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魔法都市オスト・ディエナ

ううまちがえて消したのかわからないけど、二重投稿になってたらすみません;


 薄紫色の夕暮れは、辺りに群青の影を落としていく。

 宿場町とは比べものにならない、明るい街灯が灯されて、町並みはどこも洗練されており白い石畳が夜目にも明るい道しるべになっていた。

 とっぷり暮れた空はよく晴れて、ご機嫌な月が顔を出している。

 どれほど時間が過ぎたのか、例え明日になったとしてもフロラはその場を動かなかっただろう。

 小さく縮こまり下を向いて座っていると、ふわりと頭を撫でる手があった。

「フロラ、・・・――待たせてしまったね」

 反射的に顔を上げたフロラの顔が、くしゃりと歪む。

「シオン~~~」

 遅いとか、ひどいだとか、色々言いたいことはあるのに、不安で押しつぶされそうだった彼女はもう、脇目もふらずシオンに抱きついた。

 ツンとした血の臭いが鼻をついたが、分かっていたことなのであえて触れられない。

 そんなことよりシオンが生きてフロラの元に来てくれたことが、一番大事なことだった。

「ごめん・・・ごめんね。長いこと待たせちゃったね」

「うああああん」

 シオンも少し迷ったけれど、泣きつく彼女の背に手を回し、そっとさすってやる。

 フロラが泣き止むまで、そのままずっと二人はその場で抱擁していた。

 少し落ち着くと、シオンが馬に乗っていないことに気がつく。

「馬は・・・?」

 その問いにシオンは黙って首を振った。

「林に埋めてきた」

 馬はかなりの巨体だ。

 あれだけのものを一人で埋めようと思えば、時間もかかったことだろう。

「ふぇ・・・ぅう」

 神経質なところのない気立ての良い馬だった。休憩のたび、塩や野菜をあたえるのがフロラの楽しみの一つでもあったのに。

「シオン、シオンは怪我はない?」

「うん、大丈夫。私の血の臭い、しないだろう?」

 魔女にその手の嘘をついても血の臭いはすぐばれてしまうのだから、シオンは正直に答える。返り血を浴びた外套は捨ててきた。

「ちょっとすりむいたくらいだよ」

 そう言って、本当にすりむいた腕をフロラに見せて苦笑した。

 今、馬がいないということは、ふりきれなかったということだ。

 シオンは五人とも斬ったのだろうか?

 殺してしまったのだろうか・・・?

 泥だらけの靴。

 "馬を埋めた" と、彼が言うのだから、――――そういうことなのだろう。

 身勝手かも知れないが、それでもフロラはシオンが無事で良かったと思ってしまった。

 そういう世界に彼は生きてきたのだし、名声や金の集まる上流階級にはそういった血で血を洗う争いはつきもので、仕方ないと言えば仕方ないことなのかも知れない。

「走ってきたんだけど、フロラほど早くないから結構時間かかっちゃったね。もうすっかり夜だ。・・・不安だったでしょう?」

 不安で、死にそうだった!と言ってやりたいところだけれど

「フロラ、シオンのこと、信じてるから」

 フロラはシオンを責めようとは思わなかった。

 ちゃんと来てくれた。

「・・・―――うん。ありがとう」

 責められると思ったらあまりにも健気で素直な反応に、シオンの方が肩すかしを食らった気分だった。

「シオンが無事良かった・・・もう、どこにも行かないで」

 女の子にそんな事言われたら、ちょっとした殺し文句である。

 ぽろぽろとこぼれ落ちる涙を気にもとめず、縋り付いてくる華奢な身体は羽のように頼りないが、その質感はやはり少女の物でとても柔らかい。

 ・・・・・・いかんいかん、相手は魔女様!妖精さんだ!

 ほんのり不謹慎なことを考えてしまったのは内緒にしておこう。

「えーっと、フロラさん。ここでこーしてるのは私としては大変役得なんですが、そろそろ行くところもありますので、立てそうですか?」

「!!!?」

 シオンなりの照れ隠しだったのだが、我に返ったフロラの方が慌てて飛び退いた。

 その飛びのきかたがまた思い切りよく、三メートルはすっ飛んでいったのが面白くて、シオンはくすくすと笑う。

「かかかからかわないのよ!シオン!」

「だって、フロラ、かわいいんだもの。あははは」

「もー!」

 泣いても笑っても元日まではあと、四日。

 シオンの帰還で精神的に余裕が出来たフロラはきょろきょろと夜のオスト・ディエナを見回した。

 今まで見て来た宿場町とはあまりにも違いすぎた。

 むしろ、昼間フロラが見たオスト・ディエナは全体に白く壮麗で花の溢れた大都市といいう印象だったはずだが、城に近づけば近づくほど都市そのものから妖しげな魔力を感じ、フロラの身体をぞわぞわと撫でていく。

 遠くにそびえる大きな城には魔法使いの王様が住んでいるという。

 そこへ続く真っ白な道はよく見れば少しづつグラデーションしたモザイク仕様になっており、雲をイメージしたかのように渦を巻いたり不規則にうねっていた。

 それ以外にも、女神の像が施された街路の柱には、大きな薔薇のキャンドルが乗っかっている。キャンドルはそれだけでもすばらしい出来映えだ。そんなものがご丁寧にも分かれ道のたびに道を指し示すように灯されている。

 途中、繁華街へと続く道を覗いてみたいなぁと思いはしたが、おとなしくフロラはシオンの後ろをとことことついていく。

 そのままメインストリートを真っ直ぐ進み、何度か外壁をくぐると、町は様相を変えて見るからに高級そうな家々が連なり始めた。

 行き交う人々の服装も、仕立ての良さそうな丈の長いローブを身につけた男性と、大きく胸の開いたデザインで宝石よりもレースやフリルをたっぷりとあしらったドレスを着た女性が目立つ。

 流行なのか、女性達は誰も彼も頭に大きな花飾りか、綺麗な色のリボンを髪に結んでいた。

 煌びやかな雰囲気に気後れがしてきて、少しだけ不安になりシオンの服を掴む。

「どうしたの?」

 訊かれても説明出来なくて、フロラは小さくかぶりをふった。

 同じように質素な旅装束に身を包んでいても、シオンは明らかに慣れた風で堂々としている。

 フロラの不安を知ってか知らずか、彼は少しだけ考える素振りをするとフロラに手を差し出した。

「どうして?」

「正解?」

「うん・・・」

 そのまま手を繋いで、二人は三十分ほど歩き続けた。




 


 目的地らしき館は黒塗りの鉄格子の壁でぐるりと囲われた、瀟洒な館だった。格子には唐草模様の金具が所々はめ込まれおり、金と黒の対比が妖しさを醸し出している。

 門の前には、門番以外に二人の男が立っていた。

 今か今かと通りを見ていたらしく、シオンを認めた途端に走り寄ってくる。

「シオン様~~~~」

 旅に適した足は遅くとも体力のある馬を使ったシオンに比べて、彼等は宿場ごとに駿馬を乗り換えてここまで先回りしたのだろう。

「ま、こうなるとは思ってたけどね」

 シオンは諦めたように肩を竦めた。

 フロラにも聞き覚えのある声だった。宿場で振り切ったあの二人組に違いない。

「ほら見ろ、シオン様、女の子連れているじゃないか!」

「親父!?耄碌するにはまだ早いぞ。どう見ても一人じゃないか!」

 普段は父さんと呼んでいるが、素が出てしまうと親父と呼んでしまう息子だった。

「あー、どっちも正解だから大丈夫。おいで、フロラ。この二人は私の世話係なんだ」

 一目で血縁者と分かるくらいにはよく似た親子だったが、目尻のさがった物腰の優しそうな初老の男性がブラフで、若干無愛想な印象をあたえる二十代そこそこの背の高い青年がデュランというらしい。

 促されてフロラはフードを目深に被ったままちょこんと頭を下げた。

 悪気はないのだろうが、彼等の主人に似つかわしくない鄙びた旅装束の小柄な娘を、値踏みするような強い眼差しがフロラには怖かった。

 さりげなくその視線から守るように、シオンはそっとフロラの前に立つ。

「わしは、ブラフ=ダースフォーと申します。こっちは息子の・・・」

「な、今いなかった。いなかったですよね!?」

「これ・・・デュラン・・・」

 オカルトや魔法全般が苦手な青年のほうが悲鳴を上げる。

「説明は後でするから、とりあえず中に入らない?お前達がここにいるってことは、私を迎える準備をしてオルレアン伯が手ぐすね引いているんだろう?」

「まったくその通りにございます」

 館に入るときにこそっとシオンが、フロラに耳打ちする。

「・・・ブラフはおじさんだけど、昔から妖精さんを信じているんだ」

 その言い方が悪戯っぽくてフロラは思わず吹き出してしまう。

 だからフロラのことが普通に見えるのだろう。

 冗談のように聞こえるが、きっとそれが真理なのだ。


 財力のある身分の高い貴族は、郊外や地方に城を構えるのが一般的で、都市内にある館は、あくまで洋館風である。

 もちろんある程度は制限された広さなのだが、それでもフロラが今まで見た建物の中では格段に豪奢で華麗な館だ。

 夜だというのにいくつものキャンドルでライトアップされた庭は、芝生に動物をかたどった大きなトピアリー、中庭に続く小道には薔薇のアーチ。

 何故そんなに夜の庭をきらきらしくさせておく必要があるというのか。

(お金持ちの考える事ってわからない・・・)

 シオンの実家もこんな感じなのだろうか・・・・・・。

 今度訊いてみることにしよう。

 円形に広がったような階段を十段ほど上がると、飴色に輝く大きな木の両扉があり、扉には家紋と思わしき獅子と唐草が描かれていた。

 別に扉なんて片方開けば良い物を、世話係達は二手に分かれ、当然のように観音開きにされた扉を動じることなくシオンはくぐる。

(さ、流石ね、シオン・・・)

 この仰々しさを普通に受け止め、少しも臆することのない横顔は、実にエレガント。

 容姿もさることながら、齢十五にして旅先での宿場の手配も買い物もそつなくこなし、平民に対しても気さくに接することが出来て、なんだか魔法もちょっと使えるようだし、それでいて暗殺者をばったばったとなぎ倒す(予想)剣の腕前を持つ貴族の子息様というのは、一体どんな人生を送ってきたのか・・・。

 境遇を聞くだけでも、実に濃い人生送っている十五歳である。

「フロラ?大丈夫?」

「う、うん」

 仰々しく開いた扉の向こう。

 なんとなく予想通り、ずらりと並んだメイド達とワインレッドの絨毯。螺旋階段前で出迎えてくれたのは、この家の主人・・・。

「待ってたのよぉ~!んっまーぁ、シオンちゃん、相変わらずかわいいわねぇ。アタシ、嫉妬しちゃう!」

 豪奢で華やかなビロードの赤いドレスは女物。

 でもどう聞いても声は野太い男性のものだった。

「ご無沙汰しております、オルレアン伯」

「あーんもう、オルレアンで良いって言ってるでしょう?」

 地毛なのか染めているのかまではわからないが、結い上げたまばゆい黄金の髪と、ブルーグレーの瞳。焼いているのか元からなのかラメを塗り込んだ小麦色の肌。

 けばけばしい化粧も目に痛いが、見た目は年齢不詳の長身の美女といって差し支えはない。見た目は。

 あんまりの珍しさから、ぽっかりと口を開けて見入っていたフロラだったが、

「あっらぁ?そっちのお嬢さんは??」

 まさかこの相手に普通に見られているとは思わず飛び上がってしまう。

「ひゃあっ」

「んまっ、妖精なんじゃないの?この子。なんで人の姿をしてるの?」

 これに、後ろでブラフが「妖精さんじゃったのかぁ」と嬉しそうに呟いたのを息子はしっかり聞いていた。

「フロラ、オルレアン伯はこれでも一応魔法使いなんだ。元日まで少しお世話になるからフロラも挨拶してくれる?」

「う。うん。フロラ、えっと」

「あらやだ一応ってなによ、シオンちゃん」

「言葉のあやですよ」

 これだけの色物を前にフロラは上手い言葉が出てこずつい、

『初めまして、フロラと言います。しばらくお世話になるみたいで、よろしくお願いします』

 思念会話を飛ばしてしまうと、オルレアン伯もブラフも普通にうなずいているのに、デュランだけは腰を抜かしていた。

「フロラは少し、言葉を忘れてしまってるみたいで、言葉使いがちょっと変だったりするけど、よろしくしてあげて」

 恥ずかしくてシオンの後ろにこそこそと隠れようとするフロラを、オルレアン伯はにこやかに呼び止める。

「フロラちゃん、ちょっとその頭はひどいわよぉ。頭だけじゃないわ!なんか全体的に小汚い!・・・・・・・・私の美意識が許さない!リルカ!エルレ!いらっしゃい!この子、これは

酷いわ!どうにかしてあげて!」

「え?え?」

 途中から一大事かのように告げられた言葉に、リルカとエルレと呼ばれたメイドが列から走り寄って来て、フロラの両脇をがっちりと掴む。

「フロラ~。逃げちゃ駄目だよ、大丈夫だから行っておいで」

「ええええええ、助けて、助けて、助けてシオン」

「折角だから、髪とか綺麗にしてもらうといいよ」

 頼みのシオンはひらひらと手を振っているではないか。

 そのままずるずるとシオンから引き離され、隠れようとするも、どうやらメイド達もある程度魔力を使える者らしくあっさり連れ去られてしまったのだった。

「シ――オ――――ンッッ」

 連れ去られるフロラを尻目に、シオンはフロラのことを軽く説明する。

「北の森で追われてた時に、あの子の森に迷い込んだみたいで、助けてもらったんだ」

「やだ、シオンちゃん。北のあのあたりは時空の磁場だから近づいちゃ駄目って前に言ったでしょう?」

「そ、そうなんだけど、追われてたからね。・・・恩人だから、ブラフとデュランも失礼のないようにね」

 さっきの値踏みするような態度はいただけなかった。

「は!申し訳ありません!」

「でもなんでまた連れてきちゃったのぉ?森の気が溜まりすぎてあの子、もうほとんど人の気が残ってないし、この国で暮らすにしてもほとんどの人から見えないっていうのはちょっと辛いと思うわよぉ?」

 流石にオルレアン伯は的確なところをついてくる。

 あのまま置いてくるには忍びないほどに、あの娘が送ってきた百年が寂しい物だったことをシオンは知ってしまったし、そこに関しては考えもあってのことだった。

「お爺さまにお願いしようかなーって思ってさ」

「なるほどねぇ。あの方なら確かに何とかして下さるかも知れないわねぇ。・・・とかいって、シオンちゃん、フロラちゃんのこと気に入っちゃったんじゃないの?」

「な、何言ってるんですか!」

 オルレアン伯に指摘されたことは、言われてみると案外図星だったようで、シオンは思いもよらず真っ赤になってしまう。

 確かに性格がかわいいし、素直・純朴・健気の三拍子そろっている。

 顔もなんか、もしかしたらかなりかわいいっていうのは一応は知ってる。まともな格好をしているとこを見たことはないからあれだけれど。

「若いっていいわぁ・・・」

「フロラあれでも百歳越えてるらしいけどね」

 ちょっとだけ拗ねたように、シオンはぷいっと横を向く。

「やぁねぇ。女はいくつでも女だし、女の子はいくつになって女の子よぉ?シオンちゃんって顔はかわいいけど、ほんっと女心、わかってくれないんだからぁ」

「・・・・・・・・」

 色々突っ込みたいところはあるが、この人に何を言っても言い負かされてしまうだろう。

「シオンちゃんもお風呂くらい入ってきたらどぉかしら。今日はゆっくりしたいでしょ

う?お部屋の方にお食事の支度させるよう言っておくわ。食事が済んだくらいに顔を出すから、また会いましょ♪」

 オルレアンは手にした羽のセンスをふわりとひらめかせる。

 そういえば風呂なんて野宿のし通しでろくに入っていないことを思い出すと、その言葉に甘えることにした。

 血の臭いも洗い流したい。

「そうそう、フィーリアがシオンちゃんが来るって言ったら、久しぶりにこっち来るって言ってたわ。明日辺りつくんじゃないかしら。ずっといてくれたらいいのに、やんなっちゃう」

「そ、そうなんですか・・・」

 ――――フィーリアとは・・・・オルレアン伯の愛して止まない奥方の名前である。

 シオンもまだ面識はない・・・。

 世の中は不条理で満ちている。考えてはいけない。オルレアン夫妻についても然り。






 一方連れ去られたフロラはリルカとエルレなる、双子のメイドに良いように弄ばれていた。

「まずはお風呂ですわ!薔薇のオイルとミルクが入っておりますのよ」

 あれよあれよと素っ裸にされ、風呂に沈められ、

「いやっ、やめてー!助けてシオン――――っ」

「まぁなんて素敵なお花色の髪!」

 オイルだ何だと塗りたくられては、くるくるに洗われてしまったフロラはほとんど半泣きだ。

 どさくさに紛れて色んなところを触られた気がするのは気のせいではないはず。

「きゃ~~~~、フロラお嬢様なんてお可愛らしいの。お人形さんの様ですわ~」

 風呂などという物に入ったのが一体何十年ぶりか、むしろ人だった頃っきり(水浴びくらいならしたけれど)だったとかよりも、同性とはいえ他人に裸を見られ、ましてや触りたくられるなど元修道女のフロラには言語道の出来事である。

 しかし非力なフロラに比べ、鍛え抜かれたこの双子メイドは、それこそもう赤子の世話でもするかのように淡々とフロラを磨き上げていく。

 付けたことのないような腰をぎゅーんと絞るビスチェ型のコルセット。

 長いスカートの下に何故こんな物を履く必要があるのか、とんと理解出来ない絹のストッキングとガーターベルト。

 その上からよくふくらむドロワーズなるパンツ。

 さらに針金を張り巡らしたかのようなクリノリン。

 その上からふわっふわの花びらのようなレース生地を重ねたペチコート、

 最後にレースと花の刺繍がたっぷりと施された淡いミントグリーンの織生地のドレスを重ねる。

 これは絶対に一人では着れない代物だ。いや、下手をすれば脱ぐのも一苦労なのではなかろうか。

「なんて白い肌なの。羨ましいですわぁ~」

「このドレスの色は、お嬢様の瞳の碧に合わせて選びましたのよ~」

 服を着せられ終えて、椅子に腰掛け髪をいじられる頃には口答えする気力もなく、なすがままである。

「フロラお嬢様は髪は伸ばされないのです?」

 あのザンバラだった前髪を、絶妙な具合に眉の辺りでカットしてくれたリルカの問いに、フロラは曖昧に頷いた。

 時の止まっているフロラの髪は、これ以上伸びないのだ。

 昔は、そう、ずっと昔はとても長く伸ばして、それというのも珍しい髪色だから売るためだったのだけれど・・・。

「きっと伸ばされたら今よりもっとお似合いになるのでしょうね」

 肩の辺りで綺麗に切りそろえられ、くるりと内巻きに整えられた髪は見違えるほどしっとりと柔らかそうだ。サイドの髪とレースのリボンを編み込んで、町で見かけた貴族の娘達がしていたものより小ぶりな白薔薇の生花も飾られれている。

 鏡に映る自分は元々ろくに見たことがないのもあいまって、本当に人形か何かのようで、他人事のように「へぇ可愛い子だなぁ」とか思う。

「これはもう芸術ですわ!」

「愛らしさの極地ですのよ!」

 流石にそれは褒めすぎだろうとは本人は思いつつも、鏡の中のフロラはなかなかの物だった。

 半ば諦めと呆れの境地で、双子の褒め言葉を受け流し、次は何かと待ち構えていたらもう終わりだったらしい。

 これでも正装とかでもないらしく、貴金属の類をごっしゃりと盛られることはなく、貴族の女性のちょっとおしゃれな普段着だと言うから驚きである。

「これ、脱ぐの大変?」

 常にこれを着ていたとして、眠ることもしなければ新陳代謝らしいものもないフロラとしてはずっとこのままでも支障自体はないのだが・・・気分的に落ち着かない。

「いいえ、貴婦人のドレスは殿方のお手を煩わさないワンタッチ仕様ですわ」

 あれだけ時間をかけて何枚も何枚も重ねたドレスがワンタッチというのも解せないが、そこになぜ殿方が関係するのかもわからない。

「・・・・・・?」

「フロラお嬢様にはまだ早いですわね!うふふふ」

「着替え、どこ・・・?」

「お着替えなさるときはまた声をかけてくださいまし~」

「い、嫌っ。フロラ自分で着れるのほしい。こんなの・・・恥ずかしいし」

 なんだかこれだけ飾り立てられてしまうと、逆に恥ずかしい。

 こんな格好でシオンの前に立たねばならぬのかと思うと、さっきのぞき見た鏡の中の「可愛い子」が果たして、シオンの目にはどう映るのだろうかと、不安の方が押し寄せてくる。

 髪型や脱ぎ着の事ばかりに目が行っていたが、ふと鏡をもう一度見直すと、気になる点がいくつか追加される。

(胸!こ、こんなに開いてるんだ!?)

 若い少女向けの清楚な配色のドレスでも、形そのものの流行からは逃れられないようである。

「こんな、開いてたら、恥ずかしい・・・」

「あら、大丈夫ですわ。フロラ様も見ましたでしょう?みんな着てますもの」

 メイドの制服のエプロンドレスでさえ、襟ぐりはデコルテを見せつけるように開いている。

「そうですわ、ある物は見せないと損ですのよ」

「あ、あるものって・・・」

 フロラ自身、華奢な身体に対して、ないということもない程度には少女らしくふっくらとした胸には、ビスチェ効果でなにやら谷間らしき物すら出来ている。

「いやあああああ」

 泣きそうになって、何とか脱げない物かと立ち上がったと同時に、タイムアウトだった。

「フロラー?支度できてる?」

 今だけは無情に響く、シオンの声とノックの音に双子が先に扉を開けてしまう。

「きゃああああああああああああああああ」

 天高く、乙女の悲鳴は絹をも引き裂くとはこのことか。

「ど、どうしたの?あれ?フロラ?」

 いるはずのフロラは何故か脱兎のごとくカーテンの影に逃げ出し、ドレスの裾だけが見えている。

「シオン様、いつ見ても麗しゅうございます~。ささ、お嬢様の支度はばっちり済ませてございますわ」

「フロラお嬢様、往生際が悪いですわよ!大丈夫です!シオンさまは「そんなもの」見慣れておりますわ!」

 そんなもの・・・とは背中とか、胸とか、多分そういう話なのはわかるのだが。

 そういうもの、なのか・・・、――――時代は変わったのだろうか・・・と、貞淑と慎ましさはドレスのデザインとは関係ないのだろうか?

 フロラの生きていた時代の住んでいた国では、襟ぐりの大きく開いたドレスというのは娼婦くらいしか着なかったように思う。

 だがいまや、町ゆく娘達は貴族に限らずオシャレ着といえば、皆胸の開いたドレスを着ていたのも確かで、見慣れている、という言葉を信じ、勇気を振り絞る。

 振り絞ろうとは思うのだけれど、今一歩が踏み出せずにいると、シオンがカーテンの傍までやってきた。

「綺麗にしてもらったんだろう?大丈夫、絶対可愛いから」

(そりゃ可愛いは、可愛いと思うけど!)

 あくまで自分を見る感覚が他人事になってしまっているフロラは逆に、自分を見る感想は客観的だった・・・。

 馬子にも衣装。

 服装や化粧がどれほどなのかというのは、効果は抜群。そんなこと古今東西、今に始まった事ではない。

 そうでなくては町の服屋も帽子屋も靴屋だって、はては宝石店までもが商売あがったりである。

 カーテンから俯きながら出てきた妖精の姿に、わかりやすくシオンが凍り付く。

(あ、固まった)と、双子は思う。

 これだけわかりやすい一目惚れ現場を見るのは、なかなか楽しい。

 一瞬赤くなって、平静を取り繕おうと咳払いをし、そこは切り替えの早いシオンらしくさりげなくフロラへ手を差し伸べる。

「すごく似合ってる。かわいいね」

 はにかんだ笑顔を向けられてこの一言は、フロラの方が堪ったものではないだろう。

 ぼん!と音がしそうな程真っ赤になって、どうして良いか分からずうつむいていても、今は隠してくれる前髪もフードもないのだ。

「食事の用意してくれてるみたいだから、行こうか」

「うん・・・」

 




 フロラと同じ歩幅で歩いてくれるシオンは、今は夜目にも鮮やかな銀の艶髪を首の後ろで黒いリボンで結んでいるだけ。

 彼は最初に会った時に着ていたシンプルなローブとはまた違った感じのデザインの服を着ていた。

 かっちりとした仕立てで、スタイリッシュなラインを描く群青の上着は前から見ると腰までだが、後ろの裾の丈がぐんと長い。それに合わせた同色の柔らかい素材のズボンと、膝まである牛革のブーツを履いていた。

 どこから見ても少年なのはもちろん、飾り気のない地味な装いと言えるが、銀の髪が宝石よりも眩しい彩りを添えて、ハッとするほどに艶やかだ。

 腰の低めの位置に銀細工と紫の房飾りがついた皮のベルトを巻いてはいたが、いつものようにレイピアは携えていなかった。

 気がつけばもう出会って二週間近くがたとうとしている。

 朝も昼も夜も、本当に四六時中一緒にいたので、もっと長いこと一緒にいたような気さえしてくる。

 ――――メイディアに、着いてしまった。

 あまり深く考えずこれまでついてきてしまったが、――――彼はメイディアの人間ではないのだし、花月の元日が過ぎればどこへなりとも帰還していってしまう相手。

 ついシオンを見つめる眼差しが、悲し気になってしまう。

「ん?どうかした?」

 理由を言う訳にもいかず、フロラはなんでもないというようにかぶりをふった。

「元日まであと四日はあるし、明日はどこか案内しようか」

「うん」

「話さないといけない事がまだいくつかあるしね・・・大体はこのあとすぐ聞くことになると思うけど」

「フロラも、ある」

 まだ、過去やティアナの事を話していない。

 通された部屋はシオン用の宿泊部屋らしく、クリーム色と若草色を基調とした、この館の中にある部屋にしてはなんだかとても柔らかな色合いの部屋だった。

「おお!まともな部屋」

「しー。聞こえちゃうよ。そんな言い方したらオルレアン伯が・・・喜ぶよ?」

「・・・・・・・・なんで?」

「フロラの部屋は、後で案内するから、とりあえずご飯にしようか」

「ごはん!」

 強行突破に近い旅は、あんまりまともな物は食べていなかった。

「ほわぁ~~」

 見たこともないような食べ物ばかりがならんでいた。

 部屋で食べるようにと、貴族の食べる食事にしては家庭的なものが並べられているのだが、フロラの記憶にある限り初めて見る物ばかりである。

 ふっくらと焼きたてのパンは真っ白で見るからにふわふわとしているし、砂糖をまぶしドライフルーツの乗ったデニッシュ生地の丸いパンは、それだけで食べたくなるくらいおいしそうだ。

 ホイップしたバターと、ジャムの変わりに甘く煮た栗のペーストも添えられている。

 メインディッシュと思われる鶉は、飴色に焼かれ、中には山羊のチーズとマッシュしたポテトが詰められている。

 他にも野菜をすりつぶしたものをクリームで煮たシチューや、色とりどりの野菜とベーコンをスープで寄せた煮こごりのようなものもあった。

 さらには誰がそんなに食べられるというのか、見たことのない何種類もの山盛りのフルーツが、綺麗な絵付けのされた陶器の皿に乗せられ、テーブルの中心にどっさりと置かれている。

「こんなに食べられない・・・でも残したら罰が当たる」

 修道院育ちの彼女としては、食べ物を残すだなんて言語道断なのだが、パンとフルーツはどう見ても、二人でとても食べきれる量じゃなかった。

「果物は、洗っておいてあるだけだから、どっちかというと飾りみたいな物だよ。いつでも食べられるようにっていうやつさ」

「他はイケルの!?」

「え、そんなに多い?」

「!?」

 旅の間、そんなに食事らしい食事をとれなかったのもあって、成長期の男子を見たことのないフロラは完全にシオンの食事量を舐めていた。

 食べ始めると、優雅な仕草でナイフとフォークを操り、彼は黙々と、だがあっという間に鶉もシチューもゼリー寄せもぺろりと平らげてしまう。

 パンも白いのを四つと、デニッシュも二つ。

 フロラも、鶉とゼリー寄せはしっかり食べきれたし、シチューもスープのようにさらりとしているので、シオンが言うとおりそんな大した量ではなかった。

 パンは白いのを一つだけいただいたが、これが最初に少し塩味が来て後味がほんのりと甘く、もっちりとした食感がたまらない。

 お腹はいっぱいだったが、惰性でもう一コくらい!と思ったら、シオンが手を伸ばしているとこだったので、何となく乙女的に譲ってしまったフロラであった。

 気付けば机の上にあったものは、果物以外何も残っていない。

「ふわぁ、おなかいっぱい」

「私はちょっと足りなかった・・・・・」

「もう、時間が遅いからそれくらいにしておかないと、いくらシオンちゃんが若くても、胃がもたれちゃうわよぉ?」

 見計らったかのように、オルレアン伯が扉を明けながら声をかけてきた。

「ノックくらいしてくださいよ」

「あらぁ、失礼。ちょうど良い頃かと思ったから失礼させてもらったわ」

 まるで悪いと思っていない顔で、あのセンスをひらひらとさせる。

 時刻はすでに夜の十時を過ぎようとしていた。

 オルレアン伯の後ろに、あの親子も続いて部屋に入ってきた。

「んま!フロラちゃん!なんなの!?この子すっごいかわいいじゃないの!?とぉーっても似合ってるわ!フィーリアが気に入っちゃいそうねっ」

 今にも逃げ出したい気分のフロラだったが、フィーリアとは?という顔でシオンを見ると、

「オルレアン伯の、・・・・・・奥さん。かな・・・」

「・・・奥さん」

 この伯爵に奥さんがいるとはとても想像がつかないが、そういうこともあるようだ。

「明日の夜にはフィーリアさんにも会えると思うよ」

「ふ、ふむん」

 失礼だけれど、いわゆるアレな感じの彼に、奥さんがと言われてもどんな人か想像も絶する。

 が、会えると聞くと好奇心がもたげてくるもので、フロラはなんとなく怖いもの見たさで楽しみになった。

「んじゃ、少しお話いたしましょうかしらねぇ。そっちの二人もシオンちゃんにお話があるみたいだし?」

 オルレアンは奥にあるソファを、優雅にセンスで指し示す。

 声さえ男でなければ、妖艶な美女なのだが・・・耳元で囁かれたら腰が砕けそうな程ダンディな低い声は、やはり声だけなら美声だというのに。






 最初に話し始めたのはブラフとデュラン親子だった。

「どうかシオン様、一刻も早くリュクセンにお戻り下さい・・・!」

「爵位など、叔父上にくれてやればいいではないか」

 これに無碍のない返事を返すシオンに、ブラフはぶるぶるぶると首を振る。

「わかっておいでだと思いますが、奥様とシャルム様は・・・・・・」

 シャルムというのが叔父の名前らしい。

「・・・・・・それは言うな」

「・・・・・・・・お言葉ですが、我がダースフォーの一族は・・・――グレンダール家に忠誠を誓い、代々ずっとお仕えしているのですよ!?くれてやればいいというような簡単な問題ではありません」

 デュランは臣下でありながら、言及するようにきつい物言いをする。

 彼とて、決してシオンを軽んじているのではない。

 訳知り顔の他の面子と違い、ここへ来ていくつもの名前に当惑するフロラだった。

「今のままではシャルム様と奥様は、シオン様を本気で狙ってくるでしょうね・・・」

「うーん・・・」

「フロラちゃん、ちょっとだけ隣の部屋にアタシといらっしゃい。アタシから適当に説明しておくからあなたたちは続けてて頂戴」

「すみません、オルレアン伯」

「ほ、ほえええ?」

 見かねたオルレアンがフロラを誘い、すぐ隣の寝室の方のテーブルへと誘う。

 びくびくとついていくしかなかったフロラだが、置いてあるカウチソファに座るように言われ、ちょこんと座る。

 オルレアンは顎に手を当て、思案顔であらぬ方を見てから、自身もフロラの横に腰掛けた。

「どこから話した方がいいかしらねぇ・・・」

「はう・・・」

「まぁいいわ!アタシの勘で行くわよ!」

「は、はぅい」

 それよりも彼に近づくとむせ返るほどのジャスミンの香りが漂ってきて、フロラは咳き込みそうになる。

「まずは、シオンのおうちね。 彼の家はバルグス王朝の侯爵家で、リュクセン領を治めて・・・え?バルグス公国もリュクセンもを知らなかった?・・・・・・一体どういう育ちをしたら自分の住んでた国を知らないのよ」

「フロラ、住んでた国・・・ル・ミナールという国。リュクセン、シオンに聞くまで知らない」

 メイディアに入るまでの数日間の話題の中に、彼の出身国と住んで居る地方の話くらいは出てきたが、そのどれもが土地勘のないフロラにはよくわからなかったのだ。

「・・・・・――――――フロラちゃん、もしかして、異界の子なのかしら・・・」

「それ、シオンもいってた」

 来たときと同じく、顎に手を当て、彼(ある意味、彼女?)は盛大にため息をつく。

「この大陸・・・近隣の島国、創世記前、今ある、この世界の史実のどこにもそんな国がないってことは、異界しか考えられないわね」

 オルレアンはその辺りの知識に明るいらしく、ほぼ断定的なようだ。

「・・・・・・まぁいいわ。シオンの家の事情をざっくり行くわよ」

 ――――シオンの家は、バルグス公国、グレンダール侯爵家という由緒正しい家柄で、ブラフとデュランはその家にずっと昔から使える臣下の家らしい。

 問題はフロラの義母であるイマリアと、シオン達にとって義理の叔父あたるシャルム。

 叔父とは言っても、イマリアの姉の夫という立場で元々が従兄妹関係にあり、大きな声では言えないが二人はおそらく不倫関係でもあった。

 というのも、シオンとティアナの妹のマーシャはまだ十歳と幼いが、シャルムによく似ているのだ。

 イマリアとシャルム自体が血が繋がっているのでまったく可能性がないとは言いがたいが・・・・間違いないだろう。 

 つまり、シオンたちの父の生前からの関係と言うことだ。

 そして現在はリュクセンを好き勝手しているイマリアとシャルムだが、シオンが十七(成人)になれば自動的に爵位を継ぐことになる。

 その前に亡き者にせねばなるまいと、彼等は焦っているらしい。

 ―――実子だが養子扱いの二人よりは、実子と言うことになっているマーシャに後を継がせたいのだろう。

 確かにここまでくると、ややこしい上に家の恥だというシオンの言葉も頷ける。そしてブラフとデュラン親子が躍起になるのも仕方ない。

 実質、完全な乗っ取りだ。

 そして、ブラフとデュランはあまり魔法知識に明るくないので、魔女などに頼るより捜索隊を出すか、教団に任せた方がいいという意見で、十六の誕生日を控えた大事なこの時期に家を空けてほしくないという事だろう。

「あの子達の母君も、動けない立場だしねぇ」

「む・・・?」

 てっきりシオンとティアナは両親、ともに亡くなっているのかと思って話をきいていたのだが、亡くなっているのは父親だけのようだ。

 そういえば、なんだか変な風に濁されただけで死んでいるような事は言っていなかった気がする。

「お待たせ、フロラ。オルレアン伯、ありがとう。どこまで話してくれた?」

 オルレアンが口を開く前に、シオンが寝室の扉をたたいた。

「シオンちゃんのおうちの事情くらいよ。マーシャちゃんのあたりまでかしらね。今からあなたの母君の話でもしようかとしていたところね」

「マーシャの事まで言わなくて良いのに・・・・・・。ブラフ、デュラン、今日はもう下がってくれ。あとは三人で話すから」

「しかし、シオン様・・・!」

「命令だよ。また明日ね」

 にこやかに命じると、有無を言わさずダースフォー親子の背中を押すと部屋から閉め出した。

 その足でくるりと振り向き、少しおどけた表情を作るとシオンは腰に手を当てて一言。

「メイディアの王様は、私のお爺様なんだ」

「・・・・・・・・?」

「これ、一応国家機密ね」

 内緒だよ?と言うように人差し指を口元に寄せ、――――何でもないことを言うような表情で、さらりと何かとんでもないことを言われている気がするのだけれど、母親の話ではなかったのだろうか・・・・・・?

「うん。ちょっと遠回しだったね。簡単に言うと母上はこの国の王女なんだ」

「・・・・・・ほえええ!?」

「このことは、成人するまで公表できないから、ブラフ達には悪いけど、説明出来ないん

だよね。私の母上は降嫁していないから、私と姉はメイディアの籍としては一応王族という事になる、のかな」

 この事はメイディアでも、一部の魔法使い達しか知らない事であったし、情報として公開された事はない。

 オルレアン伯が知っているのも、事情あっての事だった。

「王族っていうか、それ、もう王子様よねぇ」

「お う じ さ ま?」

 渦中の侯爵家の跡取りで、王子様。

 濃い。

 一粒で濃すぎる。

 さらにどんな事情があるのかわからないが、五百歳の王様に娘がいて、王女様の私生児で、実質シオンが王子様?というのはもうフロラの情報処理能力を上回る事実だった。

「で、で、でも王様って五百歳、てゆった。シオンゆったよ!?」

「多分・・・・・・フロラの思ってるようなお爺様では・・・ない。・・・・・・うん・・・・・私も一度しかお会いしたことはないけれどね」

「そうそう、シオンちゃん。その子、異界渡りなんですってね?」

「あ、やっぱりそうなんだ?」

「知ってたんだったら最初から説明しておいて頂戴よ」

「いや、そうなのかなーって話してた程度だよ。百年くらい前からっていうのに建国五百年のメイディアを知らないって言うし、近くの宿場町も地形も全然知らないみたいだった

から、迷いの森ってもしかして異界にも通じているのかなーって行きに話してたんだよね、フロラ」

「うむぅ」

 フロラとしては異界がどうのと言われても感覚としてよくわからないのだが、フロラの生きていた国のどこにも「魔法」という概念がなかったので適当にうなずいておいた。

「でもなんで言語が一緒なのかなってちょっとそこがよくわからなくて、確信はなかったけど」

「ほんとだぁ」

「あら・・・お話し中失礼。アタシ少し席外すわね。ちょっと野暮用。水晶に連絡がはいったみたい。行ってくるわ」

「すいしょーに、れんらく・・・・・!」

 魔法国家は魔法に満ちているらしい。

 手紙や使者が来たとでも言うように、ごく当たり前の風でオルレアンは静々と、いったん自室に下がっていった。

「ふふ。ややこしいだろう?」

「う、うん・・・・・・難しい・・・・・で、でも侯爵のおうち?おうちはいいの??乗っ取られちゃう」

「父は・・・多分最初からイマリア様に家をお譲りになるつもりだったように、私は思うんだ・・・」

「で、でも、妹、違うって・・・・・」

「うーん・・・・・父と、私たちの母上は一度駆け落ちしているんだ。けれど母上は立場上、他国の侯爵家に降嫁できる身分じゃなくてね。私が生まれたばかり、姉が三歳の時に連れ戻されてしまった」

 その後、イマリアが嫁いできても彼は決して彼女を振り向くことはなかったし、 最初からマーシャが自分の子ではないと言うことも彼は知っていただろう。

 イマリアの気持ちが決して振り向かない夫に対して、憎しみに変わっていったのも仕方ないのかも知れない。

「ブラフ達の気持ちはわかるけど、父はいずれマーシャに家を譲るつもりだったと思うんだ・・・」

「お父様は、どうして亡くなったの?」

 まさか暗殺だったのだろうか?

「それは騎士として恥じる事のない人生だったと思う。とても若かったけれど・・・父上は三年前の遠征先――――・・戦場で命を落とされたんだよ。・・・・・あのね、父上がマーシャに家を継がせるつもりだったのはイマリア様に対する罪滅ぼしだったんだと思うけど、根拠もあるんだ」

「こんきょ?」

「うん。父は私を「騎士」として育てなかった。それどころかメイディアから時折魔法士を招いて、魔法を学ばせていたからね」

 おそらく彼は、二人の子供を育て上げ、そして愛する女性に返そうとしていたのだろう。

「ふふ。父は呆れるほど、母上一筋な人だったんだよ。あんまり・・・話したりした記憶はないし、父上から母上の話はきいたことないけど、私はたまに過去が見えてしまうから、気付いてしまうことも多くてね」

「そっかぁ・・・」

 読書などほとんどしない父には似つかわしくない、菫の刺繍の入った布の栞をお守りのように、彼はいつもポケットに忍ばせていた。

 盗み見るつもりはなかったが、父の腕に触れたときにふと流れ込んだ過去の記憶。それは若き日の父に母が送った贈り物だったという。

 どれほど彼が母を愛していたのか、どれほどその別れが辛い物だったか・・・・・。

「まぁ、これだけ命を狙われると、私が十七まで生き延びられるか怪しいし、一度イマリア様とはきちんとお話ししなくてはならないね」

「縁起でもないこといわないよ!?怖いよ。シオン」

 他にも少し思うところはあるが、それはそれとして、シオンはひとまずそこで家の話を打ち切った。

「えーと、フロラ、質問はある?」

「あ、あい!えと、五百歳の王様にどうして、シオンの母上くらいの娘がいる?」

「あーそれね。母上はえーと、確かえーっと八十歳くらいってきいた」

「八十歳ぃ!?」

 自分の事は棚に上げて、フロラは大げさにのけぞる。

 八十という数字が逆に生々しいせいで、どうしても老女が浮かんでしまうのは致し方ない。

「見た感じは、二十歳そこそこって感じだけどね。あれ?・・・・・・・・フロラの方が年上・・・?」

「・・・・・・・・・な、なんかやだ、その言い方」

「あははは、もうフロラが思ってるような王様じゃないっていうのは、わかったね?」

 なんとなくよぼよぼの仙人みたいなお爺様が浮かんでいたが、それなら違うのだろう。

「とっても若い?」

「そう、見た目はね。五百歳だけど。お爺様には昔、百人の妃と三百と六十五人の娘がいたってどっかに書いてあったけど、あ、それは本当かは知らないよ。でも、お妃はもう誰一人生きていないし、娘も現在存命していらっしゃるのは七人だけなんだ」

 五百年は長い。

 強大な魔力ある王の子から魔力ある子供が生まれるとは限らない。

 仮にそれが本当で、そのような数の娘がいたとしても、生きているのはたった七人。

 王子に至っては生まれることすらなかったという。

 そしてシオンが生まれる迄は、ギリギリ王位継承権があると認められる曾孫の代まで行っても、子孫に男子は生まれて来なかったという。

 つまり、実質シオンは王位継承権第一位の王子様ということだ。

「三百六十五人目の王女が私の母上、ミルーシャ姫。最後の王女にして、風の魔女って言われてる。操る力はそんなに強い物ではないけど、五十年以上メイディアの外交官としての仕事もこなしていらっしゃる方だよ。駆け落ちしてる間は空席だったみたいだけどね」

「会える?」

「時が来れば、かな。・・・今は。私もお会いしたことはないんだ。姿を見たことはあるけどね」

 困ったように微笑んでシオンは首を振る。

「あ、そうそう、時空の魔女は伯母なんだ。お爺様の最初の娘にして、御年四百八十歳になられる、世界屈指の魔女様だよ」

 五百歳の王様に四百八十歳の娘ときいてもほとんど変わらないような気さえしてくる。

二十歳の頃に一人目の娘が生まれたと言うことになると聞けば、案外普通に聞こえるというのに。

「ほへ~」

 なんだかもう絵空事ばりの事ばかりで、始終、へーとかほーとか言ってるフロラだが、一つ疑問に思う事があったのを思い出した。

「そういえば、どして、花月の元日しか会えない?」

「あー、うんと行くだけなら出来るかもだけど。時空の魔女に会うとき、フロラは中に入れてもらえないかも知れない・・・・・・」

「どうして!?」

 許されるなら一緒に会う気満々だったので、フロラの反応はシオンがびっくりするほど大きい。

「元日って、私の誕生日なんだ。時空の魔女は質問者の誕生日にしか、質問に答えられないっていう制約があって、私の場合は花月の元日」

「なるほど~。それなら問題ない」

「え?」

「フロラも、花月の朔。元日生まれ」

 それは奇妙な偶然だった。

 いくつもの偶然が重なり、確かに何か運命を感じてしまうのも無理はない。

「フロラは・・・どうしてそこまで時空の魔女に会いたいの?」

「・・・・・・わかんない。会わないと行けない。呼ばれてる、気がする」

「フロラが言うならそうなんだろうね。ティアナにもなんか、あるみたいだし」

 逆にフロラの言う、運命を感じたというティアナの話はシオンも聞いていなかった。

「ティアナは・・・」

 フロラが重い口を開く前に、シオンはカウチから離れると天蓋付きのベッドに、どさっと腰掛けた。

「遅いなオルレアン伯。戻ってくるまでちょっと横になってもいい?」

 時刻はもう午前零時になろうとしている。

「ティアナの事、シオン、訊きたい?」

「うーん・・・・フロラが辛そうだから、何とも言えないけど、正直に言うなら訊きたいよ」

 その辛さも分かち合えるというのなら、シオンはフロラの事を何でも知りたかった。

 シオンは枕を手に抱えると、フロラの方を向いたままパタンとベッドに転がる。ちょっと子供みたいな仕草だった。

 大事なことを話すには少し遠いような気がして、カウチから立ち上がり、フロラも横たわるシオンの横にそっと腰を下ろす。

「シオン、髪の毛、触っても良い?」

「ん?いいけど・・・」

 フロラの細い指先が、ベッドに広がるシオンの癖のない銀髪をそっとすくっては、ぱらぱらと指をすり抜ける艶やかさを楽しむ。

 ティアナが生きていた頃も、よくその美しい銀の髪を梳いてあげたものだ。

 まったりとした時間に、シオンは少し眠そうにゆっくりとしたまばたきを繰り返す。

「なぁに?アタシがいない間にいちゃついちゃって~」

 音もなく現れたオルレアンが、にやにやと扉の前に立っている。

「だからノックくらいしてよっ」

 慌てて起き上がるシオンと、慌てて飛び退くフロラを、面白そうに交互に見ると「うふふふ」っと含んだように笑う。

「城からだったわ。陛下から伝言「明日の昼すぎなら会ってあげてもいいけど、デートの邪魔してゴメンネ」だそうよ」

「・・・・・・・・・」

 確かにシオンは明日、フロラに町を案内しようかと提案したにはしたが、まだ提案した程度だったというのに王はお見通しらしい。

 胡乱げな眼差しでシオンはもう一度、ぱたんとベッドに倒れると盛大にため息をついた。

「あぁら。シオンちゃん眠そうねぇ。疲れてるだろうし、もう貴方はそのまま寝ちゃいなさいよ。フロラちゃんは私が部屋に案内しておくわ」

「え、いや、私が送るし」

 起き上がろうとしたシオンを制し、オルレアンは首を振る。

「ほとんど寝てないのでしょう?顔を見ればわかるわ。うちは安全よ。ぐっすり眠ると良いわ。 さ、フロラちゃん行くわよ」

「え?え・・?」

「それともシオンちゃんの着替えでも見てく?」

「伯・・・何を言ってるんですか。フロラごめん、今日は先に休ませてもらうよ」

「ううん、シオンとても疲れてる。ゆっくり寝て」

 ティアナの話はまた明日にでも、と目配せするとフロラはオルレアンと連れだってシオンの部屋を後にした。


完結するまで毎日更新予定ー☆

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