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第三嫁 罵り天国 その五

「ただいまぁーっ」

 徹夜続きで頭がしびれている僕の脳内に、トルテの声が響いた。

 結局間に合わなかった。無念……。

「あ、ああ。おかえり」

「ルゥ様、ただいま戻りました」

「リルミムもおかえり。大変だっただろ」

「ええ……はい」

「っと、おかえり、マリクレッテ」

「……貴様は、意地が悪い」

「そう言わないでくれ。しかしみんな、あまり寝てなさそうだけど大丈夫か?」

「あんたのほうが酷い顔してるよ。ずっと寝てないでしょ」

「急ぎの仕事が入って、あれから寝てない……」

 あ、あれ? 視界がおかしい。やばい、意識が……。



 ──いつの間にか寝てしまったようだ。しかもリビングのソファーで。

 寝かせようとしたが、僕を部屋まで運べなかったのだろう。布団だけかけてある。

 もう昼過ぎかな。昼食の準備をしているのか、キッチンで音が聞こえる。

 そういえばロクに飲食する時間もなかったから、喉が渇いた。

「リルミム、水をもらえる……って、なんて素敵、いや、なんて格好をしているんだ!」

 僕のサップを一瞬で棍棒へすり替えたその姿は、俗に言う裸エプロンというやつだった。

 見たい、でも見ちゃ駄目だ。だけど見たい! いやいや……見ろ! 見る!

「あの、こういうのはお嫌いですか?」

 大好きだ。それどころか、世の全ての女性がこうなってくれればいいとさえ思う。

 もし魔法で実現できるのならば、一生をかけて研究してもいい。

「騒がしいけど、どうしたん?」

「ああ、トルテ。キミからも何か言ってやってくれ……」

 お前もかよ!

 僕の棍棒は、既にメイスと化している。凶暴で凶悪なその武器は、振り回すたびにいろんなものを飛び散らせる世にも恐ろしい──。

「どど、どうしたんだ二人共。何かおかしいぞ」

「えっとですね、これはトルテが……」

「どう? たまにはこういうのもいいでしょ」

 いいです! すっごくいいです!

「んでー、女の子がこんな格好をしているのに、何か言うことないの?」

 お願いですから、色々させてください。

 これだったらルゥにいたずらされていた方が、一〇〇万倍マシだ。人間の欲求の大半を占めるエロスを封印されるのが、ここまで地獄だとは思わなかった。

 これは拷問だ。いや、拷問にすらならない。

 何故なら例えば僕が捕虜として捕らえられたとして尋問される時、こんな格好をされたら一瞬で何でも吐くからだ。

 では何が問題なのかといえば、吐いたところで何もさせてもらえないことだ。

 拷問でなければこれを何とするならば、刑だな。

 僕は決して変態の類ではない。もし僕がそこらの一般男性レベルの思考だったならば、今頃は血の涙を流して天に向かい、ルゥへ向かって懇願していたはず。

 そしてルゥの返事が来ないことに絶望し、彼女らの上で散々泳いだ後に、首をくくっているだろう。

 ……いいなぁ、一般男性。僕もそうなりたい。

 だが今はそんなことはどうでもいい。逃げなくては。

「あ、いかん忘れ物をした」

「へ? あんた家の中で何を言って──」

「ちょっと取ってくる。じゃあね」

 なんとか逃げ通した。

 改めて自分の精神の強さを確信した。あの状況から逃げられるなんて、僕はひょっとしたら神か何かの転生なのかもしれない。男には不可能な脱出劇を見事に果たしたのだ。

何も考えずただ飛び出してきたのだが、中庭なんて久々に来た。

 最近はずっとリルミムが手入れをしてくれているおかげで、僕はここに来る理由が無くなってしまったためだ。

 誰もいないはずなのに、ふと視界の横を動くものが見えた。剣を振っているようだ。

 あそこで素振りをしているのは、マリクレッテか。

 素人が適当に振っているのではなく、ちゃんとした剣を習ったものの振り方だ。

 簡潔というか、洗練されている動き。全く無駄が無い。

「誰だ」

 気付かれてしまった。これだけ武術の心得があるのだから、僕の気配くらいわかって当然だ。

「あ、ああ。何をしているのかなって」

「なんだ、貴様か」

 僕を一切見ることなく、素振りを続ける。

「今朝戻ってきて疲れていないのか?」

「ここ数日まともに振っていられなかったのでな、疲れているという理由でさぼりたくないんだ」

 ずっと馬車に揺られていただろうし、向こうでは色々と大変だっただろう。

 だけどもう吹っ切れたようだ。振りに迷いは感じられない。

 真面目な性格もあるのだろう。美しい軌道を描き素振られる。

「さっきからじっと見ているが、面白いのか?」

「マリクレッテは剣技に長けていそうだけど、どうしてそんなに……」

 父が王宮魔術師だから、別に鍛えなくても不自由なく暮らせたはずなのに、というような話をしようと思ったのだが、これは言ってはいけないと思い、口を止めた。

「私の母が、騎士団にいたからだ」

 以前僕を暗殺しようとしていたから、暗部に関係あるのかなと思っていたのだが、よく考えたら暗部の人間が、あんなばれやすい殺し方をするはずないか。

 しかしオーバーライドを持った騎士ならば、ルゥに依頼するまでもなく、自ら実行できたのではないだろうか。

 いや、もし娘に現場を見られたとしたら、大変なことになるか。

 それに今後の娘の居所を確保したかったのだろう。殺人が起こった家ではなく。

 ならばもっと仲良くなって、ここに居やすくすればいいんだ。

「いい腕前だな」

「私なんぞ、まだまだだ」

「なかなか厳しいね。剣の稽古はどれくらいやっているのかな」

「私が七つの頃からだから、七年か」

 へー、随分と子供の頃からやっているんだな。でも七年やっていれば──。

「って、マリクレッテ一四なのかよ!」

「ん? ああ、そういえば言っていなかったな」

 僕よりも四つも下……、というよりも、まだ子供じゃないか!

 トルテよりは下かなって思っていたけど、まさかリルミムよりも下だなんて。

 まずいぞ。これはかなりまずい。二人は知っているのだろうか?

 いや知っていてもあえて問わないという感じだろう。彼女の状況を知っていれば尚更だ。

「それより貴様、散歩というわけでもなさそうだが、何故ここへ?」

「いやぁ、リルミムとトルテから見えない場所が無いかなって」

「ああ、あの淫獣どもか」

 そういう言い方は無いだろ、という突っ込みを入れようと思ったが、言いえて妙だ。

 あの二人はやたらと僕の性欲をかきたてる。

 むしろ淫獣は僕で、彼女らは餌のような気がする。

 餌が口に向かって飛んできているのに、何故口を閉ざしていなくてはいけないのか。

 世の中の理不尽を嘆く連中の気持ちが少しは理解できる。 

「気持ちはわかるけど、一緒に暮らすわけなんだから、そういう言い方は──」

「貴様も逃げずに交わってくればいいだろう。不能でもあるまいし」

 不能だったらどれだけ楽だっただろう。生憎僕のそれは、元気が余りすぎていつ犯罪に手を染めるか不安でたまらない。

「そうじゃなくってさ、キミもいるんだし、あまりそういうのを側でやるのには抵抗があるかなって」

「私は気にしない。慣れているからな」

 あ…………。

「いや、やっぱり駄目だ」

「何故だ?」

「僕は、僕の正義で生きているからだ」

「ほう、貴様の正義では妻に手を出さないのか」

「そういう意味じゃない。妻とはいえ、彼女らはまだ子供じゃないか」

「熟れた肉体がよいと?」

 このガキ。

 熟れた肉体がいいわけではない。かといって嫌でもない。この際どちらでも一向に構わん。という話ではなかったな。

「精神的な話だ。彼女らの心がもっと成長して、自らの行いに責任を持てるようになってからのほうがいいと思うからだよ」

「なかなか面白いな。貴様は聖人でも気取るつもりか?」

「そんなたいそうなつもりはないよ。あえて言うならば、キミと同じようなものかな」

「私と? どういう意味だ」

「僕は僕の正義を貫く。それは僕の中の僕が、正しき者であるために」

「なるほど。そんな生き方していて、疲れんのか?」

「疲れない生き方があるなら、教えて欲しいな」

「あっはっは」

 剣を止め、急に笑い出すマリクレッテは、まだ少女だなと感じさせてくれた。

「貴様は愉快な男だな。よい、とてもよい」

 腹をかかえ、笑い止まない。よほど愉快だったのか。

「それはどうも」

「すまん、調子に乗った」

「いやいいんだよ。マリクレッテが笑うところ、初めて見れたから」

 笑った姿を見られたのが恥ずかしかったのか、手で顔を覆い、わざと咳き込む。

 落ち着いたところで再び剣を構え、振り上げる。

「それじゃあ僕はほとぼりが冷めるまで、町にでも行って買い物でもしてくるよ。後は頼んだよマリクレッテ」

「あ、あの、な」

「ん?」

「貴様も、クレテと呼んでいいぞ」

「クレテ?」

「あの淫猥な女がそう呼ぶんだ。この呼び方は嫌いではない」

 顔を背け、照れ隠しをしている表情がかわいらしい。

「そっか。じゃ、行ってくるよ、クレテ」

「ああ、気をつけてな」


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