第十九章 それぞれの春
桜の花びらは、ゆっくりと舞い続けていた。
紗月と私は、しばらくその場に立っていた。
カメラの画面には、最後の写真が残っている。
桜のトンネル。
手をつないだ私たち。
そして、遠くの桜の木の下に立つ父の影。
紗月が小さく言った。
「……優しい顔してる」
私は画面を見つめた。
ぼんやりしているけれど、わかる。
父の笑顔だった。
私は静かにつぶやいた。
「昔から」
紗月が聞く。
「うん?」
「父さん」
私は少し笑った。
「何も言わない人だった」
紗月は少し首をかしげる。
「どういうこと?」
私は答えた。
「口で説明するより」
「見てる人だった」
桜の枝が風で揺れる。
「遠くから」
私は写真を見る。
「ずっと」
紗月はその言葉を聞いて、静かにうなずいた。
「だから」
彼女が言う。
「最後も遠くなんだね」
私は小さく笑った。
「たぶん」
紗月はもう一度写真を見る。
「でも」
「?」
「ちゃんと見送ってる」
私は空を見上げた。
満開の桜。
空は少しだけ夕方の色になり始めていた。
春の光が柔らかく変わっていく。
紗月が言った。
「悠人くん」
「うん」
「このカメラ」
私は手の中のカメラを見る。
「どうする?」
私は少し考えた。
このカメラは、不思議だった。
過去を写す。
未来を写す。
そして。
父を写した。
私はゆっくり言った。
「持って帰ろう」
紗月が聞く。
「いいの?」
「うん」
私はカメラを軽く持ち上げた。
「きっと」
紗月が待っている。
私は言った。
「まだ写すものがある」
紗月が少し笑った。
「未来?」
私はうなずいた。
「未来」
風が吹く。
花びらが、また舞い上がる。
私たちは桜のトンネルを歩き始めた。
一歩。
また一歩。
足元には、花びらの道。
紗月がぽつりと言った。
「来年も」
「うん?」
「ここに来よう」
私は笑った。
「いいね」
紗月は続ける。
「再来年も」
「うん」
「その次も」
私は言った。
「子どもができたら」
紗月が驚いた顔をした。
それから少し笑った。
「気が早い」
私は肩をすくめた。
「未来の写真があるから」
紗月が笑う。
「ずるい」
二人で笑った。
そのとき。
カメラが小さく鳴った。
ピッ。
私は立ち止まった。
紗月も足を止める。
「また?」
私は画面を見る。
新しい写真。
そこには——
桜のトンネル。
歩いていく私たち。
そして。
遠くの桜の木の下。
父の姿は、もう写っていなかった。
ただ。
桜の花びらが、静かに舞っているだけだった。
私は小さく言った。
「……帰ったんだ」
紗月が優しくうなずいた。
風が静かに吹く。
桜の花びらが、空いっぱいに舞った。
まるで。
春そのものが、私たちを祝福しているようだった。




