第三嫁 罵り天国 その一
ん、うう……寝苦しい。あまりの圧迫感に目が覚めてしまった。
しかしこの感触は、以前似たようなものを感じたな。そっと薄目を開けると、ぼやける視線の先に、誰かが自分にまたがっている姿を確認した。
またリルミムなのか、はたまたトルテ? などと寝ぼけた頭で考えていたのだが、一瞬にして意識を覚醒させるだけの感覚を受けた。
──殺気。
薄く月明かりが入り込む部屋で、そのまたがっている人物の手にきらめくのは、刃の薄いダガーだった。
ここは常に結界で守られているはずなのに、どこから進入した!
勢いよく振り下ろされた瞬間、布団の中で完成させていた印が発動。魔力による防壁だ。
いつもルゥからいたずらされていたせいで、この印だけは無意識に一瞬で発動させられるようになっていた。まさかこんなところで役に立つとは、思いもよらなかった。
しかしそのダガーは防壁を切り裂き、目前まで迫る。
「くぅっ、オーバーライドか!」
再び防壁を張る。今度はダガーを防ぐのではなく、相手の腕を止めるために。いくら魔法を引き裂く武器でも、手を止められてしまっては動かすことはできない。刃先は僕の頬に触れる程度のところで止った。
すぐさま別の印を結び、相手を弾き飛ばす。壁に叩きつけられ床に落ちた賊は、再び僕へと襲い掛かろうとする。反応が早く、素人ではないのがわかる。ならばこれでどうだ!
再び魔法防壁を発動させ、手首を止めて捕縛。それを上へ持ち上げ、爪先立ちにさせる。これで行動を制限できる。
すると賊は上を向き、ダガーを喉元へ落とす。自ら口封じをしようというのか。
だけど僕はそのダガーを空気の塊で弾く。オーバーライド対策は、ルゥに先日調べさせられていた。こんな形で役立つなんて。
魔法は通用しなくても、魔法を使って押し出した自然の空気は通用する。
まさかルゥは、これを見越して調べさせていたのだろうか。
また何かされる前に、ダガーを拾い上げておく。
それにしても初めて見たな。これが魔法を打ち消す、魔刃オーバーライドか。
壁に刺し、体重をかけてへし折る。これでもう使えないはずだ。
「誰だ! ここがどこだかわかってやったのか?」
薄暗い月明かりの中、正体がわからない。近付いても大丈夫だろうか。
「ルゥ様、どうしたのですか?」
まだ寝足りないといった表情で、目を擦りながらリルミムが部屋のドアを開けてきた。そこから入り込む廊下の明かりで、賊の顔が見える。
賊の正体は、少女だった。
背はリルミムと同じくらいで、髪はきっと長かったのだろうが、肩くらいからばっさりと乱暴に切られている。恐らくダガーで切ったのだろう。明かりを映す漆黒の瞳は、僕を敵のように睨みつけている。
それにしても、一体どうやってこの屋敷に入り込んだのだろう。
結界はオーバーライドを使えば中に入り込めるが、この周囲は泳げない水だ。これの存在を知らぬものは、泳いで渡ろうとして溺れ死ぬはずだ。
もし船を使おうとしても、浮力が無いから沈んでしまう。渡る方法なんて皆無だ。
だけどそれは、入って来たであろう窓から外を覗いたら解明した。矢とロープがある。
岸からクロスボウか何かで、ロープのついた矢を打ち込んだのか。
誰が雇ったかはわからないが、暗殺者に少女を使ったのはこれのためだろう。
丈夫な太いロープを付けたのでは、矢がここまで届かない。かといって、細いロープでは大人の男性の体重に負けてしまう。
これは確実に僕──、いや、ルゥを殺しに来ている。
一体誰が、どうしてこんな真似を。
ルゥの家の場所を知っている者の位を考えたら、戦争が起こってもおかしくない。
これは早急に追求せねばいけない。
「さて、話を聞かせてもらおうか」
「…………」
少女は僕から視線を外し、一言も発しようとはしない。
子供とはいえ、雇われた以上プロなんだな。きちんと沈黙という仕事もするようだ。
だからといってこちらもはいそうですね、というわけにもいかない。
「黙っていてはわからないぞ。それともこのまま、兵士に引き渡されるのを待つか?」
「……マリクレッテ」
「は?」
「私の名だ。それだけ言えばわかるだろう」
もちろん僕には何のことだか全くわからない。そして嫌なことに、またしてもよく当たるが、できれば外れて欲しい勘が働いた。
「ええっと、きみはその……」
「貴様の妻だ」
やはりそうだった。
雇われの暗殺者とか、変な杞憂をしてしまったものだ。種を明かせば単純だった。
……単純だが、あまりにも無節操すぎるぞルゥ・コーゲン。
「百歩譲ってきみが僕の妻だとしよう。だったら何故僕を殺そうとするんだ」
「貴様が死ねば、私は自由になれる」
単純明快だ。
「命を狙われるくらいなら、契約を破棄して欲しいんだけど……」
「駄目だ。契約は契約で、それを守るのが正しい者のすべきことだ」
契約を守ったうえで自由になる方法、それが殺すことになるのだろうか。
確かに契約した人間が死んでしまえば、その契約は無効になる。今回のケースでは、結婚をする契約なわけなのだが、旦那が死ねば夫婦を存続させる必要がなくなる。
「何二人で叫んでるのよぅ。まさか、あたしを差し置いて……って、何してるのよ」
ナイスバディーにトラブルを封じ込めたトルテが、相変わらずの性欲をそそる寝巻きでやってきた。今の僕はその姿を見て元気になれる余裕は無いのだが。
「ああ、トルテ。今ちょっと襲われていてな」
「襲われてって、あたしに断りもなく……この子、誰よ」
僕も知りたい。この子が誰なのか、そしてトルテに断る必要があるのかを。
また手紙を探す作業が始まるのか。
「悪いけど二人とも、彼女を見張っておいてくれ。多分大丈夫だと思うけど、逃がしたりしないように。あ、あとあまり近付かないほうがいいからね」
「は、はい」
よし、書斎へ急ぐぞ。
えーっと、マリクレッテ、マリクレッテと。ああもう、余裕があるときはすぐに見つかるくせに、無いときにはとことん見つからない。
最近暇をみつけては少しずつ整理しているのに、この体たらくだ。
封筒を一通り見たところで、その名は見当たらなかった。本文まで目を通さないと駄目か。今度は内容別にも分けておかないと。




