妹参戦! レディースデー女性専用車両レディーファースト!!
なんかタイトルがもう、タイトルがもう……。
セイド会の部室には、ユウしかおらず、普段通りに本を読んでいるだけだった。
「上級生って忙しいんだな」
「そうみたいね、いつもあなたの顔を見るたびにガッカリするわ」
「俺はお前見て安心すんだけどな」
ふと呟いたら、ユウは信じられないものを見るような目で、俺を凝視していた。
「……なんだよ?」
「い、いや、随分となかなかなことを言うじゃない……」
歯切れの悪い言葉はユウらしくない、周一が混じってんのか。
別にユウがいて安心するというのはお世辞でもなんでもない。ただあの、三年二人と一緒になったりすると、気まずいというか、帰りたくなる。
「何言ってんのか全然分かんねえ。言いたいことははっきり言えよ」
するとユウは顔を赤くしたまま俯いてしまい、今度は本を置いてその顔のまま俺に目を向けた。
「あーあ、分かったよ。君といると読書に集中できないんだよ」
またも周一になった。
だが、俺は別に周一が嫌なわけではない。ユウの喋り方だとあいつの言っていることが嘘くさく感じるし、何より男の方の喋り方をするということは心も男らしくなってきているということだ。つっても、周一は充分女々しい。
「俺がうっとうしいってか?」
妙にはっきり文句を言うから尋ねると、ユウは気恥ずかしそうに首を振った。
「……ううん、本が読めないから、喋ろうかなと思って」
「ほお、殊勝な心がけだ」
二人きりで、周一モードで、しかも向こうも話す気、となると俺は例の話をふっかける。
「なあ、結局お前が女装してんのはなんでなんだ? 男が好きなんだよな?」
「なっ――! なんだよ急に! その話が今重要か!?」
「ああ、お前を知るうえで大切なことだろ。男に戻すためにも」
昼休みに確信には近づいたものの、やはり本人の口から聞かねば納得はできない。
しかし、やはりユウにとっては恥ずかしい理由なのだろうか、顔を少し赤くして黙っている。つうか赤面症か? すぐ顔が赤くなっちゃうから白粉をつけるために女装という形式を……とか言われたら困る。
「その……そうね、自分が男であることは自覚しているのよ? 子供のころは、ゴニンジャーみたいな戦隊モノだって見ていたし、リリカちゃん人形で遊ぶ男子を軽蔑するような目で見たりもしたわ」
過去を語り始めたユウの話を聞くべく、俺は黙ってうなずく。
直接話しづらいこともあるだろうし、少し遠回りでも正直な話を聞くためには必要なことだ。
「でも、そうね、優秀な弟が、私にはいるの。何をやっても私より上手で、ふふ、末っ子だからとても甘やかされていて、反面親は私に厳しくなったわ」
その話が女装に関係する理由は、何となく分かる気がする。
こいつは、今日の体育で分かったがとても貧弱だ。その分、こういう風に冷静に自分を見つめたり、この学校に来るほどの学力がある。
けれど長所と短所がある自分に比べ、自分を補い余りある長所を持つ年下の存在は、受け入れがたいのかもしれない。
いやきっとユウならば、周一ならば受け入れることができただろう、だが親の言動が認められなかった。
「それで嫌になって一人暮らしをすることにしたわ。今は学生寮に住んでいるの」
「……そうか、女装もそういう理由なんだな」
きっと数多くの葛藤があったんだろう。
それは家族に対する反発心かもしれない。自分を認めない家族に対して怒られようが憎まれようが反発するための手段。
もしくは、そうやって構って欲しかったのかもしれない。幼い周一が弟から親の目を奪うために思いついた、幼い少年が考えそうな奇をてらった考え。それが身についたのかもしれない。
また、弟への対抗意識だったかもしれない。自分より優秀な弟、という男の存在に対し、自分は女性だから劣っていても仕方ない、そんなこの部活が嫌う偏見を利用して自分を認めようとした結果、なのかもしれない。
だが、だがそれは全部逃避だ。
弱い自分から逃げるための、認められない自分を認めないための、ただの逃げ。
周一をそんな状態のまま放置するわけにはいかない。
俺はこいつを戻してやると、売り言葉に買い言葉だが言った。こいつとの付き合いも短いが、いろんな話を直接してもらったんだ。
だったら男として途中で見捨てるなんざできねえな。まずこいつの家族と話し合うことをした方がいいかもしれない。
そんなことを思っていると、ユウは呟く。
「……あの……それは、普通に、私、小学校の高学年くらいから女性よりも男性の方に意識が向くようになって……うん、女装はそれ」
「……あ?」
「いやほら、やっぱり男の人に異性として見てほしいんだよね! 自分で言うのもなんだけど、僕って結構女顔だし、声も高いし、毛の処理とかは大変だけど、意外とみんなころっと騙されてくれるし……」
照れ照れと、恥ずかしそうに頬を掻く姿は可愛らしくあどけない少女のようだが、なんか勘繰って勝手に納得した後にこうされると、腹が立つ。
「お前、一発殴らせろ。一発でいいから」
つい、俺まで深い溜息を吐いてしまう。
「なあ、お前さ、男が好きっつっても女の体に興味がないことはないだろ?」
こいつだって男の立派なナニがついているのだ、女性らしさというものに触れればきっと、そういった部分が反応するに違いない。
女性らしさと考えたが、生憎この部活に女性らしい人物がいない。会長は中性にこだわるし、角さんこと角藤先輩は男らしくなろうとしているし、百合はもう別物だ、見た目はいいけど。
「女性の肉体に興味……あまり抱いたことはないわね。その、ホモセクシャルにも色々な種類があるのだけれど……」
なかなか刺激的つか特殊な内容なのだが、ユウは咳払いして、真剣な目で話し始める。
「まずあなた、男女間の友情はあり得ると思う?」
「それがなんか関係あんの?」
どうして同性同士の話から男女の話になるのかは分からねえが、ユウが真剣な顔して頷くので、考えることにした。
俺はそもそも友情ってのがなかなかない。すぐに手が出る性格のせいで颯太ぐらいしか友達がいないからだ。
女子は軒並み野蛮な俺に目を向けない、だから実体験からの考えはできないが……。
「ありえるんじゃねえの? んな誰もが相手の股下しか見ねえで付き合うわけじゃねえし」
そりゃ人間は下心があるなんて言うが、誰もがエロいことばかり考えて人付き合いをするなんてことはないはずだ。
利害のない関係、そういうものも世の中にはある。
それにユウは頷いた。
「その通り、別に世の中の人全てが人間関係を作る際に、その人と……その、子づくりをすることなんて考えないでしょ? 私もそれと同じなの」
「どういうことだ?」
「基本的には恋愛する性別と、子づくりする性別での判断があるの。私は、子供を作ろうとは考えたことがないし、恋愛するなら男性だけ、女性はない、と考えている。だから、要するにね……」
わざわざユウは身を乗り出してまで、俺に伝えた。
「私、男性にしか興味がないのよ」
真っ黒な瞳に、蛍光灯の明りが反射している。
そんな爛々と輝く瞳で見つめられたって、信用できることとできないことがある。
「本当にそうか?」
不思議そうな顔をしてユウは席についた。
「どういうこと?」
「本当は嘘を吐いているんじゃねえの? ちょっと待っとけよ……」
いいことを思いついた。
颯太からメールでグラビアアイドルが水着で縄跳びを飛ぶ動画をもらってだな……。
早速探してみると、まだ幾らか残っていた。
「おい周一、いいもん見せてやるよ」
席を移動して、何故か嫌がるユウの首をぐっと掴んでスマホの画面を見せつける。
「俺はこういうのはあまり好きじゃないが、まあ颯太のお裾分けってことでよく見ろ」
「ちょっ、礼貴、近いよ」
首を横に向けると、確かに間近にユウの顔があった。息が頬をくすぐる。
「悪い悪い」
俺は少しだけ顔を離すが、見逃してもらっても困るので首は掴む。
「ほら、つけるぞ」
小さな画面には、大きな胸を弾ませて跳ねるアイドルがいる。なんでこの人は外で縄跳びをぴょんぴょん跳ねてんだろうね、しかも水着で。
「どうだ? いやらしいか?」
「べ、別にこんなのは平気だよ! ……ただ、その……」
そんなこと言いながら、ユウはそわそわと落ち着きがなく、顔もどんどん赤くなっている。
「あ、平気だってんならなんでそんなに……」
そう、ユウの方に目を向けて、俺は思わず言葉を失った。
そわそわと足を動かしつつ、ユウの両手は股間の何かを抑えているようで。
「お前、まさか?」
軽く腕を掴んでみると、めちゃくちゃユウは震えた。
「ちっ、違うよ!! 別にそんなんじゃなくて!!」
「おいおい、体はド正直じゃねえか。何が男性にしか興味ありませんだよ!」
思わず笑ってしまうほどユウは動揺している。必死に自分のそれを隠そうと動いている。
「ち、違うって、礼貴、僕はその……」
「ああ、ああ、なんだ周一くんよ? そんなに何を必死に隠しているんだ?」
責めるようにもっと顔を近づけると、ついに周一は喚いた。
「動画じゃなくって! 君がそんなに近づくから、こう、変な気分になって……」
申し訳なさそうに、目を潤ませるユウは、俺を一心に見つめていた。
……。
「そんな顔、すんなって」
「……ごめん」
「あやまんなって」
「……ごめん」
だから謝るなっての。とは思うが、何も言えねえ。
「……ごめんね?」
「分かったから、分かったから悪かったから」
俺は悪いことをした気分になりつつ、とにかくさっきの席に戻った。
まんじりとしない時間が再び始まった。
最初の言葉通り、俺のせいでユウも本を読まずこっちをちらちら見たり、目をそらしたりして、非常に気まずい。
かくいう俺もノートを出し広げ、会長を待つついでに予習をしている風にみせかけて、ユウの方をちらちら見て、なんか目が合ってそらして、ということを繰り返していた。
非常に恋愛っぽくて、また恥ずかしくなる。俺の顔は今赤いだろうか。
授業が終わるまでの五十分が長い、今日は水曜日だから四十五分だろうか。
まだ十分とか十五分くらいしかたっていないから、あと三十分以上は待つ計算になる。
だが、突然扉が開かれた。
「失礼します」
礼節をわきまえた丁寧な言葉遣い、そしてその方向を見ると、小さくお辞儀して両手を前にして振舞いもしっかりしていた。
だが、その存在はここにいてはならないはずの、我が妹だった。
「どなたかしら?」
ユウはここが制服の決まりがないために全く気付いていない。
身長は低めだが、敬華にはあまりある大人っぽさがある。俺やユウとは経験の量が違う。
「敬華!? お前どうしてここに!?」
「あら、剣持くんの知り合いだったのね。なら私はおとなしくしておくわ」
と、ユウは先ほどまでの甘酸っぱ空間などなかったように本を読み始めた。
敬華は俺とユウを一瞥して、ユウを見てぽーっと口を開けた。
「凄い……きれいな人ですね。まさかあの人が周一さんではないですよね?」
名前が出たからか、ユウがピクリと震えた。
「あら、私の話をしていたの? ところで剣持くんとその子は一体どういう関係かしら?」
二人の目が合った。
「……え?」
「坂上周一、は私よ。名前を呼ぶときはユウって呼んでくれるかしら? あなたは?」
敬華は戸惑ったような顔をして、俺の顔を見た。
「お、お兄様! まさかこの人が本当に周一さんですの!? そんなの、私が来るのを察知してそういう冗談を言うように仕向けたのでは!?」
「いやお前が来たことに俺は面喰ってんだが……、つうか何しに来た」
まだ戸惑う敬華を無視し、俺はユウの方を見た。
「こいつ、剣持敬華。俺の妹。まだ中二なんだが、なんかここに来た」
「妹!? あなた妹がいたのね、しかも凄く綺麗な子。ふふ、血が繋がっていないんじゃない?」
「お前な、冗談でもそういうことは言うんじゃねえよ。実際繋がってねえから」
俺の言葉に、敬華とユウが同時に驚き声をあげた。
「そ、それはごめんなさい! 僕そんなこと露知らず……」
「え、え、にいちゃそれ本当!? 私も知らなかったよそんなの!!」
こいつらの共通点が今発覚した。すぐに本性を現す。
「ああ、敬華、お前が成人するまで黙っておこうと思っていたが、ついうっかり口走っちまった」
「うっかり!? うっかり私達兄弟の出生の秘密をバラしちゃったの!? バカ! アホ!」
「ご、ごめん、僕が適当なこと言っちゃったばかりに……」
当然嘘である。敬華と血が繋がってなかったら俺が驚く。
敬華が何しに来たかは知らないが、その嘘のせいでほどほどの時間がとられた。
改めて、敬華が俺の右隣に座った。
「剣持敬華と申します。本日はズバリ、あなたにお話があってここに来ました、周一さん」
先ほどまでの狼狽はどこへやら、敬華はまっすぐ周一の目を見据えている。
「私に? いったい何の用かしら? 剣持くん、あなたが家で私について散々適当なことを言うからこんなことになったんじゃないかしら?」
ユウもすっかりユウの状態である。全く変な奴ばかり集まるな。
「俺のことをけなすのはやめろ。別にテメェのことなんざ話さねえよ」
しかし敬華がここに来て、理由がユウだというなら内容は一つだろう。
「お前、まだそんなとち狂ったかのようなこと考えていたのか? 馬鹿じゃねえの?」
ごく普通に諌めたつもりが、敬華はそれでも警戒した風に俺を睨む。
「いえ、ここにきて確信しました。あんな美人じゃないとお兄様は納得しないでしょうから」
「美人が判断基準なのに性別は判断基準じゃねえのか? 俺だって選ぶ権利はある」
「二人で何の話をしているの? 私にも分かるように説明してくれる?」
自分が話題の中心であるのだから、ユウも不満そうに尋ねてくる。
さて話すもんかどうしたもんか、と俺が悩むが敬華はズバズバ言う。
「ズバリ、お兄様はあなたに好意を抱いています」
俺は何も言わず様子を見た。
しばらく間をおいて、徐々にユウの顔が赤くなってきた。
「そ、それってつまり?」
「お兄様はあなたのことを結婚を前提にお付き合いしたいと考えているのです」
この妹はどこをどう考えたらそこまで思い込めるんだ?
ユウは真っ赤な顔を隠そうともせず、俺の左隣の敬華に顔を近づけようと前のめりになった。間に俺がいるにも関わらず。
「そ、それって具体的にどうなの? 本当の話?」
恋愛に興味津々、て感じで興奮したように息を鳴らす姿はユウの欠片もない。完全に周一である。
「ええ、本当です。だから私は止めに来たわけです」
「そろそろ突っ込んでいいか?」
指をパキポキ鳴らすと、敬華とユウはそれぞれ俺を警戒した。
「お兄様、何をでしょうか? お兄様のナニをユウさんにというのなら私は全力でお止めします」
容赦なく敬華の頭のリボンにげんこつを落とす。とユウは思い切り椅子に座って、しかものけぞった。
「や、やっぱり私を倒してまでユウさんと一つになりたいのですね!?」
頭を押さえて涙目の敬華に、もう一度拳を握って見せて威嚇するも、敬華はへこたれない。
「ダメだもん! にいちゃにそんな間違った道を進ませるわけには……」
「ああ、敬華、お兄ちゃんはお前がウザったすぎてもう顔を殴りそうだ……」
どうしてそんなに思い込みをしているのだろうか。その理由だけが本当に不可解。
「で、お前からなんか言うことはあるか?」
ユウがどんな気分かを尋ねると、ユウは照れ臭ったように指をもじもじしている。
「そ、その僕は、……別に、礼貴がいいなら、いいよ。僕も、礼貴のこと、嫌いじゃない、から」
目をそらしたりこっち見たり、甘酸っぱ空間の再来であった。
「はぁっ!? お前何言ってんの!? 何がいいんだよ、何がいいんだよ!?」
「何がってそりゃ! ……つ、つっこむ、みたいなことを……」
「ばーっ! ばーっかっ! お付き合いとかこいつのたわごとで俺が言ったことなんざ一度もねえっつうの! こいつの嘘だ、嘘!」
「え、嘘?」
「嘘じゃないよ! にいちゃはあなたのことを話すときだけ凄く真剣な顔するもん!!」
三度目の拳骨に、敬華もついに屈した。座って黙っている。
「え、え、じゃあ、今の僕のって……」
「お前、とことん恥ずかしいこと言ってたぞ。本当に、はぁ……」
こっちまで緊張するぐらい真剣だったから、少し悪い気もした。
ユウは気まずそうな戸惑ったような笑っちゃったような困ったような、一瞬でいろんな表情を見せてから、顔を両手で隠して叫んだ。
「馬鹿死ねっ! 死ね礼貴! お願いだから死んで!!」
「お、おい落ち着けよ」
「落ち着けるわけないだろ!? うわああああああん!! 僕はなんて言ってた!?」
「別におかしなことは言ってねえって……、ほら、好きな人に結婚とかなんとか言われたら舞い上がるもんな、分かる分かる」
さすがに今のこいつが不憫すぎて、多少はフォローしてしまう。
こいつが男であるために、余計に今の告白は致命的だ。泣き出していないだけ奇跡と言える。
そんな風に考えて、俺は気付いた。
どうしてこいつにそんな気遣いをしているのだろうか、と。
まるでガラス細工を丁寧に扱うような気遣いは、まるで女性に向けてするものじゃないか。
別にいろんなことを間違えてしまったなら、だから男として普通に生きていけ、と、男として考えろの一言で充分にフォローできる。
なんでそうしないのか。
その理由を俺は目を逸らしていたが、今、向かい合う。
俺はこいつのことをいまだに好きのままでいる。
マドンナのユウだった一目惚れの頃から、今も引きずっているのだ。
勘違いしないでほしいことは、本当に周一のことを考えているわけじゃない、マドンナの彼女が好きなのだ。
それはユウが俺に好意を向けていた、という今分かった事実も含めて色々考えてしまうが……考えないようにしよう。
「とにかく落ち着けよ、な」
「……うん」
あの時、初めて見た時、そしてそこから一週間、ずっと注目していた。
孤高、冷静、秀麗、明哲、とにかく優秀な姿、そして強い姿に、俺はあこがれ続けていた。
出会ってからのユウに幻滅したことはないが、周一に感じているのは一体なにか、そこまでは分からない。
そこからは目を逸らそう。今考えるのは、敬華に悪い。
「敬華も、次ふざけたこと抜かしたら顔をグーだからな」
「……うん」
似た者同士というほどではないが、二人とも似た性質を持っている。
そんなバカ二人に囲まれ、俺は気まずいながらぼーっと座っていた。
五分と経たず、敬華が歩いて、ユウの隣に座った。
俺は気にせず予習を続ける。この学校は課題などが多く、忙しさは中学の比ではないのだ。
敬華はどうやらユウに興味を持ったらしく、もしくは誘惑でもして俺から遠ざけようとしているのか、ともかく話しかけている。
「いい香りですね。香水をつけているんですか?」
「いいえ」
「えっと、シャンプーは何を使っていますの?」
「牡丹よ、それが何か?」
それは聞いたことがある。なんかCMで美しき女性に、みたいな大人びたこと言っている奴だ。女子力とか言わない辺り雰囲気もある。
敬華が何をしたいのかは本当に掴めない。綺麗さを見習う、というのもあるかもしれない。
「お化粧はしているんですよね?」
「ええ」
「口紅は?」
「それはしていないわ」
「本当に!? 何かグロスや、リップクリームも?」
「ええ、今の季節は乾燥もしないから」
言われてじっと俺もユウの唇を見てみた。
敬華が驚くのも無理はない、色っぽく艶めく唇に何の加工もしていないなんて、俺だって信じられない。
「昼飯の唐揚げの油でも残ってんじゃねえの?」
敬華は睨むように俺を見るが、ユウははっと気づいたように唇に裾を当てた。
「そ、そんなわけないじゃない。学校に歯ブラシだって持ってきているのよ?」
「マジか。どこで磨いてんの?」
学校で歯ブラシ、異文化的である。小学校かそれより小さい時くらいは家で磨いていたが、最近は朝晩しか磨いていない。しかし学校にまで歯ブラシもってきて磨く奴は、うーん、正しいっちゃ正しいのか。
「駐車場と体育館の間の通路の脇にあるところでこっそりね」
「隠れてすることか?」
「人に見られて気持ち良いとは思わないから」
別に行動の一つ一つを気持ちいいか悪いかで決めることはないと思うが、まあ大勢の赤の他人に見られるのは確かに嫌な気分だろう。目立つユウなら猶更だ。
敬華は興味深そうにユウと話を続ける。
ファンデとかコスメとかよくわからん話をつづけたところで、ようやく先輩方がここにやってきた。
「おお! お? ユウ、その子は?」
教室に入ってすぐ敬華が目について、尋ねた会長にユウではなく俺が答える。
「俺の妹っす。敬華っつって、中学生でいちゃいけねえのに勝手に来やがった」
「剣持敬華と申します。あなたのお名前は?」
同時に、嫌な先輩二人と祐も教室に入ってきた。
「等木精華、ここの会長をしている。中学校の授業は終わっているのだね、敬華?」
「僕は角藤祐、よろしく、敬華ちゃん」
「嘘、このプリティガールが野蛮人の妹……? はっ! 私は冷泉百合、どうぞよしなにしてください」
デブメガネ先輩のみ無言で定位置の左側奥に座った。
どんどん人が増えて、敬華も挙動不審気味になってきている。ユウと接触もとれたのだ、もう潮時だろう。
「あ、あの、えっと」
戸惑う敬華の手をユウが優しく取った。
「平気よ、別に取って食おうなんて人はいないから」
「は、はい……」
言われつつも、まだ不安そうにしている。
「そんな不安なら帰れよ。誰も止めねえぞ」
冷たく突き放すような物言いかもしれないが、はっきり言っちまった方が敬華も行動しやすいだろう。
と思ったのだが、冷たく睨まれてしまった。
「何か、お兄様は私がいると不都合でも?」
気遣ってやったのに、まるで邪魔者扱いされたと怒っているのだろう。
取って食おうとしている怪しい女が一人いるのだが。
「いや、不都合なんざねえが……」
どうも後腐れ悪く言うと、敬華はつんと、ユウの方を向いてこっちを見ない。
「ふむ、ともあれ皆が集まったわけだから、何か話し合いでもしようか」
奥に座る会長が不敵に笑う、また一昨日みたいな議論でも始めるのだろう。
「あはんっ、素敵ですお姉様ぁ!」
「ちょっとやめてください」
この百合がいる時にだけ等木が見せる完全に嫌がっている女子高生の姿だけは、見ていて頬が綻んでしまう。楽しい人だ。
「話し合いとは、何をするのでしょうか?」
と敬華の声が聞こえたから見てみれば、完全にユウの方を向いて聞いていた。兄の威厳がねぇ。
「性についての話し合いよ。ここはジェンダーについて話す部活だから」
「ジェンダー?」
「……会長、初心者にも分かるように議論をお願いします」
キョトンとする敬華を見限ったのか、ユウが言うと会長はもちろん、と胸を叩く。
「では、そうだな。少々待ちたまえ」
と言って会長は壁にもたれているような棚から書類を散策し始めて、これがいい、と呟くと一つ手に取って動き出した。
「それじゃあ、敬華、単刀直入に聞くが、男女差別についてどう思う?」
本当に単刀直入だ! ジェンダーっつったら大体性差別のことだ。
もう少し深く学んだところでは、社会的性差、仕事とか役職での女性と男性の差についてのことを言っていた、と思う。
それをドストレートに尋ねるのか。まあ分かりやすいっちゃ分かりやすいが、俺の時みたいに深く考えさせることができるのかどうかは疑わしい。
「男女差別、ですか? 悪いもの、というイメージです」
妹の感想は、所詮中学生と言ったところか。だが差別についてなんてそんなものだろう。
「まあそうだな。百合はどう思う?」
と、突然会長はそっちに話を振った。
何を考えているのか、と思う間もなく百合は机をバンと叩いて叫ぶ。
「男が女を差別するなんて最低の行為よ! 女が男を卑下するならともかくね!」
うわぁ、こいつ最低の行為を認めているも同然じゃねえか。
その言葉に敬華も難色を示しているが、言葉にすることはない。
「さて敬華、君は今この人のことをどう思った?」
「え、ええとそうですわね。私とは相容れない考え方だと思います」
言葉を一所懸命選ぶ敬華は、まあ俺と同じように百合を嫌がる気分だろう。
「そうかそうか。では君は、女性に有利で男性を下に見る差別も嫌うわけだな?」
「それは人として当然のことではないでしょうか?」
と聞くと会長は満足そうにふんふん頷いた。予想通りの回答を得た、という顔だ。
女性差別は多い、というかよく知っている。戦時中に男尊女卑、という言葉が流行っていたと昔からよく言われたからだ。
しかし、男子が差別されるというと、あまりイメージが沸かない。
にしても、よくぞ言ったな敬華、お前は恐らく俺みたいに絡めとられて会長に術中にハマってここの考え方に染められるわけだ。
会長はいかにも何かを含んだような表情をしている、さてどう話を切り出すのか。
「さて、君は外出はするかな?」
「外出ですか? まあ、ショッピングもしますし、友達の家にも行きますし……」
「ショッピングか、ここらだとイミズヤとかかな?」
「そうですね。ちょっと遠くのアプルラなんかも電車で行ったりしますけど」
スーパーか、敬華は服とかそんなんばっか見てそうだ。俺は食べ物中心に見る。
「電車か、最近は女性専用車両なんてものもあるな。痴漢対策らしいが」
「ありますね。私はあまり好きじゃないですが」
「ほう? それはなぜ?」
会長が演技染みた驚きの顔をした。けれど驚きは多分素だろう。
敬華ほど可愛い子ならば、痴漢にあったっておかしくないし、自分が可愛いという自意識も持ち合わせている敬華にとって近づく男は変な人と考えてもおかしくない。
だから女性だけの空間に安心するのも普通で、女性専用車両があることに助かる、という方が自然だから。
だが、敬華はぬけぬけと言う。
「男の人がいないじゃないですか。私は男性の方が好きなので」
全く、我が妹ながら正直すぎる。主に性的な面で。性といっても下品な方で。
会長はまるで驚いていないように考え込むような表情に固めている。
それに比べてデブメガネ先輩は何事かという風に敬華を見て、百合に至っては完全驚愕、みたいな感じて口と目をぱっくり開けている。
「あ、あなたって大胆なのね……」
とユウは驚きを素直に口に出した。
「少々品がないとは自覚しています。けれど、楽しまなければ損でしょう?」
そう敬華は蠱惑的な笑みを浮かべた。
ったく、これだから色情魔は。
「ふむ、敬華は正直者だな。その性格で苦労したことはないか?」
「はい? いえ、学校では皮を……猫を被っていますので」
化けの皮とか猫被るとかその辺紛らわしいのは間違いないが、妙に悪意ある間違い方だと感じてしまうのは、俺ではなく敬華が悪いに違いない。
「君はとてもしたたかだな、兄よりも世の中をうまく生きていけそうだ」
「なんで俺を引き合いに出すんですか? つか褒めるよりも本題に入ってくださいよ」
「いや、なかなか私の予想通りに動いてくれなくてね……では、より単刀直入に話そう」
会長は少し困ったみたいに眉をひそめたが、やがて書類をもって答える。
「『男女差別撤廃後、近年の女性優遇について』、というのが私の書いた一つの小論文だ。といっても趣味で作ったため拙く、人前に出そうとは思っていなかったが」
そうだな、男女差別の撤廃なんて実際ないもんな。
散々言われていることだ、差別禁止とかいっても、給料とか偉い仕事は、男の方が多いって。その辺も拙い会長である。
にしても、ここの資料を会長が作ったとなると、気になることが一つ。
「つうことはふたなりがどうとかって奴も会長が作ったんすか?」
「ああ、剛毅から提案を受けてね、よく知らなかったし、調べる点にも限界があるからその辺りは彼に任せたが」
会長はどうやらきっちりと色々守っているらしい。一方のデブメガネ先輩は見た目相応の活躍だった。
デブメガネ先輩も変態なりに性について色々考えているんだな、と評価が少し上がる。というか彼についてはこれ以上下がることがないからな。上がるしかない評価というわけだ。
「にいちゃどこでそんな言葉覚えたの! にいちゃはそんな人だと思ってなかったのに……」
なんでこいつはユウと同じ反応をしているんだろう……。
敬華とユウは割と真剣に共通する部分が多い、しかし褒められたことじゃない。
「お前は人の話を聞かないから家に帰ったら五回は殴る。いいな」
怒って悲しむ敬華に俺はそう宣言し、会長の話を聞く姿勢に入った。
「兄弟喧嘩はよくないな? ともかく、私の話をさせてもらおう」
会長は書類をぺらぺらと捲って、やがて言う。
「昨今、女性専用車両、映画館のレディースデー、古くからはレディーファーストという言葉など女性のみが得られる優遇、あるいは特権とまで呼ばれるものがある。果たしてこれらは、性差別に当たらないのか。と始まるのだが、そうだな、君達三人の意見を聞きたい」
と、俺、敬華、ユウの三人を見た。
大人びた会長にしては、どんな意見が出るのかと瞳をきらきら、子供のように輝かせている風に見える。さて、俺はどうこたえるべきか。
まずはユウが答えた。
「差別ね。痴漢は女性が男性に受けることもありますので。
映画を女性だけ特別な日に安くするのに男性にそれがないのは理不尽です。機会を均等にするべきかと。
レディファーストは、男性の心意気でしょうから差別とまでは言いませんが、女性から催促するものでもないと思います」
女性の見た目にして男性であるユウらしい、女性に厳しいというか、真の平等を目指したような考え方だと思う。
こういう時に周りを気にせず自分の意見を堂々と言う姿は、やはり最初に見たマドンナのように雄々しく、けれど美しい。弁当の中身を取られて涙目になる奴と同一人物には見えない。
会長も同じ風に受け取ったのか、うんうんと格好いい笑顔で頷く。
会長が中性的であるのは言葉遣いだけではない、と思う。この人の態度も服装もだ、長めの髪と、それでも綺麗と称賛できる見た目と胸があってこそ女性と判断できるが、メールとかしたら本当にどっちか分からないだろう。
そんな風に会長を見ていたら、敬華がこちらをちらりと見た。どうやら意見がまとまったが、どっちから話すべきか分からないので様子を見ているらしい。
なので俺は顎で敬華を指示して言うように促した。
「私は、どれも差別には当たらないと思います。実際に痴漢被害は女性の方が多く、
レディファーストは周一さんの仰る通り男性が自らしていることですから。まぁ、自分から求める女性は恐らくレディではないので、そこは男性が無視する、ということで」
仰る通りだ。それで譲る男が腑抜けなのだろう。
「最も悩んだのは映画のレディースデイですが、男性以上に暇を持て余すでしょう女性限定で映画を見る料金を安く設定し日付も限定することで顧客の消費を促し利益を得ようとする商業的な考えなので、差別というよりも区別という方が適切だと思いました」
こいつは社会でそういうのを習ったのか、と聞きたいほどの答えだ。
会長ももう驚きは隠せていない、それに、その答えは俺も少し考えたから否定はできない点もある。
「敬華、もしこの学校に入学するとしたら、是非私のいないセイド会を継いでくれ。君の兄もいるから都合がよいと思うんだが」
「等木、ちょっと落ち着こうか?」
デブメガネ先輩が敬華の前で初めて喋った。が、特に言うことなし。
「む、すまない剛毅。私としたことが。しかし将来有望だぞ、兄弟そろってな?」
と、会長は俺に挑戦するような目を向けてきた。
「君の意見を聞こう、礼貴」
「そっすね。俺も全部差別で」
「理由は?」
ザックリ適当な判断と思われるかと思ったが、会長はしっかりと瞳を輝かせたまま間髪入れずに尋ねてきた。
「まず女性専用車両だが、確かに被害件数としては女の痴漢の方が多いだろうが、男が痴漢を受けて『この人に痴漢されちゃいました、いやーん』なんて言えねえだろ。男のが性欲強いとか決まってもねえのに、男は女より強いとかそんなイメージのせいで言いにくいからな、色々条件含めても平等であるべきなら、専用車両作るこたねえだろ」
「ふむ、確かに目に見える数を鵜呑みにするわけにはいかないからな」
そもそも、男はケツ触られて『ヤダ痴漢!?』とか思わねえし。
「で、次に映画。確かに敬華の言うことも一理あるが、それは女が全員主婦とかしてたらの話だろ」
敬華を見ると、なんか悔しそうな、憎々しげな目を俺に向けていた。意見が俺と違うからか、ユウと一緒だからか、それは知らんが、多分どっちもだろう。
「なんかあれだろ? 男女雇用機会均等法とかで、男が働いても女が働いてもおかしくない時代じゃないっすか。それがなくても大学くらいは男女両方進学してんだから、映画見る年齢層ってことなら条件は同じの方がいいだろ」
要は暇してる主婦をターゲットにして、と敬華はレディースデーを認めたわけだが、暇してる主婦は男もありえるようになったらしいのだ。
それがなくても、高校生とか大学生は女だけなわけがないから。
「ふむ、それはそうかもしれんな。大学生、高校中学にも同じことが言える」
会長は顎に手を当てて真剣に考えている様子を見せながら、その目は次の俺の言葉を期待して待っている。
「でレディファーストはユウとほとんど一緒だ。これこそ男尊女卑みたいな古い慣習が残っているだけだからな。それを押し付けたり言ってやるのは、差別、だろ。ま男が勝手にやる分にはやらせりゃいいと思うが」
これに至っては敬華と同じだ。男尊女卑と違い、良心の行動だから、やりたい奴はやればいい。
「ふむ、ありがとう。参考になったよ」
何かを書類にメモしてから、等木は明るい顔になった。
「では、皆が先輩と比べてどういう感じかを説明しよう」
その意地の悪そうな笑顔は、妙に俺達を不安にさせる。
やはり会長の初期の話題となれば、既に先輩方も話し合ったのだろう。
「まず、ユウの意見はヒロと大体一緒だった。性別が違えど境遇は似ているからかもしれないな。で、差別かどうか、という点で百合と敬華は同じだったよ。内容は百合が感情的で敬華が現実的だから真逆だったけど、結果は同じ。」
百合と敬華は人間が全く違うが、対抗意識の強さはあるかもしれない。
百合は男に対して、そして敬華はユウに対して、俺にはそう見える。
「で、だ、が。礼貴、君は剛毅とほぼ全く一緒だった」
「げえっ! マジすか!? よりによって……」
「ん? それは一体どういう意味かな?」
デブがなんか呟くが、俺はうへぇ、とだるく息を吐いた。
「剣持くん、別に意見が同じということで、その人と性質や品性まで同じであるというわけではないわ」
「うっ、ユウがそれを言うと、僕が傷つくなぁ……」
「ヒロ先輩、別に私はあなたと一緒であることが嫌ではないわ。むしろ嬉しいくらい」
「そう言われると他の二人が嫌って聞こえるんだけど?」
と最後に百合の言葉でユウは押し黙った。実際その通りである。三年の二人と一緒ってのは精神的にくるものがある。
「ま、この話は以上かな。こういった問題に答えはない、それぞれが議論を重ね、正しいと思ったことを信じる他ない。決して他人に押し付けるなかれ。敬華、どうだった?」
「とても興味深いお話でした。お兄様がよくわからないけど入部したという理由がよくわかります」
敬華が穏やかな笑顔で言うと、会長も似たような表情で頷いている。
が、俺はまだ解せない。
「待ってください、会長は今の話をどういう風に考えたんですか? まだ会長の考えを聞いていないじゃないですか」
三人の先輩についても分かったが、肝心のマスターオブジェンダーこと会長の意見を聞けていないのは、学べないというもの。
しかし会長は矢に胸を刺されたようなリアクションを取った。
「うぐ!」
目に見えて狼狽した会長は、新入部員確保に全力を尽くしている時を除けばこれが初めてかもしれない。
「どうかしましたか?」
「いや、ユウ、別に大したことじゃない。ただ礼貴、本当に知りたいか? 剛毅に蔑視され、百合からはあはは可愛いと詰られるような未熟で曖昧な私の黒歴史を知りたいか?」
一言一言に重みが感じられる。どうやら本当に言いたくないらしい。
「ぜひ聞きたいですね」
意地悪い顔に見えたんだろう、ユウと敬華が嫌悪の視線を向けてきた。
会長も少し困った風な顔をしていたけど、急に立ち上がって言った。
「レディとか女性とかついている以上全て差別!! 以上!!」
ふふ、と鼻で笑う以前に絶句してしまった。
「お、おいおい言っていることが違うじゃねえか!」
社会的な性差別があってはいけないとかで、そこまで無作為に差別とか言うのはダメだと、そういう風に覚えている。
すると会長は恥ずかしそうに両頬に手を当てて肘をついている。
「やー、仕方ないだろう? あの時の私はこう、ジェンダーではなくセックスフリーの状況だったわけだよ。だから……」
「セッ!? 何を言っているの!? ちょっとおかしいんじゃないですかぁ!?」
敬華が過剰に反応するが、俺も内心よくわからなくてひやひやしている。
「お姉様、だからその言い方は誤解を招くとあれほど……」
「ああ、すまない。焦ってしまってな。別にいやらしい意味ではない。社会的な性をジェンダーというなら生物的な性をセックスと呼ぶだけだ。性交のことでもないぞ。ただ男と女の境の一切を失くそうなんて考えてしまっていて、あんな考えを持ってしまったのだ。しかも独自でな……」
ちょっと悩んだが、要は昔の会長は男子トイレ女子トイレすら失くそうと考えていた、っていうことか。
そりゃ今の会長からは想像もつかない。しかも理由なしで、ただそれが性を表す言葉があるってだけで無条件に差別と決めるなど、それこそ差別に等しい。
まだ恥ずかしそうな会長を見ていると、意外な一面を見れたって感じでちょっと嬉しいというか、可愛いとすら思う。
「セックスフリー……フリー、セックス……」
敬華がぶつぶつ言っているのをぶんなぐりたくなるも、今は堪える。こいつは本当に家ではどうしてやろうか。
「会長も昔はそういうことがあったんですね。少し意外でした」
本当に意外そうに、ユウは言った。
「私は別に超人でもなんでもない。むしろ限りなく人間の普通としてあろうと思っているからな」
「それとこれとは関係ねえだろ。昔馬鹿だった話なんだからよ」
「っ! 君は!」
会長が睨んでくる。そんな風に敵意を見せてくるのは本当に珍しくて、けれど恥ずかしさの方が勝っているようだから、全然怖くない。
「で、他になんかないんすか?」
「……探せばあるだろうが、はぁ、私はちょっと抜けたいよ。体育もあったし、疲れてしまってね」
体育も、というのはやはり今のことのせいで疲れたのだろうか。よほど触れられたくない出来事だったらしい。
逆に、それだけ会長が最初に議題にした内容だからこそ、ここが初めての敬華に出した課題でもあるんだろう。
会長は鞄を持つと、そのまま扉を開けた。
「すまないね、先に抜けて。鍵は剛毅に任せているから、君達も適当に切り上げなさい。では」
会長がそそくさと出ると同時に、俺も鞄を持った。
「じゃあ俺も帰るわ。敬華は残んの?」
「あれ、お兄様はもしかして会長の方を愛しているのですか?」
いい加減再び拳骨を食らわせてから、丁寧に閉められた扉を再び開けて言う。
「あのな敬華、前にも言ったが、俺がここにいるのは議論が楽しいのと、そこの女男を男にするためだ。分かったら適当に切り上げろ。んじゃな」
「あ、剣持くん、待って」
と、同時にユウまで鞄をもって立ち上がった。
「一緒に帰らない?」
タイミングが不自然ではあったが、ユウにしては珍しく、普通に友達を誘うようなムードでそう言った。
「まあ、別に俺は今から帰るから一緒でもなんでもいいが」
そう言って教室を出ると、小走りでユウがついてきた。
「あっ! 周一さんが帰るなら私も!」
とドタバタ敬華までこっちに来た。
俺が右で、兄弟でユウを挟むように帰宅することになった。
俺だけが自転車だから車道側なわけだが、ユウは俺と敬華をちらちら見て発言に困っている様子だった。
「どうして周一さんはユウって呼ばれているんですか?」
「えっと、それは私が皆にそう呼んでほしいって言っているから」
なんでユウと敬華が喋って帰っているのだろうか。
「ユウっていうのは、やっぱり周一の中にユウってあるから?」
「いえ、その、シンドウ・ユウっていうキャラクターを真似ていて……」
「お前ってそういうの詳しいよな。オタクっつうか」
ユウがじろっと睨んでくるが、俺は素知らぬ顔を通した。
「そのシンドウ・ユウさんっていうのは、美しいキャラクターなんですか?」
「ええ、まあね。少女漫画の男性キャラの一人なんだけどね……」
と聞いて、俺は思わず尋ねていた。
「なに、男キャラ!? 女になりてえくせに女装している男キャラの名前してんのか!? またなんで?」
「別に、どうでもいいでしょう!」
とユウは俺から顔をそらしてしまった。
鏡みたいに敬華が俺を睨む顔をしている。
へいへい、ガールズトークって奴ですか。
独りは割と慣れているが、隣にユウと敬華という珍しく喋れる人間がいるのにアウェーというのは、少し辛い。
だが、ユウは寮住まい、すぐに別れることになる。
「それじゃ、私はここだから」
「あっ、ユウさん! あの、お部屋見てもいいでしょうか?」
敬華の言葉に、俺だけでなくユウまで目を丸くしている。というかいつのまにユウと名を呼ぶようになったのか。
「おいおい敬華、お前晩飯どうするつもりだ?」
「別にすぐ帰ってきますので。あ、お兄様はお先にお帰りなさいませ」
「あの、私は別に部屋に来ることを許したわけではないのだけれど」
ユウも困った風に言っているが、敬華の意志は固そうだ。
兄である俺を、お嬢様モードにもかかわらず敵意をもって強く睨んでいる、なんか妹を取られたみたいでいやだ。
というより、二人きりにするのは危険だろう。
常識的に考えると妹を心配すべきだが、敬華が意外とユウに懐いているので、ともすればユウの貞操の危機がある。
「敬華、我侭言うとぶつぞ」
「剣持くん、あまり暴力に訴えるのは……」
「わーい、ユウさん大好き! 私にいちゃじゃなくてユウさんの妹になっちゃおっかな?」
あー殴りたい殴りたい。もうストレートが出かかってジャブにはなっている。
「敬華よぉ……お前、言っていいことと悪いことの区別もできなくなったか。あぁ!?」
思いっきり凄んで見せると、敬華はしょんぼり目を伏せた。
親が共働きで、という話は以前にしたが、その分兄弟の絆とかいうものは深いつもりだ。
敬華もそのことは重々承知している、だからしおらしくなった。
「……ごめんなさい」
「よし! じゃあ俺らはここで……」
と自転車を動かそうというところで肩を掴まれた。
「あの! ……二人でなら、来てもいいけれど」
さっき一緒に帰ろうと誘った時と比べると、夕日のせいか、少し顔が赤く見えた。
「……あ?」
「その、敬華さんも来たがっているし、けれど年頃の女性を男性の部屋に二人きりにするのが心苦しいだけで、だからあなたが来るのなら別にかまわない、と言っているの」
常識的に考えると男性である自分と年下だが大人びた体つきの女性が二人きりであることを、間違いがないかと危惧しているのだ。
だから女性の保護者たる男同伴ならば構わない、実に常識的な考えだ。
「お前何を考えてんの?」
けれど、俺の率直な感想はそれだった。
別にユウが敬華を慮ることもないし、何より今ユウは、自分のことを完全に男として言った。
「自分で男だって認めてんじゃねえか」
「別に敬華さんを襲うつもりなんて毛頭ないわ。でもあなたが私を男性として見ているのなら、当然の配慮だと思うけど」
俺の考えはまた別だったのだが、ユウの言うことも一理ある。
「敬華、どうしても行きてえのか、こいつの部屋?」
滑稽なほど首を縦に振って敬華は意志を示した。
「……んじゃ、失礼するかな」
ユウはふっと微笑んだ。