作者による解説 in 2021
「西遊記をモチーフにした特撮風小説」というアイデア自体は結構何年も温めてましたが、大学卒業の年に着手するとは思いませんでした。何気に初めて「なろう」で定期連載というか月イチ投稿を目安に書いた作品。それまで長編小説は書いても内輪だけの公開か、さもなきゃ自分の専用サイトで公開って感じだったので、新鮮&超激務だった(加えて秋には全ページ合算してディレクターズカット作業しコンテスト応募用まで作ってた)。
しかもこれ、執筆時期が3月~8月って要するに就活や卒論とカブッてるんです。というかぶっちゃけ就活卒論よりも優先して作業に時間割いてます(笑) 何故かというと、この作品(これ以前の長編も皆そうだけど)コンテストに通して賞金貰い実家を出る目算があった…要は作家にさえなっちゃえば就活しないで済むだろやっはーい!というつもりで書いてたんですね、ええ。しかも例によって評価は散々で就活本格化が(何もしなかった訳じゃないけど)やたら遅くなるという(爆) 捕らぬ狸の皮算用って言葉を地で行く男・彩条。
友人から特に執拗に言われたのが「西遊記は旅モノじゃないとダメだろ」「猪八戒と沙悟浄がいなきゃダメだろ」だったんですけど、前者はともかく後者は正直何故なのか当時よく分からなかったですね。というのも世間はどうか知らないけど僕にとって西遊記=三蔵法師の物語なんで、三蔵と孫悟空だけいれば成立すると思ってた。あとまあ単に「異世界出身」の出自で3人同時に出して描き分ける自信がなかったのもありますけど。
作中でも原典について触れた箇所ありますけど、僕が小学生ぐらいで西遊記の文庫本読んで一番最初に凄いと思ったのって「正確な知識を得るためお経のオリジナル版を捜しに旅に出る」生真面目さというか、体を張った真剣さというか、探究者としての信念みたいな部分だった。単純にかっこいいなと。だから「三蔵に寄り添う孫悟空」だけでいけると思ってたんですけど今観返すと、いくら背景設定したところでキャラの表向きの言動に反映できてなきゃ意味ないねw
モチーフが何にしても「自分が作中のどういう要素に憧れたか」を精密に分析出来ないと、作中要素の取捨選択基準にも影響するから気を付けないといけないですね。
今だから言えることといえば、メインふたりの初期の掛け合いとかシチュエーション、更には原典について長々触れる場面とか明らかに「這いよれニャル子さん」の影響がありますね。あの作品があの形式で成立した理由って、コメディ作風とクトゥルフ神話のパロディだからって部分が大きいハズなんですけど、当時はそこまで分析できてなくて文字通り猿まねになっちゃってる。主人公に関してもこんな重たくて暗い背景あったら必然的に話がそっちに引っ張られて、ツッコミ役というか「語り手」に徹せられないし(何故やたらと宗教絡みの苦悩を主人公に入れたがるのかは、他のアーカイブ作品の解説をご参照くださいw)。
ただこの作品、執筆にあたって参考資料は相当色々集めてるんですよね。ウィキペディアの関連記事隅から隅まで読んだのは勿論、西遊記のドラマ版映画版小学生時代の小説に加えて、乗馬関連の小説やドラマ、新興宗教や教祖の親族のイメージ元にするための本や特集や再現ドラマ(特にオウム真理教関係)、反体制派が起こしたテロ事件がベースのドラマとか思考形態、更にはアドラー心理学とか、とにかく片っ端から取り込んだんですが、むしろ取り込みすぎ、詰め込み過ぎで訳分かんなくなってるというか、要は「何を引き立てるための描写か」が明確でないままやってるから作者の脳内もドラマもカオスで終わってしまったという。
尺オーバーも相当だしね。連載開始当初は全7話想定だったのに、気が付けば前半が長くなりすぎて途中で二話分想定してた日常ドラマ描く尺がなくなり、一気に終わりという…。とにもかくにも、次からは「どうやって書きたいことを整理するか」が課題となり、その解決に向けた工夫に焦点が絞られていくのです…。
ただまあ面白かったのは、この頃から「オマエ作品のクオリティはともかく毎年毎年こういうのを作り続けるバイタリティはスゲエよな」って周囲によく言われるようになりました。褒められてるのか馬鹿にされてるのかw 褒め言葉と受け取っておきましょう。