理解できずとも広い心で受け入れることが重要。そう、百合もね
議論はしません。
「三度の飯より百合が好き! ……どうも、冷泉百合です」
「うわかんべんしてくれ」
よりによって、周一も誰もいないのに百合がいる。
真面目な会長、なぜか大体いつもいる周一、一番常識人のヒロ、きもいけど真面目な剛毅、そしてこの一番会いたくないランキング一位の百合。一番会いたくないランキングってなんだ。
ともかくこれと二人きりというのはなかなかしんどい。だがあいつは変な自己紹介を澄ませながら、既にホワイトボードに文字を書き始めている。
56、という数字。
「これ、何か分かる?」
「知らん。ところで俺、帰ろうと思っていたんだが……」
「あら、私にジェンダー論が語れないと思って? こう見えても、論議だけは優秀だって豚にもお姉様にも褒められているのよ?」
ふふん、と視線を合わせるように百合は前かがみになった。
そこで、胸元を隠している制服なのに、百合の豊満な胸が目に入った。
一般的なベージュか薄いオレンジくらいのブレザーと、こい茶色の短いスカート、よく見ればこの人はこの部で一番女性的な肉体をしている。
あの性格さえなければ、その体と淑やかそうな喋り方とで人気がありそうなもんだが。
それは置いといて、論議だけは優秀、と言う言葉に俺も興味がわいた。
だって他に褒められることねえもん。それだけが優秀と真面目な二人が言うのなら、確かに優秀なはずだ。
「じゃ、少し付き合ってやるよ。で、五十六ってなんだ?」
「なんだと思うか、って聞いてんのよ! 少しは考えなさい!」
また考えろ、か。
五十六、と言えば軍人の山本五十六って人を思い出す。昔木曜日の映画で一度見た。格好いいおっさんだった。
五十六、フィフティシックス、ごじゅーろく。読み方は関係ないだろうな。
都道府県は四十七、殺人技は四十八、百十二の半分が五十六。
検討つかん。
「ヒント、ヒントくれ」
「あなたが二つだと思っているものよ。ネットの顔本って知ってる? この国だと二つしか選べないけど、別の国じゃ五十六個から一つ選べるのよ?」
二つしかないもの、ならば山のようにあるだろう。
だがこの部活で二つしかなく、日本で二つしか選べない、というので何となくは察した。
「まさか……性別か?」
性別は男と女の二つだろ、普通。
こないだ男の娘だなんだ、という話をしたが、それは男だけど女の見た目、というので、結局は男なんじゃないのか?
いろんな疑問を内包したまま答えると、百合は小さく頷いた。
その真剣な顔に、今までのふざけた様子は、ない。
「一応は正解ね。といっても、その五十六の区分に身を置かない人も数えきれないほどいるんだけれど」
百合はホワイトボードに文字を書き起こした。
「ジェンダークエスチョニング、自分の性別をいまだに決めることができない人を、そう言うわ。男、女、そういう言葉に囚われない人は大体そう名乗っているの。あなたが知らないだろうから、例えをいくらか言ってみるわよ。メモはしなくていいから、そういう分け方がある、ということだけを知っておいてね?」
というと、百合は座って、気軽に話し始めた。
「まずなんでそういう別れ方をするかと言うと、生物的に染色体の性が一つ。あなたも知っていると思うけれど、男はXY遺伝子、女はXX遺伝子から成っているわけ。でも減数分裂できずにXXXとかXXXY、みたいな場合もあるの。ふたなりみたいなことも起こるのよ。知ってる、ふたなり?」
「ええ。周一は随分恥ずかしそうに言ってましたが」
「あら、若いのね。……どうして男の子なのかしら。はぁ……もったいない……」
心底残念そうに言いながら、百合は元気を取り戻して言う。
「次に、自分の性を受け止められない人、っているじゃない? 男の肉体をもって生まれたけど、自分は女だ、っていう人とか。簡単に言うとヒロちゃんとユウちゃんね。ああいう風に自分の性別を受け入れられない人は、単に肉体と違う性、ヒロなら自分を男、って言う以外に、体は女でも心は男である新たな性を作ったりするの。で、話はここからなんだけど……」
既にまとまった風に感じる話を、百合は続けようとする。
自分を男だと思う女、自分を女だと思う男、というので既に性は四つになる。なのに続くのか。
「体は男、心は女、でもセックスの相手は女、、また体は男、心は女の同じ条件でもセックスの相手は男がいい、っていうパターンもあるの。そういう人が仲良くなれると思う? 無理に仲良くなる必要ないから、そういうエッチの面でもまた性別の呼び名が変わるの。また! 恋愛も別よ?
体は男、心は女、セックスの相手は女、でも恋愛するなら男! みたいな人もいる。 つまり、恋愛の相手、肉体、セックスの相手、そして自分の心……こういった要因が複雑に絡み合って、新たな性が生まれる」
「せ、性別っていったいなんなんだ?」
俺が率直な意見を告げると、百合はなんてことないように笑った。
「深く考えすぎる必要はないわ。あなたはただ配慮するだけでしょ? 別に体は女で心も女で、恋愛もセックスも女としたい私でも、そんな細かい枠組みにとらわれずに女を名乗っているんだもの。私は女よ? それもまた許されるべき考え方の一つよ。要は自分が認められるように考えればいいんだもの。何物にも囚われないように、ね」
確かに、五十六とかそれ以上あるから、といっていちいち気にしなくても、要は二つで済むことなのだろう。
それは失礼なのかもしれないが、もしかしたら常識的で普通のことかもしれない。
どっちが正しいか、間違っているか、そんなことはない。
そう言い切ってしまうから争いが起こるのかもしれない、とまで考えてしまう。
「まあ、私がしたのは議論じゃなくて、ここでの基礎知識、ってものだから深く考える必要はないわ。ただ知っておいてほしくてね」
ふー、と百合は溜息を吐いた。
「いろんなことを知りなさい、そして考えて、学んで、行きつくのよ、百合の果てに」
「お前は本当に惜しいところで残念だな」
「誰がお前よ!」
そんな言い争いをしてから、俺達は新たな議論に移った。
冷泉百合 身長173㎝ 体重65㎏ 6月25日生まれ(百合の日生まれで名前が決まった)
百合過激派。人類は女性同士で子供を産み、女性のみの存在になることを心から願っている。
男に裏切られた重い過去が……ということは一切なく、太い腕や勇ましい顔よりも、細くしなやかな腕や母性をくすぐる女子の顔に興奮するだけ、つまり普通に生まれつき女性が好きなだけである。
部内では滅茶苦茶な暴論と自分勝手を貫くために煙たがられていて、元々は男と喋りもしない性格だったが、等木精華と出会い、多少感化され、以前ほど男性に対しての差別はなくなった。
等木に合わせた茶色い髪とこだわりの眼鏡が特徴的。部内では変人なので気付きにくいが、すれ違うと思わず振り返るほどの美人。
家は古くから権力ある冷泉家で、明晰な頭脳はテストで九十点以下を取ったことがなく、過去生徒会長として働くも忙しさを毛ほども感じさせない完璧人間。故に、自分の異常とも取れる性を表に出すことなく隠れ生きてきた。
自分の性については散々調べたが自信が持てず唯一の悩み、という状況で等木がそれを実践したために、今は社会問題を考える、という名目でセイド会に入り、等木にべったりしている。




