第三章 消えた三年
「……この人、誰?」
紗月の声は、まるで他人の写真を見ているようだった。
私はすぐに答えられなかった。
喉の奥に言葉が詰まる。
桜の花びらが一枚、カメラの液晶に落ちた。
その写真の中で、三年前の私たちは並んで歩いている。
楽しそうに。
まるで、ずっと前から知っていたみたいに。
だけど。
「……僕だよ」
やっとのことで、そう言った。
紗月は私の顔と写真を交互に見た。
「悠人くん?」
「うん」
「ほんと?」
「ほんと」
紗月は少し黙った。
それから、小さく息を吐いた。
「そっか……」
その声には、驚きよりも戸惑いの方が強かった。
「でも……」
紗月は写真を拡大した。
画面の中で、桜の花びらが舞っている。
三年前の、あの朝だ。
「どうして私たち、写真なんて撮ってるんだろ」
「……」
「私、全然覚えてない」
紗月はそう言って、眉を少しだけ寄せた。
私は何も言えなかった。
覚えているのは、私だけだった。
あの日のこと。
桜の匂い。
紗月の笑顔。
「未来に続く道みたい」
そう言った言葉も。
全部、私の中には残っている。
だけど。
紗月の中には、もうない。
「ねえ」
紗月が言った。
「三年前、私たち何してたの?」
私は桜のトンネルを見上げた。
空は淡い光で満ちている。
三年前と同じ景色だった。
「歩いてた」
私は言った。
「この道を」
紗月は少し驚いた顔をした。
「それだけ?」
「うん」
「なんで?」
「……偶然」
紗月は笑った。
「なんか映画みたいだね」
そう言って、もう一度写真を見る。
そして、少し首をかしげた。
「でも変だな」
「何が?」
「この写真」
紗月は画面を指で拡大した。
そこには、桜のトンネルの奥が写っている。
私はその瞬間、思い出した。
「あ」
紗月が言った。
「これ」
「?」
「誰が撮ったんだろ」
私は言葉を失った。
写真には、確かに二人が写っている。
だけど。
私たちの周りには、誰もいなかった。
あの日の朝、この道には。
「……タイマーかも」
私は言った。
紗月は少し考えた。
「うーん」
それから首を振った。
「でもこのカメラ、三脚ないとタイマー難しいんだよ」
沈黙。
桜の花びらが舞う。
そのときだった。
紗月が突然、頭を押さえた。
「……あれ」
「どうした?」
「ちょっと……」
紗月の顔が少し歪んだ。
「頭、痛い」
「大丈夫?」
「うん……」
そう言いながら、紗月は目を閉じた。
数秒。
静かな時間が流れる。
そして、紗月はゆっくり目を開けた。
「……変だな」
「何が?」
紗月は桜の道を見つめている。
その目は、どこか遠くを見ていた。
「今、一瞬」
「?」
「ここ、歩いた気がした」
胸が跳ねた。
「覚えてるのか?」
思わず聞いた。
紗月は困った顔で笑った。
「ううん」
「ただ……」
桜のトンネルの奥を指さす。
「そこ」
私はその方向を見た。
三年前、紗月と立ち止まった場所だった。
「なんか」
紗月はゆっくり言った。
「ここで、誰かと約束した気がする」
風が吹いた。
花びらが舞い上がる。
私は何も言えなかった。
言っていいのか、わからなかった。
紗月は少し笑った。
「変だよね」
「……」
「覚えてないのに、そんな感じだけするなんて」
私はゆっくり息を吐いた。
そして言った。
「その約束」
紗月がこちらを見る。
「僕だよ」
「え?」
「君と約束した」
紗月の目が少し大きくなる。
「どんな約束?」
私は三年前の景色を思い出した。
桜の花びら。
朝の光。
紗月の笑顔。
「また桜が咲いたら」
私は言った。
「ここで会おうって」
紗月は黙った。
桜の花びらが、彼女の肩に落ちる。
しばらくして、紗月は小さく笑った。
「そっか」
「……」
「だから来たのかな」
「え?」
「私」
紗月は桜のトンネルを見上げた。
「この町、初めてのはずなのに」
「気づいたら、この道に来てた」
私は驚いた。
「偶然じゃないのか?」
紗月は首を振った。
「たぶん」
そして、少し恥ずかしそうに笑った。
「体が覚えてたのかも」
風が吹いた。
花びらが、まるで雪みたいに降る。
そのときだった。
紗月がカメラをもう一度見た。
「……あれ?」
「どうした?」
「写真」
画面を私に見せる。
そこには、さっきの写真とは違う画像が映っていた。
桜のトンネル。
そして。
私と紗月。
今と同じ場所で、笑っている。
だけど。
その写真の右下には、小さく日付が表示されていた。
私はその数字を見て、背筋が冷たくなった。
撮影日。
三年前じゃなかった。
昨日の日付だった。
紗月が、ぽつりと言った。
「……これ」
「誰が撮ったんだろう」
桜の花びらが、静かに落ちていった。




