004話
※当作品は執筆にあたり「Gemini」、「NotebookLM」を補助として利用しています。
「窒素固定、リン酸合成、カリウムイオン化……全プロセス、結合」
「AI魔法」のエコーによる補助を受け、自然と漏れ出る私の呟きと共に、周囲に展開された青白い光の数式が、複雑な幾何学模様を描きながら回転を始めた。
リエルがぽかんと口を開けて見上げている。
彼女の目には、これが未知の魔法陣に見えていることだろう。
魔法陣の1種であることは間違いないだろうが、これはほとんどただの化学式の集合体だ。
この世界の大気に満ちているマナを触媒にし、空気中の元素を強制的に結びつけるための、プログラミングコード群に過ぎない。
「散布開始」
私が右手を振り下ろすと同時に、頭上の光が弾けた。
キラキラと輝く青白い光の粒子が、乾ききった荒野へと降り注ぐ。それはまるで、オーロラが降り注ぐようだった。
『土壌栄養価、基準値をクリア。植物活性化シーケンス、強制実行。当該ポイントの時間を強制加速します』
エコーの報告と同時に、地面が震えた。
地震ではない。
生命の胎動だ。
ひび割れた土が潤いを取り戻し、黒々とした肥沃な大地へと変質していく。
そして、黄色く枯れかけていた貧相な小麦が、見る見るうちに緑色を取り戻したかと思うと――。
バサッ、バササッ!
音を立てて、天に向かって伸び上がった。
まるで早回しの映像を見ているようだ。
茎は太く逞しくなり、その先端には、ぷっくりと膨らんだ実が結ばれていく。
「え、ええっ!? 嘘、すごい、すごーーいっ!!」
リエルの叫び声が響く。
緑色は瞬く間に黄金色へと変わり、数秒前まで行き絶え絶えだった荒野は、見渡す限りの豊かな麦畑へと変貌を遂げていた。
「お花が咲くみたいに、麦が……! こんなの見たことないっ!」
リエルがピョンピョンと跳ねながら、私の腕に抱きついてくる。
その瞳はキラキラと輝き、まるで最高の手品を見た子供のようだった。
「アルス、あなた何者なの!? 本当に魔法使い!? 神様とかじゃないの!?」
「神様なら、もっと手際よくやるさ。私はただ、空腹を訴える土地に栄養を与え、時間を少し早送りしただけだ」
私は大げさに肩をすくめて見せたが、内心では安堵していた。
『AI魔法』による時間加速処理は魔力消費が激しいが、この世界の豊富なマナのおかげで、問題なく完遂できたようだ。
「おい見ろよ! 麦だ! 麦が実ってるぞ!」
騒ぎを聞きつけた村人たちが、家々から飛び出してきた。
そして、目の前に広がる黄金色の海を見て、一様に言葉を失っている。
リエルほどではないが、あんぐりとした同じような顔になっているので、少し滑稽だ。
「夢じゃ……ないよな?」
「昨日まで、ペンペン草も生えてなかったんだぞ……?」
呆然とする村人たちの中で、村長のガーメルンが震える足取りで畑に入り、麦の穂に触れた。
「おお……おおお……ッ!」
村長の手の中で、ずっしりと重い麦の穂が揺れる。
彼はその場に崩れ落ちるように膝をつき、涙を流して天を仰いだ。
「奇跡じゃ……。これは、奇跡じゃあ……!」
「村長、違うよ! 奇跡じゃないの!」
リエルが胸を張って、私の背中をバンと叩いた。
「アルスがやってくれたの! アルスが、魔法でこの畑を生き返らせてくれたんだよ!」
一斉に、村人たちの視線が私に集まる。
そこにあるのは、昨日のような「怪しい子供」を見る目ではない。
畏怖と、感謝と、そして熱狂的な崇拝に近い感情のようだった。
「あんたが……これを?」
「すげぇ! 魔法使い様だ!」
「ありがとう! これで飢え死にしなくて済むぞ!」
わっと歓声が上がり、私はあっという間に村人たちに囲まれてしまった。
もみくちゃにされながら、村長が私の手を両手で包み込み、ブンブンと上下に振る。
「なんとお礼を言えばよいか……! あんたは村の救世主じゃ! まるで伝説の賢者様じゃよ!」
「大げさだな。土が空腹だったから、適切な飯を食わせてやっただけだ」
私は努めて冷静に答えたが、村人たちの笑顔を見て、悪い気はしなかった。
私の持っていた技術が、この世界で「最適解」として機能し、人々を救った。
その事実が、かつて研究室で数字だけを追いかけていた頃には味わえなかった、温かい充足感を私に与えてくれていた。
◇◆◇
エテルナ王国の王都周辺から、東の辺境へ向かう街道。
一台の馬車が、ガタゴトと車輪を軋ませて走っていた。
御者台の隣に座っているのは、恰幅の良い中年男性、プロミネだ。
彼はこの辺境を回る行商人であり、今日の目的地は「ピーナッツ村」だった。
「やれやれ……。以前の恩返しに食料を持ってきたが、あの村ももう終わりか……」
プロミネは重い溜息をついた。
商人の情報網によれば、今年の日照りで王都周辺の村々、とくにピーナッツ村のような辺境の村は壊滅的な被害を受けているという。
もはや商売にはならないだろう。だが、かつてあの村の近くで遭難した際、村人たちに助けられた恩義がある。
これが最後の別れになるかもしれないと、彼は憂鬱な気分で馬車を走らせていた。
その時だった。
「ん? なんだ、あの光は……?」
遠くの森の向こう、ピーナッツ村の方角から、青白い光の柱のようなものが立ち上るのが見えた。
魔法だろうか? だとしたら、かなり大規模なもののようだ。
まさか、魔物の襲撃か?
「急ごう!」
プロミネは馬に鞭を入れた。
胸騒ぎがする。だが不思議と嫌な予感は少なかった。
それどころか、商人の勘が告げる「何かある」という予感が大きい。
馬車を飛ばし、森を抜け、村の入り口に差し掛かった時。
プロミネは我が目を疑い、手綱を引くのも忘れて口を開けた。
「な、なんだ!? 幻覚か!?」
昨日までの情報では、そこは死んだ土地だったはずだ。
作物は枯れ、土は乾き、絶望だけが漂う場所だったはずだ。
だが、今、彼の目の前にあるのは――黄金色に輝く、豊かな麦畑だった。
風に揺れる麦の波が、朝日に照らされてキラキラと輝いている。
村すべての畑が、だ。
「馬鹿な……。王都の農場だって、こんなに見事な景色は……」
プロミネは転がり落ちるように馬車から降りると、ふらふらと畑に近づいた。
震える手で、道端の麦の穂を触る。
ずっしりとした重み。殻の中には、はち切れんばかりの実が詰まっている。
「……この品質。王都の特級品すら凌駕しているぞ。これを、この短期間で?」
プロミネは商売人だ。物の価値を見抜く目には自信がある。
この麦は、ただの麦ではない。
魔力を帯びているのか、あるいは未知の農法によるものか。どちらにせよ、市場に出せば金貨の山が築ける代物だ。
そして、その畑の中心。
歓声を上げる村人たちの輪の中に、一人の少年が立っていた。
暗い銀髪に、群青色の瞳。
簡素だが仕立ての良いローブをまとい、周囲の熱狂をどこか一歩引いた様子で見つめている少年。
村長が彼を「賢者様」と呼んでいるのが聞こえた。
「あの子が……これをやったのか?」
プロミネの背筋に、ゾクリとした戦慄が走った。
それは恐怖ではない。
巨大な金脈を見つけた時に感じる、武者震いだ。
枯れた大地を一瞬で黄金郷に変える力。
そんなものが実在するとしたら。
「……ビジネスの匂いなんてもんじゃない」
プロミネは、鋭い「狩人」の目つきで少年を見据えた。
「革命の匂いがする」
彼は身なりを整えると、商売人としての最高の笑顔を貼り付け、村人たちの輪へと歩み出した。
「皆様、これは何の騒ぎですかな。何やら素晴らしいことがあったようですね?」
私は収まらぬ興奮を表に出さないように努めて村長の方へ駆け寄る。
「お、プロミネさんじゃないか!」
村長が気づいて声を上げる。
プロミネは帽子を取り、恭しく一礼してから、まっすぐに銀髪の少年――アルスへと向き直った。
「アルス殿。こちらは我がピーナッツ村を懇意にしてくださる行商人のプロミネさんじゃ」
私は村長を横目に、目の前の奇跡を起こしたであろう少年の方を向き、会釈する。
いつもであれば村長と雑談に花を咲かせるところだが、今はそれどころではない。
「はじめまして、アルス殿。単刀直入で申し訳ないが……この奇跡、あなたが起こされたのですかな?」
アルスと呼ばれた少年は、私の顔をじっと見つめ返してきた。
その瞳の奥には、子供とは思えない理知的な光と、私のことを値踏みをするような計算高い色が宿っていた。
「奇跡じゃない。ただの最適化ですよ」
少年は短くそう答えた。
その言葉を聞いた瞬間、プロミネは確信した。
この少年は、世界をひっくり返す。
そして、その隣に立つことができれば、自分もまた、見たこともない景色を見ることができるだろう、と。
「最適化……! 素晴らしい言葉だ!」
私は興奮を隠そうともせず、アルス殿の手を取った。
小さき革命家・アルス少年の誕生に立ち会えた感動は、間違いなく私の人生で1番の誇りになるだろう。
◇◆◇




