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月喰い  作者: 密室天使
第二章 楽園探し
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第七話 家族=姉弟=夫婦 

 途中近隣の農家の人やら、どれとも知れない人たちから、笑いを買った。なぜだろうか、と考えてみるとなるほど、僕たちの二人乗りがあまりにおかしかったから笑ったのだろう、と思う。僕は畑道や舗装されたアスファルトを、立ちこぎでぶっ飛ばして走って、後ろの姉は悲鳴を上げながらもしっかり僕につかまっていて、なんだか僕は楽しくなって、さらに速度を上げた。「わははは、このまま、どこまでも走っていけそうだぜッ」とかバカなことを言って、「す、スピード出しすぎぃ」とくらくらしているであろう姉を無視して、ペダルをこいだ。ブレーキは踏まない。アクセルだけだ。僕たちは風になったのだ。

 スーパー田島に到着するときには、すっかり姉はまいっていた。目を回して、「むきゅー」と千鳥足を踏む。その様子が奇怪な踊りのようで、面白い。それで僕が笑っていると、「あぁー笑ったなぁ」と姉は怒気交じりの声を上げて近づいてきたが、ふいに足を絡ませてころんでしまいそうになった。

「おっと」僕は姉と地面との間に体を滑らせた。転倒しそうになった姉を抱きとめる。平衡感覚が欠如した姉は、僕が抱きとめた後でも前のめりに倒れそうになった。「許せ、姉よ」と首根っこをつかんだ。結果、後ろから亜麻姉の腰に手を回し、吊り上げるように姉の首根っこをつかむ形になる。

 しまらない感じになった。

「……ありがと」姉は不承不承、謝意を表す。「でも、お姉ちゃん、猫じゃないんだから、首根っこつかむのは感心しないですぅ」

「しかたないだろ。こうでもしなくちゃ、顔面血だらけだったんだぜ、亜麻姉」

 姉は首を巡らせて、ぶすっとした。「痛い。服が、首にしまって」

 一瞬、このまま放してやろうか、と思った。そうすれば姉の体は重力にしたがって、落下するだろう。下は硬質なアスファルト。「んじゃ、どうすりゃいいンだよ」

「抱いて」

「あ?」

「お姉ちゃんを……抱いて」姉は腰に添えられた僕の手に、己が手を絡ませた。

「……ようは、抱きしめてってことか?」

 こくん、と頷く。気恥ずかしげに顔を紅潮させて。

 いつもの僕なら、受け入れない。姉の提案。しかし、今は気分がよかった。自転車をこぎまくって、海の風とか山の風とか、村の風とかをたくさん感じたせいだろう。心持ち、すっきりしていて、爽快だった。

 だからなのか、僕は、「ちょっとだけだぞ」と言って、姉を引き寄せた。姉の体は軽い。綿みたいに。

 ぽむっ、と姉は素直に抱き寄せられた。僕に身を預ける。「力ぁ、強いんだね、ゆーくん」

「亜麻姉が軽すぎンだよ」

「お姉ちゃん、体重五十キロくらいあるんだよ? ご飯もいっぱい食べてるし」

「……女の子が自分の体重、ばらすンじゃねェよ」僕は姉の綺麗な髪をくしゃくしゃにしてやった。「それに高二の女子の平均体重は、確か五十二キロだったような気もする……」

 姉は困ったように体を震わせていた。不覚にも、その姿にいじらしさというか、かわいらしさを感じてしまった僕は、頭がおかしいと思う。

「女の子……ゆーくんは、わたしのこと、女の子ってぇ、思ってるの、かな」

「思ってるよ」

「どんな風に」亜麻姉は上目遣いを向けた。「どんな風に、お姉ちゃんのこと、思ってるの……?」

「どんなってェ……」

「かわいいとか、綺麗とか、髪が美しいとか、うざったい、とか」姉は放恣(ほうし)な柄に似合わず、不安そうな表情をした。

 返答に困ってしまう。

 でも。

「かわいいよ、亜麻姉は。すっごくかわいい。綺麗だし、長い髪も絹みたいで、指ですいたら、すーって指が入るんだ。亜麻姉の髪、僕は好きかな」っていうかこれ、くどき文句じゃね? とか思ったりする。「ま、オツムのほうが心配だけど」

「……最後のは余計だよ」

 姉はプンスカした。

 僕の胸に、顔を押し付ける。

 亜麻姉は押し殺したような声で、「うざったい、とか言われたら、お姉ちゃん、死んじゃうかも、とか、思ってた……でも、ゆーくんのお返事聞けて、わたし、幸せ」と言った。「にゅほほほほ、わたし、かわいいんだ……綺麗で、いけてる女の子なんだ……」

 亜麻姉はすりすりと頬を、僕の薄い胸板にこすり合わせた。

 ぽりぽりと頭をかく。この倒錯的な状況。気持ち悪いことこの上ない。

 周囲に目を向けてみれば、行きかう人は顔を赤くして通り過ぎている。気恥ずかしげに顔を背ける人、揶揄するように唇を曲げる人、穏やかな笑みを浮かべる人……。

 その人たちは、僕たちの関係を知らないから、笑顔を浮かべることができるんだ。

 亜麻姉の容貌、肉体、色香……どれをとっても並の女とは一線を画していて、心のほうも一線を踏み越えている。犬とか、殺しちゃう。僕が嫌いだから。僕が犬、大嫌いだから、頭の空っぽな姉は、犬を除こうとする。事実、姉は何匹も惨殺している。僕の懇願で犬殺しは中止となったが、姉は今でも、僕以上に犬を嫌悪しているに違いない。犬は僕を苦しめる、害悪だから、と。

 ……クソッタレ。

 なぜ、このような人格が姉に定着したのか。僕は苛立ちを覚えた。ポンコツ姉を嫌いになりたくなる。世界を壊したい。

 こういう精神がささくれ立ったとき、カッターナイフがあれば……。

 カッターナイフは机の上に放置してある。さすがに買い物にカッターナイフを持ち歩くほど、非常識なつもりはない。それに、よもや、ここまで神経が尖るとは想定できなかった。

 あぁ……出し入れしたい。

 カッターナイフの刃を出し入れしたい。何でもいいから、切りたい。カッターナイフで、紙とか本とか、そういったものを、切断したい。完成されたものを、切り分けて、寸断したい……。 

「……なぁーに衆目の眼前で抱き合っているのかね、君たちは」

 呆れ果てたかのような、そんな声がする。スピーディーなアルトの音域。

 ギョッとして姉を手放すと、すぐ近くに声の主はいた。「少しは周りに遠慮したらどうかな。ほかのお客さんは君たちの痴態を見て困ってるだろうからね」大人びた美貌を持つ少女は、榎戸岬(えどみさき)は、咎めるような目を向ける。背筋に針金を通したようにすらりとした身長。繊細そうな指はビニール袋を提げている。

 僕は返答に詰まって、「はい……すみません」と頭を垂れる。

「やめてぇ、ゆーくんは悪くないのッ! わたしがッ、お姉ちゃんがいけないのッ! わたしが、性欲いっぱいで抱きついてきたゆーくんを受け入れさえしなければ……!」

「いや、あたかも僕が悪いみたいに言ってんじゃねェよッ!」

 僕は姉に拳骨を食らわせた。

「うぅ、暴力はんたーい、核武装はんたーい、世界はガンジーの気高き精神を忘れたのかぁー」

「ったく、おまえにガンジーの何が分かるってンだよ……世界史赤点だったくせによォ」

「……夫婦漫才もまずます磨きがかかっているようだね」榎戸先輩はニヤニヤしていた。

「ふふふ……夫婦……なんて麗しい響きなの……? さすがサキちゃん、いいこというなぁ。夫と妻……わたしたち、とうとう家族になったんだ……」

 僕は熱っぽい姉とは正反対に、冷めた口調になっていた。「姉弟って意味でな」

 先輩は口元に手を当てて、苦笑している。

 榎戸岬はバカ姉の数少ない友人だった。姉と同じ二年二組。美術部に所属しており、何度か有名なコンクールに受賞したこともある、才色兼備の人だった。

 まず姉とよしみを交わせるという点からして只者ではないが、その通りで、非凡の画家、呑舟(どんしゅう)の魚だった。同時に、姉のよき理解者……とも認識している。バカ姉が僕にべたべたしても、注意するだけで、「えぇー」と引いたりはしない。度量が広いというか、放胆な性格をしている。

「ところで榎戸先輩はどうしてここに……? 先輩の家はこっから結構遠いんじゃないんでしたっけ?」僕は先輩の携行しているビニール袋を見た。「まさか、スーパーでお買い物ってわけでもないでしょう?」

「まーね」先輩は手提げの袋を掲げて、「ここの近くに質のいい美術用品を出す店があってね……わたしはそこでいつも、必要なものを買い揃えているのさ」と言って、親指で後ろを示す。なるほど、道の奥、小川に沿うようにして、一軒の古びた店があった。「美術用品」との看板が出ている。「その帰りにたまたま君たちを見かけてね、声をかけたということさ……そういう君は買い物かな」

「はい」

「亜麻音を連れての買い物は、さぞ疲れるだろうね」

「分かりきったことを聞くなんて、先輩らしくないですね」僕は普段の癖で、ポケットに手を突っ込んだ。手持ち無沙汰になったら、僕はポケットの中のカッターナイフをもてあそぶのだが……今は所持していない。家の中にある。「疲れるなんて、生ぬるいもんじゃァない」

「ははは、言葉から苦労がにじみ出ているよ。ま、これも、弟ゆえの宿業かもしれないが……」

 簡単に言ってくれるなぁ、と思う。

「ねーねー、サキちゃんも、一緒にお買い物しない?」姉はそう提案した。

「あいにくだが、近々石膏(せっこう)彫刻を作る予定があってね……お断りするよ、亜麻音。それに、わたしがいたらデートの邪魔になるだろう?」

「デート……?」

「あれ、君たちは買い物デートをしているんじゃないのかな?」

「そそ、そうだよっ! 買い物デートだよ、うん。わたしたち、買い物デートしてるんだよね、サキちゃんの言うとおりっ! お姉ちゃんはゆーくんと買い物デートしているのです」

「まぁーた余計なことを」僕は頭を抱える。

 先輩は悪戯っぽい笑みを浮かべている。

「導火線に火がついちゃったじゃないですか」

「では、君が熱いベーゼで鎮火してみたらどうだね」

「ますます火の勢いが強くなりますよ」

「おっと」

 先輩は一本とられた、みたいな表情をしていた。……この人はふざけてるのか? 腹の底が読めない。こういった得体の知れなさ……。

 これも芸術家ならではの感覚なのか? 榎戸岬ほど謎めいた人間を、僕は見たことがない。そういう点では浮永真の名を列することもできるが、彼はまた別の意味でとらえどころがない。いい奴だってことは分かるが、時々絶対零度みたいな雰囲気をかもすことがある。それを除けば奴は普通に愉快で、楽しげな人間である。裏表はあるだろうが、それを感じさせない闊達(かったつ)な性情。

 芸術家は常人とは異なる世界を見ている……などとよく言われる。確かに、常人にはできないことを平気でやってのける。当たり前みたいに、既存の概念とは異なる絵を描いてみせる。奇抜で、新鮮で、奇異な……事物。凡人にひょっとしたら、と思わせる。ひょっとしたらこの人、自分とは違う世界を見ている……?

 違うだろ、と思う。違うんだよ。常人の見る世界と異とする世界……芸術家に見えて常人には見えない世界……。問題はフィルターがかけられているか、素晴らしい絵を描けるか、ではない。そいつの頭がイカレてるかどうか、だろ。

 イカレてなきゃ感じることのできない世界があるとしたら、芸術家と呼ばれる人種は間違いなく頭がぶっ壊れていて、常人とは違う世界が見えているに違いない。世界も虹彩や水晶体を通して見てるんじゃねぇ。きっと、頭の中そのものが、別の世界……。頭蓋骨をぱかっと割ってみれば、サルバドール・ダリみたいな珍妙な原風景が広がっているンじゃねェか、と思う。

 少なくとも、榎戸岬の創生する作品は……。 

 と。

 僕の思索を打ち切るように。

「それじゃ、お買い物しようね」

 亜麻姉が僕の手を引いた。

「……あァ」 

「まったねぇー、サキちゃん」亜麻姉が手を振ると、先輩もにっこり笑いながら、手を振り返した。くるっとクールに背を向け、去っていく。




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