古賀直美の恋愛奇譚・前篇
「この花何の花百合の花~……どうも、冷泉百合です」
「いっそかえってくれ」
周一と俺は、百合を怪訝な顔つきで見ていただろう。
「今日は議論とかじゃないの! 私の悩みを聞いてほしいの!」
百合が机をバンと叩いて前のめりになっている。自己紹介は省けよ。
「そういうのは会長に言えよ。つうかテメェも会長に言いたいんだろ?」
会長大好きの百合が真剣な悩みを持っているというのなら、それは信頼していて愛している会長に言うべきだろう。
が、百合は人差し指でちっちっち、と舌を鳴らした。
「今回の話はお姉様にはトップシークレットの話なの、そういう悩みなの」
「会長に秘密? ということは、会長に対する悩みですか?」
周一が耳ざとく言うと、百合はぴんぽんぴんぽんと言って大きく丸を作る。本当に恥ずかしい。年上とは思えない。
「お姉様のクラスメイトの古賀直美、ちょっと変わった喋り方とカールした黒い髪がキュートな良い感じの子なんだけどね……」
そう語る百合の姿はどこか淑やかで恋する乙女を思わせるようだが、それがかえって常軌を逸した様子を思わせるので気味が悪い。
「それで、会長とその子の何が悩みなんですか?」
「仲が良いのよ、その子、お姉様と」
百合のゾッとするほど低い声に、思わず背筋が凍った。
「私はね、別に直美ちゃんに恨みはないの。会長だって好きよ当然! でもでも、直美ちゃんがあんまりお姉様に近づくようなら、生徒会の権限と冷泉家の総力をもってどうにかするしかなくなるのよ。それは流石に本意じゃないのよね」
セイド会で最も深い業を持つ女、冷泉百合のおぞましき言葉に言葉が出ない。
「そこで、二人には直美ちゃんについて調べて欲しいのよ」
「どうして俺達なんだ?」
「ヒロは今いないから。それにあの豚じゃ警戒されるのは間違いないしね」
剛毅も散々だな。しかし単純な理由だ、ほとんど思いつきの行動なのかもしれない。
「私達よりも、信頼ある生徒会の百合先輩が直接聞いた方がいいのでは?」
「私、可愛い女の子と長い間普通にお話できる自信がないのよね……」
「ああ、なるほどね」
この百合が常識人のフリをできるわけがない、と踏んで俺は納得したが周一がさらに切り込む。
「それは嘘ね。三年間信用を失っていない百合先輩が女子と話すだけで取り乱すはずがないもの。嘘はやめてください」
ビシッと周一の言葉を受けて、百合も少し困った表情をしていた。
そんな顔のまま、ちょっと苦しそうの百合は言う。
「やっぱりねぇ、勘繰られるとまずいから。お姉様に憧れている後輩のあなた達、みたいな立ち位置からなら、直美ちゃんのことを勘繰ってもおかしくない、と思うんじゃない? あ、だから私の名前は出さないでね」
「そうですか。分かりました」
と今度は周一が納得したが、俺が納得していない。
「ちょい待て、なんでそのことを隠そうとしたんだ? 理由なんざ最初から言えばいいだろうが、自分の立場のためだって」
「弱み見せたくないに決まってるでしょ!? ユウさんはともかく、あんたみたいな男に借りを作るのは……」
「私、一応体も心も男性なのだけれど?」
周一がそういうが、それは同意しにくい。
「あーうー。ま、とにかく任せたわよ」
百合は適当に切り上げると、荷物をもってセイド会室を出て行った。
残されて二人、俺は周一の方を向いた。
「どうする? 古賀直美さん」
「お前が近づくのはしんどそうだから、俺がまず接触してみるよ。百合を放置するのも怖えし、お前が変な目で見られるのもアレだし」
「……僕のこと、心配してくれているの?」
「お前、喋り方がごっちゃになってて女々しさがマックスだぞ」
「ふふ、つまり可愛いってことだよね?」
意地悪っぽく笑う周一から目を逸らして、俺もひとまず立ち上がった。
ちょっと変わった喋り方とカールした黒髪、その特徴に合う生徒を探しに来たが、当然そこには会長と剛毅もいる。
別にクラス内だから一緒にいるわけじゃないが、そんなのお構いなしで、目が合えば平気で近づいてくる人が一人いる。
「おや礼貴! いったいこんなところに何の用かな!?」
そして会長は物怖じせず恥もなく俺を見てクラスの真ん中から堂々と尋ねてくるため、非常に恥ずかしい。
「あ、いや、用ってほどじゃなくてですね……」
笑顔の会長がずいずいと歩いてきて、ますます恥ずかしくなってくる。
「何を遠慮することがあるか!? ふむ、冷静で意固地な君が休み時間にここまで来て話したいこととなると、よほど急を要するか重大な悩みなのだろう。二人きりになる必要があるのなら時間はいつでも取れるが、どうする?」
「悩みとかじゃないんですけど」
「ではなんだ? 何故ここに? 私じゃないなら剛毅か? 君が剛毅に!? その方がないだろう」
どんどん幕して立ててくる会長を呼び止める声が後ろから届いた。
「等木ちゃーん、ちょいとその子困ってるんじゃなぁい? 冷静にお話させてみたらん?」
その妙に演技がかった喋り方、そして首回りでロールした髪型は、古賀直美に関する百合の説明に一致している。
「確かに私の悪い癖だ。すまない、礼貴、話してみてくれ」
本人と会長を前にして尋ねてしまい、もし百合のことを勘付かれたら……と考えると、正直に話す気にはなれなかった。
「ええっと、その、なんつうか……」
「もごもごしてて可愛い奴じゃない、礼貴ねー、ほーん」
直美が妙に値踏みするような視線で見てくる、その心の奥を読むような態度に若干の恐ろしさを感じる。無論彼女にではなく、知られた場合の百合の行動に、恐怖を感じるのである。
この場を離れるのが得策だとは思うが、わざわざ来て何もせずに戻るのもまずい。
「今日は、剛毅に用があるんだよ。分かったらどいてくれ」
「君が剛毅に!? ……ま、まあ、深くは聞かない。失礼した」
心底驚いた風な会長と、若干疑わしげな直美の視線を振り切って、俺はクラスの一番後ろで机に突っ伏す剛毅の背中を叩いた。
「おい剛毅、起きろ」
「アウェイクン! 小生は寝ているわけではなくこうしてイマジネイション! を……」
「んなこといいから、秘密の話をするぞ?」
「小生はお前と秘密を共有するなんてまっぴらごめんなんだけど……」
露骨に嫌そうな顔をされた。俺だって辛い。
「一応周一と百合も背負う秘密だ。会長と……あの女には秘密な?」
本当に嫌だが、話が聞かれないように顔を近づけて、訝しがる剛毅に俺はその話を始めた。
「古賀直美、って最近会長と仲良いそうじゃねえか? どんな奴か知っているか?」
剛毅はどこか不満そうな顔で唸っているが、どうやら考えている顔らしい。
「拙者はクラスメイトとほとんど喋らんでござるからな。一人で他人の会話に耳を傾けた感じでは、昔は普通の生徒だったのに、最近は等木とばかり喋っている印象であるぞよ?」
「お、おう。なるほど、なんでか分かるか?」
古賀直美は変な喋り方だと百合は言うが、こいつの方がよほど奇妙な喋り方だ、落ち着かないし、意味不明だし。
しかし昔は普通だったのに会長に触発された、となるとやはりジェンダー関連の何かがある気がする。
「そこまで分かるわけなかろうて。気になるなら本人に直接聞けばよかろ?」
「……まあそうするしかないかな。会長には秘密、いいな?」
「相承知仕った。等木には秘密、よろし」
剛毅と一緒にいるという視線に耐えきれず、ともかく俺はその場を後にした。
「で、どうだった!?」
セイド会室には昨日と同じ俺達三人、そこで百合の質問に俺は答えた。
「元々普通の女子って感じだったんだが、なんでも最近会長とよく喋るようになったらしい。ってのが剛毅からの情報。あとは本人に見つかって名前を知られたぐらいだ。あれもちょっと変なやつだな」
「……剛毅に知られたか。まあいいわ、直接彼女に聞く他なさそうね、お願いするわよ」
有無を言わさぬ語調の百合に、俺も周一も頷く他ない。
「問題は教室には会長がいることなんだよ。昨日行ったら滅茶苦茶声かけられて、二人で話なんてムードはとても無理だった」
「そうね、お姉様は恐れ知らずだから。……じゃあ明日、私が昼休みにお姉様を連れ出すから、その間に直美ちゃんとお話してくれる?」
「あいよ。直美にも会長には秘密っつっときゃいいか?」
「そうね……、私のことを気取られないような言い訳があるならそうしなさい。それが無理なら、まあなんとか誤魔化しなさい」
「無茶を言うなぁ」
正直面倒臭いと思っているが、古賀直美がどうして変わったのか、ということに少し興味が出てきた。
会長に変えられた人間の話を、俺は剛毅と百合と、と聞いてきた。
古賀直美はどのような悩みを持っているのか、どのようなきっかけで変わったのか、それを調べたい。
「明日は私も同行するわ。良い言い訳を考えたもの」
「お、マジで?」
言い訳は色々考えようとしたが、嘘を考えるのは苦手だから、そこを補ってもらえると助かる。
全く正直に生きてきた俺に比べて、性別に嘘吐くような奴は違うぜ、という皮肉を思いついたが、言うと多分あいつが泣くから黙って置いた。
「じゃあ、明日だな」
「ええ、明日」
「明日! 任せたから!!」
不思議な緊張と、けれど強い興味が、その時の俺を支配していた。
そして後日、昼休み颯太に一人で食事をさせることを強いて、俺と周一は三年の教室にやってきた。
既に会長はいないらしく、けれど直美は何人かと食事をしていた。
予定を相談しようと周一に顔を向けるも、周一は堂々と教室に入り、直美に声をかけた。
「あの、古賀先輩ですよね? 私、少しお話があるんですけれど……」
瞬間、直美は教室の外にいる俺にまで目を向けた気がする。
「何の話?」
「……あまり、人前でしたい話じゃないんですけれど」
照れて恥ずかしがる周一の姿に、先輩方の女子は皆少し頬を赤らめる程度には可愛いと思っていただろう。
もじもじと身を揺さぶり、そっと伏し目がちに直美の目を見たり、弱弱しい花のような仕草。
女子から見ても可憐な周一の女子力が今、最高潮に発揮されていた。
「直美、この子知り合いなの?」
「いや、知らない、けど……」
直美はぽーっと周一を見ている。一体何がどうなっているのか、と混乱している風に見える。
けれど俺を再び見ると、何かを察知した風に気を引き締めた顔をした。
「……分かった、今から?」
「はい、できれば」
「分かった分かった。じゃあごめん、ちょっと行ってくるから」
話がしたい、だけで先輩を一人教室から連れ出すことができるとは、大した実力だ。
後輩でしかも女子、というのが俺との違いだろう。無論今回のは会長がいないことが前提で成功したわけで、会長がいる時にこの策は通じなかっただろうが。
人気のない廊下、壁にもたれかかる直美に、俺と周一は向かって壁にもたれていた。
「それで何? 昨日も来ていたけど、アタシに用ってわけ?」
「実はそうなんです」
「何の用?」
ちょっと刺々しい先輩から目を逸らすように、俺が周一に顔を向けると、こいつは臆面もなく言った。
「……最近、等木さんと凄く仲が良いって聞いて、ですね」
「ああ……まあ、確かに親しくしているけど」
「同性カップルについて聞きたくて」
「は!?」
「あ!?」
周一の言葉に、俺も直美もそれきり言葉を失う。
「じ、実は僕男の子で、礼貴のことが大好きなんです。けれどそういうのって風当りが強くて、会長とも知り合っているんですけれど、実際にそういう風にしている人ってどうなのかな、って思って……」
「ちょ、ちょ、ちょ、待ってくれ! いや待ってくれ!」
俺がどれだけ声をかけようと周一は止まらない。
が、直美の様子も流石に変わる。
「ちょっと待ち! アタシだって別に等木ちゃんとそういう付き合いはしてないから、その、なんていうか……ああもう! 待てって!!」
急に声を荒げた直美は、頭をぐしぐしと掻き毟る。
んで、雄々しくどはぁと溜息を吐いて周一を黙らせた。
「……仕方ねえな、話すよ、俺と等木ちゃんとの話。誰にも秘密だぞ」
その気だるげで雄々しい仕草に、俺は何となくの事情を知った気になった。