第十章 写真の中の言葉
「……何か言ってる」
紗月の声は、かすれていた。
私はカメラの画面を見つめたまま動けなかった。
写真の中の男。
桜の花びらの向こうで、はっきりと口が開いている。
まるで。
言葉を発しているように。
でも——
写真に音はない。
「拡大できる?」
私が言うと、紗月はうなずいた。
震える指で液晶を操作する。
男の顔が少しずつ大きくなる。
ぼやけていた輪郭が、ゆっくりと浮かび上がる。
「……」
二人とも言葉を失った。
顔はまだ完全には見えない。
でも。
口の形だけは、はっきりしていた。
紗月が小さく言った。
「……あ」
「何?」
「これ」
紗月は画面を指さした。
「口」
「“ま”みたいに見えない?」
私はもう一度見た。
確かに。
唇の形は——
「ま」
のようにも見える。
「でも」
私は言った。
「写真は一瞬だから」
「その前後で違う形かもしれない」
紗月はうなずいた。
「もう一枚ある」
カメラを操作する。
次の写真。
また桜のトンネル。
また私と紗月。
そして、男。
今度の口の形は——
違っていた。
「……これ」
紗月がつぶやいた。
「る?」
私は息を止めた。
「ま」
「る」
二人同時に言った。
「……まる?」
その瞬間。
胸の奥で、何かが震えた。
まる。
その言葉。
どこかで聞いたことがある。
でも思い出せない。
「もう一枚」
紗月が次の写真を開く。
男の顔。
口の形。
「……で」
紗月が言った。
私はゆっくりつぶやく。
「ま」
「る」
「で」
三枚の写真。
三つの口の形。
並べると。
「まるで」
風が吹いた。
桜の花びらが画面に落ちる。
「まるで……」
紗月が言った。
「続きがある?」
私はうなずいた。
「たぶん」
紗月はすぐに次の写真を開いた。
四枚目。
男の口。
「……う」
五枚目。
「……そ」
六枚目。
「……み」
七枚目。
「……た」
八枚目。
「……い」
紗月の手が止まった。
私はゆっくり言った。
「まるで」
「うそみたい」
その瞬間。
胸の奥で、何かが弾けた。
フラッシュのような記憶。
夜の道路。
強い光。
ブレーキの音。
そして。
誰かの声。
「……まるで」
その声が言った。
「嘘みたいだ」
私は頭を押さえた。
「……っ」
紗月が驚く。
「悠人くん!」
頭の奥が痛む。
でも。
今度は消えなかった。
映像が続く。
夜。
道路。
倒れている人。
そして。
その横に立つ——
あの男。
私は震える声で言った。
「……思い出した」
紗月が息を止める。
「事故の日」
私はゆっくり言った。
「俺」
桜の花びらが静かに落ちる。
「……あの人と話してた」




