保険数理士(アクチュアリー)~リスクを無視した勇者パーティーが統計通りに全滅したので、私は王都で大繁盛の保険屋になります~
「リスクだの確率だのとうるさいお前はパーティーに不要だ。今日限りで出て行け」
「はい、わかりました。今までお世話になりました」
勇者アルヴィンからの突然の追放宣告に、私、ディアナは一秒で同意し、荷物をまとめた。
☆
前世で外資系生命保険会社の優秀な保険数理士として働いていた私は、帰宅途中銀行強盗を目撃し、そのまま銃で撃たれて死んでしまった。
享年、28歳。
あの世とこの世の狭間のような真っ白な空間で、女神様と出会った。
そこで「前世で最も心血を注いだ能力を、特別にスキルとして授けましょう」と言われ、この剣と魔法の世界に転生したのだ。
そうして私が得たスキルは、そのまま『保険士』というものだった。
☆
去り際、私は一応の情けとして、彼らに一枚の羊皮紙を差し出した。
保健士スキルで作った契約書だ。
こちらにサインを貰えれば、万が一の時に彼らを助ける事ができる。
別に居なくなっての後のことだから、気にする必要もないのだが、辞めるにしても引き継ぎとかしっかりやらないと落ち着かない質なので。
「アルヴィン。あなたたちの今後の死亡・崩壊リスクは極めて高いです。こちらの『勇者特別保険』に加入しませんか? 月々銀貨一枚で、いざという時に——」
「うるさい! 俺たちは選ばれし勇者だ、怪我などしないし負けもしない! こんな臆病者の紙切れなど不要だ!」
アルヴィンは私の目の前で契約書をビリビリに破り捨てた。
まぁ、その言い草には少し腹が立つけれど、仕方がない。
「……そうですか。では、お元気で」
私は王都へ向かい、これまで貯めた資金で異世界初となる『ディアナ相互保険商会』を立ち上げた。
私のスキル『保険士』には二つの力がある。
一つは、対象者の事故や死亡リスクを正確な数字で読み取る「リスク可視化」
もう一つは、金貨銀河、あるいは魔力といった掛け金を受け取ることで成立する「絶対扶助契約」だ。
契約者が怪我や死亡といった条件を満たした瞬間、プールされた魔力と資金が自動発動し、最高位の回復魔法や遺族への保険金として瞬時に支払われるという、究極のセーフティネットである。
これは間違いなく、異世界におけるブルーオーシャンである。
セーフティネットの有用性を理解して貰えれば、一財産築けるだろう。
しかし、起業からの数ヶ月間、私は始めて企業することの苦労、というものを味わうことになった。
「はあ? 怪我もしてねえのに、毎月銀貨を払えだと? 詐欺師め!」
「俺たち冒険者は気合いと根性で生きてるんだ。保険なんて軟弱なもん、誰が買うかよ!」
剣と魔法、そしてその日暮らしが基本のこの世界において、「未来の不確実性に対して事前にお金を払う」という保険の概念は全く理解されなかった。
来る日も来る日も冷やかしと罵声を浴び、私は塩を振っただけの硬い黒パンをかじりながら、経費の計算に頭を抱える日々を送っていた。
転機が訪れたのは、起業から三ヶ月が過ぎた頃だった。
店にやってきたのは、足を引きずった中年のCランク冒険者、ガンツだった。
彼には病気の妻と幼い娘がいるという。
「……嬢ちゃん。俺みたいな底辺でも、その『ホケン』とやらに入れるのか? 最近、どうも嫌な予感がしてな」
私はリスク可視化のスキルで、彼のステータスを見た。
「直近一ヶ月のパーティー全滅リスク:85%」と赤文字で警告が出ている。
保健士としては、少し悩むが。
「入れます。ただガンツさんのリスク等級なら、月々銀貨二枚です。もしダンジョンで致命傷を負った場合、自動で回復魔法が発動し、万が一の際は娘さんに金貨百枚が支払われます」
ガンツは震える手で契約書にサインし、なけなしの銀貨を支払った。初めての契約者だった。
それから一週間後。
王都のギルドが騒然となった。
ガンツのパーティーが上位の魔物の群れに襲われ、全滅したというのだ。
しかし、血まみれのガンツだけが、自力でギルドに生還したのである。
「すげえぞあの店! 魔物の爪で心臓を貫かれた瞬間、契約書が光って、見たこともねえ超高位の回復魔法が俺を包み込んだんだ! おかげで俺は生き延びて、家族の元に帰ることができた!」
ギルドの酒場でガンツが大泣きしながら語ったその体験談は、瞬く間に王都中の冒険者と商人に広まった。
『ディアナの店で掛け金を払えば、命が助かる』
『残された家族が路頭に迷わずに済む』
その日を境に、私の店には契約を求める人々が長蛇の列を作った。
「万が一への備え」の価値に気づいた人々によって莫大な掛け金と魔力がプールされ、保険システムは完璧に機能し始めた。
私は瞬く間に大成功を収め、王都で最も尊敬される実業家の一人となったのである。
***
それから一年後。
すっかり立派になった私の商会の応接室に、ひどい悪臭を放つボロボロの集団が案内されてきた。
「デ、ディアナ……! 頼む、助けてくれ……!」
床に這いつくばるようにして懇願してきたのは、かつての勇者アルヴィンたちだった。
彼らは伝説の武具を全て失い、酷い呪いと毒に侵され、見る影もないほど痩せこけていた。
「どうしたのですか、そのお姿は」
「ま、魔王軍の幹部に負けたんだ……! 武器は壊され、回復アイテムも尽きた! 借金取りに追われていて、もう後がない! お前、大金持ちになったんだろ!? 昔のよしみで、俺たちの呪いを解いて、金を貸してくれ!」
私は冷ややかな目で彼らを見下ろし、静かに首を横に振った。
「お断りします」
「な、なんでだよ! 俺たちは仲間だったじゃないか!」
「いいえ。そう仰ったのはあなた達でしょう。それに今は、私はただの『保険屋』です。そして保険というものは、困っている人を誰でも無条件に助ける無償の善意ではありません」
私は、一年前に彼が私の目の前で破り捨てた、あの羊皮紙の破片をテーブルに置いた。
「保険とは、何も起きていない平時のうちに掛け金を支払い、リスクを共有した『契約者同士』が互いに助け合うための相互扶助のシステムです。いざという時に助けてもらえるのは、事前に義務を果たした者だけなのです」
「そ、そんな……!」
「あなたはあの時、セーフティネットを『臆病者の紙切れ』だと笑って自ら突っぱねましたよね? 掛け金を一銭も支払っていないあなた方に、私がお金や魔法を使うことは、毎月真面目に掛け金を支払ってくださっている数万人の契約者への重大な『裏切り』になります。だから、一円たりとも助けることはできません」
アルヴィンは顔面を蒼白にし、絶望に目を見開いた。
もしあの時、月にたった一枚の銀貨を払ってさえいれば。傲慢にならず、最悪の事態に備えてさえいれば。
そのたった一つの選択が、彼らの運命を決定づけていたのだ。
「そんな……俺たちは勇者なんだぞ……こんなところで終わるなんて……」
「勇者でも一般人でも、確率は平等に収束します。リスク管理を怠った結果をご自身で噛み締めてください」
直後、商会に借金取りと憲兵たちが踏み込んできた。
アルヴィンたちは抵抗する気力もなく、うわごとを呟きながら強制労働施設へと連行されていった。
彼らを冷徹に見送った後、私は商会の窓から王都の青空を見上げた。
今日も私の構築したセーフティネットが、不測の事態に備えた多くの真面目な人々の命と生活を救っている。
私は満足げに微笑み、新たな保険商品の企画書にサインをした。




