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第2話 未知への第一歩!

 (はす)(かわ)信二郎(しんじろう)が、斉天(せいてん)大聖(たいせい)孫悟空(そんごくう)のマスターとなったその日の夜。


 陀緒須(だおす)()は姿一丁目にある某・雑居ビル。

 その四階フロアに置かれた本部にて、宗教法人ゲンドー会の集会は行われていた。


「――で、あるならば、一部の人々が声高(こわだか)に主張するように、紙の本には価値が無い、などとどうして言い切れるだろうか? (いな)、私は断じて否と言おう。内容すなわち智慧(ちえ)とするなら、それは形となって初めて価値を持つ。紙――つまりはリアル、実体だね。その重さを手の平に感じて生きる人々は、そうでない人々よりも遥かに、真の価値、真の智慧に近づくことを意味していると、私は思う」


 朗々(ろうろう)たる声が響くのは、優に三十畳(さんじゅうじょう)以上はあろうかというだだっ広い空間。

 そこでは北側を除く三方向すべての壁に、床の表面から天井の端まで届くような大きな本棚がいくつも設置されていた。その中に一分の(すき)も無いほど大量に詰め込まれた、大小や種別を問わない様々な書籍(しょせき)

 事情を知らない人が迷い込んだら、私設の書庫ないしは図書館か何かであると誤解を覚えるかもしれない、そんな光景である。


 そして今、その半分にも満たない狭い領域にて、四十人近い人々が殆ど密着するようにして正座で座り合っていた。

 老若男女は様々だが、彼らは皆一様に真剣な顔つきで話に聞き入っていた。

 眼前の上座(かみざ)に座った自分たちの指導者が語る言葉を、一言一句聞き()らすまいとして。


 すなわち彼らこそがゲンドー会の信者たち。

 この街ではあらゆる意味で知らぬ者のいない、新興宗教団体のメンバーである。

 尚、その顔触れの半数以上が、二十代前半から四十代半ばの女性たちだった。


「デジタル化、スマート化と呼ばれる昨今、紙の本を手にする君たちには、幾度となく逆境が訪れることと思う。コンテンツを至上とする人々によって、無駄なものとレッテルを貼られ、排除の憂き目に遭うことが今後とも数えきれぬ程起きるだろう」

 時に穏やかに。時に情熱的に。

 しかし一貫してハッキリ聞こえる声の主は、やや色あせた茶色っぽい薄手の服を身に纏う、高身長かつヒゲ面の、サングラスをかけた四十代半ばの男性だった。


 聖読院(せいどくいん)(げん)(どう)。またの呼び名を師父(マスター)・ゲンドー。

 他ならぬゲンドー会の教祖にして、発足から現在に至るまでの指導者である。

 彼の背後には、紙の本を図案化し蓮華(れんげ)を描くような形に配置した、奇妙な宗教画が掲げられていた。信者たちを取り囲むようにして設置された巨大な本棚と併せて考えれば、ゲンドー会という教団の一端が、自然と浮かび上がってくるようであった。


「しかし、負けないでほしい。真の智慧は君たちの手の中にある。目の前にある。今、この空間に(げん)として存在している。それを忘れないでほしい。実体を伴った智慧は、必ずや君たちの人生に明るく灯をともし、実り豊かな未来への道程(どうてい)を示すことになるだろうッ!」


 直後、会場内にいた信者たちが一斉に拍手を開始する。

 彼らは全員、その顔に一定の微笑みを(たた)えながら一心不乱(いっしんふらん)に手を叩いていた。

 見方次第では無機質ともいえる、どこかプログラムされた感のある画一的な光景。


 そんな信者たちの行動を、しばらくは黙って眺めていた玄道だったが、ややあって手を上げ制止させると、少し沈黙を挟んでから今度はこう切り出した。


「ところで、みんな既に知っているとは思うが……今日、この街で、にわかには信じられない出来事が起こった」

 信者たちの間に広がる沈黙が、より一層濃いものになる。

 本題に入った、と察知したのだ。

 ここにいる殆ど全員が、昼間、ショッピングモールとその付近で発生したという襲撃事件のことを耳にしていた。


「聞いた通り正体不明の怪物が出現し、多くの罪なき人々を傷つけ、恐怖に陥れた。痛ましい事件だ……この中にもきっと、現場を目撃した者がいることだろう」


 玄道の言葉を聞き、その場にいた三分の一ほどが辛そうに(うつむ)き出す。

 うち数名は、戦い終えた直後の信二郎を見つけて駆け寄ってきた、あの信者たちだった。

 彼らも含めゲンドー会の信者の大半は、この街の住人なのである。


「だがしかし! 安易に膝を屈してはならない。ただ、常軌(じょうき)(いっ)した出来事が起こった、自分は無事で良かった、で済ませてはならない。今この時こそ、君たちが学び続けてきた真の智慧を発揮し、世に役立てる時なのだ」

 すると不意に、玄道の演説に熱が(こも)った。

 それまで沈痛な面持ちでいた信者たちが続々と顔を上げ、玄道のことを見つめ始める。

 まるでそれを待っていたかの如く、玄道は一挙に畳みかけるように言った。


「例えるなら! 病気に(かか)ったときに必要なものは何ですか、と。もしまた罹った時に被害を最小限度に抑えるにはどうすればいいですか、と。この答えを示せるのが、すなわち真の智慧である。君たちが追い求めてきたことである。

 具体的には? 手洗いだ。うがいだ。お(かゆ)だ。そして優秀な医者へかかることだよ。

 もしまた怪物が現れたら、どうすればいい? いや、そもそも怪物が現れぬようにするためには、どうすればいい? これを示せるのが真の智慧である。それを学んできた君たち自身である。肝に銘じなくてはならないよ……いいですか? この難局(なんきょく)を乗り越えるには! 君たち全員の協力をなくして、達成することは不可能なのだ!」


 ガバッ、と。

 それまでは座禅(ざぜん)を組んだまま話していた玄道が、いきなり上座の上で立ち上がった。

 呆気にとられる信者たちに向かって、玄道はそのまま締めの言葉を(つむ)ぐ。


「人々にとっての手洗いに! うがいに! お(かゆ)になれ! そして優秀な医者の紹介! それは君たちにしか出来ないことだ! その覚悟を持って、これからの毎日を過ごしてほしい! みんな、共に頑張っていこうッ!」


 瞬間、信者たちの間からワァッと歓声が上がる。

 文字通りのスタンディングオベーション。そこに集まっていた四十人余りが後を追うように次々と立ち上がり、諸手(もろて)を上げて斉唱を開始した。


「ビバ・ゲンドー!!」

「「ビバ・ゲンドー!!」」

「「「ビバ・ゲンドー!!」」」


 狂喜と呼ぶべきか、はたまた狂気と呼ぶべきか。

 彼らの半数はいつの間にか目に涙を浮かべながら叫んでいた。

 そんな信者たちと、玄道はひとりひとり握手を交わしながら歩いて行く。


「ああッ、マスターありがとうございます!」

師父(しふ)・玄道に未来(みらい)永劫(えいごう)帰依(きえ)いたします!」

「我らのマスター!」


 口々に、手を握った玄道への帰依を叫ぶ信者たち。

 手を握る。ただそれだけの行動が、人々の信仰をより一層強固にしているようである。

 日本人の思い描くネガティブな『宗教』がそのまま形になったような空間がそこにあった。



「……くっだらない」



 いきなりその一言が聞こえて、信者たちは驚いたように後ろを振り返った。


「何が『真の智慧』だよ。あんな話でよく感動できるな……」

「若様!?」


 信者のひとりが信二郎の顔を認めるなり、()頓狂(とんきょう)な声を上げた。

 果たして、先ほど聞こえよがしに悪態をついたのは他でもない、信二郎であった。

 教団本部に信二郎が現れたと知って、信者たちが口々に「若様だ」「若様だ」と心底嬉しそうに繰り返す。


 だが信二郎自身は、その様子を見ても苦い表情しか浮かべられなかった。

 そんな中、ようやく玄道が「みんな」と声を上げた。

「済まないが、しばらく二人きりにしてもらえるだろうか?」


 玄道は信者たちに対し、先程とは一転して穏やかな様子で語りかけた。

「息子と、久しぶりの対面なんだ。色々と積もる話もあるのでね」


 そう言いながら、あくまで落ち着いた様子で信二郎を見てくる玄道。

 が、対する信二郎は今度こそ不快感を隠そうともせず、実の父親を(にら)み付けるのだった。


 蓮河信二郎と、玄道。

 殆ど一年ぶりの、父子の再会場面であった。


*  *  *


 信二郎は、教団本部に到着してからというもの終始、仏頂面(ぶっちょうづら)のままだった。

 玄道の後について入った、彼個人の寝室へ来てもそれは変わらない。

 相変わらず殺風景(さっぷうけい)な部屋だ、と信二郎は周囲を見回しながらそう思った。


 小さな旅館の六畳間(ろくじょうま)ぐらいの広さがあるその部屋には、調度品その他の洒落(しゃれ)()のある物品は一切存在しなかった。

 あるのは、信二郎の背丈と同じぐらいの高さの本棚がひとつきり。

 それを除けば、部屋の片隅に座布団(ざぶとん)が数枚積まれているぐらいのもので、他には壁も天井も何もかもが不気味なぐらい真っ白く清潔に保たれており、生活感の見えてくる痕跡はまったくこれっぽっちも存在しなかった。


「……ホラ、お前も座るといい」


 ふと、部屋の奥で胡坐(あぐら)をかいて座った玄道が座布団を一枚、信二郎に差し出してきた。

 だが信二郎はフン、とそっぽを向くだけで終わらせる。

 目の前のこの男から何かを受け取るのは、(しゃく)でしかなかった。

 玄道は少し待ってから「まあいい」と、諦めた様子で座布団を片づけた。それを見て信二郎もようやくドッカリとその場に腰を下ろした。少々尻が痛いが、構うものかと思った。


 それからしばらくの間、室内が静けさに支配された。

 やがて口火を切ったのは玄道の方だった。


「最近はどうだ……元気でやっていたか?」

「アンタに関係あるのかよ」

「そう刺々(とげとげ)しい態度ばかり取るな。一年ぶりに息子が訪ねてきたんだ……()きたいと思うのは当然のことだろう」


「……別に。ボクの生活は至って普通だよ。ここにいた時とは大違いでね」

「そうか。ならよかった」

「そんなことより……さっきのアレ、どういうつもりだよ?」


 信二郎はそう言って目の前に座るヒゲ面の男を、ギロリと(にら)み付ける。


「人々のお(かゆ)になれとか何とか、意味不明なことばっかり言いやがって。この街でギューマが暴れ回ったのは、アンタにとっちゃ(わた)りに船ってことか。不安がってる連中をけしかければ、さぞかし簡単にお布施(ふせ)が集まるんだろうな」

「ああ……そのことで思い出したが、話は聞いたぞ」


 突然、玄道が微かに身を乗り出し、信二郎に向かって言ってきた。


「さっき、青木くんたちが教えてくれた。信二郎……お前、そのギューマとかいう怪物たちに立ち向かったそうだな。不思議な少女と力を合わせて、勇敢に戦ったとか。よくやったな、信二郎……お前は私の誇りだ」


「話を()らすなよッ!」


 信二郎は思わず(たたみ)に拳を叩きつけ、怒りに任せて立ち上がった。

 しかし玄道は、それでも眉一つ動かさない。

 その態度が尚のこと、信二郎の苛立(いらだ)ちを助長させるのであった。


節操(せっそう)がないって言ってるんだよ! こんな大変な状況まで搾取(さくしゅ)の口実に利用するとか、一体何考えてるんだ? 恥を知れよ、恥をッ!」

「……あまり大声で怒鳴るのはよせ」

 あくまで玄道はなだめるように、信二郎を手で制しながら言った。


「今夜はここで過ごす人間も多い。ただでさえ、怪物騒ぎのあった後だ……彼らを必要以上に不安がらせてしまうことはないだろう」

「フン……不安がるも何もないだろ……」

 信二郎は微かに声のトーンを落としはしたが、それでも憎々しげな態度は変えなかった。

 再び、その場に乱暴に座り込んであさっての方向に視線を向ける。


「何でもかんでも、都合のいいように解釈(かいしゃく)するのが得意な連中だからな。修行の一環(いっかん)だ、とか言っておけば無理矢理(むりやり)にでも納得するんだろ、どうせ」

「……まあいい。ところで話の続きだが、これは決して搾取などではない」

 玄道はというと、まっすぐ信二郎のことを見つめながら話を再開した。


「彼らは今、不安なのだ。常識の埒外(らちがい)にある事件が起こった所為(せい)でな。ならば、それについて答えを提示してやらねばならない。この状況下で彼らがどう過ごし、どう現実に対処すべきであるかを伝え、そうやって彼らを安心させる。それが私を含め、この教団が存在している意義なのだ」

「ハッ、よくも抜け抜けとそんなことが言えたもんだな。白々(しらじら)しいっての」

 信二郎は吐き捨てるように言ってやった。


「何が答えを提示してやる、だ。要するに、教団にお布施してれば救われます、だからもっとお金を寄越(よこ)しなさい、ってそういうことだろ。人の不幸に寄生して適当な理屈並べてりゃ生活できるんだから、ホント便利な商売だなアンタらは!」

「どうにも、話が進まんな……」

 玄道が額に手を当てて、あからさまに疲れたような態度を(にじ)ませてきた。

 それを見て、信二郎はまたしても少しイラッと来る。


「結局、お前は今日、ここへ何をしに戻ってきた? 余程(よほど)の用事があるものと見たが。そうでなければ、お前がこの本部に来ることなど考えられんしな」

「……別に。ただちょっと、忘れものを取りに来ただけさ」


 信二郎は、傍らに置いてあった自分のリュックの表面を、投げやりに叩いてみせた。

 その中には、信二郎が今日ここへ来た目的そのものが収納されていた。

 ギューマに襲われて予定が狂ったが、本来なら昼間のうちにこれを持って、とっくに電車に乗っている手筈(てはず)だったのだ。


「昔の荷物がいくらか、ここに置きっぱなしだったからね。でももう用事も済んだし、ボクは帰るよ。出来ればもう二度と会いたくないけどな」

 信二郎はぶっきらぼうにそう言うと、リュックを背負い、再び立ち上がった。

 玄道にくるりと背を向け、部屋の戸まで心持ち早足で一直線に歩く。

 こんな空間には、一秒たりとも長居したくはなかったのだ。


「お義父(とう)さんに、どうかよろしく伝えてくれ」


 背中からそう声をかけられ、信二郎は一瞬足を止めそうになる。

 が、結局振り返らず、返事をすることもなく、そのまま玄道の部屋を後にした。

 信二郎は昨年、高校に入学したのと同時に、母方の祖父の下で暮らすようになっていた。

 あんな男に娘をとられた祖父は、世界一気の毒かもしれないとさえ思った。


*  *  *


「――モンキーマジック・シンガイシン!」


 信二郎が元いた大広間に戻ってくると、ちょうど悟空が毎度おなじみのあの呪文を口にしたところであった。

 彼女の指先から飛び出した五匹の子ザルたちは、広々とした部屋の隅から隅までをすばしっこく走り回ると、再び悟空の元へと駆け戻ってくる。


 そうしてセーラー服姿をした彼女の手のひらに飛び乗ると、そのまま彼らをお手玉のようにして軽快に、文字通りの猿回しが行われる。そして最後には、後頭部から垂れる細長い金色のポニーテールに(つか)まって、さながらターザンの如き空中ブランコを大披露(だいひろう)

 手を離した勢いで上空へと飛び出し、グルグル回転しながら悟空の頭上に次から次へと着地してくると、終いにはジャジャーン! と悟空本人も含めた全員が、口で効果音を言いながらポーズを決め、謎の一人大サーカスは終幕と相成(あいな)った。


 おぉ~、と。


 それを見た教団の信者たちは、感嘆と共に掛け値なしの拍手を繰り出していた。

 一方、その場でただ一人、状況から置いてけぼりを食った顔で立ち尽くす信二郎だったが、やがて振り返った悟空がこちらに気が付き、すぐ駆け寄ってきてくれた。


「お疲れ様です、信二郎。お父上の用事はもう済んだので?」

「ああ、うん……それよか、キミは一体何やってんの?」

「いえね、ギューマなんていう物騒(ぶっそう)な連中が、今現在もうろついている訳じゃないですか。この人らも不安で中々寝付けないんじゃないかと思ったんで、そこで自己紹介がてら、皆さんの緊張をほぐして差し上げようかと」

「……ああ、そう」

 そういえば、彼女もアレから教団本部まで同行してきていたのだった。


 こんな空間を悟空に見せたくなかったので、出来れば建物の外で待っていてほしかったが、今さら言っても後の祭りというやつだった。

 それに、悟空の一人大サーカスを見て喜ぶ信者たちの姿を目にしたら、信二郎はそれ以上、何も言えなくなってしまったのである。


 思い返せば、昼間の戦いが終わった直後も、悟空は似たようなことをやっていた。

 あのときのギューマの人質の中には小さな子供も含まれていたので、怯えきった彼らを安心させようとしていたのである。


 『西遊記』原典の内容を思い出す限り、孫悟空といえば後先を(かえり)みない、どちらかといえば傍若無人(ぼうじゃくぶじん)なイメージが強いのだが、こうして巻き込まれた一般人への配慮(はいりょ)を欠かさない部分を繰り返し目撃すると、だいぶ印象が違っているなと信二郎は思った。


 というか、物語の内容が過去の出来事だと仮定するなら、正確には悟空がアレから成長しているということかもしれなかった。玄奘(げんじょう)三蔵法師(さんぞうほうし)天竺(てんじく)まで旅をしたことで、色々思うところがあったのだろう。不良が更生(こうせい)するようなものだろうか?


 いずれにしても、自分なんかとは大違いだな、と信二郎は半ば自嘲気味(じちょうぎみ)にそう思った。

 少なくとも今の信二郎には、ここまで周囲に配慮するだけの度量はなかった。

 そうやって考え込んでいるとまたしても、悟空に顔を覗き込まれる。


「……信二郎、なんだかまた暗い顔してますよ? 大丈夫です?」

「別に何でもないよ……。ホラ、いいからもう――」



「「「――ニアマスター!!」」」



 突然、何処からともなくそう呼ぶ声がした。

 信二郎たちが声の出どころを確認しようとしていると、バタバタと大きな足音を響かせて、悟空の後ろの方から数名の信者が群れを成して押し寄せてきた。

「ととッ……」

 意表を突かれたらしい悟空が一歩飛び退くと、その隙間(すきま)を埋めるようにしてやってきた信者たちがあっという間に信二郎を取り囲んでしまった。

 その中の一人が、まだ困惑している信二郎の手を取って言ってきた。


「ニアマスター、今日は本当にありがとうございました!」

師父(マスター)・ゲンドーの門徒である我ら一同、心より若様に感謝申し上げております!」

「キミたちは、昼間の……」


 そう、その信者たちは今日の戦いで人質となり、信二郎たちがギューマを追い返した直後、信二郎の正体に気付いて即座に駆け寄ってきた面々であった。

 その中の一人は青木とかいう人間で、信二郎が悟空と共に敵と戦っていたと玄道に報告した張本人らしかった。


「いやぁ、流石はマスターのご子息だ……心構えからして違う!」

「師父も鼻が高いでしょうね。次代の指導者がこのような方であれば、教団の未来も安泰(あんたい)だ。我ら一同、どこまでも若様(ニアマスター)について参ります!」


 信二郎は辟易(へきえき)し、なるべく穏当(おんとう)に手を引っ込めると、念を押すように言った。

「あのさ……()めてくれるのは有難(ありがた)いけど、ボクそこまで大したことやってないからね。むしろそこにいる悟空の方がずっと――」

「――ご謙遜(けんそん)なさるんですね! 素晴らしいです、ニアマスター!」


 そう言いながら再びガバッと手を握ってきたのは、信二郎と殆ど歳の違わない、地元の高校の制服を着たおかっぱヘアの少女だった。

 その顔を見て信二郎は思わず(まゆ)(ひそ)めてしまう。


「……()菜子(なこ)さん、だっけ?」

「ありがとうございます! 名前を憶えていてくださったんですね! 身に余る光栄――」

「いやいや、待って待って。確かキミって、ボクよりひとつ年上だよね?」


 礼賛(らいさん)して来ようとするのを押し留め、慌てて確認をとる信二郎。


 信二郎の記憶が間違ってなければ、その美菜子という少女は自分がまだここで暮らしていた頃、ある時期から急に教団施設に()(びた)り始めた高校生だった。

 当時十六歳と言っていたが、親の代から信者の二世という訳でもなく、純粋に興味を抱いて外部からやって来たということだったので、印象に残っていたのである。


「そんな雲の上の人みたいに(あが)められたって困るし、そもそもボクは……」

「ああッ、アレだけの働きをしながら、なんて(つつし)(ぶか)い方なんですかニアマスター! 一生、貴方様について行きます! ニアマスター!」


 すると美菜子はいきなり、その場で(ひざ)を折り、信二郎に向かってハハァッと床に伏せた。

 土下座なのか、五体投地(ごたいとうち)なのか分からなかったが、とにかく傍目(はため)が悪かった。

 信二郎は慌ててやめさせようとする。


「やめろってば! ボクはただの高校生で、ニアマスターでも若様でもないから!」

「ああッ、ニアマスター! ニアマスター!」


 しかし美菜子は聞く耳を持とうとしない。

 そればかりか、周囲に集まっていた他の信者たちまで一斉に床に伏せ始める始末。

 たちまち教団本部内は信者たちによる大合唱の場となった。


「「ニアマスター! ニアマスター!」」

「「若様万歳! ゲンドー会万歳! 教団に未来(みらい)永劫(えいごう)の発展を!」」


 信二郎が何を言おうとも、それは全て彼らの声に()き消されるだけだった。

 次第に唇を噛み、歯がゆさで顔を伏せてしまう信二郎。

 悟空はそんな光景を、離れたところから黙ってジッと見守っていた。


*  *  *


「その……なんです、あんまり落ち込まないで下さいよ」

「…………」

「って言っても、気休めにもなりませんか、やっぱり」


 信二郎は教団本部の狭い入り口の前で体育座りし、先程から塞ぎ込んだようになっていた。

 傍らには相変わらず、セーラー服姿の孫悟空が立ったまま控えている。

 その構図は、傍目にはどこかの要人とボディーガードのようでさえあった。

 あれから、やっとの思いで信者らの包囲より解放された信二郎だったが、一向に気分は晴れないままであった。


 ふと、ウキキー! という小さな声がする。

 見れば、悟空によって召喚された五匹の子ザルたちがいつの間にかミニサイズの学ランに身を包み込み、さながら応援団のごとく団旗(だんき)を振って、信二郎に対しその足元から懸命のエールを送ってきていた。

 健気とさえ評せる姿だったが、信二郎はそれをチラッとだけ目の端に捉えると、ため息と共に再び顔を伏せてしまった。


 ウキキ~……。

 効果なしと見た子ザルたちは、気落ちしたように肩を落とすと、たちまち煙となって消えていった。だが今の信二郎には、そんな光景にさえ何の感慨(かんがい)も湧いてこないのだった。


「まぁ何と言いますか……信二郎が何故あそこまで(かたく)なに、マスターと呼ばれるのを嫌がっていたのか、その理由だけはハッキリと分かりましたよ」

「……御覧(ごらん)()(さま)だよ」

「今度からはニアマスターってお呼びした方が(よろ)しいでしょうか?」

「……カッカライザー、不燃物のゴミと一緒に出しちゃって構わないかな」

「すみません、不謹慎(ふきんしん)でした」


 悟空の下らない冗談にさえ、それ以上ツッコむ気力は湧いてこない。

 あんまり重症なので、悟空も対応に苦慮(くりょ)している感じだった。


「……どうして、あんな訳分かんない中年オヤジを崇拝したり出来るんだろう」

 すぐ傍に悟空がいたことも関係したのだろうか。

 信二郎は普段から抱いていた率直な疑問を、いつしか自然と漏らしてしまっていた。


 宗教法人ゲンドー会。

 この教団は、元々は売れない作家をやっていた玄道が設立した、小さな子供やその母親層を対象とする、一種の絵本の読み聞かせサークルであった。

 玄道はその活動の傍ら、参加者の日常の悩み相談などを私的に受け付けていたのだが、いつしかそちらの悩み相談の方が主目的と化していき、やがて読書サークルだったものは自己(じこ)啓発(けいはつ)セミナー同然に様変(さまが)わり。気が付けば、玄道という一個人を崇拝(すうはい)し、また読書を異常なまでに神聖視する奇態(きたい)な宗教団体へと完全に性格を変えてしまっていた。


 こうしてゲンドー会という教団は誕生した。

 作家を本業としながら月々の家賃を払うのにさえ苦労していた男が、今では大勢の信者からお布施を集めて生活し、教団の一部門として独自の出版ルートさえ持っている。

 まことに不可解と言うほかなかった。


「大体、何なんだよ……お(かゆ)になれって……意味不明過ぎるんだよ……」

(おっしゃ)る通り、確かに強烈な御仁(ごじん)ではありますよね、信二郎のお父上は」

「この教団さ、世間から何て言われてるか知ってる?」

 傍らの悟空を微かに見上げながら、信二郎は力なく言った。


「――“二次元の狂気集団”だってさ」


「……そりゃまた……随分な嫌われようですね」

「でも実際、狂ってるんだから否定のしようも無いよな……ボクはさ、悟空」

 信二郎は再び両膝(りょうひざ)の間に顔を(うず)めながら、ポツリと呟いた。


「あの時、本気で思ったんだ……自分に出来ることがあるなら、何でもいいからやってみようって。悟空に言われた通り、色々と苦労する可能性はあっても、それでも誰かを助けることが出来るなら、勇気を出して頑張ってみようかなって」

「ええ、ご立派な決断だったと、今でもそう思いますよ」

「だけど……やっぱり間違いだったんだよ……」

 悟空が思わず目を丸くしていたが、信二郎は気づくこともなく話し続けた。


「冷静になって考えれば、分かることだったんだ。ボクは所詮、どこまでいってもこのカルト教団の若様でしかない。ボクがどんな想いで、どんな決断をしたとしても、それはボク個人のやったことじゃない……ゲンドー会って組織の、教祖の息子がやったことだとしか見なされないんだ。蓮河信二郎なんて人間は、永久に存在できないんだよ……」


「何言ってるんですか、そんな……」

「そんなことは無いって? じゃあ、さっきの連中の行動をどう説明するのさ」

「それは……」

「誰も、ボクの話なんて聞こうとさえしなかったじゃないか。あのロクデナシの息子っていう色眼鏡でしか、ボクのことを見ようとしない。どうせこうなるのは分かってたのに、ホント、バカみたいだよな。もういっそのこと、あのとき戦わずに、ボクだけでも殺されれば良かったかもしれないな……」


 そのとき突然、ガッと胸ぐらを掴まれ、信二郎は強引に立ち上がらされた。

 悟空が、今まで見たことも無いぐらい怒った顔をしていた。


「アンタねぇ、何を――――」

 そう言いかけてから、たちまちハッとした表情になって手を離す悟空。

 彼女はそのまま気まずそうに、あさっての方向を向いて押し黙ってしまった。

 周囲に誰もいないのが幸いという具合だった。


 信二郎はしばらく時間が経過しても、何が何だか分からないままでいたが、やがてそうした方がいいような気がして、消え入るような声で「……ごめん」とだけ口にした。

 悟空は少しの間、返事をしなかったが、


「……分かりました。そうまで仰るんなら、あたしにも信二郎を巻き込んだ責任があります。ここの方たちが信二郎の重荷になってるというのであれば、今すぐにでもあたしが解いて差し上げますよ」

「えっ……それってどういう、」

「ひとこと、命令してください。そうしたらここの建物ごと、信二郎のお父上の教団を跡形も無く(たた)(つぶ)して御覧(ごらん)に入れますから」


 一瞬、悟空が何を言っているのか分からなかった。

 遅れて理解が追い付いてきてから、いやいや、と慌てて首を横に振る。

「いくらなんでも、冗談だよね?」

「いいえ? 無関係な方々を避難させるのも込みで、五秒もあればやってみせますが。もしくはこの四階部分だけ、だるま落としみたく吹っ飛ばしても構いませんよ。まぁ後から多少問題にはなるでしょうが、信二郎のためだったら望むところです」


 信二郎は絶句し、悟空としばし見つめ合った。

 彼女は何処までも真剣な顔つきだった。多分、命じれば本当にやりかねない。

 何なのだろう。自分を試しているのだろうか?

 その真意を測りかねた信二郎と悟空の間で、延々と(にら)めっこが続いていた。

 その時である。



「――ちょっと、今の一体どういう意味よッ!」

「……美菜子さん!?」



 いきなり甲高い叫び声がして、振り向くと、例の美菜子というおかっぱ少女が物凄い形相でこちら目掛けてズンズン突き進んできていた。

 信二郎が思わず後ずさりしていると、美菜子は何故か悟空にだけ詰め寄るようにして、再び金切り声のようなものを上げた。


「教団を潰すって何よッ! あんたさては警察のスパイね!?」

「……は? あたし? あたしに言ってるんですか?」

「あんた以外に誰がいんのよ! 大体、さっきからニアマスターに向かって()()れしいのよ何様のつもり!? ニアマスターに助けられたって聞いたけど、ひとりじゃ何もできない分際(ぶんざい)でチョーシ乗んないでよね!」

「あ、いや、あの、えーっと、信二郎助けてください……」

 悟空が一転して、困り切った表情でこちらを見てきた。

 正直言うと、信二郎もこんなキンキン声で(わめ)き立てる相手には触れたくなかった。


 というか教団を潰す云々(うんぬん)は信二郎に責任があるし、ひとりじゃ何もできない分際というのもむしろ信二郎の方である。美菜子の怒りの矛先(ほこさき)は、明らかに間違っていた。

 だがイチイチ説明できる空気でもないので、とりあえず信二郎は相手を(なだ)めることにする。


「あ、あのさ美菜子さん、とりあえず落ち着いて」

(だま)されないでください、ニアマスター! そもそも孫悟空とか名乗ってるけど、それだって元々はゲンドー会のパクリじゃないですか!」



「「……………………は?」」



 悟空と信二郎の目が(そろ)って点になる。

 すると美菜子は、自分が()げていたバッグをおもむろにゴソゴソやったかと思うと、一冊の絵本を取り出し悟空の眼前に突き付けてみせた。

「すっとぼけないで! これが証拠よッ!」


 それは、まさしく『西遊記』と題名が書かれた子供向け絵本だった。

 いわゆる如意(にょい)(ぼう)を担ぎ、流れる雲に乗り空中を進む、わんぱく猿が表紙に描かれている。

 ここまでは普通の絵本だが、問題は表記されている版元である。


 その名も、聖読(せいどく)出版(しゅっぱん)

 ゲンドー会の収益(しゅうえき)部門(ぶもん)が使っている、出版用の名義に他ならなかった。

 これには悟空も信二郎も、(たま)らず口をあんぐり開けてしまった。


「何とか言いなさいよッ! これでもまだシラを切るつもり!?」

「み、美菜子さんでしたっけ? その、非常に言いにくいんですが、こちらの教団で本が出版されるよりずっと以前から、仏教とか、道教ってものがあってですね……」

「は? 仏教とか特にキョーミ無いんですけど。なんか文句でもあるっていうの?」


 一体どう説明したら分かって貰えるのだろう。そもそも説明を聞く気があるのか?

 悟空も信二郎も、完璧(かんぺき)途方(とほう)()れてしまっていた。


「ちょっとちょっと! 美菜子ちゃん、何やってんの!?」


 と、そこへ例の青木とかいう信者が、他の数名と共に慌ててすっ飛んできた。

 どうやら騒ぎを聞きつけ、援軍を引き連れて仲裁(ちゅうさい)に来たらしい。

 青木は、美菜子を悟空から引きはがすとひとつひとつ、ハッキリと言って聞かせた。


「落ち着いて、美菜子ちゃん。この悟空って女の子は、若様と一緒に我々の命を救ってくれた張本人なんだ。命の恩人なんだよ、そんな態度とったら駄目じゃないか」

「放してよッ!」


 尚も喚き続ける美菜子は信者らの手を乱暴に振りほどくと、信二郎たちの近くを通り抜け、本部の外に出て、たちまち夜闇の街の中へと消えていってしまった。

 そこでやっと、悟空を含めた一同がホッと胸を()()ろす。


「……気分を悪くさせてゴメンな、悟空。だけど、出来れば怒らないであげてくれ」

 悟空がキョトンとした顔なので、信二郎はゆっくりと説明した。


「あの美菜子さんって、元々は学校でいじめに遭って、不登校になってたんだってさ。そんな時にあの男に引っかかって、ここに入り浸るようになったらしくて……なんていうか、教団がアイデンティティそのものになっちゃってる、って言うのかな」


 信二郎はあくまで、親父とか父さんといった表現は使わなかった。

 悟空はそれについては指摘しなかったが、ふぅむと考え込むような仕草をした。


「……要するに、ここの信者になることで、自分を否定した外の世界すべてを拒絶するようになってしまった、ということですかね」

「多分、そういうことだと思う」


「なるほど……ま、いいですよ。あたしも、その気持ちは分からないでもないですから」

「……え?」

「何でもないです。さ、早いとこ電車とかいうのに乗って帰りましょう」


 そう言って話を切り上げた悟空の表情。

 そこにはまたしても昼間のような、何か隠し事をしている空気が流れていた。

 だが、今ここで追及しても仕方ないなと信二郎は思った。

 それよりも出来ることなら、早く教団施設を出て自宅に帰りたいと思ったのだ。


 ところがスマホで電車の運行状況を確認して、再び信二郎は途方に暮れる羽目となった。

 考えてみたら、当たり前の帰結だったかもしれない。

 襲われたショッピングモールが駅のすぐ近くという関係もあったのだろうが、信二郎が家に帰るための路線は、ギューマ出現の余波で全線運休となってしまっていた。


*  *  *


 やがて夜が明け、朝が来た。

 結局あの後、信二郎は不本意ながらも悟空ともども教団施設に一泊することとなった。

 半ば強引に個室を与えられ、警護という名目の下、悟空が部屋の外へ出てドアの前に座って寝るという配慮をしてくれても、一日のうちで考えることが余りに増えすぎた所為か、疲労の度合いに反して信二郎はなかなか寝付けなかった。

 お陰で、信二郎がやっと目を覚ました時には、もう十一時近くになってしまっていた。


 普段から早起きな分、信二郎は起きて早々にひどい違和感を覚える。

 だがもはや頭を働かす気にさえならなかったので、信二郎は寝ぼけ眼で部屋を出る。

 すると、ドアを開けてすぐ、その脇にしゃがみ込んでいたセーラー服姿の悟空がのっそりと立ち上がった。


「おや、お目覚めで?」

「……本気で一晩中そこにいたの?」

「警護すると言ったじゃないですか。連中の襲撃がいつ何時あるか分かりませんからね」

「……一応、礼は言っとく」

「ご光栄の至り」


 悟空がお抱え執事のように(うやうや)しく礼をするのを見て小さくため息を漏らしてから、信二郎は洗面所に行って軽く顔を洗うと、ダラダラと台所に向かった。

 十年近くそこで過ごしていたこともあって、信二郎は特に迷う素振りも見せず施設内を移動することが出来た。


 廊下を歩くと、すれ違った信者たちから次々と異様に明るい声で挨拶(あいさつ)された。

 それらに適当に返事をしつつ、台所へ着くと、玄道の私室とそう大差ない小さな空間に七人ぐらいの信者が集まっていて、テーブルにつきながらテレビを見ていた。


「あッ、若様おはようございます!」

「「「おはようございます!!」」」


「はいはい、おはよう…………こんな時間から悪いんだけどさ、何か食べるモノある?」

「食パンと野菜サラダしか無いですが、ちゃんと若様たちの分もとってありますよ」

「そりゃどうも……あれ、っていうか悟空さ」

「はい?」

 信二郎が振り返って訊ねると、悟空がキョトンとした顔をしていた。

 危うく忘れかけていたが、この少女が斉天大聖・孫悟空本人だというなら、事前に確認しておかねばならないことがあった。


「キミは、ボクらと同じ食事で構わないの? 精進(しょうじん)料理(りょうり)とかじゃなくて」

「……ああ、もしかして仏教や道教の戒律的(かいりつてき)なものを気になさってます?」

「まぁ、念のためね」


 精進(しょうじん)料理(りょうり)とは、仏教や道教がその発展途上で肉食を禁ずるケースが出てきたことから、僧侶などのために考案され発展した菜食(さいしょく)中心(ちゅうしん)の料理のことである。現在でも間々、アジア諸国では料理の一分野として提供されることがある。


「お気遣い感謝しますが、あたしの場合はそこまで神経質になられないで結構ですよ。まあ、動物性タンパク質でさえなければ、(おおむ)ね問題ないでしょう」

「じゃあ、悟空さんも若様と同じで大丈夫だね」


 そう言うと、信者の一人が食パン二枚をトースターに入れ、焼き始める。

 だが少しすると、今一度、振り返って訊いてきた。


「あれ? だとすると乳製品ってマズいのかな」

「豆乳ならいいんじゃないか。大豆が原料なら、植物性タンパク質だろうし」

 信二郎の隣に座っていた、別の信者が提案する。


「バターは駄目だろうね。あれは牛乳が原料だから」

「マーガリンって、動物性の場合と植物性の場合があるけど、ウチのはどっちだっけ?」

「たしか箱に成分表示が書いてあったけど、こないだ捨てちゃったな」

「つけないのが無難(ぶなん)だよ、きっと」

 などと、勝手にワイワイ盛り上がり始めるゲンドー会の信者たち。


 そんな様子を横目にしながら、悟空が楽しそうに笑う。

「親切な人たちですねぇ」

 信二郎は何と言って良いか分からず、肯定も否定もしなかった。

 そうして待っていると、やがて悟空と信二郎の前にそれぞれ、トーストに野菜サラダ、更に豆乳の入ったグラスが運ばれてきて、二人は揃って手を合わせると食べ始めた。


 が、色々考え込んでいる所為か、不思議と信二郎は味を感じない。

 気になってチラッと顔を上げてみると、悟空はトーストにイチゴジャムを塗りたくり、終始笑顔で咀嚼(そしゃく)していた。何だか心の底から美味(うま)そうである。


 孫悟空がトーストにジャム塗って食べている。

 文面だけ見ると堪らなくシュールだが、なにせ金髪ポニテにクッキリした目鼻立ちという、欧米人かそのハーフのような見た目をしているので、絵面としてはビックリするぐらい違和感がなかった。

 むしろ、何故この少女が孫悟空なのだ。一晩明けても未だに実感が湧かなかった。


 何だか変な気分になってきたので、信二郎はテレビに視線をやる。

 チャンネルは陀緒須(だおす)()のローカル放送局になっており、そこでは思った通り、昨日起こったばかりの、ギューマ一族による襲撃事件の報道が為されていた。


 地元警察をはじめ、当局の混乱は相当なものらしく、白昼の事件で大量の目撃証言があったことなどから人知を超えた怪物が出現した事実までは認めたようだが、その正体や目的などについては、全くのお手上げ状態というのが実情のようだった。

 幸い、信二郎や悟空が戦っていたことについては、現状は特に報道されている様子はなく、信二郎はとりあえずホッとした。


 だが、いつまでも隠し通せるものではあるまい。

 いずれバレてしまったら、自分はどうなるのだろう。

 尤もこの一件があろうとなかろうと、自分はいわゆる普通の人生などとは無縁だったな、と即座に思い至り、信二郎はひとり自嘲気味(じちょうぎみ)に笑った。


 その直後、ショッピングモールで撮影されたという視聴者提供映像が映し出される。

 それを見た瞬間、信二郎は思わずテレビに向かって目を細めていた。


「……んん!?」

「はれ? ほーひまひたひんひろー?」

 悟空が何か言ったが、トーストとサラダが口に入っているので謎言語と化していた。

 彼女は咄嗟に豆乳で咀嚼中のものを流し込むと、恥ずかしそうに訂正した。


「失礼……どうしました、信二郎?」

「いや、これって昨日のハンマーホルスタインだよな? なんか映像が……」


 テレビに映ったギューマ一族による襲撃映像。

 本来なら悲惨な事件の目撃資料として貴重なハズのそれは、実に異様な現象を引き起こしていた。


 一言で言うと、(ゆが)んでいるのだ。

 映像全体がぐにゃぐにゃと、まるで編集の素人がかけるエフェクトを間違えて元に戻せないまま出力してしまったかの如く、壮絶にねじ曲がっているのだ。

 二足歩行の巨大な化け物が暴れて、施設内を破壊していることは辛うじて分かる。

 が、その確かな輪郭やディティールはさっぱり判別できなかった。


 おそらくスマホかタブレットあたりで撮影したのだろうが、映像提供者の腕前が残念、とかそういう単純な問題ではどうやらなさそうだった。もっと根源的なものを感じる。


「……あー、なるほど。こりゃ多分、曲界力(きょっかいりょく)の影響でしょうね」

 映像を一見した悟空が、急に聞き慣れない単語を口にした。

「きょっかい……りょく?」


「ええ、曲界力。読んで字の如く『世界をねじ曲げる力』って書くんですが……全ての人間が潜在的に備えているものです。昨日、一度だけニルルティのやつが、ハンマーホルスタインのことを牛魔(ぎゅうま)(じゅう)って呼んでたの、覚えてます?」


 そう訊かれて、信二郎は食べる手を一瞬休め、あまり思い出したくはない丸一日前の出来事をはじめから順を追って回想する。

 あんまり死に物狂いだったので記憶が混乱していたが、おぼろげながらそんな単語を聞いたような気がしないでもない。


「牛魔獣……つまりハンマーホルスタインの正体は、人間が持つ曲界力を抽出・凝縮することによって生み出された存在――一種の人造生命体なんです。先程申し上げた通り、曲界力とはすなわち世界をねじ曲げる力。その凝縮体である牛魔獣が暴れ回ったことで、現場で撮影していた人たちの電子機器も、きっと影響を受けたんでしょう」


「なるほどね……その結果が、さっきのピンボケ手ブレ映像って訳か」

「理解が早くて助かります」


 口には出さないが、それは信二郎にとってある意味では朗報でもあった。

 悟空の話す理屈が正しければ、おそらくギューマが繰り出す牛魔獣と戦う限り、その光景は映像や画像などの電磁的記録に、正常に残らない。

 だとすれば、信二郎や悟空が戦う現場を見られたとしても、その光景が即刻拡散するという事態は避けられるかもしれなかった。


 勿論、画像編集ソフトなどで解析される恐れはあるし、モンタージュなどアナログな手段で追跡されないとも限らないが、少なくとも相当なタイムラグが生じるのは確実だった。信二郎が普通の暮らしを続けられるリミットは、思ったよりは長いのかもしれない。


「ねえねえ、悟空さん。それじゃあさ、この事件もそのナントカ(りょく)の影響かな?」

「ほえ……?」


 突然、横から割り込んできた信者の言葉に、悟空は今一度テレビの画面に目をやる。

 いつの間にかニュース内容は移り変わっており、そこでは現在、陀緒須市内を中心に急激に被害が拡大しているという、電子端末の異常動作現象が報道されていた。


 どうやら今日の未明あたりから、陀緒須の市民に関係すると思われるウェブサイトやSNSアカウントへのアクセスをキッカケに、パソコンやケータイなどの端末が次々と誤作動を引き起こし、ひどい場合には放電や発火を誘発して怪我人を出すなどの事態が、街のそこかしこで発生しているらしい。

 番組内では、怪物の出現とも何か関係があるのでは、という声が紹介されていた。

 それを見た悟空は、少しの間だけ唸ってから、


「うーん、これは流石に、無関係じゃないですかねぇ。電子機器が影響を受けると言っても、せいぜい記録が改ざんされるぐらいですし。多分これ、人間の愉快犯でしょう。それも最低に空気の読めないはた迷惑なやつ」

「何処にだっているもんだよ。一番便乗するべきじゃないタイミングに限って、便乗しようとする、ここの教祖みたいな不謹慎野郎はさ」

「……あのねぇ、信二郎」


 悟空が呆れたような顔で何か言おうとした、その時である。

 急に、どこからともなくバタバタという音が聞こえてきて、数秒も経たないうちに、台所にあの美菜子が、昨日と変わらぬ制服姿で飛び込んできた。


「「――――ッ!?」」


 悟空と信二郎が一斉にビクッと反応して、その場から(わず)かに()()る。

 驚いた。一瞬、遥か彼方から玄道の悪口を()ぎつけてやってきたのかと思った。

 だが、どうやらそうではないらしい。

 美菜子は台所のテレビに映ったニュースを見ると、唐突に肩を震わせ、クスクスと笑い声を漏らし始めた。その様子があんまり不気味なので、その場にいた全員がしばらくの間、迂闊(うかつ)に話しかけることが出来なかった。


「あの……美菜子……さん……?」

「やりました……やりましたよッ! ニアマスター!」

「えっ」


「皆も聞いてッ! とうとうッ! とうとうッ! 教団を標的とした悪質きわまるデマに! 真の智慧を理解しない愚かな大衆にッ! 天誅(てんちゅう)(くだ)されたのッ!!」


 甲高い声で、興奮気味に、早口でまくしたてる美菜子。

 彼女のあまりの剣幕に、台所にいた人間はみな絶句させられていた。

 やがて、その口から語られた内容は驚くべきものだった。


*  *  *


 昨晩、教団本部を飛び出してきた美菜子は、その後待てども待てども止むことのない(いきどお)りに支配されきっていた。


 どいつも、こいつも、まるで分かっていない。

 この汚れきった(みにく)い世の中を変えられるのは、真の智慧に他ならない。

 真の智慧とはゲンドー会で学ぶ聖読と実体の教えによってのみ手に出来るものだ。

 それを表層の行動ばかりを引き合いに出して拒絶し、迫害する無知蒙昧(むちもうまい)な大衆ども。

 その大衆が吐き出す虚言と中傷を放置し、憤りを見せる気配のない信心の薄い馬鹿ども。

 やつらは誰ひとり、真の智慧に内包された実体の持つ価値をまるで分かっていない。

 分かっていないやつらを改めさせるには、やはり真の智慧を示す以外にないか。

 など、など。


 もしもハッキリ言葉にしていたら、彼女自身を除いてほぼ誰も、間違いなく理解が不可能であろうほどに抽象的かつ観念的な、自己に都合のイイ言葉だけで構成されつくした思考を堂々巡りさせながら、美菜子はひとり暗い街中を歩き続けていた。


 するとそんな時、何処からともなく鈴の音が聞こえた。

 ちりぃん、と。

 頭の中に直接伝わってくるような、そんな不思議な音色(ねいろ)だった。

 美菜子がそれに気付いて顔を上げると、すぐ目の前の街路樹(がいろじゅ)の陰に、大きな立方体のようなものが隠れているのが分かった。


 それは、一・五メートル四方ぐらいの大きさで、それぞれの側面にいわゆる御簾(みす)らしきものが垂れ下がり、その下部は本体と同じぐらい大きな二枚の車輪で支えられていた。

 その形状は歴史の授業で教わった、いわゆる牛車(ぎっしゃ)に酷似していた。

 街灯の灯りの下だが、側面には『COWnselor(カウンセラー)』という表記が読み取れた。

 牛車のような乗り物の目の前には、紫色のローブに身を包み、目深(まぶか)にフードを被った女性と思しき一人の人影が立っていた。


「――――お待ちしていました。さぁ、どうぞこちらへ」


 やはり女性の、それもやや透明感のある声であった。

 周囲には他に誰の姿もなく、美菜子は自分のことであるとようやく理解した。

 躊躇(ためら)いや、戸惑(とまど)いがなかった訳ではないが、相手の女性が繰り返し打ち鳴らす鈴の音を耳にしていたら、何故か逆らおうという気にはなれなかった。

 (いざな)われるがままに、美菜子はフラフラとした足取りで、相手の後に続いて牛車の中へと足を踏み入れた。


 なんと驚くべきことに、牛車の内部には外観からは想像もつかない程大きな空間が広がっていた。縦横ともに、美菜子がくぐってきた入り口の、おおよそ十倍ぐらいの面積があったように思う。

 それに、ただ広いだけの空間ではなかった。

 壁紙こそ一面真っ白だが、床には絨毯(じゅうたん)が敷かれ、その上にはソファやテーブルが完備され、壁際には温かみのあるスタンドライトと、無数の観葉植物(かんようしょくぶつ)が並んでいた。

 そこはさながら、臨床(りんしょう)心理士(しんりし)がカウンセリングに用いる部屋のようだった。


 フードを被った女性は、美菜子を促してソファに座らせると、自身もまたテーブルを挟んで向かい合う位置に腰かけた。いつの間にか、テーブル上には占い師が使うような大きな水晶玉が出現していた。


「さぁ……遠慮の必要はありません。貴方(あなた)がいま抱いている不満を、怒りを、願いを、どうかこの私に話して聞かせてください。自由に何でも……」


 フードの女性は、確かにそう言った。

 たった今出会ったばかりの素性も知れぬ相手に、心の内をさらけ出すなど、普通なら決して考えられないことだっただろう。

 が、入った瞬間から部屋に充満していた奇妙なお(こう)のような(にお)いを()いでいたら、美菜子は自身でも気付かぬうちにガードが下がってしまっていた。

 そしていつしか、美菜子は胸中に抱える憤りを余すところなく吐露していた。


 自分は学校にも家にも居場所がなく、ゲンドー会と、教祖の玄道により救われたこと。

 その感動を分かち合いたいと思うだけなのに、教団のことを紹介し集会に誘うと、決まってその後、相手と連絡が取れなくなること。

 SNSでも同様で、友達と思っていたほぼ全員からブロックされたこと。

 そうして現在では計七つものSNSで事実上、追い出しの憂き目に遭っていること。

 そればかりか、それらの空間では教団に関する根も葉もない中傷が飛び交っていること。

 デマや中傷に加担する全ての人間が許せないこと。

 ふと気が付いてみれば、美菜子はそこで一時間近くも(しゃべ)りつづけていた。


 フードの女はその間、美菜子の話に頻繁に同意し、何度も何度も相槌(あいづち)を打ち続けていたが、遂にはこう言ったのだった。


「許せませんねぇ、それは……。大丈夫です、貴方は何も間違っていませんよ……」


 ようやく理解者が見つかったことで無上の喜びと安堵(あんど)を覚える美菜子に対し、フードの女は付け加えるようにしてこう言った。


「こうしては如何(いかが)ですか。無価値な情報から、彼らを解き放つのです。電子の海に浮かぶ偽の情報を消し去り、それを発した者たちに罰を与え、そして……。貴方だけが知る、真の智慧を教えてあげるのです」


 美菜子は、不本意ながらもしばし迷った。

 それは結果的に、非合法な手段を取ることになるのではないか、と。

「気にする事はありません」

 フードの女は、ダメ押しの様にもう一度言った。


「きっとその方が、彼らのためになるのですから。貴方の行動が、彼らを救うのです」

 そう言われたとき、美菜子の中で何かが決壊(けっかい)した。


 そうだ、その通りだ。自分は決して人々に報復したい訳ではない。

 ただ、人々を間違った情報から引き離すだけであり、その方が彼らのためになるのだ。

 これは一種の救済(きゅうさい)なのだ。

 そう思った瞬間、目の前のフードの女がにんまりと笑みを浮かべるのが分かった。


 フードの奥からさらりとした銀髪と、青い瞳が垣間見える。

 女の透き通るような声が、再び聞こえた。



「――――おめでとうございます。これで貴方は、永久に苦しみから解放されました」



 美菜子の全身から、ブワァッと虹色の何かが噴き出す感覚がした。

 それらはフードの女が抱えた水晶玉に猛烈な勢いで吸い込まれていくと、(まばゆ)い光を放った。

 一瞬にして、美菜子は意識を失った。


 気が付いたとき、美菜子は街路樹の下に座り込んでいた。

 あの牛車は忽然(こつぜん)と姿を消してしまっていた。

 すぐ傍に立っていた時計を確認すると、牛車に乗り込んで一時間は経っていたハズなのに、実際には五~六分しか経過していないことが分かった。


 何が起こったか分からず、混乱しながらも立ち上がったその時。

 離れた位置に立つ別の街路樹の陰から、二メートルはあろうかという巨体が不意に出現し、吼え声とともに何処か遠くへと走り去っていった。

 暗闇の中でそのシルエットは、まるで二足歩行する牛のように見えたという。


*  *  *


「間違いない、アイツだ……!」

 信二郎は即座に、あのニルルティという角の生えた少女の仕業であろうと直感した。


「ってことは、じゃあ、さっきのケータイやパソコンを壊された人たちって……」

「……おそらくですが、今までにこの教団の悪口を、一度でもネット上で書いた経験のある人たちでしょうね。掲示板なんかは勿論(もちろん)、SNSのアカウントも、条件さえ揃えば片っ端から、牛魔獣によってウイルスが仕掛けられたに違いありません」

 渋い顔で話に聞き入っていた悟空が、そう言って重々しく頷いてみせた。


「だけど、どうして……?」

 こうなった理由が分からずにいる信二郎に、悟空は一言ひとこと、ハッキリと説明した。

「牛魔獣とは曲界力――世界をねじ曲げる力の凝縮体だ、と言いましたね」

「ああ……」


「要するにこういうことです。牛魔獣とは、母体となった人間の現実逃避が具現化した存在。それを反映して動くのが、奴らの行動原理なんです。今回の牛魔獣を生み出したのは、美菜子さんの曲界力でしょうから、多分その影響で……」


 信二郎は、それを聞いて言葉を失った。

 現実逃避の具現化。

 にわかには信じられないが、確かに納得いく部分もあった。


 美菜子は自身が教団の一員であるという事実に、異様なほど固執する姿を見せていた。

 その結果、外部の社会との間にあまりにも多くの軋轢(あつれき)を生み出し続けていた。

 だが彼女はその原因を、自分自身の行動にではなく、社会の側に転嫁(てんか)することにより自己を正当化し、解決を図ろうとしてしまったのだ。


 例えるなら、選挙で負けた奴が、開票作業に陰謀(いんぼう)があったとか騒ぎ出すようなものである。

 これを現実逃避と呼ばずして何と呼ぶだろうか。


 一方で、大慌てなのが隣で話を聞いていた他の信者たちであった。

 細かい理屈までは分からずとも、自分たちの身内から生み出された怪物が今現在、街を混乱させていると聞いて、比較的常識のあった連中は酷く狼狽(うろた)えてしまっていた。


「大変だ、どうしよう!?」

誹謗(ひぼう)中傷(ちゅうしょう)は無くなってほしいけど、これじゃ殆ど犯罪と変わらないよ……」

「美菜子ちゃん、自分が何したか分かってるの?」


「――――アンタたちこそ分かってないわねッ! これだから信心の薄いやつらは!」

 すると美菜子は甲高い声で、居直るが如く喚き散らした。

 信者らは再び、一度に静まり返ってしまう。


「今日この場に! 若様がお戻りになっているその意味を、よく考えなさいよッ! 街が混乱するとしても、そんなのは所詮、一時的なことだわ! 若様が怪物を倒してくれる限り、またすぐにでも秩序は取り戻されるもの……そしてその世界に、根も葉もないデマはひとつも存在しない! そう考えれば、この程度のことは問題でも何でもないわ。それをアンタたちが理解出来ないのはね……若様を信じる気持ちが足りないからよッ!」


 信二郎は頭の中が真っ白になった気がした。

 血の気が引くような感覚が襲ってきて、思わず間近の壁に寄り掛かってしまう。

 何もかもが最悪だと、そう思った。

 それを見て悟空は何か言おうとしてくれていたが、すぐに口をつぐんでしまった。


 その後、いつ終わるともしれず支離滅裂(しりめつれつ)なことを口走っては笑い続ける美菜子は、見かねた信者たちによって何処へともなく連れ出されていった。


「……こうしちゃいられません」

 しぃんと静まり返ってしまった台所の空気を、やっとのことで破ったのは悟空だった。


「この事態を引き起こしている牛魔獣を、一刻も早く叩き潰しましょう。ゲンドー会の信者の皆さんも、少しでも責任を感じておいでなら、協力してください」

「だ、だけど……どうやって……」

「あたしに考えがあります」

 未だに狼狽気味(ろうばいぎみ)な信者たちを見回しながら、悟空はゆっくりと説明を始めた。


「おそらくですが……敵は何処かに隠れ潜み、この街のネットワークに介入して、次から次に標的を探し出してクラッキングを仕掛けているのだと思われます。だから逆に考えれば、その居場所は限定されてくる訳です。多分、電波状況のいい広い場所か、あるいは通信ケーブルが密集しているような専用の施設か……」


「可能性の高い場所を、しらみつぶしに探すということですね?」

「連絡には、この子たちを使ってください」


 と、いつの間に唱えていたのやら、モンキーマジックで生み出される例の子ザルらが五匹、ウキキー! と飛び出して、台所に残った信者それぞれに一匹ずつ張りついた。


「き、教団の連絡網を使って、可能な限り協力を呼びかけてみます!」

「では、我々は……西区の住宅街を! あの周辺はホットスポットが多いって、ゲーム好きの息子から聞いたことがあります!」

「なら、自分たちは……」

 などと、教団本部内は見る見るうちに騒がしくなっていった。

 悟空に昨日助けられた人間がいて、元から信頼感があったのも大きいのだろう。

 どいつもこいつも、(つたな)いながらも懸命に何かを果たそうと動き始めていた。


「若様も、参りましょう!」

 壁際でしゃがみ込んだままだった信二郎に、例の青木という信者が声をかけてきた。

「いざという時、我々だけではどうすることも出来ません! 若様が、悟空さんと一緒に敵と戦って下さらないと!」

「…………ボクは…………」


 信二郎は顔を上げなかった。

 上げようという気持ちにどうしてもなれなかった。

 何が若様だ。

 何がニアマスターだ。

 こんなことして一体、何の意味がある?

 どうせまた、コイツらの都合のいい妄想に利用されるだけじゃないか……。

 そう考えると一向に、身体に力が入らなかった。


 身動きひとつしない信二郎に、青木が困り果てていると、横から悟空が口を挟んできた。

「いいんですよ、この場はひとまず置いていきましょう」

「え? いや、しかし……」

「いいんですってば。今はとにかく、敵を見つけ出す方が先決です。ほら、急いで」

 悟空にやや強引に促されて、青木は混乱した様子を見せながらも、とりあえずは納得して施設の外を目掛けて走り出していった。


 最後まで残った悟空は一瞬だけ、心配そうな顔で信二郎を振り返る。

 しかしすぐに踵を返すと、自身も信者たちの後を追って本部を飛び出していった。

 大勢いた台所は、いつしか信二郎ひとりきりになってしまっていた。


 カチ、コチ、と時計の針の進む音だけが、無情なまでに信二郎の耳朶(じだ)を打つ。

 尚も信二郎は、そこから微動だにしなかった。

 どうしても動きたくなかった。

 仕方ないじゃないか――――昨日といい今日といい、どうせ何をやっても裏目に出るのだ。


 もう何もしないほうがいい。いや、何もしてはいけないんだ。

 そうやって自分を言い聞かせようとし続けた。


 唐突に、ガチャリという音がして、信二郎の目の前で部屋のドアが再び開いた。

 顔を上げると、そこには玄道が、昨日と同じ茶色い服を纏って立っていて、信二郎のことを見つめてきていた。


「やけに騒がしいと思ったが……」


 その顔を見上げていると、信二郎は否応(いやおう)なしにムカつきを覚えさせられた。

 そうだ、全部こいつが原因なのだ。

 弱った人間を言葉巧みに洗脳し、自分に依存させているこいつこそが……。


「……お前は、行かなくてもいいのか?」

「……ッ!」

「細かい理屈までは知らんが、あの悟空という少女は、お前が共にいなければ戦えないのではなかったか? 少なくとも、私はそういう風に聞いているが……」

「他人事みたいに言ってんなよ!」


 信二郎は激昂(げきこう)して思わず立ち上がった。

 今や、信二郎の中の苛立(いらだ)ちは最高潮に達してきていた。


「元はといえば、一体誰の所為でこんな状況になったと思ってるんだよ!?」

「……美菜子くんのことを言っているのであれば、確かに、私にも責任の一端はある……」


 玄道が珍しく(かす)かに目を伏せ、重々しい口調で言った。


「……あの子の暴走を、止めることが出来なかった。今までにもう少し、強く注意していれば良かったのかも知れん」

「それだけじゃない!」

 信二郎は追い打ちをかけるように、より一層強い口調で怒鳴った。


「そもそもが、こんな教団作らなきゃ良かったんだ! 心のふやけた連中囲い込んで、自分に依存させて! その結果がこれだ! 何かも全部アンタが悪いんだろ! ボクだって――」


 そこまで言いかけてから、信二郎は咄嗟に口をつぐんだ。

 悔しさが胸の奥から()()なく込み上げてくる。

 信二郎は(うつむ)き、唇を噛み、拳を握りしめる。爪が痛いほど手のひらに食い込んでいた。


「ボクだって……こんな教団さえなければ……」


 (しぼ)り出すような声しか出せないでいる信二郎を、玄道はただじっと黙って見ていた。

 するとやがて、玄道は静かな口調で言ってきた。


「……お前が、私や、教団との関係をどう捉えようとも、それについてはとやかくは言わん。だがな信二郎……あの悟空という少女に対してだけは、我々を言い訳に使うことは出来んぞ」

「……なに?」

 信二郎はトゲのある声とともに、目の前の男を睨み返した。

 しかし玄道は()くまでも落ち着き払って、「間違っていたら許せよ」と前置きした上で、こう問うてきた。


「私が見聞きした範囲内でだが…あの悟空という少女は常にお前のことを『信二郎』と、名前で呼び続けていたハズだ。若様とか、ニアマスターとか、この教団と関連付けた呼び方をしていたことは、殆ど一切なかったハズだ。信二郎……彼女は、ひとりの人間として、お前を頼ってきているのではないのか?」


 信二郎の呼吸が、一瞬だけだが止まった気がした。

 ああ、そういえば、と思う。

 出会った当初から一貫してそうであった。信二郎、と。

 悟空はずっと信二郎のことを、その名前で呼び続けてくれていた。

 加えて悟空は、昨日からずっと玄道をこう呼んでいた。信二郎のお父上、と。


 今、言われて初めて気が付いた。

 悟空は、彼女は、信二郎のことを、ゲンドー会あるいは教祖である玄道を基準にして、その付属物であるかのように扱ってくることは決してなかった。

 信二郎をひとつの主体として、ひとりの人間として見てくれていたのである。

 思えば彼女はハッキリと言ったではないか。「信二郎は信二郎でしかない」と。


 それも、信二郎がつい最近亡くなったとかいう彼女の元・マスター、玄奘三蔵法師と(うり)(ふた)つであるという、その感情を断ち切ってまでである。理屈では分かったとしても、多分そう簡単に割り切れる種類のものではないハズなのに。

 悟空はそんな自分の感情をも、ワガママとまで断じてみせたのだ。



「――――くそっ」



 信二郎は一言そう呟いて、気が付いたときには台所を飛び出していた。

 ダダダッ、という教団施設内の廊下を駆け抜ける足音が、次第に遠ざかっていく。

 あっという間に、台所には再び一人きりしかいなくなる。

 沈黙の戻ったその場所で、玄道は人知れず、小さな溜息(ためいき)を吐いたのだった。


*  *  *


 信二郎は、街の中をひたすらに走った。

 走って、走って、息が上がっても尚、無我夢中(むがむちゅう)でひとつの方向に走り続けた。


 自分が何故、その方角を目指したかまでは分からない。

 もしかするとカッカライザーを持っていたことで、彼女との繋がりのようなものが生じて、無意識のうちに信二郎を誘導してくれたのかもしれなかった。

 とにかく、今は理由なんてものはどうでもよく。

 気が付いたときには、信二郎は、悟空の元へと辿り着いてしまっていた。


「信二郎……!」


 セーラー服姿をした金髪ポニテの美少女は、背後から必死そうに追いついてきた少年の姿を見て、心底驚いたような表情をしていた。

 信二郎はぜぇぜぇと過呼吸気味になりながらも、何とか顔を上げようとした。

 しかし、こうして顔を合わせたまではいいものの、そうするまでがやっとで、実際何を口にしたらよいのやら、一向に上手く考えがまとまらなかった。

 そんな信二郎の様子を見守りながら、悟空は気遣うように訊ねてくる。


「……もう、平気なんですか?」

「正直よく……分からないんだ……」

 信二郎はどうにかして息を整えつつ、ゆっくりと言葉を探った。

 頭の中がさっきからグチャグチャなのだ。


「思わず飛び出してきちゃったけど、冷静に考えたら口車に乗せられただけな気もするし……大体、ボクが何やったって、奴らに都合よく利用されることには変わりないし……どうせそうなるのが分かってて、戦うことに何の意味があるのか、まだよく分からないし……だけど……だけどボクは……その……」


「……ねぇ、信二郎」

 その時、悟空が努めて優しげな声と表情で、信二郎に語りかけてきた。


「信二郎は、あたしが世間様からどんな風に呼ばれていたのか、憶えていますか?」

「何だよ、(やぶ)から(ぼう)に……」

「いいから。憶えてますか?」


「……斉天(せいてん)大聖(たいせい)とか、(とう)戦勝仏(せんしょうぶつ)とか……大体そんなんだろ。それぞれ別の宗教で、神さまにも仏さまにもなってるんだ……随分と立派なもんだよな」

 信二郎が微かに目を逸らし、多少ばかりの皮肉も込めて仏頂面でそう言ってやると、悟空は可笑(おか)しそうにクスクスと笑ってから先を続けた。


「では、それ以前は?」

「…………え」

「あたしが、かつてのお師匠さんと天竺までの旅を成功させる、それよりも以前は、あたしが何と呼ばれていたかご存知ですか?」

「え……えっと……」


「教えて差し上げましょう――――“()(ざる)”です」


 それを聞いて、信二郎は思わず言葉を失った。

 そんな様子を見た悟空は、何故かまたしてもクスクスと笑いをこぼすのだった。


「あたしゃね……元はといえば、花果山(かかざん)っていう山のてっぺんに転がっていた、一個の石の卵から生まれてきた存在です。だけど何故、そんなモノがそこにあったのか、何処からやって来たのか、未だに誰にも分かってないんですよ。

 そんな得体の知れない生まれだからか、あたしゃ若い頃、散々嫌な思いをさせられました。同じ山の連中には、(すい)(れん)(どう)を見つけるまではずっと遠巻きにされ、その後やっと修行して仙人の力を身に着けても、今度は天状界の連中から軽んじられました。役職をくれるということでついて行ってみれば、(ひつ)()(おん)なんていう適当極まる閑職(かんしょく)でしたからね。

 そうやって、気に食わないと思う出来事ばかり積み重なっていって、それでも尚、抵抗して暴れ続けていたら……信二郎もご存知ですよね、(しま)いにゃとうとう封印ですよ」


 悟空の口から語られる迫害の過去に、信二郎は黙って聞き入っていた。

 いつしか今までより一層、俯いてしまっている自分がいた。


「あの時、あたしゃ世界中の全てから(わら)われてる気がしました……『化け物は化け物らしく、身分を(わきま)えろ』ってね。ホント最悪でしたよ。ですが、もし……その時点で、あたしが自分に下された評価を受け入れ、所詮化け物の自分は何をやっても無意味なんだと、封印が解かれた後も何もしようとせず、天竺までの旅に同行すらしなかったら……多分、斉天大聖・孫悟空の名前は、『西遊記』に出てくる有象無象(うぞうむぞう)の妖怪どもと同じレベルに扱われて……現在に至るまで化け物以外の何者とも、思われることはなかったでしょうね」


「……そんなこと……言ったって……」

「きっと一筋縄ではいかないでしょう。誤解や偏見を受けて、苦しく辛い思いをすることもあるでしょう。それでもね信二郎……少なくとも『何もしない』ということが、他者からの評価を変えることには、一切繋がらないんです。たとえどんなに理不尽でも、不平等でも、自分がどういう存在であるかを証明するためには、行動してみせるという以外に一切、手段はありはしないんです」


 悟空はまっすぐに、信二郎のことを見つめてきてそう言いきった。

 その眼を直視することが、心底怖かった。

 見つめ返したが最後、その問いかけに応えなければならなくなってしまうから。

 それはおそらく、前人(ぜんじん)未到(みとう)()てつく荒野か、(いばら)にまみれた様な道であるに違いなかった。


「…………出来るのかな、こんなボクなんかに」

「大丈夫ですって!」

「んッ……」


 突然、頭をガシッと掴まれ、やや乱暴な手つきで()でられてしまう。

 以前同様、やはり不思議と嫌ではなかったが、胸の奥が締め付けられるような気分になった信二郎は、思わずちょっと身をすくめてしまった。

 そんな信二郎の様子を、妙に(ほが)らかな表情で見つめながら、悟空は言った。


「前にも言ったじゃないですか。このあたしが、信二郎の御側(おそば)にいます。苦しい時が来ても、辛い時が来ても、必ず共に歩んでいくと誓ってみせます。信二郎が味わうであろう、不安も、痛みも、寂しさも、このあたしが一緒になって背負っていきます。だからね、信二郎……どうか最初の一歩目を、アナタ自身の意思で、踏み出してみてくださいよ」


 悟空の(つむ)ぎ出す、情熱的と評してさえ余りある言葉に、信二郎はゆっくりと顔を上げた。

 今度こそ、信二郎はその赤く()んだ瞳を真っ向から受け止めた。

 問うて来ている。決断を求めてきている。

 そしておそらく、その瞳の中に嘘や偽りは欠片も宿ってはいなかった。

 信二郎はここへきて遂に、観念したようにため息をついた。


「…………約束、だからな」

「はいッ!」


 悟空が()()ぐすぎるぐらいに、堂々と返事をして頷く。

 信二郎は敗北を認め、ポケットの中から縮小されたカッカライザーを取り出すと起動・伸長させ、メカニカルなディティールのある黄金の(しゃく)(じょう)として眼前に構えた。

 そして今度こそ覚悟を決めた。


 きっと、これからも決してこの瞳から逃れることは出来ないだろう、と。

 ならばいっそ、行くところまで行ってしまおう。

 この際やけっぱちである。


「――――カッカライジング!!」


 信二郎が唱えるキーワードと共に、錫杖の先端と悟空の頭に(はま)った金の()が、呼応するかのように同時に光り輝き、そして次第に辺り一面を覆い尽くした。

 光が弱まっていくと、その中から現れる、赤地に金のバトルスーツ姿をした孫悟空。

 これでその力は名実ともに百倍となった。


 彼女は(ねぎら)うかのように、信二郎を振り返って笑顔と共にサムズアップをかましてみせると、それからすぐに眼前でくノ一の如き印を結び、声高らかに宣言した。



「モンキーマジック・キントウン!」



 その瞬間、突如として、悟空の頭上に広がる晴れ空の只中(ただなか)に、ゴロゴロと雷鳴を轟かせながら巨大な黒雲が発生し始めた。

 信二郎がポカンとしていると、その黒雲の中で幾重(いくえ)にも大きな稲妻(いなずま)が走って、瞬きを終えた直後、その雲の塊を突き破るようにして、金属光沢を持つ真っ赤な何かが地上目掛けて猛烈な勢いを伴って飛来してきた。


 それはなんと、後部からのジェット噴射で宙を舞う、一種のサーフボードのような形をした乗り物であった。


「……おい悟空、なんだアレ!?」

「あたしの自慢の愛機です! これで一気に(かた)をつけられますよ!」


 召喚者の悟空同様、赤いボディに金のラインが入ったそのマシンは機体周囲と通過位置に水蒸気による真っ白な航跡(こうせき)を残しながらビュンビュン飛び回ると、「とうっ!」とかけ声高く跳躍(ちょうやく)してきた悟空を回収して、一気に街の上空へと舞い上がっていった。


 傍から見ると、まるで雲を乗りこなしているかの如き印象を与えるその姿は、まさしく伝説に記述される通りの、斉天大聖・孫悟空そして筋斗(きんと)(うん)


「うわっ、今度は何だ!?」


 不意に、カッカライザーを通じてなのか、信二郎の視界に悟空が見ているものと思しき街の空撮映像が流れ込んできた。まるで、最近流行りのVR技術だった。腰が抜けるかと思うほど驚いたが、悟空の側が気付いたのか信二郎宛てに呑気(のんき)にピースサインなどしてくるので、たちまち緊張感は霧散していった。

 ともかくこれで、敵の潜んでいる場所を一気に見つけ出せる。


 信二郎の視界に映る、広大すぎる陀緒須の都市部の街並みは、さながら精巧なミニチュアであった。おそらくは、悟空の意識とシンクロしているのであろう。それらのひとつひとつに、目まぐるしい勢いで焦点が定まっては、次から次へと移り変わっていく。

 気を付けないと、酔ってしまいそうだった。


「悟空どうだ、見つかったか!?」

「ちょい待ってください――あそことあそこにはいない――こっちは――あ、見つけたッ!」

 空撮映像が、急激にとあるビルの屋上部分へとズームしていく。


 そして、そこに、目的の人物たちが居並んでいた。

 角を生やした銀髪碧眼のメガネっ娘、ギューマ一族のニルルティ。

 更に隣にもう一人、いや一体と言うべきか。

 先日のハンマーホルスタインとは別の種類の、新たな牛魔獣の姿が見えていた。

 標的を見つけるなり、悟空はキントウンをフルパワーで飛ばし、彼らの元へと辿り着く。


「――オラオラァ、ニルルティ! そろそろお開きの時間ですよ!」

「な、そ、孫悟空!? おのれ……やはり屋外では、発見のリスクが高かったか!」

「今さら悔やんだって遅いんですよ!」

「ちッ……やってしまえ、牛魔獣コンピュータースイギュウ!」


 オロロロロォ~ン! という奇妙な鳴き声が高層ビルの屋上に響き渡る。

 その牛魔獣は、黎明期(れいめいき)のアップル社製品みたいなレトロ感満載の外観のコンピューターに、茶色っぽい牛の頭と細長い手足を生やしたような、実に奇妙な見た目をしていた。

 また奇妙と言えば、その牛魔獣は何故か屋上で座禅を組んでいた。

 その姿が腹の立つぐらい玄道に似ている気がして、信二郎は早く撃破してくれと願った。


 が、そう単純にはいかなかった。

 コンピュータースイギュウは座禅を組んだまま、その長い二本の角の間からバリバリと電撃を放って、悟空の迎撃に打って出てきたのである。

 対する悟空はそれを、キントウンを縦横無尽(じゅうおうむじん)に飛び回らせながら、ひとつ残らず華麗に回避していく。青い稲妻が悟空の間近を(かす)めるたび、信二郎は肝が冷える思いだった。


「……悟空ッ、きっとあの二本の角がアンテナ代わりだ!」

「気が合いますね! あたしも、そうじゃないかって思ってましたよ!」


 軽口を叩きながら、ただの一撃さえも被弾しない悟空の操縦テクニック。

 それを見て苛立ちが募ったのか、次第にニルルティは喚き散らすようになっていった。


「何故だ……なぜだなぜだなぜだッ、孫悟空ッ! 何故、貴様はことごとく我らギューマの行く手にばかり立ち塞がろうとするッ!?」

「愚問ですね……これがあたしの仕事だからですよ!」


「そうではない! 貴様とて、かつてはギューマ一族とその(こころざし)を同じくした者! 我が父上にして一族の長――牛魔王ダルマさまと()(きょう)(だい)(ちぎ)りを結んだ仲でありながら、どういう訳で天状界の手先になった!? どうして今更、体制の犬となって我らの目的を阻む!?」


 信二郎は先日同様、またしても一瞬、聞き間違いではないかと思った。

 悟空が、ギューマの頭目と義兄妹だって?

 それに対して、当の悟空はしばらく沈黙していたが、やがてこう言った。


「――――人を犬呼ばわりとは――――いい度胸してますね!」


 悟空の乗るキントウンが、大きくカーブを切った後、急激に増速した。

 そうしてコンピュータースイギュウの背後を取るや否や、一直線に突っ込んでいく。

「――――一体誰が――――天状界の手先ですって?」


 ウガアアアアッ!

 悟空のキントウンを使った体当たりで、コンピュータースイギュウが交通事故に遭ったかの如く空中に吹っ飛んだ。にもかかわらず、悟空は機体を急転身させると再度、敵に向かって猛スピードで迫っていく。

「――――体制的になった覚えなんぞありませんよ――――勘違いも(はなは)だしいッ!」


 グギャアアアッ!

 またしても()ねられるコンピュータースイギュウ。悟空はしかし追撃の手を緩めない。

「――――あたしが信じたのは三蔵法師――――お師匠さん唯一人です!」


 ギアアアアアア!

 むしろやり過ぎではないかというぐらい、繰り返しキントウンに撥ねられたコンピュータースイギュウは、今や高層ビルから遠く離れた空中でボロ雑巾(ぞうきん)のようになっていた。

 悟空は、どこからともなくニョイロッドを取り出すと、例のバット風味の構えをとる。

 と同時に、その片側の先端が、たちまちバチバチと火花を放ち始めた。



「――――ニョイロッド・スパークシャフトォォォォォォォォォォォォォォ!!」



 空中での最後の邂逅(かいこう)()、悟空はその一撃を、遠慮なしに敵の胴体へと叩きこんだ。

 悟空がキントウンで駆け抜けた刹那、その背後でコンピュータースイギュウが絶叫を残して大爆発した。

 道行く一般人が、思わず空を見上げてしまうほどの派手なフィナーレ。


 それを歯軋(はぎし)りしながら見ていたニルルティだったが、やがて諦めたように呟いた。

「……まぁいい、当座の目的は果たした……」

 ニルルティはまたしても、気付かぬうちに屋上から姿を消してしまっていた。



 悟空が、信二郎の元に飛んで戻ってくると、操縦者の離脱したキントウンは出てきたときと同様の黒雲を発生させて、その中に突入し消えていった。

 信二郎の近くに華麗に着地してきた悟空は、今までの戦いが嘘のようにカラッとした笑顔を浮かべていた。


「ふぅ~……やっぱりキントウンをブッ飛ばすのは、気持ちがいいもんですねぇ」

「お疲れ様、悟空」

「いえいえ、信二郎こそ。無茶な運転で酔いませんでした?」

「まぁ、なんとか……」

「そりゃ何よりです。んじゃ、教団の皆さんに連絡しますかねぇ」


「牛魔王と義兄妹ってホント?」

「…………あー」


 途端に悟空は、バツが悪そうに目を逸らし、口ごもった。

 成程。どうやら本人的には、あまり触れてほしくはない過去だったらしい。

 しかしやがて、悟空は逃れきれないと悟ったか、肩を落とすようにして話し始めた。


「なんといいますか、その……勘違いしないで頂きたいんですが、決して高い理想に燃えてたとか、そういうのとは違うんですよ。ホントただ単に、自分を化け物扱いした社会を認めたくなくて、ツッパッてたというだけの話で……」

「……理想も何もなしに、反体制運動やってたの?」


「正直言ってしまえば、牛魔王の思想や主張がどんなものであるかも、よく分からないで賛同してたんですよ……今にして思い返すと、非常に視野が狭かったと申しますか、既存(きぞん)の社会を何でもかんでも拒絶していれば、自己が確立できるんだと思い込んでた、我ながら恥ずかしい時期がありまして……」

「そういえば、美菜子さんの気持ちが分かるとか言ってたよね、昨日」


「あそこまで酷くはなかった、と自分では思いたいんですが……。まぁ、若かったんですよ、あの頃は……そんな言葉で片付けちゃいけないぐらい、色んな人に迷惑かけたんですけどね。お師匠さんに出会って良かったと、今では心からそう思います」


本当に、このセーラー服着た少女はいま何歳なんだろうかと、信二郎は思った。


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