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002話

※当作品は執筆にあたり「Gemini」、「NotebookLM」を補助として利用しています。

視界に赤い警告ログが流れる。 私は走っていた。強化された身体能力のおかげで、鬱蒼(うっそう)とした森の中を風のように抜けながら、脳内のパートナーに問いかける。


「エコー、状況は?」


『対象、前方約五〇メートル。少女一名に対し、敵性生物「ゲイルウルフ」五体。包囲されています』


視界が一気に開けた。 そこには、使い込まれた緑のローブを(まと)った金髪の少女が、杖を構えて震えていた。 彼女の周囲を、風をまとった狼たちが旋回している。


「――風の精霊よ、我が声に応え、刃となりて敵を討て……!」


少女が必死に言葉を紡いでいる。 これが、この世界の「魔法」か。


『プロセス解析……精霊へのアクセス承認待ち、および術式構築に時間を要しています』


私の視界に、青いプログレスバーが表示された。

【詠唱完了まで:4.5秒】 【敵到達まで:2.0秒】


「遅すぎる。通信回線の細いサーバーか」


狼の一体が、少女の首元を狙って跳躍した。 少女の顔が絶望に歪む。詠唱はまだ終わらない。 間に合わない――普通の物理法則ならば。


「座標固定。物理障壁イナーシャル・キャンセラー、展開」


私は滑り込むように少女の前へ躍り出ると、無造作に左手を掲げた。 詠唱などいらない。 必要なのは、空間に「止まれ」という定義コードを書き込むことだけだ。


ガギィィィン!!


虚空に、見えない壁が出現したかのような音が響いた。 突進してきた狼が、私の鼻先数センチで空中に縫い留められたように静止し、次の瞬間、物理法則を無視した反動で弾き飛ばされた。


「え……?」


少女の詠唱が途切れる。 私は眼前の狼たちを見据えたまま、右手を振るった。


『対象五体、ロックオン。推奨:空間切断ディメンション・カット


「承認。デリートだ」


指先で空間をなぞる。 ただそれだけの動作で、世界に走っていた「狼」というデータが強制終了された。 断末魔も、血飛沫(ちしぶき)もない。 狼たちはポリゴンのように分解され、光の粒子となって霧散した。

静寂が戻る。 残されたのは、腰を抜かした少女と、私だけ。


「……怪我はないか?」


私が声をかけると、少女は信じられないものを見るような目で私を見上げた。 透き通るようなエメラルドグリーンの瞳が不安に揺れている。


「詠唱も、魔法陣もなしに……あなたは、一体?」


『解析完了。対象名:リエル・アインズレイ。人間種ですが、遺伝子情報に微量のエルフ因子を確認』


エコーの情報が脳裏に浮かぶ。 私は努めて穏やかに、しかし事実だけを口にした。


「通りすがりの……研究者だ。アルス・コードウェル。アルスと呼んでくれ」


リエルという名の少女の口が終始あんぐりと開かれ、しばらく閉じることがなかったということは、暫く忘れることはできないだろう。


          ◇◆◇


「ええっ!? アルス、記憶がないの!?」


森を抜ける道すがら、少女――リエルは素っ頓狂(とんきょう)な声を上げた。 私は「異界からの転生者」という説明の手間を省くため、「気づいたら森にいて、記憶が曖昧だ」ということにしていた。


「ああ。覚えているのは、魔法の理論ロジックと自分の名前くらいだ」


「変なの! あんな凄い魔法が使えるのに。……でも、助けてくれてありがとう。あたし、リエルっていうの」


リエルは屈託なく笑うと、私の手を引いた。 彼女の案内で向かったのは、森の先にある「ピーナッツ村」という集落だった。 しかし、到着した瞬間に私の眉はひそめられた。

酷い有様だ。

畑の土は痩せこけ、作物は枯れ木のように(しお)れている。 家々は修繕が行き届かず、屋根に穴が開いているものも珍しくない。 村人たちの服はつぎはぎだらけで、その表情には生気がなかった。

「リエル、無事だったか!」 「お帰り、リエルちゃん……」

村の入り口で、髭を蓄えた初老の男性と、エプロン姿の女性が出迎えてくれた。 村長のガーメルンと、リエルの保護者であるレイルという女性らしい。 二人とも痩せこけており、その笑顔にも疲労の色が濃い。


「村長、レイルおばさん! この人が助けてくれたの、アルスっていう魔法使いさん!」


「魔法使い……? こんな若いのがか?」


村長が疑わしげな視線を向けてくる。 無理もない。私のこの華奢な体躯と、場違いに綺麗なローブは、どう見ても歴戦の猛者には見えないだろう。

村長は帰りが遅かったリエルを心配してレイルおばさんのもとへ来ていたようで、すぐ去っていった。


「まあまあ、命の恩人なんだから。……何もない村だけど、夕食くらいは食べていってちょうだい」


レイルおばさんが申し訳なさそうに言った。 私はその好意に甘えることにした。 この世界の「食文化」のデータを収集する必要があったからだ。


          ◇◆◇


案内されたレイルの家で、木のテーブルにつく。 運ばれてきたのは、二つの皿だった。

一つは、石のように硬そうな黒パン。 もう一つは、茶色く濁ったお湯のようなスープだ。具は見当たらない。


「ごめんなさいね。今年は不作で、これくらいしか……」


「いや、感謝する」


私はスプーンでスープを(すく)い、口に運んだ。


「…………」


思考が一瞬、停止した。 不味い、というレベルではない。 これは、ただの「塩入りのお湯」だ。 野菜のクズを煮出したような微かな風味はあるが、旨味という概念が欠落している。


『成分分析結果。塩分濃度1.2%。その他、栄養価は極めて低いです』


(味付けは塩分のみで、旨味成分ゼロ。……これは食事ではなく、ただの生命維持作業だな)


思わず、研究者時代の辛辣な独り言が漏れそうになったのをぐっとこらえる。それを察したのか リエルが気まずそうにパンをかじっている。


「うう……ごめんね、アルス。でも、お塩だって貴重なんだから」


その言葉に、私の心に火が付いた。 貧しいのは仕方がない。だが、この「最適化されていない状態」を放置するのは、私の主義に反する。


「リエル、レイルさん。少し、実験をさせてもらってもいいか?」


「じっけん?」


リエルが首を傾げている様子を横目に、私は立ち上がると台所の隅にあった干からびた野菜クズと、水瓶の水を借りた。 そして、右手をかざす。


「エコー、レシピ検索。対象:『コンソメスープ』。必要元素の抽出と再構築リビルドを開始せよ」


了解(ラジャ)。大気中の窒素、水素、および野菜くずから、グルタミン酸ナトリウム、イノシン酸、乾燥野菜エキスを生成します』


私の手元に、魔法陣ではない、幾何学的な光のラインが走る。 それは分子構造式そのものだ。 物質を原子レベルで分解し、旨味の結晶へと組み替える。

キラキラと、黄金色の粉末が生成され、あの質素なスープの鍋へと降り注いだ。


「な、なになに!? 光った!?」


リエルが目を丸くする。 次の瞬間、部屋の空気が変わった。 貧相な食卓にはありえない、芳醇(ほうじゅん)で、暴力的とも言えるほどの「美味しい香り」が爆発的に広がったのだ。 肉と野菜を何時間も煮込んだような、濃厚な香り。


「こ、この匂いは……?」


レイルおばさんが鼻をひくつかせる。 私は鍋をひと回しすると、それをリエルの皿に注いだ。


「完成だ。……飲んでみてくれ」


リエルはおっかなびっくり、スプーンを口に運んだ。 そして、


「んんっ!?」


彼女の目が、これ以上ないほど見開かれた。 スプーンが手から滑り落ち、カランと音を立てる。


「なにこれ……! お口の中が、幸せ……!?」


リエルの過剰なまでの感動した様子を見て、慌ててレイルおばさんもスープを口にする。 するとすぐに二人の動きが止まった。


「凄い……野菜の味がするのに、お肉の味もして、それが口の中で踊ってるみたい……!」


リエルが夢中でスープを飲み干していく。 その顔は、先ほど狼に襲われていた時の絶望が嘘のように、とろけるような笑顔だった。 私はその様子を冷静に観察しながら、自分の分のスープを(すす)った。


「悪くない。市販品そのものだな」


「アルス! これ、どうやったの!? すごい! 魔法なの!?」


リエルが身を乗り出してくる。 その瞳の輝きは、もはや崇拝をも感じさせる。


『報告。個体名リエルの好感度および依存度、測定不能なレベルで上昇中』


エコーが冷静な声で告げる。 私は肩をすくめ、短く答えた。


「ただの化学合成だ。自分のためにしたことだし、礼には及ばない」


「かがく……ごうせい……?」


リエルは意味がわからないという顔で首を傾げたが、すぐにまた「おかわり!」と鍋に飛びついた。 その光景を見ながら、私は確信した。

この世界は、バグだらけだ。 食文化、農業、魔法技術――すべてが未開拓で、非効率。 だが、それはつまり。 私が手を加える余地アップデート・パッチが、無限にあるということだ。


「……退屈はしなさそうだな」


私は黄金色のスープに映る自分の顔を見て、ニヤリと笑った。

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