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資本主義と共産主義

岡田茂吉師の論文です

資本主義と共産主義


 そもそも、資本主義の発生は何によるものであろうかという事から検討してみよう。すなわち資本主義の根本観念は、限りなき利己からである。ただ儲かりさえすればいい、従業員や労働者の幸福などはあまり考えない。ただ生活出来るだけの報酬さえ与えればいいという、まことに人情も慈悲もない冷たい考え方である。

 愛といい慈悲という思いやりの感情はもちろん精神活動からであって、いわゆる唯心思想である。それと反対に物欲一方に偏する利己思想は唯物主義であろう事はいうまでもないとすれば、資本主義なるものも全く唯物主義の産物といえるのである。

 ところが、右のごとき資本家の利己一点張りは、到底長く許さるべきものではない。遂に彼のマルクスやエンゲルスが現れて、共産主義理念を発表したから堪らない。それまで虐げられて来た労働階級並びにその支持者等は、これなるかなとたちまち謳歌し、反抗的気勢は年をおうて強靱となり、遂に共産主義国家を産むと共に漸次今日のごとく世界的に発展まで到った事は、現在までの共産革命の歴史である。

 ところが、それだけならいいが、今度は資本家を打倒して、自分達がとって代ろうとする気勢さえ示して来た。その結果労働階級の利益のみを考え、資本家や自分達以外の者は極力打倒して没落に追い込めようと、執念深く活動の手を緩めないというのが現状である。これがため到るところ陰に陽に闘争に日もこれ足らぬという現状である。かような共産活動の利己一点張である事は、資本家のそれと何ら異なるところはない、どちらも唯物主義である事はいうまでもない。

 こう考えて来ると、今日世界人類苦悩の根原は、これら両極端の唯物主義者陣営の闘争である事は疑ない事実である。ゆえに以上の原因を解決しない限り、何年経っても人類の幸福は決して実現しない事を断言出来るのである。

 しからばその解決法はいかんというに、それはもちろん唯心主義をもって人類を同化する事である。すなわち強力なる宗教である。ところが既成宗教がその役目を果すべきであるが、それは無理である事も今更説明の要はあるまい。どうしても超宗教的の新しい力が生れなければならないとすれば、吾らは確信をもってその任に当るべく現在その方針をもって進んでいる。それは何よりも人類をして唯物主義の誤謬に目覚めしむる事である。




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