第八章 事故の記憶
「……悠人くん」
紗月の声は、とても静かだった。
「三年前」
私は紗月の目を見た。
その目は、真剣だった。
「事故にあってない?」
風が吹いた。
桜の花びらが二人の間を通り過ぎていく。
私はすぐには答えられなかった。
三年前。
その言葉が胸の奥で引っかかった。
「……いや」
やっと言葉を出す。
「事故なんて」
でも、その瞬間だった。
頭の奥で、何かが引っかかった。
小さな違和感。
思い出そうとすると、霧がかかる。
紗月が言った。
「ごめん」
「急に変なこと聞いて」
私は首を振った。
「いや……」
それから、ゆっくり言った。
「でも」
「?」
「三年前の春」
紗月が黙って聞いている。
私は桜のトンネルを見上げた。
淡い光。
花びらが舞っている。
「そのころ」
私は言った。
「少し入院してた」
紗月の目がわずかに動いた。
「入院?」
「うん」
私は記憶をたどった。
「交通事故じゃない」
「ただ……」
少し言葉を探す。
「倒れたんだ」
「倒れた?」
「急に意識がなくなって」
「気づいたら病院だった」
紗月は小さく息をのんだ。
「それって……」
「原因はわからないって言われた」
私は苦笑した。
「疲れとかストレスとか」
「そんな感じだったらしい」
紗月は黙っている。
カメラを持つ手が、少し震えていた。
「いつ?」
紗月が聞いた。
「その入院」
私は少し考えた。
「……三年前の四月」
その瞬間。
紗月の顔が変わった。
「四月?」
「うん」
紗月はカメラを強く握った。
「私の事故」
「……」
「三年前の四月」
私は言葉を失った。
風が吹く。
花びらが舞い上がる。
二人の間に沈黙が落ちた。
紗月がゆっくり言った。
「同じ日かもしれない」
胸の奥がざわついた。
「そんな偶然」
私は言いかけて、止まった。
カメラ。
写真。
影。
全部がつながりそうな気がした。
紗月はカメラを見つめた。
「ねえ」
「うん」
「この人」
写真の影を指さす。
「事故の日、私の前にいた人」
私は画面を見た。
ぼんやりした顔。
私に似ている。
でも違う。
「もしかして」
紗月が言った。
「悠人くん」
「?」
「事故のとき」
「私の前にいたんじゃない?」
その言葉が、頭の奥に響いた。
その瞬間だった。
——光。
一瞬だけ、映像がよぎった。
夜の道路。
ヘッドライト。
誰かの声。
そして——
倒れる人影。
私は思わず頭を押さえた。
「……っ」
紗月が驚いた。
「悠人くん?」
頭が痛い。
鈍い痛み。
何か思い出しそうになる。
でも。
思い出せない。
霧がかかっている。
「……大丈夫」
私は言った。
深く息を吐く。
紗月は心配そうに見ている。
そのときだった。
カメラがまた鳴った。
ピッ。
二人同時に画面を見る。
新しい写真。
そこには——
桜のトンネル。
私と紗月。
そして、影。
でも。
今までと違う。
影が、はっきりしている。
顔が見える。
私は凍りついた。
紗月の声が震えた。
「……この人」
私はゆっくりつぶやいた。
「知ってる」
紗月がこちらを見る。
「誰?」
私は写真の顔を見つめた。
そして、言った。
「三年前」
喉が乾く。
「病院で」
「一度だけ見た」
紗月の目が大きくなる。
「え?」
私は震える声で言った。
「この人」
桜の花びらが、静かに落ちる。
「……死んだって聞いた」




