのパターンだ。スリーというからには三つなのだろう?」
「ええ。故にパターンは三つ想定します。[許嫁を選んだ場合][想い人を選んだ場合]そして思いも寄らないところに幸運が転がっているかもしれませんので[その他の場合]を踏まえて展開していきます」
「その他なんてあるのか」
「保険みたいなものですよ」
サファリは苦笑いを一つ浮かべ、カードを並べていきます。五枚カードを数えるように重ね、その向こうに一枚、そのまた向こうに一枚。隣と更に向こう隣にも同じようにカードを置いていきます。
「さて、タロット占いは同じ方向から見るものです。こちらにどうぞ」
腰掛けていた煉瓦造りのでっぱりを少し寄り、店主に示します。店主はおずおずと座りました。
「一番右が許嫁さんとの手前から現在、未来、最終予想。真ん中が想い人さんとの現在、未来、最終予想。左がその他の現在、未来、最終予想となります」
「そこの、余った一枚は?」
「この占いの総合的な鍵になるカードです」
どこからいきます? とサファリが訊ねると、店主は無難に右から順番に、と言いました。
「では解釈を始めます」
許嫁を選んだ場合の現在がめくられます。出たのは、ザリガニと山犬と狼が月を見上げている様子が描かれていました。[月]のカードです。
「月は夜の頼りない明かりへの不安を表します。意味もその通り、不安を表しますね。貴方は今許嫁さんを選ぶことに不安を抱いています。これでいいのか、と」
それは確かです。店主が頷きます。不安だからこそ、後ろ向き志向に囚われているのですから。
次は未来のカードです。本を持った女性のカードが出ました。[女教皇]のカードです。
[女教皇]は知性を表すカード。恋愛面においては落ち着きのある恋愛が訪れるでしょう。
続いて最終予想。出たのは[太陽]。
「おおっ……これは」
「いいカードなのか?」
「はい。[太陽]は安定した幸せを表すカードです。恋愛面においては幸福な結婚を意味します」
「それは確かに……」
他のカードを開くまでもないような結果が出ましたが、一度始めたことですから、最後までやってみることにします。
次は想い人との場合です。
現在は[悪魔]。誘惑に抗えない様子を指しているとサファリは読みました。店主も否定はしません。
次いでめくられた未来は[戦車]。ここでサファリは眉根を寄せます。
「[戦車]は物事が良い方向に勢いよく進む様子を表します……」
「それだと妙だな。既にいい結果が出ているのに……」
その通りです。両者釈然としないまま、次のカードをめくります。現れたのは、崖っぷちを呑気に歩く青年──が逆さまに描かれたカード。
「逆さじゃないか」
戻そうとする店主をサファリが慌てて止めます。
タロットカードは正位置と逆位置があり、それによって意味が全く変わってしまうことがあるのです。
しかし、サファリの眉間の皺は増えるばかり。
「なんでしょう、この解釈……難しいです。先程は物事が良い方向に進むというカードが出たのに、このカードは向こう見ずであることを示しています」
「む……確かにそれはよくないな……」
「……そういえば駆け落ちという意味もあるんでしたっけ」
サファリが口にした一言に、店主が顔を赤らめます。まあ、仕方のないことでしょう。
「駆け落ちが悪いとは言いませんが、向こう見ずなのは心配ですねぇ」
店主は考えながらも、続けてくれ、とサファリを促します。
サファリはその他の場合のカードをめくります。現在は[魔術師]の逆位置。
「特に何の進展も見られないのに振り回されるだけ振り回されて疲れてしまう、と」
「なるほどな」
「次は……[恋人]の正位置。現在はなんやかんやとあるけれど、未来にはちゃんと恋人になれる……?」
これまた奇妙な予想です。いいのか悪いのか。
最終予想をめくります。出たのはラッパを吹く天使に誘われるように穴から人が出てくる[審判]の正位置です。
「この審判の絵は死んだ者が復活するところを描いている場面です。意味は復活。状況が目に見えて良い方向に動くことを示します。……ええと」
奇妙な結果が出揃いました。甲乙つけがたいと言いましょうか。どうまとめたらいいのか、サファリも戸惑いましたし、店主も戸惑いました。
最後のキーカードをめくります。
すると出てきたのは、天使が回す車輪に蛇が巻きついている絵です。タロットカードのナンバーⅩ[運命の輪]でした。
正位置です。
「これはどういうカードなんだ?」
「[運命の輪]はタロットカードの折り返しの重要なカードです。タイミングにより降ってくる幸運を示しています。つまりは全ては好機となるタイミングを見逃さないことが重要、となりますかね。
あとは時の運、思うがままに任せてしまうのが一番ということを表します」
つまりは、この甲乙つけがたい結果から、自分が「こうしたい」と強く思うものを選べば、自ずとそれが幸運に繋がるということなのです。
「……結局は自分で決めること、か」
「そうなりますね」
「タロット占いというのも適当というか」
「これは未来を占うだけですから。貴方が選ぶ選択肢によって、いくらでも未来なんて変わるんですよ。占いっていうのはそういった物事を進めるきっかけを与えるに過ぎないものだと思っています」
「……なるほど」
店主は少しすっきりした顔をしていました。
ふと、占いを終え、周囲を見回すと、いつの間にやら人垣ができています。主に女性のものでした。サファリはにっこりと微笑みかけます。
「さぁ、皆さん、新鮮なお野菜はいかがですか?」
人が来れば、あとは口説くだけ、それが商人というものです。サファリが野菜について口にしたのは、八百屋の前だったからでしょう。
「そうねぇ、今晩の用意に」
「ああ、でも私はタロットカードが気になる」
「でしたらお隣の行商へどうぞ。人気絵師ツェフェリの作品が置いてありますよ?」
ちゃっかり自分の店への客を確保するあたり、やはりサファリはサファリでした。
見れば店主は偶然居合わせたらしい、許嫁らしき中指に指輪をつけた女性と話しています。タイミングの妙、というやつでしょう。
「お見事でした。主様」
そう青年のような声が告げたのは、サファリ以外には聞こえませんでした。
[運命の輪]
ナンバーⅩ
基本的な絵柄→蛇の巻きついた車輪を天使が回している。
カードの持つ意味→運命、歯車が噛み合う、運命的な巡り合わせ、タイミングに恵まれる




