兄弟は似るもの
学生寮というのは、何とも陳腐なものだった。近所のマンションと構造は大して変わっていない。
1K風呂トイレ付、西日が眩しいベランダ、壁紙や家具が全体的に灰色一色、モノクロで整えられているのはユウの趣味だろうか。
テーブルの上にはノートパソコンが、箪笥の前にはテレビがあるのがこの部屋の大きな娯楽なのだろう。
しかし黒のガラステーブルの上に乗った、こたつみかんのようなバナナは解せない。
「お前、バナナ好きなの?」
「え、ええ。美味しいわよ?」
なんでどもるのかもわからんが、とにかく俺は部屋を物色し始めた。
廊下一つでここはベランダのある部屋。
部屋の右奥に黒と白の箪笥、上には黒い箱。
部屋の左端には畳まれた青を基調とした布団とロッカーみたいなクローゼット。
手前の方には開け放たれた段ボール箱がいくらかある、どうやら雑貨を置いているらしい。
キッチンのスペースに電子レンジとか冷蔵庫とかがあって、敬華はその方にいる。
で、ユウは部屋の隅に畳まれた布団の上にちょこんと座って借りてきた猫のようだ。
「なんだそれ、ベッドの上に腰掛けるいじらしい女アピールか?」
「そ、そんなんじゃなくって! ……敬華ちゃんの前でそういうのやめてよ」
すぐに照れるユウは放っといて、俺は物色を再開する。
まずは箪笥の上の箱。
「これ何入ってんの?」
「聞く前に開けているくせに、何を聞いているの?」
どうやら化粧品らしい。ピンセットとか、筆記用具までもが雑然と混じっている。
しかし特に面白いものはない。こういうのは敬華が見て楽しむものだろう。
それを箪笥の上に戻すと、次は五段ある大きな箪笥を上から見て行った。
「ちょ、ちょっと礼貴! なに勝手に開けてんのさ!」
「あ? いいだろ減るもんじゃなし」
「礼貴から僕への評価が下がるでしょ!」
……自覚してんのかよ。じゃあなぜ俺を家に呼んだのだろうか。
「ダメよ、お兄様。ユウさんはお兄様を結婚したいくらい愛しているのですから、その辺りはちゃんと考えてあげませんと……」
キッチンの方からどこか上の空のような敬華の言葉が聞こえて、ハッとした。
そういえば、部室で壮絶な告白を受けていた後だった。
とユウを見てみれば、ユウも俺みたいな反応をしていた。
「そっか、バレちゃってたんだ……」
ものすごく気まずい時間が少し流れた。
なんとかしなければならないという使命感から俺はまず箪笥の一番上を開ける。
ここにあるのは私服らしく、ゆったりしている感じの上下が揃っている。女性用ばかりだが、まあ普通の女性の衣服だ。
「れ、礼貴!」
「次!」
二段目には下着だ。これも当然女性用、しかし信じられないのは上の下着まであることだ。
俺はユウの顔を、次に胸をまじまじと見つめた。
「つけてんの?」
一言だけで、ユウも察したらしく、こくりと頷いた。
正直、どうしたらいいか分からなくなってきた。
男に戻すんだよな? じゃあとりあえず外せばいいんじゃね?
「ユウ、じっとしてろ」
そう言って、ユウの背中に両手を伸ばして、外しづらいからと少し体を引っ張った段階で、ユウは完全に誤解していただろう。
ブラジャーなんて外したことはないので、当然もたつく、当然体は密着する。
……。
ふっと、手を放して俺は壁にもたれた。
「なんかもう、疲れた。お前着替えろ。女の服やめろ」
最初からこれだけを言えばよかったのだ。何を自分でいちいちしているのか、馬鹿らしくなってきた。
「な、なんだ、そういうこと? びっくりさせないでよ」
「お前、なんで女装してんだっけ?」
「だから、男の人が好きだからだって」
もうすっかり疲れてしまった。なぜ意味のない質問をしたのかは自分でも分からない。
座り込んで、横にある箪笥の一番下の段を引っ張ってみると、中にはお菓子が詰まっていた。
この日常的な空気に凄く心が癒される。現実逃避に近いが、これこそが普通の高校生の部屋という者だ!
「おっ、食いしん坊周一くんのコレクション発見。お前もこういうの食うんだな」
「礼貴は僕のことをどう思っているわけ? 普通の高校生だからね?」
「普通ではねえがな」
適当に引っ張り出してみると黒い麩菓子があったので、適当に食う。
「甘い。旨い」
「勝手に……まあ、いいけどさ」
敬華は一体何のつもりでこんなところに来たのか。
俺は今から他人と遊ぶほどの体力はもう残っていない。体育もあったし。
すると敬華は突然走って部屋にやってきて、布団を広げ始めた。
「ちょ、何しているの敬華ちゃん!」
ユウが止めるも、時すでに遅し。中にあった変なイラストの抱き枕は既にまくれ上がっていた。
変なイラスト、とは言ったがその写真は俺も知っている。
つうか俺の写真である。
「すべての謎が解けました……。でも、お兄様には黙っておきます」
「おいなんだよ気になるだろ、教えろ」
「お兄様、いくらお兄様の頼みと言えど、心の師匠であるユウさんのためにも私は口を噤みます」
「あそ、なんでもいいよ」
その後、ユウと敬華が廊下にある洗面所の方に行った。まあ二人きりで話でもあるのだろう。
さて。
俺も興味をひかれたので自分の抱き枕をちょいと調べてみる。
間違いなく俺の写真である。いったい何時とって何時拡大コピーしたのかさっぱり分からんが、ストーカーレベルの行為と言える。
今週喋ってから、こいつに写真を取られるということはなかったはずだから、それ以前という可能性が高いだろう。
しかし、写真を取られるとは俺も不用心かもしれない。しかしそれ以上に、なぜ引き延ばしてこんな気持ち悪いことを……。
ユウは男性には恋愛性を求めていると言っていたが、うーん。
なぜ俺の写真の口のところに白い染みがついているんだろう。
バン! と扉があくと、敬華とユウが部屋に戻ってきた。
「お、よ、よく戻ってきたな! じゃ、じゃあ俺はそろそろ帰るから」
布団を畳む姿を見られただろうか、不安に思い二人を見ると、どこか目をそらすユウと何か決めたような敬華が立っていた。
「お兄様、失礼ですがじっとしていてもらいます」
「な、なんで?」
バレたのか、と勘繰ってしまうが、驚くべき恐ろしい理由だった。
「私、ユウさんの恋愛を応援します」
「そ、そうなんだ! ごめん礼貴!」
申し訳なさそうなユウと、意を決した敬華。
二人は襲いかかってきた――
二発の拳骨の後、二人を正座させて俺はテーブルに腰掛けて二人を見下ろしていた。
「で、何があって何をしようとしていたか、説明してもらおうじゃねえか?」
二人とも頭にたんこぶを作って、涙目で顔を合わせている。
こちとら、我慢の限界じゃ。二人ともほっぺたが倍になるまで叩きたい気持ちですらある。
「私は、お兄様とスキンシップを……」
「嘘吐いたら針千本じゃ済まさねえぞ?」
冗談と受け取れなかったらしく、敬華はムグ、と言葉を詰まらせた。
その様子を見かねたらしいユウが敬華を弁明する。
「ち、違うんだ礼貴! 僕が敬華ちゃんは僕のことを思って協力してくれて……」
「おう、おう、まずお前ら何を話してたんだ?」
気分は遠山の金さん、この下手人二人の目的の前に動機を調べる必要がある。
ここでユウが顔を赤らめ伏せたため、敬華が代わりに答えた。
「それは、お兄様のことを真に愛しているという確認をしたので、その愛のお手伝いを……」
「ユウ、敬華の言うことに嘘はないか?」
「う、うん……」
ますますポッと赤くなる。俺も金さん気分で忘れていたが、恥の上塗りをさせてしまっている。
「つうか、俺の顔も見たくないとか言ってただろ? なんで急にそんな?」
かねてからの疑問だ。ユウがなんかさっきから俺に好きアピール的なことをしているが、以前からのそっけない態度を見れば、それがいかに真剣な顔で言われても、本当かどうか信じられない。
それに敬華だって俺に間違った道を進ませない、なんて言ってたのに、今はユウに協力するという。
「だって、不自然でしょ? その、ねぇ、嫌われるようなことされているのに、好意を持っている風だったらさ」
ふーん、こいつなりの空気を読む行為だったらしい。だが深く考えたくない。
「ま、それはともかくだ、何をしようとした?」
いきなり襲いかかって、厳密に言うと二人同時に俺にタックルするように跳ねてきたのだ。ただ事ではない。
「あ、えーと、それはそのー」
敬華が口ごもると、今度はユウが答える。
「その、ちょっと礼貴に悪戯をしようとして」
「悪戯、ほぉ。敬華、その言葉に嘘はないか?」
「……うん」
ばつが悪そうに言う敬華に、俺はホッと溜息を吐いた。
「なんだよ悪戯くらいで仰々しい。心配して損した。俺はてっきり襲われるかとでも思ったぜ」
自意識過剰だった。単なるスキンシップか何かだったらしい。
二人が妙に間の抜けた顔をしていたことが気になるが、特に気にする必要はないと判断した。
「じゃあそろそろ帰るか。敬華、もういいな?」
「え、うん。わかりましたわ、うふふ」
含み笑いが鼻につくも、二人で家に帰ることにした。
家にはまた親がいない。
俺が一人で飯を作っている間、敬華は部屋に籠っている。何をしているかは知らないが、普段通りなので特に気にはしない。
本日はすぐにできるようにハムステーキといつもの野菜セットである。インスタントのコーンポタージュと米で味わう。
料理の完成をそこから大声で言うと、敬華はそそくさとやってくる。
「ありがとうございます、お兄様」
「あーはいはい」
俺が一人で食事を始めると、敬華はなぜか箸を持ったまま硬直していた。
「どうした? あっ、学校で俺に散々なことを言ったことを反省しているんだな。よし、歯を食いしばって五分待っとけば許してやるぞ」
「いっ、いえいえ違います! そのですね」
慌てて両手を振って見せて、敬華は真剣な顔で俺をじっと見た。
「……ユウさん、坂上周一さんの話です」
「んだよ、食事中に縁起が悪い」
「縁起!?」
無論ジョークである。あまり真剣そうなので場を解そうという兄としての優しさ。
だが敬華はそんなものは余計だと言わんばかりに俺を再び真剣な顔で見た。
「あの人は、美の女神です」
「何言ってんのお前?」
男とか女以前にゴッドと化していた。こいつは本当に頭が大丈夫だろうか?
「お兄様、はっきり言ってユウさんが女性だとしたら、どうしていました?」
「どうって、別に今と変わらんってことはないが、同じ部活には成り行きでなっていたと思うな」
神発言が非常に気になるが、まあこいつにも順序があるのだろう。
冷静に過去を思い返しても、あの部活に入ったのはユウが男と知る前、入部を決めたのも会長の手腕による、もしかしたらユウのこともあったかもしれないが、女性だと分かったとしても入部はしていただろう。
「いえ、そういうわけではなく。恋愛の対象となったかどうか、です」
今は友達か特殊な関係だが、女性ならどうだったか、という話だろう。
それは俺の一目惚れっていうのもあって、話すのは少し恥ずかしい。
「今と一緒じゃねえだろうな」
凄く曖昧な答え方だったが、敬華はそれで納得したらしい。
「当然です。ユウさんの性別が男性かどうかはまだ分からないんですが」
「いや分かれよ」
敬華は俺の発言など意も介さず続ける。
「あの人の美しさは、女性としての美しさは天下一品です。私は私より美しいと認められる人を初めて見ました」
「なんつう傲慢な……」
とは言うものの、確かに敬華は妹贔屓抜きにして、可愛いって点ではそこいらの女子と比べ物にならないほど良い、とは分かる。
そんな風に目が肥えた俺でも、ユウに一目惚れした、と考えてもユウがとにかく良いということは分かるだろう。
「ま、確かにユウは、なんつうか、凄いよな。でもそれで神は言い過ぎだろ」
「私、ユウさんと結婚を前提におつきあいしたいです」
「はぁ!? お前もう言っていることちがくね!?」
女として美人なのに、女の敬華がユウを好きになるというのは流れとして不自然だ。
「でも男性ですから。尊敬できる異性は、お兄様と兄同然の颯太さんしかいませんでしたので、あの方が一番ぴんときたのです」
「いやいや、女としての美しさが凄いんだろ? お前おかしいだろ? 同性愛者?」
「それなら、お兄様がユウさんと付き合う方が正しいような言い方ですね?」
ピクっと唇が震えてしまった。
「馬鹿言うなって、あいつは男だっつの」
「なら、私がユウさんとお付き合いしても問題はありませんね?」
「ま、勝手にすりゃいいだろ」
まるで食事が進んでいないことに気付いて、俺は遅れを取り戻すように急いで肉にがっついた。
敬華が結局何を言いたいのかはよくわからなかった。けれど何かを、謀略とか呼ばれるような暗い考えを持っていることは間違いない。
「お兄様、ゆめゆめ選択は間違えないように……」
がっつく俺に、敬華はゾッとするほど冷たい瞳を俺に向けていた。
夜の帷が降りてきた空は、夕空の茜と紫の混じった、非常に美しくも悩ましい色彩を成していた。