第六章 夜のトンネル
「……今、撮ってないよね」
紗月の声は、かすかに震えていた。
私はゆっくり首を振る。
「押してない」
カメラは、紗月の両手の中にある。
シャッター音も聞いていない。
それなのに。
液晶の中には、確かに新しい写真が表示されている。
桜のトンネル。
その中に立つ、私と紗月。
そして——
その背後。
黒い人影。
紗月は無言で写真を拡大した。
影の部分。
ぼやけている。
でも、確かに人の形をしていた。
肩。
腕。
そして、顔のような影。
紗月が小さく言った。
「……さっきより近い」
私は何も言えなかった。
確かにそうだった。
昼の写真では、もっと奥にいた。
夜の写真では、紗月の少し後ろ。
そして今。
私たちの、すぐ後ろ。
風が吹いた。
桜の花びらが舞い上がる。
私は思わず振り向いた。
トンネルの奥。
誰もいない。
ただ桜の木が並び、花びらが舞っているだけ。
「……誰もいない」
私は言った。
紗月もゆっくり振り向いた。
同じ光景を見ている。
静かな桜の道。
だけど。
カメラの中には、確かに写っている。
紗月が小さく息を吐いた。
「変だよね」
「……」
「カメラ壊れてるのかな」
私はカメラを受け取った。
電源を切る。
もう一度つける。
写真一覧を開く。
さっきの写真は、ちゃんと保存されていた。
削除してみる。
ピッ。
「削除しました」と表示される。
紗月が言った。
「消えた?」
「うん」
私は頷いた。
でも。
次の瞬間。
ピッ。
カメラが、また音を立てた。
新しい写真が表示される。
私は息を止めた。
また同じ写真だった。
桜のトンネル。
私たち。
そして——
影。
今度は、さらに近い。
ほとんど、紗月の真後ろだった。
「……なんで」
紗月の声がかすれた。
私はゆっくりカメラを下ろした。
そして、周囲を見渡す。
誰もいない。
風の音。
花びらの舞う音。
それだけ。
でも。
「悠人くん」
紗月が言った。
「うん?」
「昨日の夜」
私は振り向いた。
紗月はカメラを見ている。
「この場所にいたんだよね」
「……たぶん」
「写真あるし」
私は頷いた。
夜の写真。
紗月が一人で立っていた。
あの写真。
そのとき。
ふと、思った。
「紗月」
「なに?」
「昨日の夜、誰かに会った?」
紗月はすぐ首を振った。
「覚えてない」
それから、少し考えて言った。
「でも……」
「?」
「夢、見た」
「夢?」
紗月は桜のトンネルを見上げた。
「夜の桜」
「この場所」
「……」
「誰かが立ってた」
私の背中に冷たいものが走った。
「どんな人?」
紗月は目を細めた。
思い出そうとしている。
「……顔、見えなかった」
「ただ」
少し間をおいて言った。
「私を見てた」
風が強く吹いた。
花びらが舞い上がる。
そのとき。
カメラがまた鳴った。
ピッ。
私はゆっくり画面を見た。
新しい写真。
そこに写っていたのは——
桜のトンネル。
私と紗月。
そして。
私たちのすぐ後ろに立つ、黒い人影。
でも。
今までと、決定的に違うことがあった。
私は思わず声を出した。
「……顔」
紗月が震えながら聞く。
「見える?」
私はゆっくり頷いた。
影の顔。
ぼんやりだけど。
確かに見えた。
その顔は——
私だった。




