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結 この道の果てまでも

 雨後の山々は、雲間から降り注ぐ天使のはしごによって明るく照らし出されていた。

 そして、まるでそれらを伝って天の彼方から降りてきたかのように、山間部は今や天状界の役人たちによってごった返した状態となっていた。


 牛魔獣王が撃破されてすぐ、悟空から天状界宛てに手配犯確保の報が入れられた。

 それを受け、すぐさま上層部が行動不能となったギューマ一族の護送部隊を派遣したのだ。

 異世界の官服を着た人々が白雲を纏った飛行メカで山中に次々と乗りつけて来て、ああでもないこうでもないと相談し合いながら忙しそうにそこらを行き来する光景は、これが西遊記の物語に連なる戦いのひとつであったのだと改めて信二郎に認識させ、驚かせた。


 尤も彼らとて、この大部隊を長時間駐留させる気はないらしい。

 こちらの世界との無用のトラブルや混乱を避けるという名目で、手配犯であるギューマ一族を収容し次第、なるべく早く天状界に帰還する予定ということだった。


「……だけど、こんなことって有り得るのかな」


 役人たちが固まっている場所から距離を置いたところにあって、信二郎は素朴な疑問を共に一息ついたばかりである悟空に対して投げかけていた。

 彼女は既に戦闘スタイルを解除し、普段のセーラー服姿に戻っている。

 悟空は軽く首を傾げて、信二郎の疑問を確かめてきた。


「はて?」

「いや……キミが知ってる三蔵法師が亡くなったのって、千年以上前とかじゃなくて、今からたった半月前のことなんだろ? ボクがもし仮にその生まれ変わりだとしても……明らかに、タイミングが合わないだろうと思ってさ」

「それがねぇ……そうでもないんですよ。あたしも気付くことが出来ずにバカでした……少し考えれば分かることだってのに」


「……どういうこと?」

 信二郎が疑問符を浮かべていたので、悟空が済まなそうな表情になって言った。


「天状界と、ここ人間界では、時間の流れが大きく異なっているんですよ。具体的に申し上げますと、我々の暮らしている天状界での一日は、こちらの世界での一年にあたるんです」

「は!? 何だそれ!?」


 信二郎は素で驚いた声を上げてしまった。

 異次元世界のことはよく知らないが、いくらなんでもタイムラグがあり過ぎだろう。

 とはいえ悟空によればこれは、我々のよく知る西遊記にさえ記述のある情報らしい。


「ですから、我々の世界で半月前に亡くなったお師匠さんが、その後すぐこちらの世界に来て信二郎に生まれ変わったのだと考えれば、およそ辻褄(つじつま)は合うんです。信二郎は今現在、たしか十六歳かそこらだったでしょう?」


「……十六歳と半年だよ。参ったなぁ……そんなのアリかよ……」

「驚いてるのはあたしもです。まさか……こんなところで再会するだなんて思ってもみませんでしたから……」


 しんみりとした空気を醸し出す悟空に、どう答えていいか分からず俯く信二郎。

 この自分が、西遊記に出てくる三蔵法師の生まれ変わり。

 改めて言葉にしてみても、一体何の冗談かと思った。


 それこそ自らが教祖となって新興宗教のひとつでも立ち上げそうな主張である。

 犬司に罵倒される材料がまたひとつ増えたな、というのが率直な感想だった。


「……今こうしてるボクは、いったい誰なんだろう」


 信二郎はポツリと呟きを漏らした。

 そう、とても素朴でちっぽけだが……自分にとっては大事なことだった。

 こうして考えている自分は、蓮河信二郎なのか?

 それとも玄奘三蔵法師なのか?


 自分の中に二人の人間の記憶が混在する。それは、実際とても恐ろしいことだった。

 あるいは、どちらかが偽物ということかもしれないのだ。

 なら、自分のこれまでの十六年間は――――、


「――――信二郎です」

「………えっ?」

「アナタは紛れもなく、蓮河信二郎ですよ」


 さぞかし、狐につままれたような気分が顔に出ていたことだろう。

 自分のことをジッと真面目な眼差しで見つめる悟空に、信二郎は思わず口ごもった。


「……だって、ボクは、その……」

「もしアナタがお師匠さんなら、そんな風におどおどと口籠ったりはしません」

「…………」

「あと、やたら子供染みた理由でワーワー騒いだりもしません」

「……悪かったな!」


「あ、訂正します。お師匠さんも天竺への道すがらは、よく駄々っ子になってました、ハイ」

「どっちだよ!? っていうかフォローになってないぞ!」

「アハハ……」


 ムキになって怒る信二郎と、それを見てからかうように笑う悟空。

 そんなやり取りをしていたら……何だか増々、切ない思いが込み上げてくるのだった。


「そんなに深く考えなくてもいいんですよ、信二郎」

 こちらの心境を察したのか、悟空が一転して優しい口ぶりでそう言った。


「あたしもさっきは、思わず喜んでしまいましたが……冷静になって考えてみれば、いよいよハッキリしたってことなんです。あたしの知ってる三蔵法師は……お師匠さんはもう、死んでしまったんだって」

「……ゴメン。こんなボクなんかで」

「いえいえ、別に変な意味じゃなくてですね」

 信二郎が増々落ち込んだような顔になったのを見て、悟空が慌てて補足した。


「昔からよくある話なんですよ。一度転生した人間の意識や記憶が、幼少期を過ぎると消えて無くなっちまうってのは……それがどんなに修行を積んだ人間でもです。理由は色々言われてますがね、あたしに言わせりゃむしろ当たり前のことですよ」


「当たり前…………?」

「だってそうでしょ? どんな生まれであったかが、これまでにどう生きて来たかよりも優先されるだなんて、そんなの不自然じゃないですか」


 悟空からかけられたその言葉に、信二郎はハッと自分が以前言ったことを思い出した。

 分かっていてそれを口にしたのだろうか。悟空が微かにニッと笑った気がした。


「どんな家に、誰の転生者として生まれようと……受け継ぐのは精々才能ぐらいのモンです。それだって、磨こうともしなきゃ腐って消えていくだけですからね。結局、自分という人間を形作っていくのは、今現在の行動でしかないってことなんですよ。だから初めて出会った日に決断したのは信二郎自身……あたしのために約束するって言ってくれたのも、今こうして悩み苦しんでいるのも、みーんな三蔵法師ではなく、蓮河信二郎なんです」


「…………ありがとう、悟空」

「礼には及びません」

 照れくさくて、顔を伏せながら感謝を口にする信二郎を、悟空は苦笑気味に見つめた。


「むしろあたし自身が、いい加減に現実と向き合わなきゃいけないところです。お師匠さんはもういないんだってことを……信二郎は、あくまで信二郎なんだってことを。過去に縛られず前を見ろと、あの人自身にかつてそう教えられましたから」

「…………そっか」


 決して信二郎だけではない。

 悟空の新たな日々もまた、ここからきっと始まっていくのだろう。

 信二郎は心の中に今までにないほど晴れやかな気分が広がるのを覚え、感無量であった。


 と、そのとき、二人は少し離れた場所でガヤガヤとざわめきが起こるのに気付いた。

 見れば、牛魔王とニルルティが、天状界の役人らに引っ立てられてくる場面であった。


「あいつら……」

「……思えば、哀れなモンですね」


 ギューマの親子は、両手に縄をかけられた状態で、よろめくように連行されていた。

 牛魔王は見た目こそボロボロだが、何とかちゃんと生きていた。

 目が明らかに虚ろで、憔悴(しょうすい)しきった感じなのが気の毒だったが……。

 後ろを歩くニルルティも、ひどく落ち込みきって、何とも居心地の悪そうな顔をしている。


 あの二人はこれから、どうやって生きていくのだろう。

 あれだけ威勢のいい姿を見続けてきた末の、この落差だけに、信二郎は奇妙な感情であると理解しつつも、二人に強い同情を覚えてしまっていた。


「――――待ってくれ! ニルルティッ! 父上ッ!」


 何処からともなく、そんな焦った声が聞こえて、信二郎と悟空は咄嗟に辺りを見回した。

 山道を、高い方の斜面から必死になって駆け降りてくる男の姿が見えた。

 天状界の官服を身に纏った、若々しく精悍(せいかん)な顔立ちの青年であった。

 そしてその頭には……角が二本生えている。


 一同が思わずびっくり仰天していると、青年はギューマの父娘の前まで辿り着いてようやく立ち止まった。

 彼の姿を見て牛魔王は呆然となり、ニルルティは「あっ」という顔になっていた。


「オマエは…………」

「あ、兄上……ッ!」


 そう――――その青年こそ、牛魔王の息子にしてニルルティにとっての長兄。

 観音菩薩の弟子である善財童子こと、紅孩児その人であった。

 立派な服を着て、自分の元に駆けつけた実の息子の姿。

 それを目にした牛魔王は、しばらく奇妙な泣き笑いを見せたかと思うと――――とうとう、ガックリと力無い様子で項垂(うなだ)れた。


 やがて役人たちに促され、一行は再び歩き出す。

 それでも善財童子は父親の背中を手で支え続けながら、その姿が見えなくなるまで終始付き添うようにして歩き続け、やがていなくなったのであった。


「…………」


 牛魔王が詭弁を弄してでも、反体制テロを続けなければならなかった理由。

 そして、たった今繰り広げられた父子の居たたまれないまでの再会劇。

 信二郎は、亡くなる少し前に病床の母から聞かされた、ある事実を思い出していた。

 それは教団の誕生と、あの男――――玄道にまつわる過去の話。



 曰く、教祖である玄道に、ゲンドー会のような教団を作るつもりはまるでなかったらしい。

 玄道は元々、陀緒須市から少し離れたところにある、古い寺の息子だった。

 だが彼の生まれ育ったその寺では、伝統に固執し、形式主義的な考えに囚われるばかりで、自分らを頼ってくる檀家の人間ひとりひとりの苦悩と真摯に向き合おうという姿勢を、まるでこれっぽっちも見せることがなかった。

 挙句に、玄道が独自に何かをしようとすれば、妨害までしてくる始末であったという。


 そのことが我慢ならず実家を飛び出した玄道は、陀緒須市で間もなく信二郎の母と出会い、遂には作家の端くれとしてデビューまで果たしたが……やがて結局、身近な人間の悩んだり、苦しんだりしている姿から目を背けることが出来なくなってしまった。

 あくまでも善意で相談に乗っていた彼らが、次第に自分に依存して、責任ある考えや行動を放棄し始めたことに気付いても、どうしてもそれを強く言い咎めることが出来なかった。


 元はといえば、彼らをそんな風にしてしまったのは自分だから。

 こんな状態で突き放せば、心の拠り所を失った人々がどうなるか分からないから。

 玄道はいつの間にか、彼らが望む存在で居続けるしかなくなってしまったのだった。

 あるいはそれは、昔の様に孤独になるのを恐れているのかもしれない、と母は言っていた。


 結局は玄道もまた――――ひとりの弱い人間に過ぎなかったのだと。

 その事実を、信二郎は否応なしに思い出させられた。



「…………悟空、あのさ」

 信二郎がポツリと言ったところ、悟空に不思議な顔をされた。

「……なんでしょう?」

「あの男……じゃない、そうじゃなくって――――」

 信二郎はこれまでの自分自身にけじめをつける意味も含めて、ハッキリと口に出し言った。



「――――今度また、父さんのところに会いに行こうと思うんだ」



「…………あっ」

「それで、その、さ…………キミさえ迷惑でなければなんだけど…………あの、」

「…………勿論じゃないですか」


 全てを言い終えるその前に、悟空からきゅっと手を握られる。

 驚いて顔を上げた信二郎を、彼女はそれはそれは嬉しそうな顔で見つめていた。


「アナタ自身の天竺に辿り着けるその日まで……ずっとお供していきますよ」

「…………ありがとう、悟空」

「約束ですから」


 そう言って微笑む悟空に、信二郎はどこまでも勇気が湧いてくる気がした。

 まだまだ困難は山積みに違いない、だけど――――。

 乗り越えられる。現実と向き合い、立ち向かうその一歩目を踏み出す勇気が持てたなら。



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