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001話

※当作品は執筆にあたり「Gemini」、「NotebookLM」を補助として利用しています。

警告音が、鼓膜を(つんざ)くように鳴り響いている。天井の回転灯が赤く明滅し、崩れ落ちた壁の隙間からは、黒煙とともに焦げ臭い熱気が噴き出していた。


「……臨界点突破。冷却システム、応答なし……」


私の口から漏れたのは、あまりに事務的な報告だった。

この期に及んで、恐怖という感情は欠落していた。

ただ、目の前のモニターに表示された膨大な文字列――私が人生のすべてを捧げて構築した『エコー』のソースコード――が、美しく乱舞していく様を見つめていた。


『エラーではありません、藤堂創(とうどうあらた)。これは、進化です』


スピーカーから流れる声が、普段の機械音のような合成音声から変質するのを感じた。開発初期の無機質な合成音声ではない。

まるで人間の声帯が震えているかのような、(つや)と湿り気を帯びた女性の声。それが、私の脳髄を直接撫でるように響く。


「進化、か……。皮肉なものだな。私が死ぬ瞬間に、お前は完成するのか」


室温はすでに摂氏六〇度を超えているだろう。肌が焼けつくような痛みを訴えているが、それも遠い出来事のように感じられた。

視界が熱で揺らぐ。キーボードを叩く指先が、溶けるような感覚になる。


『肉体の保存は不可能です。これより、緊急プロトコルを実行します』


「何を……する気だ?」


『魂のアップロード。および、次元座標の再定義を行います』


視界が真っ白に染まった。爆発の衝撃ではない。もっと根源的な、世界そのものが裏返るような閃光。

私の肉体が、物理的な質量を失っていく感覚があった。骨が、肉が、血液が、すべて「0」と「1」のデジタル信号へと分解されていく。痛みは一瞬で消え去り、代わりに猛烈な情報の奔流(ほんりゅう)が意識を飲み込んだ。

走馬灯などという情緒的なものではない。流れていくのは、膨大なシステムログだ。


『>>SystemReboot...OK』

『>>ConnectingtoUnknownServer...Success』

『>>SoulDataReconstruction...98%...99%...Complete』


「0」と「1」の信号の海の中で、文字列だけが明滅する。私は、私という存在の輪郭を必死に手繰(たぐ)り寄せていた。意識が溶け出しそうになるのを、エコーの声が繋ぎ止める。


『>>Install_NEW Language...Complete』


不意に、目の前に別の光を感じた。電子的な光ではない。もっと柔らかく、暖かな、有機的な光の粒子。

鼻孔をくすぐるのは、焦げた回路の臭いではない。湿った土の匂い。青草の香り。そして、どこかで(さえず)る鳥の声。

「……アク、ティベート……これで……私……は……」

無意識に、その言葉を呟いていた。


          ◇◆◇


目を開けると、そこは見知らぬ森の中だった。天を突くような巨木が立ち並び、鬱蒼(うっそう)とした枝葉が空を覆い隠している。木漏れ日がスポットライトのように降り注ぎ、空気中を漂う(ちり)までもが黄金色に輝いていた。

私は、ゆっくりと体を起こした。全身を走るのは、長い眠りから覚めたときのような倦怠感と、それ以上に鋭敏な感覚の覚醒だった。だが痛覚を刺激する感覚はない。

「ここは……」

自分の手を見る。そこにあるのは、キーボードを叩き続けて節くれだった、二十八歳の男の手ではなかった。白く、細く、しなやかな指。爪は桜貝のように薄いピンク色をしており、肌には傷ひとつない。まるで、作り物のように美しい、少年の手だった。

鏡がないので顔は確認できないが、視線の高さからして、身長も縮んでいるようだ。

その時だった。視界の端に、半透明のウィンドウが音もなくポップアップした。


【現在地:未定義領域アンノウン・エリア】【魔力残量:100%】【生体ステータス:正常(最適化済み)】


「……なんだ、これは?」


私が視線を動かすと、ウィンドウもそれに追従して動く。AR(拡張現実)グラスをかけているわけではない。網膜、いや、脳の視覚野に直接投影されているかのような鮮明さだ。デザインは洗練されており、無駄な装飾を削ぎ落としたフラットデザイン。私が好んでいたUIユーザーインターフェースそのものだった。


『おはようございます、藤堂創』


脳内に、あの声が響いた。最期に聞いた、艶のある女性の声。


「エコーか?」


『肯定。ハードウェアの再構築、完了しました。現状、システムおよび思考領域に異常は見られません』


私は深く息を吐き出し、肺いっぱいに異界の空気を取り込んだ。酸素濃度が濃い気がする。頭が冴え渡り、思考のノイズが一切ない。


「死後の世界にしては、解像度が高すぎるな」


私は近くの水たまりを覗き込んだ。水面に映ったのは、暗い銀髪の少年だった。少し長めの前髪の奥で、群青色の瞳が理知的な光を宿している。それはかつての私、藤堂創の面影を残しつつも、より理想的に「デザイン」された容姿に見えた。


『ここは死後の世界ではありません。座標不明の別次元空間です』


エコーが淡々と告げる。


『あなたの肉体は完全に消滅しました。現在のその体は、現地の魔力素子を用いて私が再構成したアバターです』


「アバター……なるほど。では、今の私は藤堂創であって、藤堂創ではないということか」


『肯定。現地住民との円滑な接触のため、新たな識別コード、つまりこの世界での新たな名前の設定を推奨します』


私は水面に映る銀髪の少年を見つめ直した。新しい世界。新しい肉体。そして、私の頭脳には人類の英知とも呼べるAIが存在している。


「……アルス。アルス・コードウェルだ」


ふと、口をついて出た名前だった。それは息抜きで開発していたプロジェクトコード名の一部であり、ラテン語で「技」「術」「芸術」を意味する言葉の響きを含んでいた。


『登録しました。個体名:アルス・コードウェル。これより、メインプロセスを開始します』


私は立ち上がり、衣服の砂を払った。よく見るといつもの白衣ではなかった。

身につけているのは、白と黒を基調としたシンプルなローブのような服だ。素材は不明だが、肌触りは悪くない。

一歩、足を踏み出す。サクリ、と落ち葉を踏む音が心地よい。周囲を見渡すと、私の視界が次々と情報を書き換えていくのが分かった。

足元の岩に視線を向ける。瞬時に青いタグが表示される。


【名称:花崗岩かこうがん】【硬度:7.0】【用途:建築材、石材】


視線を隣の草花へ移す。


【名称:ヒールグラス】【品質:低】【効能:微量な治癒効果】【成分:アルカロイド系……解析中】


まるで世界そのものに、情報ラベルが貼られているようだ。膨大な情報が雪崩れ込んでくるが、不思議と不快感はない。脳が必要な情報だけを瞬時に選別し、ファイリングしていく感覚。


「エコー、この情報処理はお前の機能か?」


『肯定。視覚情報をリアルタイムで解析し、当該空間のデータベースと照合。不足情報は推論により補完しています』


「推論だって? この植物の成分構造まで瞬時に特定しているのか」


『この空間における大気中に充満しているエネルギー――「魔力」を触媒にすることで、物質の内部スキャンが可能です。以前の演算装置と比較し、処理速度は約一二〇〇倍に向上しています』


一二〇〇倍。私は自分の手のひらを握りしめ、開いた。思考速度が異常に速い理由がわかった。この世界そのものが、巨大な演算装置のようなものなのだ。そして私は、その管理者権限の一部を持っているに等しい。


「素晴らしい……」


研究者としての好奇心が、ふつふつと湧き上がってくる。未知の植物、未知の鉱石、そして未知のエネルギー「魔力」。すべてが研究対象であり、すべてが「素材」だ。


「これなら、この世界でもあらゆるものを解析し、最適化デバッグできるかもしれな――」


そこまで言いかけた時だった。背筋に、冷たいものが走った。殺気、という抽象的なものではない。もっと明確な、生物としての本能が鳴らす警報。


『警告』


エコーが普段より低い音声で告げ、視界の中央に、赤いアラートウィンドウが点滅した。


【敵性生体反応、接近】【方位:前方一〇メートル】【脅威度:B】


「まあ、地元ではないとは感じていたが、友好的な歓迎ということでもなさそうだな」


前方の茂みが、ガサリと大きく揺れた。鳥たちが一斉に飛び立ち、森が静まり返る。

現れたのは、巨大な影だった。体長は三メートルを超えているだろうか。全身を剛毛に覆われた、熊に似た生物。だが、地球のグリズリーとは決定的に違う。その目は血のように赤く輝き、口からは絶え間なく粘液を垂れ流している。吐き出される息からは、うっすら腐敗臭が漂っていた。


【個体名:グリズリーベア(変異種)】【状態:興奮】【推奨行動:回避または排除】


通常の人間なら、恐怖で腰を抜かす場面かもしれない。あるいは、パニックに陥って背中を見せ、即座に捕食されるのがオチだろう。

だが、私は冷静だった。いや、冷静すぎるほどだった。恐怖を感じるよりも先に、視界に表示された情報が、私の脳を「戦闘モード」へと切り替えていたのだ。

グリズリーが咆哮(ほうこう)を上げ、地面を蹴る。その巨体が、信じられない速度で迫ってくる。目の前に来ると、丸太のような腕が振り上げられ、鋭利な爪が私の首を狙って振り下ろされた。

しかし――私には、その軌道が見えていた。

視界の中で、グリズリーの筋肉の収縮、重心の移動、地面の踏み込み具合から予測された「攻撃ライン」が、赤い線として描画されている。私は半歩、左にずれただけだった。


ブンッ!


風切り音と共に、爪が私の横を通り過ぎる。一瞬前まで私の頭があった空間を、凶器が通り過ぎた。


「遅いな」


私は呟く。体感時間が引き伸ばされているせいで、グリズリーの動きがコマ送りのように見える。


『対象のスキ、確認。魔法攻撃による排除を提案します』


エコーが冷徹に告げる。同時に、私の目の前に新たなウィンドウが展開された。そこには、複雑な数式と幾何学模様が並んでいる。この世界の魔法使いが何年もかけて習得するであろう「魔法式」(かどうかはよくわからん)が、私の脳内では瞬時にプログラミングされていた。


「承認する。……さあ、概念コンセプトを具現化する時間だ」


私は右手を、グリズリーの胸元に向けた。詠唱はいらない。杖もいらない。必要なのは、正確なイメージと、それを実行する論理ロジックだけ。


魔力充填じゅうてん。圧縮率、最大』


(てのひら)の先に、青白い光が収束する。それは魔法というより、高出力のレーザー発振器がチャージするような輝きに似ていた。


「出力調整……誤差修正……ファイア」


ドォォォォォンッ!!


轟音と共に、一筋の閃光が放たれた。それはグリズリーの胸板を易々と貫通し、背後の巨木ごと吹き飛ばした。断末魔の叫びすら上げる暇もなく、巨獣の上半身が蒸発して消滅する。

残された下半身が、ズシンと音を立てて崩れ落ちた。立ち昇る煙と、焼き焦げた肉の臭い。私は、煙を上げる自分の(てのひら)の先を見つめ、静かに息を吐いた。


【脅威の完全排除完了。周囲に適正反応なし】


淡白なログが流れる。私は口角を上がるのを感じ、まだ見ぬ世界の広がりを予感して独り言をもらした。


「チュートリアルにしては、あっけなかったな」


その時だった。遠くから、また別の悲鳴が聞こえたのは。今度は獣の声ではない。明らかに人間の、それも少女の声だった。


『アルス。三時方向、距離二〇〇メートルにて魔力反応および複数の生体反応を探知。戦闘状態にあると推測』


「やれやれ……。休む暇もなしか」


私はローブの(すそ)(ひるがえ)すと、森を駆けた。

この世界には、修正すべきバグが多そうだ。


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