問1 辛島の待ち人は誰か
【警告】
この物語は作者と読者の推理ゲームにはなっておりません。
新本格のような物語ではありません、ファンタジー・SF物としてお読みください。
*0*
君にはあの獣がみえているかい?
はい、あのしなやかな体で迫られれば、人間では逃げられませんよ。
ふむ、君は正常に人間のようだね。
――イエスマン、78の問いかけ
*1*
部屋を歩き回る。
なんてことのない土曜日。学校通いの疲れを癒す休日、その一日目。
にも関わらず、辛島徒鳥は八畳の部屋をぐるぐるぐるぐる、しっぽを追いかける犬のように回転していく。こうしていると脳みその回転も上がるんだ、そんな持論でも展開しやしないだろうかと親に心配されるほど、うんうん唸りながら。
部屋を十周もすると、立ち止まり携帯を見る。液晶には何も表示されていない。とっくにエコモードが待機電力をカットしにきていた。
本当ならある名前が表示されていたはず。だが、今となっては本人は気付いていないし、他人に分かるはずもない。類推すらできない。
しばらくのあいだ、まんじりともせずに携帯を眺めていたが、やがてはため息を一つ吐き出し、再びのルーチンワーク。
これには親も大困り。年頃の娘だ、なにがあった? なにかに悩んでいるような? かあさん、徒鳥の周りに男の影はなかったか? あらやだお父さん、なに出刃包丁持ち出してるんですか!
そのまま台所では超人バトルが開始されるが、徒鳥は気づかない。
再び十周。いや、朝食を食べたあとからなので、既に六十周はしているはずだ。
なにも無駄に疲れることはないじゃないか、悩みならあたって砕けるなり相談するなりしろよ! なんてアドバイスが出来る人間もおらず(本当は居たが、超人バトル中)、彼女は悩み続ける。
ため息が積み重なること七つ目。息を全て吐き出し、再び周りだそうとしたところで、液晶に光が灯る。
ほぼ同時の着信音。いつもならサビまで聞いて――相手を焦らしに焦らして――から取るのに、体が正しく反射行動をおこない、通話ボタンを押す。
「あっ、先輩、おはようご」
ピッ、と、乾いた単音が響く。
なんてことはない。ただ単純に辛島が切断ボタンを押しただけだ、問題はない。
問題があるとすれば、あまりの無表情っぷりに、見た人間を畏怖させるだろう表情か。
八畳の居間は空気が重い。台所は母親優勢で二分が経過。はたから見れば、家族崩壊で、両親はケンカ中で、子供は友人に助けを求めたくても求められなくて――なんて家族に見えなくもない。
再び携帯が鳴る。辛島は瞬間的に再起動し、しかし今度は動物的な反射神経が発揮されない。
液晶を人間らしい理性で、冷静に見る。表示は、筒木島籐花と書かれていた。しかし、辛島はその電話を取らない。
筒木島籐花とは、先程、無常にも電話を切られた相手だ。いきなり切られたから、もう一度。普通の人間の行動である。が、今、普通の人間ではないのが電話を持っているのが問題なのだ。
辛島は考えを巡らす。別に籐花からの着信をとらなくても良い。いつも取るに足らない世間話を、向こうの都合で延々と語られるのだ。一時間は間口。二時間で靴を脱ぎ、三時間で家主に案内されと続く。彼女の話題が帰るのは、余裕で六時間を超える。
しかしそんな長話に付き合ってはいられない。辛島は電話の向こうにいる誰かを待っていた。こちらからかけるにせよ、向こうがかけてくるにせよ、だ。
だが、はたっと気づく。現在も筒木島籐花の着信は辛島の携帯を騒音発生源にしている。
この状態、かけるのもかかってくるのも、塞がれてやいないか?
「――はい、辛島「先輩どういう事ですか、電話を問答無用で切るなんてヒドスギですよ! いつもなら余裕を持って”どうしたの籐花、何か用?”とかお澄まし声で話しかけてくるのに今日の余裕の無さはなんですかって、そうですよ普通はそんな返し方ですよね。これってもしかしてスクープ? 先輩、悩みならぜひ、ゼヒワタシニ――」」
ピッ、と、乾いた単音が響く。
なんてことはない。ただ単純に辛島が切断ボタンを押しただけだ、問題はない。
ただ、筒木島籐花は、次に辛島に出会ったとき、心臓が止まってしまうかもしれない、だけだ。
*2*
空気を読めたのか、それ以降、筒木島から電話がくることはなかった。
心の平静を、深呼吸でなだらかにしていく。大丈夫、この感情は消える、消える、消える。
三つ念じて、サンドバックの顔を頭から消していく。
「そう……そうよ、なにを私は焦って――いえ、焦ってません。決して」
歩きまわることは止めたようだが、突如として自己啓発が始まる。
何かと忙しい女、辛島徒鳥。台所からは血の滴る肉を軽快に叩く音。
ノイズなんか気にせず、辛島が心の中の自分を励ましていると、携帯の着信音が鳴る。
辛島は素早く携帯を持つ左手を顔の前に持ち上げ――手が空を握っているのにようやく気づいた。
慌てて周囲を見回すと、携帯は何故か部屋の隅っこに転がっていた。電池パックのカバーが外れていたりもしてる。結構な衝撃は必要だったはずだが? 辛島は内心で首をかしげるが、着信音が継続していて、慌てて現実に戻り、携帯に駆け寄る。
電池パックのカバーを素早く装着して、液晶を覗き込む。
誰かの苗字と電話番号が刻まれていた。
苗字は、瀨戸。
辛島は静かに通話ボタンを押す。
着信音がなくなった分、静かになる世界。
台所では、娘が落ち着いたのを見た両親が、仲良く後片付けに勤しんでいた。