全国共通テスト当日
冬の空は晴れわたっていたが、誰の心にも重く張り詰めた空気があった。
「…寒いなぁ~。俺、今日、生きて帰れるかな」
試験会場の入り口で、ミナトが半ば本気、半ば冗談でつぶやいた。ニット帽をかぶった彼は、手袋の中の指先をこすり合わせながら、肩をすくめていた。
「試験で死ぬ人はいません。というか、生きて帰らないと結果も見れないでしょう?」
すかさずツバサが返す。ロングのストレートヘアを一つにまとめた彼女は、マフラーをしっかりと巻き、表情を引き締めていた。
「ツバサ、緊張してる? ちょっとピリピリしてる感じ~」
サクラがくすっと笑う。ふわっとしたカールの髪に、淡いピンクのニット。見た目どおりの天然さで、まるで試験の重さを感じていないようだ。
「ツバサは緊張してると余計にロジカルになるから、わかりやすいよ」
カナデがスマホを見ながら呟いた。髪はおろしたまま、無造作に前髪を流している。視線は画面から逸れないが、周囲の会話はちゃんと聞いている。
「……ミナト、お前ほんとに真剣で取り組むんだよ」
ツバサがミナトに脳天気はなしと伝えた。
「いやいや、俺だって本気出せばスゴいから。今からスイッチ入れるから」
「“今から”の時点でもうダメだと思う」
ツバサが即答した。
「ははっ、でもミナトらしいよね~」
サクラがふわりと笑った。ミナトもその笑顔に少しだけ救われたように感じた。
「……それぞれの『勝負』が始まる、ってことね」
カナデがスマホをしまいながら言った。「じゃ、そろそろ時間」
ーーーー
試験会場に向かう足取りはそれぞれに違っていた。
ツバサは、朝から数回も心の中で計画を唱え直していた。「国語90分、45分で評論・小説、残りで古文漢文。数学ⅠAは図形で躓かない、ⅡBは数列優先」…けれど、その合理性の裏に、どうしても消せない気持ちがあった。ミナトへの、曖昧な恋心。認めたらバランスが崩れる気がして、ずっと意識しないふりをしていた。でも、今朝ふとした仕草を見て、胸がちくりと痛んだ。
カナデは、傍らのツバサを一瞬だけ見た。「やっぱり緊張してるな」――それを観察するのが、彼女の“裏の目的”だった。自分の受験ももちろん大事。でも、それ以上にツバサの“揺らぎ”を見ることに意味があると信じていた。自分の気持ち? それはまだ、未定義のままで良い。
サクラは、試験のことよりも、「昼ごはん、カフェのチーズカレーパンにしようかな」などと考えていた。けれど、彼女もまた、笑顔の裏に一つの願いを秘めていた。みんなが笑って春を迎えられたら、それでいい。だから今日だけは、頑張る。
ミナトは、そんなそれぞれの気持ちを、きっとどこかで感じながらも――呑気に言った。
「よーし! 今日こそ俺は覚醒する! 世界は俺の答案用紙を見て震えるぞ!」
「……はいはい、まずは名前を書いてからね」
ツバサの冷静なツッコミが返ってくる。
ーーーー
試験本番。
鉛筆の音が、静寂の中で響いていた。
ミナトも、最初の10分は集中していた。国語の評論文のテーマは、「情報化社会におけるアイデンティティ」
「うわっ、むずっ…」そう思いつつも、なんとか読み進める。
けれど――20分が過ぎたあたりで、ミナトの脳内に、唐突な妄想が訪れた。
「俺が…近未来の宇宙探査チームの隊長で、ロボ犬と共に木星を目指す話…っていうか映画化したら誰に主演やってもらおうかな…あ、でも俺がやった方がリアルかな…」
気づけば、目は答案用紙の設問を追っているけれど、頭は遥か彼方を飛んでいた。
そして――時計が、終了10分前を告げるチャイムを鳴らした。
「えっ、えっ!? うそ、もう!?」
焦って戻るミナト。しかし、すでに解答欄のいくつかは空白。評論と小説はやった。古文は…どこ?
「やべえ……まただ……」
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試験終了後
「お疲れー……って、ミナト、顔色ヤバすぎるよー」
試験会場を出たサクラが、ミナトの青ざめた顔を見て笑う。
「……ふっ、俺は、またひとつ伝説を作ってしまったようだ」
ミナトが遠い目をしてつぶやく。
「でもさ、やっぱ妄想するってことは、まだどこかで現実逃避してるんだよね」
ツバサがぽつりとつぶやいた。誰に向けた言葉でもないようで、でもどこか、ミナトに届くような声音だった。
「私は…ちゃんとやったよ。けど、合格できるかどうかはまだわかんない」
カナデが珍しく弱音を漏らす。それに、サクラがすっと手を握った。
「だいじょーぶだよ! 春になったら、またみんなでお花見しようよ。チーズカレーパン持ってさ!」
「…それは、お昼にも言ってたね」
ツバサが思わずくすっと笑った。
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結果発表。
冷たい風の中にも、少しずつ春の匂いが混じり始めた頃。
模試の結果はスマホで見れるようになっている。
「全国共通テスト 最終判定・個人成績(自己採点ベース)」
緊張と期待と、ほんの少しの諦めが混じった空気がそこにあった。
「……あった。俺の番号」
そして、その隣に書かれた文字。
<D判定>
「……あっぶねぇ、Eじゃなかった……」
どこかホッとしたような、でもやっぱり悔しいような、そんな表情でミナトは肩を落とした。
「ミナト、まあ……生還はしたな」
ツバサが少しだけ笑って、隣に立った。
彼女の成績は――<B判定>
志望校合格ラインには、届きそうで、まだ遠い。
「あともうちょっと、って感じか。ま、想定内」
そう言いながらも、手はぎゅっとプリントを握っていた。
「私はAだったよ」
カナデは無表情で言ったが、その背筋はどこか緩んでいた。
「たぶん大丈夫。でも、最後まで油断しない」
「私ね~、Dだった~」
サクラはにこにこしながら言う。
「けどさ、先生に言われたんだ。最後のひと踏ん張りが春を決めるって。だから、やるだけやる~」
「サクラ、ほんとポジティブでずるいわ……」
ミナトが思わず笑って、空を見上げる。空はまだ冬の色を残していたけれど、遠くで鳥がさえずり始めていた。
「……ラストスパートだね」
ツバサの声に、みんなが静かにうなずいた。
「よし、みんなで合格して――春、迎えような」
ミナトの言葉に、誰も冗談だとは言わなかった。
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そして、春へ
それぞれの心に、それぞれの温度で、「本番」へのカウントダウンが始まっていた。
まだ合格は見えない。でも――
「今度こそ、覚醒してみせる」
そう呟いたミナトの目に、少しだけ、本気の色が宿っていた。




