第二章 再会
桜の花びらが、風に巻き上げられる。
淡いピンクの渦の向こうから、その人影はゆっくりと近づいてきた。
私はその場から動けなかった。
足が、地面に縫い付けられたみたいだった。
近づくにつれて、輪郭がはっきりしてくる。
長い髪。
白いカーディガン。
細い肩。
三年前の記憶と、ほとんど同じ姿だった。
心臓が大きく鳴る。
ドクン。
ドクン。
「……紗月?」
思わず名前がこぼれた。
風に乗って、その声が少しだけ遠くへ流れていく。
その人影は、私の前で立ち止まった。
そして、ゆっくりと顔を上げる。
間違いなかった。
紗月だった。
三年前とほとんど変わらない顔。
だけど——
どこか、違った。
「……久しぶりだね」
紗月はそう言って、少しだけ微笑んだ。
その声は、確かに紗月のものだった。
私は言葉を失った。
三年間、ずっと会えなかった人が、今目の前にいる。
信じられなかった。
「本当に……紗月?」
ようやく言葉を絞り出す。
紗月は不思議そうに首を傾げた。
「うん。紗月だけど」
そう言って、少し考えるような顔をする。
「えっと……」
沈黙。
桜の花びらが二人の間を落ちていく。
そして、紗月は少し困ったように笑った。
「ごめん」
「……え?」
「あなた、誰だっけ?」
一瞬、時間が止まった。
風の音だけが聞こえる。
遠くで鳥が鳴いていた。
「……冗談だろ?」
思わずそう言った。
紗月は困った顔のまま、頭をかいた。
「いや、ほんとにごめん」
「顔は見たことある気がするんだけど……」
胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
「悠人だよ」
私は言った。
「三年前、ここで会った」
紗月の表情が少し動いた。
「三年前?」
「桜のトンネルで」
「……」
紗月は黙ったまま、私を見つめている。
その目には、記憶を探しているような気配があった。
だけど。
数秒後、彼女はゆっくり首を横に振った。
「ごめん……」
小さな声だった。
「思い出せない」
胸の奥に、冷たいものが落ちた。
三年間、ずっと覚えていた約束。
だけど。
その約束をした本人は——
何も覚えていなかった。
「……そうか」
私は苦笑した。
仕方ない。
三年前に一度会っただけの人間だ。
覚えてなくても当然かもしれない。
そう思おうとした。
だけど。
紗月は、なぜか少しだけ悲しそうな顔をしていた。
「でもね」
彼女は言った。
「変なんだよ」
「え?」
「この場所」
紗月は桜のトンネルを見上げた。
花びらが光の中で舞っている。
「初めて来たはずなのに」
「……」
「すごく懐かしい感じがする」
風が吹いた。
桜の花びらが、彼女の髪に落ちる。
私は何も言えなかった。
紗月は少しだけ笑った。
「変だよね」
その笑顔は、三年前と同じだった。
だけど。
やっぱり、どこか違う。
そのときだった。
紗月の肩にかけられていたカメラが、私の目に入った。
見覚えのあるカメラだった。
「それ……」
私が言うと、紗月はカメラを持ち上げた。
「ああ、これ?」
「うん。いつも持ってる」
「写真好きなんだ?」
私は聞いた。
紗月は頷く。
「うん」
それから、少し考えるような顔をした。
「……たぶん」
「たぶん?」
「実はね」
紗月は少し困った顔で笑った。
「私、ちょっと記憶がおかしいんだ」
胸がざわついた。
「おかしいって?」
紗月はカメラのストラップを指でいじりながら言った。
「三年前の記憶が、ほとんどないの」
私は息を止めた。
「事故にあってね」
桜の花びらが、静かに落ちる。
「気づいたら病院だった」
紗月は空を見上げた。
「それより前のこと、ところどころ抜けてるんだ」
言葉が出なかった。
三年前。
それは——
ちょうど、私たちが会った年だった。
「でも」
紗月は笑った。
「生きてるし、まあいいかなって」
明るく言ったつもりなのだろう。
だけど、その笑顔は少しだけ寂しかった。
沈黙が落ちる。
桜のトンネルの奥で、風が通り抜けた。
そのとき。
紗月のカメラから、小さな音がした。
ピッ。
液晶画面が光る。
どうやら電源が入ったらしい。
私は何気なくその画面を見た。
そして——
息をのんだ。
そこには、一枚の写真が映っていた。
桜のトンネル。
そして。
その道を並んで歩く、二人の人影。
一人は、紗月。
もう一人は——
私だった。
三年前の、あの日の写真。
紗月はその画面を見て、不思議そうに首を傾げた。
「……この人」
彼女は言った。
「誰?」




