セイド会との出会い
「れっいっき! 剣持礼貴! いい加減部活は決めたのかよ!?」
と、ピーチクパーチク騒がしく後ろから肩を十六ビートで刻んでくるのは幼馴染の颯太だ。
有名私立高校入学したての俺は、入学から一週間経っても部活を決めていない。家が近いから多少遅くなっても構わないが、どうにも気乗りするものがない。
せっかくの放課後だが家に帰ってぼんやりするも忍びなく、かといってすることもない。
自由と自主性を重んじる正梵高校生として、俺も何かしたいとは思うが、どうしたものか。
「なあ礼貴ぃ、礼貴ぃ、一緒に行こうぜぇ?」
「どこにだよ?」
「俺の部活」
「テメェのじゃねえだろ」
なんか面倒臭くなって俺は荷物を持ち、歩き始めた。
当然、颯太は散々に動き回り、俺の肩を掴んだ。
「ちょー待て待て! ちょっとくらいいいじゃねえか!? 暇なんだろ!? どうせ家帰ってもやることねえんだろ!?」
俺はだるそうに颯太に顔を向けた。といっても、ここまでは様式美みたいなものだ。
颯太との付き合いは長い。昔から学校では好成績を争っていたくらいで、この超有名私立高に受かったのも、俺の中学からは俺と颯太くらいなものだ。
成績は良くても、俺と颯太には色々問題があるのだが、それは今は置いておこう。
「で、何部なんだよ?」
「へっへー、この服見ても分からないか?」
と、颯太はまだ四月にも関わらず、ノースリーブ短パンのありえない格好を見せびらかした。胸には黒人選手がダンクを決める瞬間の、バスケバスケした服だった。
ちなみにこの学校に制服はない。私服で来てもいいし、結構な人数が中学時代の制服とか、他の気に入った高校の制服を買って着て来たりしている。服装が自由というのは便利だが、制服という服装を選ばずに済むものはもっと便利だと俺は悟った。
「バスケ部じゃねえんだろ?」
「なぜわかった!?」
颯太は学校の成績はいいが、猛烈に頭が悪い。何かの病気じゃないかと思ったことも多々ある。こいつマジでおかしいんだよな……。
ともかく、少し真剣に颯太が何部か考えてみよう。
朝からずっとこの格好だった颯太。常に寒そうに服を伸ばしたり、体を縮めたりしていた。
だからあえてこの寒い格好をして俺が『バスケ部!』と答えて『ブッブー馬鹿だなぁお前、見た目で判断するなよ』と言いたかったのだろう。本当に馬鹿だ。
この季節にこの薄着だけ、荷物も服などはなかった、と考えるとおそらく寒空の運動場や冷えた体育館で活動する運動部ではない。これは騙したいためのフェイクで身を削っただけ。
となると残りは文化部だが、それもやまほどある、そのどれかを予想することはできない。
「わからん。降参。帰る」
「つ~いて来いよ! そこは! 俺の後ろに!」
はぁ、と俺は溜息を吐いた後、颯太の脳天にげんこつを食らわせた。
「じゃいいよ。行ってやる」
「それ、殴らずに言えない?」
涙目の颯太は頭を抑えながら、ちゃっちゃか歩いていった。
北、東、南、西の四つの校舎が正方形を成す、そのそれぞれに教室や特別教室がある。
そしてその正方形の北辺の真ん中に、垂直の毛が生えたように、部室棟というものがある。
四階建てのそこは主に文化部の部室だらけになっている、そこに颯太が行くのは想定内と言っても良い。
しかし、俺ら一年は南棟、この部室棟は北棟よりなお北に位置していて、行くのが面倒だ。
「で、何部なんだよ?」
「そ・れ・は、あ・と・の、お・た・の・し・み、ってな!」
つい拳が出てしまった。こいつ笑ってるかな? って感じで笑顔でこっち向いてくる顔がむかつきすぎて我慢できなかった。
「お、お前なぁ! 殴る必要あるか!? いちいち!?」
「わりいわりい。で、まだか?」
「もう着いたよ! もう! ほらここだ!」
四階の奥から二番目の部屋、扉についた窓には天文部、と書かれたポスターと、色紙を切って作った星の装飾がついている。
「天文部なあ……」
俺が呟く間に、颯太は徐に扉を引き始めた。
「まあ見てなって」
颯太との付き合いは長いが、この台詞も何度目だろうか。
「ふんぬっ! ふぐっ! ふんふんふーん!!」
扉の縁に足をかけ、一所懸命扉を引っ張り唸っている。
こいつはいったい何をしているのか?
まあ見てろ、という台詞は颯太がつく数少ない嘘と言っていい。こいつがこう言った時は必ず何かに失敗する。大体十年くらいずっとそうだった。
「ちょっと礼貴も手伝ってくれ」
マジで頭おかしいんじゃねえの、こいつ。なんで鍵閉まってる扉を全力で開けようとしてんだよ。勘弁してくれ。
「鍵貰ってねえのか? 職員室とかは?」
「遠いだろ!」
それだけ言うと、また颯太はふんふん言い始めた。
「取りに行け、ボケ」
「勘弁してくれよ、渡り廊下寒いだろ……」
四月でまだ確かに肌寒いが、こっちが勘弁してほしい、本当に。
「ふんぬーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
ひときわ大きな叫び声に似た尽力の末、ガラガラと扉の開く音が聞こえた。
んな馬鹿な、と俺がその方を見ると、颯太も隣の部屋を見て立ち尽くしていた。
どうやら開いたのは、颯太の叫び声を聞いた隣の、つまり一番奥の教室の扉らしい。
あんな馬鹿でかい叫び声をあげたら、誰だって何事かと確認するだろう。
だがそれをしたのは、扉を開けたのは、マドンナだった。
教室から首だけ伸ばして、ひょこっと可愛らしく首を出す様子はどことなく小動物のような印象を受ける。
さらりと長い黒髪を垂らして、彼女は黒い瞳をこちらに向けた。
同じクラスながら、一切自己紹介もなかったために、俺はこの子の名前を聞きそびれていた。
つうか、クラスでいつも一人で本を読んでいるため、誰もこの子の名前を知らないんじゃないかと思う。
雪のように、とは言いすぎかもしれないが、化粧っ気もなく、しかし手入れを怠った様子のない白い肌、髪もどんなシャンプー使えばこんな風になるのかってほど滑らかだ。
深緑の厚めのセーターに少し不格好な茶色いミニのスカート、まるで家から野次馬みたいに外を確認する様子の彼女は、本当に巣の外を確認するリスのようだ。
けれど決して可愛いと言うのは難しい。その凛とした雰囲気は美しさである、なのに一つ一つの動作は幼い女の子のようで、そのギャップもまた良い。
「……なに、あなたたち?」
冷たい視線と声が、俺と颯太を責める。じろじろ見過ぎたか。
「いや、俺は関係ねえ。文句はそこの馬鹿に言ってくれ」
「おいおいおーい! ちょ礼貴、お前ひどすぎるだろ! お前がついてきたいって言うから俺が仕方なくだな……」
「お前な、扉開けようとしたのも俺の後ろについてこいって言ったのもお前だろうが」
「あなた達の事情は知らないわ、とにかく、静かにしてくれない?」
颯太が押し黙ったので、俺も合わせて黙る。
なるほどマドンナはどうやら下々の民のことは気に入らないらしい。その強気な冷たい視線を見れば、俺と颯太のことをよく思っていないことは一目瞭然だ。
……なんか、腹立ってきたな。
「テメェ、随分と挨拶じゃねえか。人のこと馬鹿みたいに見やがってよ」
ずいずいと彼女に近づくと、腹のあたりにどんと衝撃が走った。
颯太が後ろから掴みかかってきたらしい。
「落ち着け! 落ち着けよ礼貴! お前そのすぐ怒るところどうにかしろって!!」
しかし颯太の腕が巻き付いたところでなんの意味もない。
今もなお嫌悪の視線を向けるマドンナに俺は近づいた。
「別に馬鹿にしているわけではないわ。ただ静かにしてほしいだけ」
「テメェッ!!」
「落ち着け!! 向こう普通のことしか言ってねえから!」
教室の前に立って、俺は初めてその存在を目視した。
マドンナの後ろに立つデカい女。
腕を組み、茶色い髪を編み込んだ、勇ましい表情の女。
それは女生徒とか言うより女戦士って言った方が正しいんじゃねえかって思うほど、強そうな顔だった。
「なんだテメェは!?」
「人に名前を尋ねる時はまず自分から名乗るものだ、だから言おう、私は等木精華! 君は?」
こいつ、言っていることとやっていることが微妙に間違っている。
既にマドンナはその変な女、等木の後ろにそそくさと隠れた。威張るやつほど誰かの威を借るわけだ。
俺がマドンナを睨み近づこうとすると、すっと等木の手が伸びた。
「君の名前は、と聞いているんだ。教えてくれないか?」
女にしては妙な喋り方の等木の目は、やはり女にしては鋭く、ともすれば俺をどうにかしようというほどに猛々しい。
「礼貴、もうよそうぜ。職員室に鍵とってくるからさ!」
「ああ!? テメェはそれでいいのかよ!? 俺らは馬鹿にされてんだぞ!?」
「いや馬鹿にされてはないと思うんだけど……」
颯太が弱気なことを言うと同時に、なんか生暖かい風が……。
「ああ、帰すつもりはない」
すっ、と。
颯太に文句を言っていた俺の首に、温かい手が巻き付いた。
「あ、俺はもう知らないからな!!」
と颯太がどんどん遠ざかっていく。俺は首根っこを掴まれてその教室の中に入れられてしまった。
「会長! どうしてそんな、引きずりこむような真似を!?」
マドンナの声が響く。と同時に俺も叫ぶ。
「テメェ、何しやがる!?」
「ま、座りなさい。ちょっとお話がしたくてね」
悠々と等木は歩き、部屋の奥の椅子に座った。
部屋は両際の壁に巨大な鉄の棚があり、その中には書類とか何故か女のフィギュアがある。
真ん中のところには会議室によくあるような長机を二つくっつけたものがあり、左側にはデブメガネの男が、右には急いで座ったマドンナが、それぞれ奥の方に詰めて座っている。
そして、最奥から等木がこちらを見ていた。
「かけなさい。君と少し話がしたいんだ。あと名前も」
「なんでだ? 見ず知らずの女に首根っこ引っ掴まれて、のんきに自己紹介する性質に見えるか? ああ?」
だが、等木は全く怖がる様子はない。デブはゲームに熱中しているし、マドンナは俺と等木を交互に見て不安そうにしている。
「無礼は詫びる、すまなかった。本当にごめん。土下座だってしてみせる」
そういってへこへこ頭を下げる姿を見ると、怒る気は失せた。
軽く舌打ちしながら、俺は等木と反対側の、ドアの最寄の椅子に座り、等木と向かい合った。
「剣持礼貴だ。一のAで、一応はそこの女と同じクラスだ」
と俺はマドンナの方に視線をやった。その時に何故か等木とマドンナは妙な笑みを浮かべる。
「なんだ、にやにやと」
馬鹿にされているみたいだから、険しく尋ねるが二人はそっと表情を戻す。
「いやまあ、それはまた後で説明しよう。さて剣持くん」
突如として等木は立ち上がり、両手を広げた。
「君はこの世界に不条理や不満を感じたことはないか!?」
「下手な宗教勧誘は勘弁してくれ。殴るだけじゃ済まないぞ」
拳を固めて見せると、等木は落ち着く。
「別に宗教じゃないし、そうだな、悩み相談をするような部なんだ、だから不満とかを聞こうと思ってね」
あくせく焦る等木、そこには最初に見た戦士のような面影はない。もっと言うと、年相応の女の子という感じがする。身長百八十はあるだろうくせして、異様さすら感じる。
「悩みねぇ。あるに決まっているが、テメェらに相談するつもりは毛頭ねぇ。で、いいか?」
「……まあ、そうだろうね。なら議論はどうかな?」
「議論? なんでテメェらと?」
等木の奇妙な提案に文句を続けると、マドンナがこっちを睨んだ。
「あなた、いい加減先輩に敬語を使ったらどう? それとも敬語の使い方を知らないの?」
「それはそれは申し訳ございません、わたくし、あなた方に少しの敬意も持ち合わせていませんので」
皮肉たっぷり込めると、ついにマドンナが立ち上がった。
「お前あんま調子に乗るなよ! 会長はなぁ、会長はすごいんだぞ!?」
てん、てん、てん、と。
俺は呆気にとられた。単純に何が起きたかの理解が追い付かずに驚いたというところだ。
「ははっ、クラスのマドンナが大層な喋り方じゃねえか。腹ン中にぐつぐつとそんな感情を持ち合わせていたわけだ」
するとマドンナも、俺と同じように茫然とこっちを見ていた。
等木が耐えきれない、という風に笑い出した。
「てめ、何がおかしい!?」
「い、いやいや、同じクラスなのに、名前も何も知らないんだね?」
マドンナは心なし顔を赤くして、その場に座った。発言を恥じたのかと思いきや、どうやらそうじゃないらしい。
とにかく不快だ。やはり馬鹿にされている。
「おい、何を隠している。さっさと言え」
「だから敬語を……」
マドンナが口を挟んでくるも、それは等木に無視された。
「この部は通称セイド会と言う。由来は後で説明するが、まずは質問だ」
無言でいたのだが、それを許可と判断したようで等木は続ける。
「君は、男がスカートを履いていたらどう思う?」
「変態だな」
俺が即答すると、なぜか等木は満足そうに笑顔を見せる。
「何かおかしいか?」
俺が可笑しなことを言ったのだろうか、なんて優しくではなく、因縁をつけるように聞いた。
「別にスカートは女性用と銘打ったわけではない。法律で決まっているわけでもない。ならば、なぜ変態だと思う?」
等木の言葉に、俺は考える間もなく即答する。
「法律でも規則でもなくても慣習ってのがあるだろ。言われるまでもなく誰もが守るルール。お前はなんだ、俺がスカート履いてても平気なのか?」
想像しただけで、うげっとなる。自分の足を汚いとは思わないが、男が足を見せたところで。
てか、そもそもレディースってところで売ってるもんだろ。慣習って言うか、そういう言葉の定義とかも……うまく説明できないが、常識的になぁ。
「慣習と言っても良いものと悪いものがあるよな。例えば戦争中の日本などは女性は自分で考える能力がない、女は生き物ではなく物、とまで思う男尊女卑があったし、かつてのインドでは、旦那の火葬時に妻はその火に飛び込む最期を迎えるべき、という慣習があった。君はこれらを言われるまでもなく守るべき、と思うかい?」
「いやいやいや、そこは流石に常識も考えるっつの。頭おかしいだろ、自殺の強要なんて」
「だが、君の言っていることは少し危うい。周りがしているからといって、していないからといって、何が正しいか何が間違っているかは決まらないのだよ。慣習はそんな風にあいまいなものだ」
そう言われ、まあ思い返せば確かにそんなものだ。日本人も家の中を土足なんてありえねえけど、アメリカンは靴で家の中歩くし、そんな話だろう。
だが、こいつの言うことに納得するのはなんかむかつく。
「あんた、俺がスカート履いてたらキモイだろ?」
二度目、自分で言ってて少しつらい。だがこの台詞はマドンナが先に捕えた。
「別にスカート限定ではないわ。似合わないものを無理やり着ても似合わないだけだから」
「そりゃそうかもしれねえが、スカートが似合う男ってなんだよ?」
俺が尋ねると、マドンナは押し黙る。そして本を読み始めた。
答えられねえなら言うなっての。
「ニューハーフとかはどうだい? 気持ち悪いか?」
「オカマか。うーん、そうだな、少し嫌だな」
最近はテレビでもオネエなんて言ってスカートを履くおっさんがよく出ている。つっても、それは男がスカート、というよりもオネエがスカートを履いていると別物の考え。
そういうのを見る時の俺は、キモイとかじゃなくて面白い……とかそんなだと思う。
「気持ち悪いっていうよりかは見世物にされている感じじゃねえの。気持ち悪くはねえけど……」
「だろう? だが見世物という表現が気に食わないな。君はお笑い芸人をどう思う?」
「今度は何の話だよ?」
「これはニューハーフタレントの延長で話が少しそれるが、気にはなるだろ?」
……気づけば、いつの間にか俺はすっかり等木と話し込んでいた。
最初は適当に受け答えしていたのに、なんかいろいろ考えさせられて、しかも何かに導かれているような気がする。
やっぱ不快だ。自分が何も知らないのを、教授されているような気がする。
だがここから逃げ出そうとは思わない。それは敗北を認めることだ。
最悪なんかムカムカしたら殴る。あくまで最終手段としてこの拳を収めよう。
「で、お笑い芸人がなんだよ?」
俺が話を戻すと、等木は満足そうに続ける。
「パンツ一丁の裸で芸をする芸人や、下ネタや恥ずかしいことを言う芸人を見て、君は見世物だと思うかい?」
「…………」
今までそう思ったことはないが、というか冷静に考えても見世物とは考えないな。
だが似たようなものだ、笑いを取るために恥じも外聞も捨ててとにかく何でもする。特番で見たが、いくらかの芸人は親に泣かれているそうではないか、勉強ができずに芸人になった、という人間もいるそうだし。
等木も少しは考える風に間を空けて、やがて言った。
「グラビアアイドルなどはどうだ? 自らの裸体を記す見世物か? テレビのバラエティとは全て見世物か?」
今度は考えても、はい、なんて言えなかった。
何もあの人たちは見世物になろうと思って仕事をしているわけがない。それでも見世物だ、と思うことはできるが、俺だってそこまで失礼なことを考えるつもりはない。下品なお笑い芸人は、まあ見世物とか思うけど。
だが芸人にも驚くほど巧みな言葉遊びやエンターテイメントを行う者もいる、それは時に優れた小説家のように高度な物語を作ったりする。
俺が無言でいると、悟った風に等木が言う。
「さて、ニューハーフのタレントはどうだ? 見世物か?」
「…………」
考えてみれば――いや、冷静になってみれば、最初からそんなわけない。あの人達はコスメとかファッションのプロとして番組に出てたりするんだし、そんなスカートを履く男ですよ変ですよ、と視聴率を稼いでいるわけじゃないんだ。
失礼なことを言って少し申し訳なくなる。でもパンツだけの芸人はやっぱ服着ろ。
「さて、一つ発見したところで改めて聞くが、男がスカートを履くのは変かね?」
一度論破されてしまっては、いまいち答え辛い。
それでも俺は。
「変だと……思います」
敬語は、気付いたら相手に敬意を持っていたのかもしれない。だがそれでも俺は意見を変えない。
考えてみろ、男も女も服装の規定はない、なんて言い出して男も女も制服がスカートなんてなったらおかしいだろ。
「ふむ、先の質問に答えよう。君がスカートを履いていたら気持ち悪いよ。本当にキモイ」
「なっ……! でもそうだろ!?」
少しホッとした。これ以上この人が頑なだったら、この人は男にスカートを履かせて喜ぶ変な人かと思うところだった。
「では、私がスカートを履いているのはどうかな?」
と、等木は立ち上がった。
「いや普通だろ」
女だし。
「ではユウが……そこのマドンナちゃんがスカートを履いているのは?」
「なんで同じことを聞くんだよ」
「同じじゃないよ、礼貴くん、このどちらかが男だとしたら君はどう思う」
「もっと現実味のある嘘吐けよ」
俺が即答を続けると改めてマドンナ、ことユウが答える。
「さっき私が言ったことを覚えているかしら? スカートに限らず似合わない服装は似合わない。会長は、もし男でもこんな顔をしていて、スカートが似合っていたらどうか、と聞いているのよ」
念のためにユウの声をしっかり聴くが、どう考えても女のものだ。むしろ等木の方がよほど勇ましい声をしている。喋り方も。
「……まさか、精華」
俺の声は震えていた、これが男? 確かに身長は高い。でも女性として綺麗な顔をしている! ニューハーフなんて言っちゃ悪いけど化け物みたいなやつばかりじゃないか! 本当に悪いこと言っちまった……。
「そのまさか、だとしたら?」
等木の声も多少低いとはいえ、女性のものだ、そんなわけがあるか。
胸だって、むしろユウの方が絶壁だ。そう考えるとユウの方が……いや化粧っ気薄いと言ったばかりだ。
疑心暗鬼に陥っていたが、少し冷静になる。
「とか言って、両方女なんだろ?」
はぁ、とユウが呆れたような溜息を吐いた。
「じゃあ、少し話を変えましょうか。この部活に則ってね」
本を閉じて、ユウが真っ黒い瞳をこちらに向けた。
「一つクイズを出すわ。ある時、女の子とお父さんが遠足に出かけました。ところが二人は大きな事故に会い、すぐに病院に運ばれ手術を受けることになりました。担当医は世界的に威厳のある天才外科医、しかしその人は女の子を見た瞬間、こう叫びました。『いくらなんでも、実の子供の手術はできない』と。ではこの外科医と、女の子とお父さんの関係性を述べなさい」
「何の質問だよ」
「いいから考えて答えなさい」
会長と比べると慇懃無礼なこいつの喋り方は鼻につく。会長のコミュニケーションスキルの高さを考えさせられる。
話は戻して、えっと父親と娘が出かけて、旅先で娘が怪我して、病院に担ぎ込まれる。
そこで娘は、別の父親に看てもらう……。
「不倫」
「違う」
「養子」
「違う」
まあ、今までの答えは違うとわかっていて言った。ユウの考えることだ、どうせ今までの男スカートとかと多少は絡んだクイズなんだろう。
「その女の子とお父さんは親子なんだな?」
「ええ、説明していなかったかしら?」
「で、お医者様も女の子と親子」
「確認するほどのことかしら?」
確かに、知っていることを何度も確認するのは正解の確信がある時と、何も分からない時、今は残念ながら後者だ。
「ヒントくれ」
俺が素早く言うと、ユウはまた呆れた風に溜息を吐いた。幸せが逃げるぞ。
「あなたにわかりやすいヒントを出すとしたら……医者の一人称が私、ということかしら?」
気付いてしまえば、これほどたやすい問題はないだろう。
家族はお父さんと医者と娘の三人家族だとすると。
「医者は女か!」
「正解。割と有名なクイズだと思ったのだけれど。これがジェンダーバイアス。威厳のある天才といったら男だろう、医者と言えば男だろう、とあなたは思い込んでしまった。まあ学校の成績だけいい人にはありがちな間違いね」
「ああ? テメェ馬鹿にしてんのか」
「事実答えられなかったじゃない?」
俺が音を立てて立ち上がると、ユウは素早く言う。
「男性がスカートを履いてはいけない、とか世界的な威厳のある、という言葉で男性を想起するのも、あまりいいこととは言えないわ。性別に対しての偏見や差別を助長するから」
「んなこと知るか! 今はテメェに文句があってだな!」
と、俺はぐだぐだぬかすユウにつかみかかった。
ユウの体は驚くほど軽く、力も女以上にない。
「礼貴、暴力を振るうのはよくない」
等木が止めに入るが、胸倉掴まれたユウはぽかぽかというような抵抗しかしない。
これじゃやる気もなくなる。
ゆっくりおろしてやると、涙目のユウがなおも叫ぶ。
「お前! 絶対に許さないからな!? いつか目にもの見せてやる!」
声は高い、が俺はその様子を見て異変に気付いた。
「……のど仏」
等木にはない、だが俺とユウには確かにのど仏が出ている。
それが性別の決め手になるとは思わなかった。
等木が咳払いをして俺の注目を集めると、続けざまに言う。
「坂上周一、それがユウの本名だ」
はぁはぁ言っているユウは、まだ憎々しげな顔でこちらを睨んでいる。
「君はっ! 見境なく暴力を振るうのはよくないぞ!」
「ただの正論かよ……っつーか、マジかよ。お前、男なのかよ?」
のど仏を見ただけで信用はできない、っつーかのど仏の出ている女性だっているし。
「僕は! 僕は……私のこと、どこからどう見ても女でしょう?」
急に普段みたいに落ち着いたユウは、なんか髪をさらっとかきあげて女性アピールしてきた。
「変態っつーか変人だな。なんて呼べばいい? 周一?」
「別に変ではないわ。誰かが決めたルールですらないもの。私のことはユウと呼びなさい」
「周一、またぐら触っていいか?」
「堂々とセクハラをしようという人間に不用意に許可を出す人間がどこにいるの? ノーに決まって」
さっとスカートに手を伸ばすと、確かにそれはあった。
それ、の説明は不要だろう。のど仏よりも確かに、男にだけ存在するものだ。
次の瞬間、周一の顔が真っ赤になる。目は今にも涙が零れそうだ。
「なーっ!! 何を、何をしているんだ!? 君ってやっぱり男の方が好きみたいな!?」
「やっぱ男なんじゃねえか。俺だってんな汚えもん触りたくなかったっつーの」
人生の通算で考えると、颯太の金玉蹴り上げた時くらいしかないだろう。パンツ越しでセーフとしよう。
「っし、信じられない、人の、そんな、僕が女だったらどうする気だったの!?」
「謝る」
「潔いな……」
等木が嘆息した風に言うと、同時に笑い出す。
「面白いな、礼貴は! ぜひともこの部活に入ってはくれないか?」
「会長! 僕は嫌です! いきなり触るし野蛮だし……」
「ユウ、君の尺度の変で決めつけていいのかい?」
そう等木が言うと、ユウは言葉を詰まらせる。その意味は俺にも分かった。
ユウは女みたいだ、つうかマドンナとか俺も言ってたし。
だが女装だ。さっきまでの俺みたいに女装する女は変だと、俺の尺度ではそう思っていた。
ユウはきっと今までずっと、他人の尺度で測られて変だと思われていたのだろう。だが彼自身はきっと、そんな風に思われるのを潔しとしなかった。
だから、今俺が変だと言ったことを少し後悔すらしている。
「ショックだなー、変って言われてショックだなー」
若干棒読みながら、責めるような視線をユウに向ける。
「それはっ! その、うう、ごめん」
こいつは多分ちょろい。本性がいい子過ぎる。普段の鉄仮面はどうした。
「そんな謝り方じゃ心の傷は癒えない……等木は謝る時はなんでもするって言ったなぁ……」
土下座するとか確か言ってた。なんでも、とは言っていなかったが。
だがユウは馬鹿だ。どうしようもない馬鹿だった。
「ごめんっ! 僕もなんでもするから!」
「あのな、なんでもするとかすぐに言うなよ?」
俺が軽く諭すと、ユウはきょとんと、茫然とする。
その間、俺は等木に尋ねる。
「入部って、いったいここは何部なんだ? さっきセイド会とか言ってたが」
「よくぞ聞いてくれた!」
等木はかなり嬉しそうに立ち上がる。たった衝撃で後ろに下がった椅子がそのまま倒れるほどの勢いだ。
「性差別、性問題、同一化推進会、略してセイド会だ! 我々の目的は、先ほどまでの君のように性にまつわる慣習などを取り払おうと思っているのだ。入ってくれるか」
「入るのはいいですけど……」
少し引っかかったところがあるので、一応付け加える。
「別に俺、あんまり今回の話、納得してねえぞ」
「ん?」
はっきり言ってマドンナ――周一は普通じゃない。男のくせに女の恰好と言葉遣いをする、そんなことを認めたところで周一のためにはならないだろう。
「勝負だ。周一が男になるか女になるか。俺は明日から周一が周一であるように努力する、あんたは周一が女でもいいっつう考えを貫く。それで周一はどうなるか、だ」
ユウがぽかんと口を開けている。マドンナの時の余裕はどこへやら。
等木はしばらく、真剣な表情で顎に手を当てていたが、やがて口を開いた。
「それでも入部してくれるのだな?」
「それでいいなら」
「なら構わん」
「会長!」
とユウが叫ぶと同時に、ゲームしてたデブがその手を止めた。
「いくらなんでも、部員確保に必死すぎやしませんかね……?」
ああ、そういう事情なんだな。デブの声はでぶでぶしくて、聞き取りづらかった。
「ちょっと待って! 勝手に僕が賭けの対象になってるんだけど! 僕はそんな……」
「今は周一状態だから俺の勝ちだな」
言うとユウははっとした風に口を抑えて、すぐに目つきが鋭くなった
「……不服だわ。勝手に決めつけないでくれる?」
「その格好も、喋り方も、声も変だって教えてやるよ」
「……声は、素のものなのだけれど」
「嘘つけ」
ユウは無言で、呆れた風に溜息を吐いた。マジらしい。
「それじゃこれ、入部届だ。印鑑を押して明日また来てくれ」
等木が俺にしっかり渡すと、俺もこれ以上居ても仕方なさそうなので帰ることにした。
「周一、一緒に帰らないか?」
「結構よ。見知らぬ男性と一緒に帰るほどはしたない娘ではないから」
「怖いんだな、俺に変えられるのが」
挑発の意味で俺が笑顔を見せると、ユウは汚い物を見るような顔で呟く。
「……下種」
いい気はしないが、あいつはあいつで面白い奴なのでまあ許してやることにした。
扉を開けた正面には窓がある。いまだに夕日が燦々と輝く、この夕日もいずれは夜の闇に包まれて太陽が堕ちることになるのだ。
「……颯太の奴、帰りやがったな。」
明日まず殴る、それだけ胸に誓って、俺も家への自転車をこぎ始めた。