第三話 殺戮英雄論
僕たちの住み暮らす隠森に高等学校の類はない。僕と亜麻姉は電車を使って通学している。通学時間は三十分ほどだろうか。満員電車に巻き込まれないよう注意しながら、登下校しているのだった。
都市特有の喧騒と活気。正門の前には桜の並木道があった。時候は十月。
「そんなにベタベタするなって、亜麻姉」僕は猿のようにぶらさがる姉を叱咤した。「みんな、奇異な目でみてるぜ」
「いいのぉー、他人は関係ないのぉー。世界は私とゆーくん、その二人で閉じてるから」
「なんちゅー閉鎖的な世界……」
「いいじゃん別にベタベタしても。減るもんじゃないんだし」
「僕たちに対する好感度っぽいものが明らかに目減りしてるだろッ! 見てみろよ、みんなの目。なにやってんだこいつ、みたいな目してるからよォ」
「なにって……昨日も言ったけど、ただの家族間のスキンシップでしょぉ?」
「これのッ、どこがッ、スキンシップッ?!」
姉はまるで恋人がするように腕を絡めてきて、僕の肩にもたれかかっている状態だった。肉付きのよい胸と果実のような体臭。
はたからみれば、そのまんまの印象を与えかねない。しかも同級生の少なくない人数が、僕と姉の関係を知っているものだから、ますます尾びれのついた醜聞がいきかうはめになる。異常と罵られても、文句が言えないこの現状。
「そんなけちけちしなくても、幸せは逃げていかないにゃー……。私もベタベタしたい年頃なのぉ」
「……亜麻姉は、何回発情期を経験したら気がすむんだよ。ウサギかよ、亜麻姉はよォ」
「どうだろーねー」
結局、昇降口を通り過ぎるまで、このままを維持する。亜麻姉はぎりぎりまで僕にべったりくっついて、今生の決別のようにハンカチをふって別れた。大げさすぎるんだよあのバカ姉は……。恥ずかしすぎて、穴があったら入りたいって心境だよもう。
毛穴の隅々まで汗が吹き出るような肩身の狭さを覚えつつ、一年二組の教室に入った。
ザワザワ。
さりげなく視線が行きかっているのが分かる。僕と目が合いそうになると、なんてことないように顔を背けるんだ。んで、ひそひそ話を続ける。
その居心地の悪さ。
「……ったく、今日も平常運転だったな、沖」
「……浮永」
「せいぜい事故を起こさないよう用心しろよ? ハンドルはおまえが握ってんだから」
「土壇場でブレーキ踏めるよう、鋭意努力するよ」
もちろん、アクセルがあのバカ姉であることは、言うに及ばず。
「カカ、おまえのねーちゃん幸せにできんの、どうやらおまえだけみたいだからな」
浮永のヤロウはさらりと言った。身の毛のよだつような文を添えて。「って、浮永ッ! 誤解を生むようないいかたすんじゃねーよっ!」
「純然たる真実だろ」と浮永は悪戯っぽく笑って、「どうみてもおまえのねーちゃん、おまえに惚れてんぞ」とひょいっと爆弾を放り込むのさ。
さりげなく聞き耳を立てていた周囲が、にわかに色めき立った。
アホすぎて、訂正する気にもならない。というか、諦観している、と言ったほうが適切か。「あのなぁ、あれは亜麻姉なりのスキンシップなんだよ。家族間のコミュニケーションなんだよ。なんでそんな、男女間の関係になるんだよ」僕は愚かにも、姉のくだんない私見を反駁に使った。
「そーんなのんきに構えてっと、火澄みたいなことになっちまうぜ」
「……言っていいことと悪いことの区別くらい、おまえにはつかねェのかよアホォ」
「でも、元はといえばおまえが火澄のこと適当にあしらうからああなったんだろ? 小学生からの長い付き合いだってのによぉー、おまえの優柔不断な態度に、火澄もさぞやきもきしてただろうに」浮永は大仰にため息なんかつきやがった。「おまえも因果な奴だな」
「僕が不幸体質なだけだ」
僕の周りには妙な連中が集まる。
ろくな奴がいやしない。どいつもこいつも一癖も二癖もありやがるんだ。
「でもまぁ、おまえが不幸を呼び寄せてるだけかもしれねーな。火澄もおまえに惚れなきゃ、あんな暴挙には出なかったし、俺が出張ることもなかったんだぜ」
「それは僕も……すまないって思ってる」僕はしゅんとなった。
浮永は悪ガキみたいに唇を吊り上げた。
笑ってるみたいだった。
「ま、くよくよすんなって沖。明日は明るいぜ」
浮永の奴は勇気付けるように、僕の肩を叩いた。
大きなお世話だよ、と思う僕。誰が明日を暗いものにしたのさ。
「しかしながら、あの姉弟仲のよさはちょっと引くけどな」
浮永はそれだけ言って去っていった。奴め、馬鹿でかい錨を沈めていきやがった……。
広がる波紋。様々な感情。溶け合っていく。
ポケットから“それ”を出した。
カチカチ。
カチカチカチ。
その音、その感触だけが、僕の恨み、怒り、悲しみを静めてくれる。机の下、みんなに見えないよう、シャープな刃を出し入れする。
刃物。
僕に満ち足りた心地よさを与えてくれるもの。
*
「人を何人殺したら英雄になれるのか……おまえ、考えたことあるか?」
浮永真は犀利な目を向けた。
教室。窓際。昼。
「……いきなりなんだよ」僕は目をぱちくりさせた。
「いやよ」と浮永は息を切る。しばし間を取って、「最近、この辺りでうわさになってる事件があるだろ? それで俺なりの思索を巡らせた結果、そのような見解にたどり着いた」と言った。
うわさ。
ちまたを騒がせている怪事。
「犬殺しか……」
「ご明察」
犬殺しというのは近年、隠森村で確認された妙な事件だった。名前のとおり、害が及ぶのは人ではなく、犬。犯行手口はバットによる撲殺。執拗に、何度も何度も打ち叩いているらしい。おかげで発見された犬の遺骸は骨は折れ、肉はつぶれ、原型を保っていないと聞く。
その残虐性がセンセーショナルなものとして、取り上げられた。
「テレビをつけたら、そのニュース一色で辟易してるとこだな。無名の心理学者が得意そうに異常心理だとか精神障害だかを声高に叫んで、訳知り顔のコメンテーターがそれに合いの手を打ち、動物愛護団体から抗議文が提出される……くだらねえ。んなことよりも、今をときめく新人アイドル、紅花葵ちゃんの初武道館ライブがどうなったかを放映しろっつーの」
浮永は行きのコンビニで買ったらしい菓子パンをほおばった。
僕も箸でご飯をつまむ。僕のはお手製だ。姉の分も作っている。我ながらなんといじらしい弟だろう、と思う。
「こうしてみると、なんだか皮肉だな。とどのつまり、数量ってことだ」
「数量?」
「人一人殺せば、ただの犯罪者。数万単位で殺せば、立派な英雄。殺人の多寡でそいつの価値が決まる。この変事も、こう何件も続くから取りざたされてるだけに過ぎないってことだぜ」
浮永のいうとおり、犬殺しの犯人はこれまでに何匹も犬を殺害している。犬の種類は問わず、野良犬なり飼い犬なりを、無差別に。
そのおかげで幼稚園等の集団下校や、自治体によるパトロールなんかが行われている。
「犬殺しかぁ」
どうせ、僕には関係のないことだ。
そんな不謹慎なことを考えていると、「おまえ」と浮永が身を乗り出してきた。「おまえが犯人だろ?」
「は、はぁ?」
浮永の奴はそうに違いないといった表情で、「だっておまえ、極度の犬嫌いじゃねーかッ。おまえだったらやりかねねーっていう懸念が俺にはあるぜ」と豪語する。
論拠がない。
印象だけで結論を導いている。
でも、ま……犬は嫌いだけど。
過去、山の中で散々野犬に追い回されるという惨事を経験した僕は、犬に対して苦手意識を持っていた。
「……まさかおまえ、それを言いたいがために犬殺しの話を持ち出したのか?」
「勘がいいな」
「……おまえはそのねじれた性格をなんとかしろよ」
「沖はねーちゃんとのただれた関係をなんとかしろよ」
「シットッ! それは言わない約束だろ!」