時空の魔女
オスト・ディエナは空から見ると、城を中心とした放射状に広がる町並みをしており、細かで入り組んだ道は、そのものが要塞のようである。
そして各地に通じているだけ合って、南に向かえば、南の街の様相が段々と見えてくる。
オスト・ディエナで海が見えるのは南西の門だけだが、南はすぐ下にあるトリットフォード共和国との国境にほど近い。
トリットフォードは雨が多い国で、南東側の海辺にある首都は水の都と言われているらしい。
多神教を信仰することを許されたメイディアには、宗派は多々あれど、トリットフォードとバルグスは女神ルヴィアニス信仰の敬虔なる女神信徒の国である。
教祖が教えを司る第一人者だとすれば、巫女は力としての象徴。
ティアナの誘拐は宗派としての不祥事であり、両国の信徒達にとっても下手に公表すれば暴動すら起きかねないほどの事件なのだ。
その為に、表向き彼女は病に倒れている事になっているらしい。
町中のそこかしこに、錐型にとがった黒っぽい石造りの教会と、窓を彩る大きなステンドグラスの数々は、トリットフォードに限らずバルグスにもよく見られる建物だったが、フロラには珍しいのだろう、見つけるたび車の外を目をこらして眺めていた。
南の門をくぐり外に出ると、そこは赤い土と、ごつごつとした岩が目立つ、荒涼とした土地が広がっている。
この辺りは雨がほとんど降らず、やせた土地には草しか生えない。この季節はまだ生え始めたばかりの新芽ばかりなので、土の方が目立つのだ。
そんな土地でも国境が近いため、砦近くの集落には人々が住む。
生活のほとんどを首都に頼り切った地域だった。
必要だからそこにあるその町は必要以上には人は増えない。
常に吹いている西からの風は強く、馬車の窓を時折ガタガタと揺らした。
昔は栄えていたものが廃れたというとはまた違った、土地のそのものの寂しさが漂う、こんな荒んだ土地に時空の魔女は住んでいるというのだろうか。
見えてきた集落の外れ、女神信仰の教会がぽつりと丘に建っていた。
馬車は何故かそこへ向かい、そして他に何も建物がない丘の上。
「着きました」
馭者の声が聞こえる。
いつものようにブラフが馬車の扉を開き、デュランが足下に階段を置く。
降り立った二人の前には、どう見ても教会。
それもかなり古いのか、吹きさらしの風で少々削られ外側が白っぽく変色したようになった建物である。
随分と長いこと使われていないのか、人の出入りした様子はない。
「こ、ここ?」
「うん。半年前ここの、扉の前で門番に追い出されたんだけど・・・・誰も居ないね・・?」
二度目なので建物そのものの様子に驚きはしなかったが、誰一人いる様子は見られない。
「どういたしましょう?中に声をかけてみましたが、扉も閉まっているようでございます」
ブラフが何度か扉をどんどんどんとたたく。
流石に魔女の住む家?を蹴破るわけにも行かず、ダースフォー親子はそろって玄関の前
で腕を組んで考え込んでいると、フロラが前を歩いて行き、あっさりと扉を開いた。
「あいてるよー?」
「そ、そんなはずはー!?」
「さ、流石妖精さんじゃ・・!?」
「じゃ、行ってくるから、三人は此処で待ってて。悪いね」
シオンも特に驚くことなく、フロラと連れだって中に入っていった。
「お待ち下さい、シオン様ーっ私どももお供に――っっ・・・開かない」
先ほど同様、扉はびくともしなかった。
扉が閉まると同時に、そこは暗闇、というよりは星空の中にいるようだった。
「気をつけて、そこらへんもあたしの髪が散らばってるから。まぁ、踏んでも別に良いわよ。こっちへいらっしゃい」
「!?」
声は、幼い少女のものだった。
椅子は取り払われており、あるのは祭壇に真っ直ぐに伸びる青い絨毯の通路。
三段ほどの階段の先、祭壇はなく、変わりに王座のように輝く立派な椅子が一つ。
座っていたのは童女。
子供らしい幼い脚を大人っぽい仕草で組み、肘をついてこちらを見ている。
瞳孔というものが存在しない紫の瞳は、強い魔力を帯びて見つめられるだけで身体が痛い。
よく見ればそこら中に伸び放題になった長い髪が広がっていた。
黒っぽく艶めく赤い髪は本当に何処までも長く、薄暗い室内のいたるところに蔓延って、言われなければ髪だと気づけない程だ。
動きに、シャラリと房状になった銀のピアスが揺れる。
魔女だ。
子供だからとか、そんなレベルではない。
「早く。こっち。あたしは、気は長いほうだけど、めんどくさいのは嫌いなの。さっさといらっしゃい」
促され、二人はぎくしゃくと彼女の近くへ歩いて行く。
「別に、魔女に身分も何もないから、そこ、そうね・・・・」
小さな指が、虚空を撫でると、木の椅子が二つ、魔女のすぐ近くに現れた。
「昔此処に合った物だから、気にしないで使って。あたしは見たとおり魔女だけど、シオンの伯母・・・ってなんか嫌な響きだけど、伯母なんだし、遠慮はいらなのよ。あと、フロラ、あんたも魔女でしょ、何怯えてるのよ」
「は、はぅい」
「は、はい・・」
二人とも逃げ腰気味に椅子に腰掛ける。
「あたしだって戸惑ってるのよ?質問者が同時に二人なんて異例なことなの。運命を共にしてるって事だけど、それにしたって異例な事よ」
瞳孔がないと言うだけで、何処を見ているのか少し分からない虚ろな瞳は、紫の光彩がフレアのように青紫から赤紫などにチラチラと色を変える。
他人のふり見てではないが、それはさながらフロラの目の色の移り変わる時に起こる波とよく似ていた。
肌も青白いまでに白く、その白さも質もフロラと良い勝負だ。
「いいわ。まずそうね、自己紹介とシステムを説明するわ」
童女は満足そうに唇をちらりと舐める。
一つ一つの仕草がぞくりとするほど妖しげで、その滴るような色香にスーリヤを思い出す。
「あたしはミラーニャ。ミラーニャ・メイディーン。第一王女よ。八歳と四百七十二年生きてる、生まれながらの魔女よ」
四百八十歳とどう違うのかと言いたかったが、口を挟むにはミラーニャの魔力は恐ろしすぎる。
「時空の魔女とか呼ばれてるけど、別に異界に渡ったりは出来ないわ。あたしは過去見。
これまでと今までに起きたどんな過去も、質問者が知ってほしい過去と知りたい過去ならなんでも知ってる。・・・そう、魂が望んでいる過去なら、どこのどんな国のものでも異界のものでも見られるわ。だから時空の魔女と呼ばれているの」
彼女の過去見の力は、どんな異世界にも、どんな一瞬にも及ぶ。まさに時空を越える力だ。
「ただし、人が存在しない過去より前のことは見えない。魔力の根源は人の心であり、観測する者がいない世界は見えないわ。平行する世界の、その時間のどこかに人が居る限りは見えるけどね、何事も人智を越えたら駄目って事」
「えっと」
当たり前のように世界が複数ある話を持ち出されても、つい最近までそんなことに馴染みのなかったフロラには少し難しい。
それに時空を越えるほどに、どんな過去をも知っているからと言って、それがそのままどうしてティアナの居場所に繋がることだろう。
「質問は一人三つまで。それもあたしが「三つ」と感じたら終了よ。会話としての質問は受け付けるけど、答えられることは心に刻まれたものに対してだけだから、答えられない場合もあるわ。で、なに?フロラ」
「あのぅ・・・こ、これも一つになっちゃうのかな。どうしよう。どうして、ミラーニャに訊くと、人の居場所がわかる・・・の?」
「あんたはまず、この世界で魔法学校に三年くらいきっちり通った方が良いわよ。そうしなさい。・・・過去というのは確定してるの。あやふやで、人の知り得ない未来とは違うのね、これはわかる?」
「うん」
「未来を知ることは、原則として出来ない。なぜなら時間も空間も世界も常に未来へ進んでいるから、進むことによって構築される世界を、予想することは出来ても、知ることはできないのね」
「うん」
スーリヤの話なのだろう。
この魔女は恐ろしいが、比較的わかりやすい説明をしてくれる。
気は長いと言っていたが、・・・・気は短いんだと思われた。
「でも過去は違うわ、すでに起きたこと。昨日誰かが攫われたとして、それは昨日起きたことでしょう?過去になったものは確定しているから、そこに契約が生じていれば、あたしからは誰に攫われたか、いつどの時間にどんな風にとか、事実として知り得るってことね。過去見っていうのは、優秀よ。過去を知れば未来を予測することが出来るから、一つの回答から、いくつもの答えが導き出せるわ」
「なるほどなるほど・・・・」
この説明はフロラにもわかりやすかった。
なんらかの制約はあったとしても、今この瞬間より前はすべて過去という事は、例えば一秒前に起きた殺人事件だって彼女には見えるのだ。
「あと今のが質問に入るかだけど、入らないわよ。入れてあげてもいいけど。会話としての質問は受け付けるって言ったじゃない。質問以前の問題でしょ。まぁ、基本的にあたしがひとりで喋るから、あんた達は聞いてたら良いわ」
「はい・・・」
「まず・・―――ティアナね。身体はこの世界にあるわ。バスタールにある屋敷内の何処かね。結界が貼られてるから部屋まではわからないけど、身体がある。魔力の使えない人間の有り体な尺度だと死体なみたいなものよね」
「!?で、では姉上は・・・」
あっさりと告げられた事実に、シオンの目の前が暗くなる。
「だから、身体がある、って言ってるじゃない。早とちりしないの。「目覚め」を迎えてない魔女なんてただの人間と一緒。そのただの人間が自分が異界へ飛ぶ力を行使したところで、肉体は通れないのよ。過ぎた魔法には大抵自分には使えないっていうルールがあるでしょ?ティアナは帰ってくるつもりで、ちゃんと自分で結界を貼って身体は仮死状態に守られているわね」
つまり「身体だけは生きて、この世界にある」ということだ。
「・・・目覚めって・・・・・・・?」
フロラの問いにめんどくさくなったのかミラーニャは胡乱げな眼差しを、送ると細い顎をそらした。
「後でシオンに訊きなさい。で、次にティアナに誤算が生じた。といっても片道切符で他人を送り出すための魔法だし、これまで誰一人使うことのなかった魔法だから、彼女知らなかったのかしら。魂だけになってしまって異世界に飛ぶと「転生」してしまうことを」
「それは・・もしかして・・・・」
話が難しくてついて行っているだけのフロラより、シオンは察しも良い。
「そう、フロラ、あんたの妹のティアナ。簡単に言うと生まれ変わっちゃったのよね」
「え、でもフロラは、百年以上前・・・に」
少なくともティアナがこの世界から消えたのは半年前だ。
「同時に存在する異界のことを平行世界って言い方もするけど、別に綺麗に並んでるわけじゃないの。世界と時間の法則はそう、ちょうどよった糸みたいに一本の真っ直ぐな糸に見えても、近くで見るとねじれて絡み合い、不規則に進んでいるものだと想像してくれるかしら?」
「う、うん」
「それでどういうことがおきるかといえば、隣の世界では一時間前の事がこっちでは百年だったり、あっちで千年がこっちでは五分だったり、とかそういうことが起きるの。あたしの過去見は時として、別の世界にとっては未来になる事を「確定事項」として見られる事があるけど、それには制約が生じる。絶対に干渉出来ない条件がそういう時はあるわね」
千年と五分が一緒くたとは、世界とはどれほどのものなのかと、想像がつかなくてフロラは頭がぐるぐるするが、今はそんなこと気にしていられない。
「えと・・・・・・」
「うん、本当、学校いきなさいよ?ね? ふぅん・・あらびっくり。あんたたち、世界が違うのに、時間を共にした同じ日の同じ時間に生まれてるのね」
「ほわ~」
「それはえっと、調度別世界の時間が、同じ時間に並んだってことですか?」
「そうそう、ホント異例ね。そんなの千年に一度だってない事よ。それで運命を共にしてるんだわ。同じ世界で同じ誕生日で同じ時間の事ならいくらでもあるけど、世界を越えてってすごいじゃない!?あんた達もうつきあっちゃいなさいよ」
冗談なのか本気なのか面白そうに、ミラーニャは肩を揺らした。
「え・・・・」
「わわ・・」
こんな時なのに変なことを言われたので、どちらともなく目が合って、二人は慌てて俯いた。
「いちゃつかないでよ子供の目の前で」
「してませんからっ」
「してないよっ」
大体これの何処が子供なんだと言いたい。
「で、ティアナとフロラが修道院を出たのは・・・こっちでは半年前だけど、フロラの世界でも、まだ二年くらい前の事ね。ティアナの魂は・・・・・・・・・え・・・・・・?」
言いかけてミラーニャは眉をひそめる。
二年と聞いたフロラもシオンも変な顔をしていたが。
「どういうことなの・・・・」
「どうって、どういうことなの・・・?」
「・・・・・・――――フロラ、あんたがなんで知らないの?」
赤い唇を押さえ、フロラを睨むように睫をしばたたかせる。
「へ・・・?」
「あんたが、知らないなら、誰も知らないわよ・・・・?」
「ど、どういう・・・あの」
「途中までは見られるけど、フロラ、あんた、ティアナの居場所を見つけることを望んでないから、私には見えない。ティアナの魂は、その時点から未来の過去のどこにも存在してない」
「なんで・・・そんなことないよ、ど、どうして?どういうこと?」
「ずっと未来にあるってことはないんですか?」
「ないわね。転生してるなら転生した過去が見えるでしょう・・・・・――――頭や知識が望んでても、魂が望んでない質問は、あたしは見えない」
何もかもがうまくいっているかのように思えた事が、ここへ来て急に暗転していく気がした。
「まぁ、手助けはしてあげる。ティアナって一応あたしの姪っ子だし。過去を知ることは、未来を知るも同じ。考えられる答えを、自分たちで出しなさい」
もう一度、何処を見ているとも知れない瞳が、虚空を見つめる。
「そう、あの夜。どうして、迷いの森が生まれたのか」
ミラーニャは「生まれた」と言った。
「世界のぶつかるところに磁場が出来る。樹海に迷ったのね。そこへ、フロラ。あんたの血が流れた。それもかなりの量だったはず。その時、何か願ったわね?」
ミラーニャとて、過去が見えるからと言って人の心が読めるわけではないのだ。
「まぁ、状況から考えて、単純に逃がしてとか、自分たちを隠してとか、そんなことだと思うけど、磁場は世界が唯一交わるところ。近づいて良いことなんて起きないのを人間は本能で知ってるのよ。本来フロラ達の世界は魔力を魔法として具現しない世界として構築されてたけど、交わる中心で大量の妖精の血が流れて、どこか強い魔力の世界が呼応したのね・・・・。フロラは自分たちを守る森を作り出した」
「それが・・・・迷いの森・・・?」
「そう、ただ、空間そのものを切り取る感じで作っちゃったから、そのままいくつもの世界の磁場を漂うことになったの。磁場は時間がぐちゃぐちゃ。百年なのか二百年なのか夢を見ていたような時間の流れ方をするから、記憶が曖昧なはずよ・・・・・・・切り取った森はフロラ、あんたの胸にある」
「え・・・・?」
「それは・・・・・スーリヤ陛下も言っておられたけど、どういう・・・・・・・・事なんだろう」
「わからない?あたし、今ので気付いちゃったけど?」
ミラーニャの言葉に誘発され、シオンもハッとして顔を上げる。
「?」
「――――・・・おそらくだけど、フロラが・・・・・・切り取った森にしまっているのって、姉上なんじゃないかな」
おそるおそる口にしたその言葉に、フロラは青ざめて立ち上がった。
「違う!だって、ティアナは、あの時・・・・っ」
あの時・・・・・。
「いや・・・・いや・・・・・・・・・・いた・・っ・・・・ぃ」
無理に開いては壊れてしまう、心の扉。
記憶は冷たく、恐ろしい。
酷い頭痛がして、立っていられず頽れた小さなフロラの背中は、開かれる記憶を拒絶していた。
シオンの掌がフロラの背をさする。
頭で分かって事実が教えられても、それでも、どうしても、思い出せないのだ。
――――客観的な過去を知っても、どうしても、その時のことが思い出せない。
「フロラは、ティアナが「死んだ」姿を、・・・見てるんだね・・・・・・?」
シオンの問いは確信だったが、フロラは力なく床を見つめたまま首を振る。
フロラは何故か事実として「死んだ」事を知っているのに、最後のティアナを見ていない。と、記憶しているのだ。
そしてそれはそのまま知られたくない事実として魂に刻まれているので、質問者が望んでいない過去をミラーニャは見ることが出来ないと言う。
「まぁいいわ。あんたのその記憶がどうとかは置いといて、ティアナの居場所はあんたの森だろうし、最後の答えを教えてあげる。身体の居場所はバルグスのバスタールのティーエン・ロア邸」
「ティーエン先生が!?何故・・・!?」
ティーエン=ロアは狂信者ではないはずだ。
温厚な人格者で、シオンにとっては剣術を教えてくれた師でもある。
あまりにも身近な人物の名前にシオンの驚愕は大きい。
「狂信者達にお金払って、攫わせたのは彼ね。理由なんて知らないわよ。もっと遡ればそれらしいものはあるかもだけど、契約内容に含まれてない。それに「見ただけ」で人が何考えてるかとか子供のあたしにわかるわけないじゃな~い?」
不謹慎なにやりとした笑いを浮かべて、ミラーニャはこんな時でもくすくすと笑う。
「そうそう、大して時間ないのよ。ティアナの身体は持ってあと十日くらいかしらね。魂の不在が続いた、ただ人の身体なんて、いくら結界があっても、半年ぐらいが限界よ。魂のありかは分かってるんだし、まーほら、案ずるより産むが易しって言うじゃない。身体とご対面すれば何か起きるかも知れないしぃ」
「色々ありがとうございました、お礼って何を払ったらいいんでしょう」
「対価に関しては、勝手に発生してるから本人にわかんなかったら、あたしにはわかんない。報酬なら別にいらないわ、最善を尽くしなさい。それくらいね」
「ありがとう・・ございます。フロラ・・・・立てる?」
まだショックが覚めやらず、床に座り込んでいるフロラを立たせていると。
「またいらっしゃいよ二人とも。あたしはどうでもいいことなら色々教えてあげる。例えばそう、五百年ちょっと前に沈んだ大陸のお話しとか」
王座の上でくつろぐように横座りすると、なまめかしい仕草で彼女は耳の辺りの髪を掻き上げた。
「過去を知ることから導き出される答えは、無数よ。あたしは勘も強いわ。だからそう、気が向いたから良いこと教えてあげる。制約は生じないわ。勘よ・・・・・「ティアナは多分、フロラがこの世界に来ることを知っていた」さ、行きなさい」
その言葉は、何よりも強く、フロラの背を押した。
「信じる事よ。 ――――――この世に偶然なんてないけれど、必然に流されるも必然を引き寄せるも自分次第。また会えるのを楽しみにしているわ」
言うが早いか、星空のようだった世界は消えて、古ぼけて埃っぽい室内は蜘蛛の巣が振ってきそうな天井と、カビが生えて色あせた青い絨毯にステンドグラスの落とす光だけが、此処が教会だったことを思い出させた。
夢だったかのように、魔女はどこにも居ない。
あの煌びやかな王座もどこにもなかった。
「フロラ、大丈夫・・」
メイディアの城でこういうのに離れていたが、鮮やかなものである。
「うん・・・・・・・・・ごめんね、シオン。大丈夫・・・・」
「うん、急ごう」
どちらともなく手を繋ぎ、前を見たままシオンは言った。
「私も馬鹿って言われたけど、フロラも大概だよ。最悪の場合なんて一つもないって事忘れてる。だってさ・・例え身体の死に間に合わなくても、姉上のお墓は作ってあげられるし、別にフロラの記憶が戻らなくても、―――フロラの中に姉上の魂があるのなら、ずっと一緒じゃないか。・・・・・・何か一つでも、不幸なことなんて、ないだろう?」
「!」
目から鱗が落ちるほど前向きな優しい言葉。
「そうだね・・・すごいねシオン」
どんな結末も不幸がなかった事は、喜ばしいことではないか。
シオンの言葉こそ、魔法の様だった。物事の見方を違う方から見る、それだけでこんなに世界は変わる。
馬車に戻ると、馭者とダースフォー親子が待ちかねていた。
「シオン様、お帰りなさいませ!妖精さんも、ご無事でしたね、お二人ともあんまり遅いからどうなったのかと思っとったとこですよ、のぅデュラン」
「お帰りなさいませ、シオン様」
デュランは相変わらずフロラを気に入らないのか、彼女には一瞥を向けただけだった。
「行き先はどうされますかいのう?」
オルレアン邸の抱えの気の良い馭者は、世界地理に明るいと以前どこかで聞いたのを思い出す。
「名前を聞いていなかったね、馭者さん。訊きたいことがあるんだけど」
「クランデ=ロッサムといいます、ほいで、訊きたい事とはなんですかの?」
田舎育ちなのか、四十代くらいだが少し古いしゃべりをするクランデは、立派に伸ばした口ひげがよく似合う、全体的に丸っこい男だ。
「こっから、最速で、バスタールに向かいたいんだが、何処を経由して行ったら早い?」
シオンは馬車の中の座席を開くと、中から大陸の地図を持ってくると、バスタールを指さす。
バスタールはバルグス首都ルチアリードから南西に数十キロと程近いのだが、行きと同じ北ゲートから出てリュクセンを経由して街道沿いに南下していく場合、どう見積もっても二週間はかかる。
リュクセンのゲートを通ると言うことは、侯爵家にシオンが道を取ったことも耳に入るだろう。面倒は目に見えている。
「出来たら、リュクセンは通りたくないんだ」
慣れた道だし、イマリア達に命を狙われている事さえ覗けば宿場も多く、土地勘があるので飛ばしやすいが、面倒事の可能性も高ければ移動距離も長い。
大きな町もいくつか経由するため、一番選ばれやすい街道なのはシオンもよく分かっている。
だからこそメイディアのゲートは北に位置しているのだし、リュクセンは海もないのに貿易都市として潤っているのだ。
「無茶なのはわかってるけど、・・・・・・義母に命を狙われている。でも一刻も早くバスタールには向かわなければならないんだ。」
「はて、シオン様なんでまたバスタールへお急ぎなんですかの?」
「ブラフとデュランにも詳しいことは後で話すから、ちょっと待ってね・・・・どうだろうグランデ?他になければ、仕方ないのだが」
地図には道は載っていても、そのすべてが地図通りに繋がっているわけではない。
地図からは読み解けない細い道も、大きそうに見えても実は橋が壊れていて通れないとか、山が険しく越えるのに三日かかる等がある。
命を狙われているという言葉に、グランデの表情も引き締まる。
「ちょいとー、危険はありますけど、中央から、こーね、こー迂回するように北東に行くとね、ちっこい村があるんですがね、それを越えるとこのへんを分断する崖があるんですわ。だから普通の人間はバルグスにゃ行けないんで特に砦がもうけられちゃいないんですけどね」
そう言って指さされた崖があるとおぼしき、あたりの道。
「ここ見てくだせぇ。ここの山は坂が緩いし、てっぺん辺りにのどかーな村が一個あるくらいなんですが、あっしがメイディアで鳩を飛ばしときますんで、村はずれに馬を用意させておけば、ほら」
地図だと山が広範囲に広がっており、険しそうに見える道のりなのだが、山一つ越えるだけで、
「バスタールに直か!」
首都の南西にあるバスタールへは地形を考えればメイディアの中央ゲートからならば単純に北東に真っ直ぐ。そういうことだ。
「時間はどれくらいかかるんだ・・・?」
「崖まではずっと緩い上り坂なんですけど、馬なら物ともしない程度だし、崖越えちまえばずっと下り坂なので・・・そうですね、馬は乗り継ぎはしていただかないとですが、ちっと目立つかも知れないけど足の速い馬を使えば乗り換え三回で、六日以内ってとこですかねぇ」
「上出来だ・・!ありがとうグランデ!」
極上の美女にも見えてしまう美少年に抱きつかれて、グランデは年甲斐もなく顔を赤らめ、「いやぁそんなそんな・・・」っと頭を掻く。
「お前達も聞いたな!ここの崖までは一緒にきてくれ。そこからは私とフロラで行く」
「そんな、私たちもご一緒いたしますよ!」
「馬鹿かデュラン、わしらについていけるわけがないじゃろう・・・わざわざ普通の人間には越えられないからってグランデさん言うてくれてたじゃないか」
「し、しかし・・・・」
「そいじゃあ、まずはメイディアにぶっ飛ばしますよ! お嬢様、シオン様、酔わないようにお気を付け下さい!」
グランデは気合いも高らかに、鞭を振り下ろした。
馬車の中に戻ると、がくがくと揺れる室内で地図をもう一度広げる。
「シオン、そのティーエン・ロアってどうなの?」
「強い。勝てる気がしない」
「ええええ」
「デュランかブラフが来てくれた方が絶対良いと思う」
「で、でもシオン強いよね・・?」
信じ切った目を向けられて、シオンは目をそらす。
彼は自分の力を誇示するタイプではない。
「・・・・・・・それなりだとは思うけど、ティーエン先生は、私にとって剣の師なんだ。私の太刀筋を知り尽くしてる相手なんだよ」
力量が同じなら、初対面の相手というのはどっちもどっちだろうが、相手の方が明らかに強いうえに普段から手合わせをしている相手なのだ。
「フロラ、私は魔法使いではないんだ。時々過去が見えたり、風の精霊の力を多少使えるけど、物理的に人を傷つけるような魔法は一つも使えないんだ」
彼らしいと言えばとても彼らしい。
そして物事は一難去ればまた一難。
都合が良いくらいにうまくいっていたと思っていたが、最良の結果を目指すとなると、なんとリスクの大きい事か。
下手をすれば命を落としかねない。
(案外それが対価かも知れないな・・・)
これまでティアナもフロラも、一度命を落としそうなほどの対価を支払い、今この世界に存在している。
だが、シオンはどうだろう。
必然を感じるほどの対価を支払ったと言えるような出来事があっただろうか?
杞憂かも知れないが、嫌な予感が胸に押し寄せて、それを振り払うようにシオンは笑顔を作った。
「出来るだけ正面衝突しないよう、忍び込む感じでどうにかはしようと思う」
「そのおうちにはフロラが一人で行ってもいいんじゃないのかな・・?」
「フロラ・・・・、姉上運べないでしょう」
意識のない人間を、姿が見えなくても広い屋敷を引きずって歩いてたら、すぐ見つかってしまうだろう。
「うう・・・・でも、何処のお部屋にいるかーとかは見てこれるよ」
「それはお願いしようかなと思う。屋敷の構造は大体知ってるけど、特定できれば作戦も立てやすいしね」
「うんうん」
「・・・・・・一つ引っかかることがあるんだ」
「え?」
「ミラーニャ様がさ、ティーエン先生が狂信者達にお金払ってどうのーって言ってただろう?」
「言ってたね、最悪だよね!」
「理由はこのさい置いといてね、さっきまでの過去と私たちがバスタールにつくまで、六
日あるじゃない。もし「その間」にティーエン先生が何か動いたとしたら・・・・?」
彼は、シオン達が時空の魔女に会うまでの行動をある程度把握している可能性は高い。
どうしてもどす黒い不安が消すことが出来ないでいた理由の一つに、姉が簡単に攫われたと言うことである。
「ほえ?」
「狂信者っていうのは、教えその物より、女神の「力」に重きを置いてる者が多くて、魔術を習得してる場合が多いんだ。人の気配なんて姉が察知出来ないわけないから、普通簡単に攫われたりしないんだけど、彼等にだったら姉が攫われたと聞いても私は不思議じゃないと思ったんだけど」
「うん」
「今、この瞬間にも、ティーエン先生が何らかの理由で彼等と連絡を取って、私たちが着いたときに、屋敷に魔術師がいたら・・・・と、考えるとちょっと怖くてね」
「か、考えすぎじゃないの・・・?」
「そうなんだけど、嫌な予感がして・・・・」
いい知れない不安はシオンの胸に、闇のように満ちていく。
「そんなの!シオンにだって、フロラがいるでしょう。何にも出来ないかも知れないけど、二人居るんだから、なんかするよきっと!」
「フロラ・・・」
「だって、フロラは、魔女なんだよ。そ、そりゃ、お勉強は足りてないよ。学校もいってないし、習ったこととかもないし。お祈りなら出来るけど・・・・でも、此処にティアナがいるって教えてもらったから」
彼女はそっと自分の胸を押さえ、微笑んで見せた。
「ティアナの身体も大事だけど、フロラは、生きてるシオンが大事だよ」
「・・・・・・・っ」
思ってもみなかった言葉に、シオンは驚いてフロラを見つめた。
不安がないわけではないが心の闇が晴れていく。
「逃げたら良いの。無理だったらもっかい出直そうよ。間に合わなくったってお墓は作ってあげられるっていったの、シオンだよ?」
「うん・・・・そうだね、ごめん」
――――信じる事よ。
そう、魔女は言っていた。
失敗を恐れず、運命を引き寄せる、それしかないのだ。
「シオン謝りすぎだよ。いっつも謝ってる、よくないよ」
「じゃあ、ありがとう」
「そっちはいっぱい言うと良いのよ」
この先を行けばダースフォー親子とも、今乗っている馬ともお別れだ。
「どうか・・・どうかご無理だけはなさらんとってください・・・・・・あぁ、どうか、どうか」
今生の別れとでも言わん限りにブラフがぼろぼろと涙を流している。
ティーエン=ロアは手練れだ。
一人でも手があるなら安全性はあがる。
ダースフォー親子は剣の腕だけならばシオンよりも上である。
果たしてシオンにとっては師でもあるティーエンと正面から向かい合って、正攻法で勝てるかどうかもわからない。
「おい、妖精、お前、何があってもシオン様をお守りしろよ!」
「デュラン・・フロラは女の子だから、何があっても守るのは私の方だよ・・・」
「言われなくてもがんばるよ~」
相変わらずデュランはフロラに対しての態度はあれだが、フロラはあまり気にしていないようだ。
崖の向こう側に僅かに別の馬のシルエットが見える。
おそらくグランデが用意してくれた馬だろう。
「行ってくる」
フロラを抱き上げると、シオンは崖の一番端に立つ。
あの時のように力強く地面を蹴った。
ふわり。
緑の香りの風が吹いて、グン!と勢いが伸びる。
おそらく断層になっているのか、遠くの方まで崖は続いている。
幅も三十メートルはあろうが、この辺りが一番向こう岸と近いらしい。
崖を風の力で飛び越え、二人はなんなくバルグスの国境を越えたのだった。
「行ってしまわれた・・・」
「しかし、ティーエン先生とは一体どういうことでしょうね・・・・・」
「わしにはさっぱりわからんし、悪い夢でも見ているようじゃよ・・・・」
彼等にとってもティーエンは、顔なじみでもあり、尊敬すべき達人だった。
シオンとフロラだけでどうにかなると思えない相手だ。
公に動けないという今の状況も歯がゆく、ついて行けない自分たちがむなしくなる。
「ふ・・・・まぁ私は出来ることはしましたよ」
何故かしたり顔をするデュランの脇腹に、ブラフが肘鉄を入れた。