誇り高き騎士と獣人の娘
魔王軍との果てなき戦争の最中、俺は不覚にも深手を負い、戦場近くの森で行き倒れた。
骨は折れ、意識が薄れゆく中、俺は己の死を覚悟した。誇り高き国王軍の騎士として、名誉ある戦死を遂げるのだ、と。
しかし、次に目を覚ました時、俺は見知らぬベッドの上にいた。
「あ、気がついた?よかったぁ、丸一日眠りっぱなしだったから心配したんだよ」
枕元から聞こえた暢気な声に視線を向けると、そこには頭にピンと立った猫耳と、お尻からせわしなく揺れる尻尾を生やした少女がいた。
年は十代後半といったところか。やたらと顔立ちの整った、心優しそうな娘だ。
「……や、お前は、獣人だな」
俺は思わず顔をしかめた。
傲慢と言われようが何だろうが、人間社会において獣人は下等な存在とされている。そんな存在に、この俺が、国王軍の精鋭たるルークが助けられたというのか。
「そう、私は獣人のエリザベス。死にかけてたあんたを担いでここまで運んであげたの。服を脱がせて、包帯も巻いておいたからね」
「なっ、服を……っ!? お、俺は誇り高き国王軍の騎士だ! それなのに下等な獣人なんかに助けられて、服まで剥ぎ取られるとは……情けない!」
「恩人に対して随分な言い草だねぇ。まあいいけど。あ、これ、私が働いてる食堂のシチュー。お腹空いてるでしょ? 食べなよ」
差し出された薄汚い木のお椀。
俺はフンと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「断る。俺は獣人から施しなど受――」
ぐうううううううううう。
……静かな部屋に、俺の腹の虫が盛大に鳴り響いた。エリザベスが「くすっ」と笑う。顔がカッと熱くなるのが分かった。
屈辱に耐えながらシチューを一口啜る。そして、俺は確信した。
「――まずい! なんだこれは、泥水か!? 獣人は普段からこんな酷いものを食っているのか!?」
「ええっ!? おかしいなぁ、村のみんなは美味しいって言ってくれるんだけど……」
味付けは薄く、素材の旨味も完全に逃げている。
俺は幼い頃に母を亡くし、自分で料理をする機会が多かった。だからこそ、この手抜きの塊のような料理が許せなかった。
「いいか、料理というのはな、火加減と出汁の取り方で決まるんだ。こんな足じゃなければ、俺が手本を見せてやるものを……くそっ、情けない!」
「はいはい、文句言いながらも完食してくれてありがとね。しばらく安静にしてるんだよ、騎士様」
エリザベスは俺の文句を怒るでもなく、「顔が好みだから許す」などと意味不明なことを呟きながら、甲斐甲斐しく俺の世話を焼いた。
それから一週間。
俺の驚異的な回復力とエリザベスの看病のおかげで、杖を使えばなんとか歩けるまでに回復した。
その日の夕方、日課のリハビリを終えた俺は、キッチンで夕食の準備をしようとしていたエリザベスから包丁を奪い取った。
「今日は俺が作る。受けた恩を返さないなど、騎士の誇りが許さん」
俺はあり合わせの川魚と、村の裏手で採れた野草やキノコを手際よく捌いた。
骨からしっかりと出汁を取り、バター代わりに支給品のハーブオイルを使ってソースを作る。我ながら完璧な手際だ。
「はい、できたぞ。食ってみろ。名付けるなら『清流魚のムニエル、森の恵みのクリームソース仕立て』だ」
「わぁ、綺麗……いただきます!」
エリザベスが一口食べた瞬間、その大きな目がさらに見開かれた。
「お、おいしい……! 何これ、信じられない! ねえルーク、私の食堂にきてこの料理作って! 絶対みんな喜ぶから!」
「なぜ俺が獣人のために……」
「誇り高き騎士様は、命の恩人の頼みを断る薄情者なの?」
「うぐっ……! 分かった、一回だけだぞ!」
翌日、俺が食堂の厨房に立つと、村は大騒ぎになった。
犬や熊、鳥の獣人たちが、俺の作った料理を食べて「美味い!」「信じられん!」と涙を流して絶賛したのだ。
最初は獣人を軽蔑していた俺だったが、彼らの純朴な笑顔と「ありがとう、お兄ちゃん!」という子供たちの声に、胸の奥が温かくなるのを感じていた。
特に、この村の村長だというヨボヨボの老犬の獣人は、俺の料理を食べて「おぬしを魔王軍に差し出さんで正解だったのう、ほっほ」と暢気に笑っていた。
だが、俺は騎士だ。ここに長居するわけにはいかない。
「傷も癒えた。俺は自分の隊に戻る」
「ええっ!? ずっとここにいればいいじゃん。私、ルークのこと好きなのに……」
エリザベスは涙目を浮かべて俺に抱きついてきた。胸がズキリと痛んだが、俺は彼女を優しく引き剥がし、村を後にした。
――それが、すべての間違いの始まりだった。
◇◇◇
村を出て王都へ向かう街道を歩いていると、偶然にも俺が所属する国王軍の一個大隊が野営しているのを発見した。
「おい、ルークじゃないか! 生きていたのか!」
仲間たちは俺の生還を歓迎してくれた。俺はすぐに口髭を生やした隊長の元へ行き、これまでの経緯を報告した。獣人に助けられ、治療を受けていたことを。そして獣人の村の場所を地図で示した。
すると、隊長は邪悪な笑みを浮かべた。
「ほう、それはでかしたぞ。我々はちょうど、その獣人の村へ行こうとしていたのだが、正確な位置がわからなかったのだ」
「……え?」
「明日、その村を奇襲し、皆殺しにして制圧する。あの場所は魔王軍に対する絶好の拠点になるからな。ルーク、お前が道案内をしろ」
「な、何を言っているんですか! あの村は中立です! 民間人を皆殺しにするなど、騎士の誇りが許しません!」
「黙れ! これは国王陛下の至上命令だ! 逆らう者は国家反逆罪として処刑する!」
俺は激しい衝撃に言葉を失った。
これが、俺の命を捧げてきた国家の、騎士団の正体か。
脳裏に、エリザベスの笑顔が、美味そうに料理を食べる村人たちの姿が浮かぶ。
(……あいつらを、殺させてたまるか!)
その日の深夜。俺は監視の目を盗み、命がけでテントを抜け出した。
走った。折れた足が悲鳴を上げようが、構わずに夜の闇を駆け抜けた。
村に辿り着き、エリザベスの家のドアを激しく叩く。
「ルーク!? 戻ってきてくれたんだね!」
「エリザベス、今すぐ村長を起こせ! 騎士団がここへ向かっている! 夜明けにはここが戦場になる、全員で逃げるんだ!」
叩き起こされた老犬の村長は、俺の話を聞いても「ほっほ、それは大変じゃな」と煙管をふかすばかりだった。
どんなに説得しても獣人たちは重い腰を上げようとしなかった。こいつらは知らないのだ。我軍の恐ろしさを。
だが、最悪の事態はすでに始まっていた。
「村長! 人間の軍勢が、すでに村の入り口まで迫っています!」
見張りの獣人が悲鳴を上げる。
「バカな、夜明けを待たずに進軍してきただと!?」
俺が逃げ出したことで、予定を繰り上げたに違いない。
村の広場へ出ると、すでに松明を掲げた500人の重装騎士団が、村を包囲していた。先頭には、あの口髭の隊長がいる。
「ルーク、やはり裏切ったか。下等な獣人に絆されるとは、騎士の面汚しめ」
「隊長、村人は全員ここから退去させます! だから命だけは――」
「不許可だ。陛下の命令は『根絶やし』だ。……だがルーク、お前に最後のチャンスをやろう。そこにおる獣人の娘を、お前の手で首をはねろ。さすれば裏切りを許してやろう」
隊長がエリザベスを指さす。
エリザベスは驚いた顔で目を見開く。
俺は、深く息を吐き――腰の剣を、一気に引き抜いた。
そして、エリザベスの前に立ち塞がり、500人の軍勢に向けて剣を構えた。
「見損なうな、クソ野郎。民間人をなぶり殺しにするのがお前の言う『騎士の誇り』なら、そんなもの俺から願い下げだ! この村は、俺が命に代えても守る!」
「ふん、狂ったか。片足の不自由なお前一人で、我が精鋭500人に勝てると思うてか!」
絶体絶命。勝率など万に一つもない。だが、後悔はなかった。
俺が覚悟を決めて地を蹴ろうとした、その時――。
「待て待て、ルーク。お前さん一人でカッコつけるんじゃないよ」
後ろから、のんびりとした村長の声が響いた。
振り返ると、いつの間にか村の男たちが集まっていた。手にはクワや、スコップ、そして俺が研いでやった包丁が握られている。
「村長、下がってください! こいつらは訓練を受けた戦闘のエキスパートだ、素人が敵う相手じゃ――」
「ほっほ、素人、か。おいお前たち、人間の一大隊ごときに、我が『元・魔王軍第一特務師団』が舐められたもんじゃな」
……え?
いま、村長の口から、とんでもない不穏な単語が聞こえた気がするのだが。
「まったく、せっかくの隠居生活を邪魔しおって」
食堂の支配人(ただの太った熊の獣人)が、手にした肉切り包丁を軽く振る。それだけで、凄まじい風圧の斬撃が飛び、騎士団の最前列の地面が爆発した。
「ひっ……!?」
隊長が短い悲鳴を上げる。
「ルーク、お腹の傷、まだ完全に治ってないでしょ? 下がってて」
エリザベスが優しく俺を後ろに引っ張る。彼女の手には、いつの間にか身の丈ほどもある巨大なハルバードが握られていた。その刃には、禍々しいほどの魔力が宿っている。
「いや、ちょっと待て、お前ら一体――」
「突撃ーーー!! 今日の晩飯の前に、サクッと片付けるぞーー!!」
村長の号令とともに、農具や調理器具を手にした獣人たちが、笑顔で国王軍へと突撃していった。
そこからは、戦いと呼べる代物ではなかった。ただの『一方的な蹂躙』だった。
「ぎゃああああ!? なんだこの熊の怪力はー!?」
「ひ、火魔法!? クワからなんで爆炎が――ぶふぉおっ!?」
「う、動かん、影を縫い止められて――マ、ママぁぁぁ!!」
鉄壁の陣形を誇るはずの重装騎士団が、まるでゴミのように空中を舞っていく。
エリザベスにいたっては、ハルバードを一振りするだけで十数人の重装騎士を武器ごと一刀両断にしていた。強い。強すぎる。というか、完全に魔王軍の幹部クラスの戦い方だ。
「ヒィィィ! ば、化け物めぇぇ!」
腰を抜かして逃げ出そうとする口髭の隊長の前に、老犬の村長が音もなく回り込む。
「人間の隊長さんよ。ルークの作った極上のムニエルを邪魔された我が怒り、思い知るが良い」
村長が軽く杖を地面に突いた瞬間、大地震と共に巨大な地割れが発生し、隊長を含む残りの騎士たちをまとめて飲み込んでいった。
――わずか三分。
国王軍が誇る精鋭一個大隊500人は、文字通り『壊滅』した。
獣人側に、かすり傷一つ負った者はいない。
静寂が戻った広場で、俺は剣を構えた姿勢のまま、完全に硬直していた。
(……俺が命をかけて守ろうとしたの、何だったんだ?)
呆然とする俺の元へ、エリザベスがハルバードを片手に、いつも通りの可愛い笑顔でトコトコと歩いてきた。
「ね、言ったでしょ? 心配ないって。それよりルーク、国に裏切られちゃったなら、もう行く場所ないよね?」
「あ、あう……」
「決まり! これからずーっとこの村にいて、私に美味しいご飯作ってね、ルーク!」
エリザベスにぎゅっと抱きつかれ、俺は折れた足とは違う場所が、激しくドキドキするのを感じていた。
「ルークくん、明日から食堂のチーフシェフとして期待してるよ!」
「お主の料理があれば、我が村の幸福度はさらに上がるからのう、ほっほ」
村人たちが俺を囲み、口々に歓迎の言葉をくれる。
どうやらこの村は、魔王軍の最強部隊が戦争に嫌気がさして作った、とんでもない隠れ里だったらしい。
俺は手元の剣を見た。
こんな国への忠誠など、もうどうでもいい。
「……ハッ、分かったよ。俺の誇りは、今日から『この村の専属料理人』として発揮することにする」
こうして、誇り高き国王軍の騎士だった俺は、最強の獣人たち(と、最愛の自称・女王様)の胃袋を支配するため、第二の人生を歩み始めたのだった。
(終わり)




