012: 銅貨3枚の屋台に行列ができる。衛生局の嫌がらせには「営業停止」で応じる
※当作品は執筆にあたり「Gemini」、「NotebookLM」を補助として利用しています。
翌日の王都の広場は、かつてないほどの熱気に包まれていた。
石畳の広場を埋め尽くすのは、人間だけではない。猫背の獣人、小柄なドワーフ、そして日々の糧を得るのにも苦労している下町の人々。彼らの視線は一点、プロミネ商会が臨時で設営した屋台へと注がれている。
そこから立ち昇る湯気は、暴力的なまでの魅力を放っていた。
「へい、お待ち! 黄金マダラ根スープ、パン付きで銅貨三枚だよ!」
プロミネの活気ある声と共に、お玉ですくわれた黄金色の液体が木製の器に注がれる。
とろりとしたそのスープからは、焼き芋の蜜のような濃厚な甘い香りと、じっくりと炒めた香味野菜の香ばしさが混然一体となって漂ってくる。
それは、長引く食糧難で荒んだ王都の人々の胃袋を、容赦なく鷲掴みにする「ご馳走」の香りだった。
「こ、これが……あのマダラ根だってのか?」
受け取った中年の男が、震える手で器を持ち上げた。
マダラ根。王都周辺に雑草のように自生するその根菜は、石のように硬く、泥臭く、そして舌が痺れるほど苦い。貧困層ですら、飢え死にする寸前でなければ喜んでは口にしない「家畜の餌」だ。
男は半信半疑で、器に口をつける。
そして、カッと目を見開いた。
「――う、美味ぇぇぇぇッ!!」
絶叫が広場に響く。男は信じられないといった表情で、隣にいた仲間に訴えかけた。
「おい、嘘だろ!? 泥臭さが全然ねぇ! 舌の上でとろけちまうぞ! まるで貴族様が食うポタージュみてぇだ!」
「大げさだなぁ……ずずっ、んんっ!? 甘い! 砂糖でも入れたのか!?」
「それにこのスープ、固い黒パンを浸して食うと最高だぞ!」
どよめきは波紋のように広がり、屋台の前にはさらなる長蛇の列が形成されていく。
「はい、お待たせしました! とっても熱いので気をつけてくださいね!」
屋台の最前線で、リエルが汗を拭いながら笑顔を振りまいていた。
白いエプロンを身に着けた彼女は、まさにこの屋台の看板娘だ。彼女が笑顔で器を手渡すたびに、客たちの疲れた顔に灯がともる。
「ありがとう、お嬢ちゃん。……ああ、この一杯で、今日一日生き延びられるよ」
「えへへ、たくさん食べて元気になってくださいね!」
その光景を、屋台の裏手からアルスが静かに見守っていた。
腕を組み、騒乱に近い賑わいを冷徹な瞳で観察する。
(……市場反応、極めて良好だな。カステッロ商会の店舗から客足の大半が減少し、こちらのシェアが一時的に飽和状態に達しつつある)
『肯定。プロミネ商会への好感度指数、およびカステッロ商会への不信感指数が、共に上昇トレンドを描いています』
脳内で響くエコーの報告に、アルスは小さく頷く。
マダラ根の繊維構造を分子レベルで分解し、苦味成分を糖化酵素で甘味に変換する。さらに加熱プロセスを最適化することで、数日煮込んだようなコクを一瞬で生み出す。
アルスにとっては単なる「化学実験」の応用だったが、この世界の住民にとっては、まさに奇跡の錬金術だった。
(原価はほぼゼロ。売り上げは全て純利益。……経済的な打撃としては十分な初手だ)
アルスが次のフェーズへ思考を巡らせようとした、その時だった。
「――おい! 販売を中止しろ! 直ちに撤収だ!」
怒号と共に、人の波が乱暴に割られた。
現れたのは、衛生局の紋章が入った制服を着た男たちだった。先頭に立つ小太りの役人は、脂ぎった顔を歪め、我が物顔で列をかき分けてくる。
「つ、通行の邪魔だ! 貴様ら、こんなところで何をしている!」
役人が大げさに腕を振るう。その拍子に、スープを受け取ろうとしていた幼い子供が突き飛ばされそうになった。
「危ないっ!」
リエルがとっさに身を投げ出し、子供を抱きとめる。
地面に転がったリエルに向けて、役人は謝るどころか、汚らわしいものを見るような目を向けた。
「ふん。薄汚いガキがちょろちょろと……。おい、責任者はどこだ!」
「……私ですが。何か問題でも?」
プロミネが奥から出てくる。百戦錬磨の商人らしく愛想笑いを浮かべているが、そのこめかみには青筋が浮かんでいた。
役人はプロミネを鼻で笑い、大鍋の中身を覗き込んだ。そして、わざとらしく鼻をつまむ。
「なんだこの異臭は。……マダラ根だと? 正気かプロミネ」
役人は、鍋の縁を警棒でカンカンと叩きながら、広場に響く大声で言い放った。
「マダラ根は、貧乏人向けの『家畜の餌』だろうが! こんなゴミを大っぴらに市民に食わせるとは、プロミネ商会も落ちたものだな。金に目がくらんで、プライドまでドブに捨てたか?」
その言葉に、リエルの表情が強張った。
抱きとめた子供が、不安そうにリエルの服を掴む。
リエルは子供の背中を撫でながら、震える声で反論した。
「……違います」
「ああん? 何だと?」
「ゴミなんかじゃありません! アルスが……みんなが一生懸命作ってくれた、美味しいスープです! 食べたお客さんだって、みんな喜んでくれて……!」
「黙れ田舎娘!」
役人の怒声がリエルの言葉を遮る。
「餌を配ってご満悦か? 品性がないな。これだから下層民は……」
ブチリ、と何かが切れる音がした。
それはアルスの中ではなく、広場を埋め尽くす民衆の中でだった。
「……ふざけるな」
誰かが低く呟いた。
それを皮切りに、抑え込まれていた怒りが爆発する。
「ふざけるなぁっ! 俺たちにとって、これがどれだけのご馳走か、お前らにわかるかよ!」
「カステッロの店で売ってる腐った野菜より、よっぽど価値があるぞ!」
「謝れ! お嬢ちゃんに謝りやがれ!」
「帰れ! 税金泥棒が!」
石でも投げられそうな剣幕に、役人たちがたじろぐ。
「き、貴様ら! 公務執行妨害で捕縛されたいか!」
一触即発。
役人が腰の剣に手をかけた瞬間、アルスの視界には無数の赤いアラートが表示された。
『警告。群衆心理の暴走リスク、80%を超過。流血沙汰への発展予測』
(……やれやれ。ここで暴動が起きれば、彼らに正当な鎮圧名目を与えるだけだ。それは非効率極まりない)
アルスは音もなくリエルの前に進み出ると、役人と民衆の間に割って入った。
「……やめましょう、皆さん」
よく通る、凛とした声だった。
アルスは怒りに燃える民衆を片手で制し、役人に向き直る。その表情は、不気味なほどに冷静で、穏やかだった。
「当局の指示には従います。……申し訳ありませんでした」
深々と、あまりにも綺麗な所作で頭を下げる。
その態度に、リエルが驚愕の声を上げた。
「ア、アルス!? どうして!? アルスは何も悪くないのに!」
「いいんだ、リエル」
アルスは小声で、リエルにだけ聞こえるように囁く。
「ここで騒ぎを大きくして、彼らに『暴力沙汰』という口実を与える必要はない。(……それに、これは好都合だ)」
「え……?」
アルスは顔を上げ、役人に微笑みかけた。
それは完璧な恭順の笑みに見えたが、その瞳の奥には、絶対零度の冷徹さが潜んでいた。
「ただちに撤収いたします。……ご苦労様でした、お役人様」
役人は、アルスのその目を見て、背筋に冷たいものが走るのを感じた。だが、すぐに気を取り直し、勝ち誇ったように鼻を鳴らす。
「ふん、最初からそうしていればいいのだ。……このスープの成分分析が終わるまで、無期限の営業停止を命ずる! 毒が入っているかもしれんからな!」
捨て台詞を残し、役人たちは逃げるように去っていった。
その後ろ姿を見送りながら、アルスの口角が、誰にも気づかれないほど微かに持ち上がった。
(……分析だと? 滑稽だな。私のコードを解読できるものなら、やってみるがいい)
◇◆◇
屋台を撤収し、プロミネ商会の倉庫兼会議室に戻った一行を包んでいたのは、重苦しい沈黙だった。
外の熱狂が嘘のように静まり返っている。
「……悔しいッ!」
沈黙を破ったのは、リエルだった。
彼女はテーブルに突っ伏し、涙目になりながら拳を叩きつける。
「あんな言い方ないよ! みんな美味しいって言ってくれてたのに……お腹いっぱい食べて、笑ってくれてたのに! それを『餌』だなんて……!」
「リエルちゃんの言う通りよ」
ミーナもまた、普段の冷静さをかなぐり捨てて憤っていた。
「あの役人、『成分分析』なんて言ってたけど、あれは建前よ。狙いは間違いなく『製造レシピ』の盗用だわ。私たちの技術を奪って、自分たちの利益にする気満々よ!」
「……ですが、今は耐えるしかありませんな」
プロミネが、苦い紅茶を飲み干しながら溜息をつく。
「相手は衛生局です。逆らえば商会ごと取り潰される。彼らが『安全だ』と認めるまで、待つしか……」
「いや、待つ必要はありませんよ」
アルスが、こともなげに言った。
彼は優雅に紅茶のカップを傾け、まるでチェスの盤面を眺めるような顔をしている。
「……はい?」
「待つ必要はないと言ったんです。……全て、予定通りですから」
三人の視線がアルスに集中する。
アルスはカップをソーサーに置き、淡々と説明を始めた。
「彼らが『成分不明』だと言って営業停止にしたこと。それはつまり、こちらの技術レベルが彼らの理解を超えているという証明に他なりません」
「で、でもアルス様。実際にどうやって作ったんですか? あんな短時間で、マダラ根をあそこまで柔らかくするなんて……」
ミーナの問いに、アルスは人差し指を立てた。
「私がやったのは、錬金術のような物質変換ではありません。原理はもっと単純です。『圧力鍋での加圧』と『酵素による熟成』……本来なら数日かかる煮込みの工程を、魔法で数秒に『時間圧縮』しただけです」
「し、しょー……?」
「ええ。ただの『究極の時短テクニック』ですよ。彼らがいくら分析しても、出てくる結果は『ものすごくよく煮込まれた、ただのマダラ根』です。危険な薬品など検出されるはずがない」
アルスの説明に、プロミネが呆気にとられた顔をする。
「つまり……彼らはただの煮込み料理を、未知の劇薬か何かと勘違いして怯えていると?」
「その通りです。無知な権力者というのは、理解できないものを恐れ、排除しようとする。……その行動パターンこそが、彼らの最大の弱点だ」
アルスは立ち上がり、窓の外へと視線を向けた。
夕闇が王都を包み込み始めている。
「彼らは今、『厄介なライバルを潰した』と勝利の美酒に酔い、警戒を解いているはずです。……本拠地である屋敷の守りも、手薄になっているでしょうね」
その言葉に、プロミネとミーナが息を呑んだ。
「ま、まさかアルス殿……今夜?」
アルスは窓ガラスに映る自分の顔を見て、ニヤリと笑った。
「正面玄関が閉ざされたなら、裏口から入るまでです。……さて、『王手』をかけに行きましょうか」
◇◆◇
深夜。月明かりだけが頼りの王都の屋根の上。
昼間のエプロン姿とは対照的な、夜闇に溶け込む黒いローブを纏った人影があった。
アルス・コードウェルだ。
眼下には、カステッロ商会の巨大な屋敷が鎮座している。
煌々と明かりが灯るメインホールからは、下品な笑い声と祝杯を挙げる音が漏れ聞こえていた。
(エコー、屋敷の状況は?)
『スキャン完了。警備人員、通常時の40%まで低下。メインホールにて晩餐会が開催されており、監視網に多数の脆弱性を確認』
(完璧だ。無能な管理者は、自分の勝利を疑わない。……これほど侵入しやすい現場もないな)
アルスは屋根の縁に立ち、風にはためくローブを押さえる。
彼の脳裏に浮かぶのは、ドルゴンの顔ではない。
昨日、遠隔視で見た屋敷の奥。薄暗い部屋で膝を抱えていた少女――エリーゼ・カステッロの姿だった。
そして、彼女の脳波が示していた、異常なまでの演算能力の波形。
(あんな『最高スペックの原石』を、埃を被らせたまま飼い殺しにするなど……私の美学に反する)
アルスにとって、それは正義感というよりも、技術者としての義憤に近かった。
高性能なハードウェアに、粗悪なOSを入れて放置されているようなものだ。そんな非効率は許せない。
(才能の浪費は、世界にとって最大の『損失』だ。……私が最適化してやる必要があるな)
「行くぞ、エコー」
アルスは低く呟き、目元を隠すフードを深く被り直した。
その瞳には、青白い幾何学模様の光が明滅している。
「……『不具合修正』の時間だ」
アルスは夜の闇へと身を躍らせた。
音もなく、風のように。




