第15話
婀娜やかな女だった。声には不機嫌さが滲み出て居た。未だ怒りは収って居ないらしい。然う言われた船員は一瞬丈視線を下に向けた後、真っ直ぐに目を向けて一気呵成に喋り出した。
「知って居たと云うよりつい最近、漸く知ったと云った方が適切ですよ。此の町に居た頃は大して疑問に思って居なかったんですがね、でも先刻も言った通り長い航海で物の見方が変ったんでしょう。暫く前迄は気にも留めなかった種々の事柄が妙に気に為る様に為って了ったんですよ。貴方達旅人も然うです。以前はね、旅人は何時の間にか居なくなって居たんですよ。其れが当り前だと思って居たんです。でもね、僕等は気附いて了ったんです。行商人ですよ。行商人が来ると旅人は居なくなるんです。其れで十箇月前に来た旅人――ああ然う然う、彼等、旅人が来たのは三年前だって言って居ませんでしたか? 彼等は憶えて居ないんですよ、忘れて居るんです。だから取敢えず旅人が来たら、前に来たのは三年前だと答えるんです――其の旅人を船に招待したんですよ。で、一切合切話して了ったんです。其の旅人は暫くは信じようとしませんでした。だから船の連中でこっそりと後を附けたんです。そして分った事が一つ。行商人が来ると同時に旅人は海猫に変って了ったんです。何うやら男は海猫、女は猫に為るみたいですね。其れで次に来た旅人――半年前に為ります――にも僕等が見た事を全部話したんです。信じられないかも知れないけれど信じて欲しいと云う具合に。然うしたら其の旅人は僕等を信用して呉れたんです。彼は『其の猫と海猫を実際に見たい』と言うので連れて来たんです。僕等に懐いて了ったので世話して居たんですよ。彼は先刻貴方が遣った様な事をしてから、斯う言ったんです。『成程。慥かに人間の情報が取得される。でも遅過ぎた。もっと早くに調べなければ元に戻せまい』と……。其の旅人はさっさと此の町から出て行きました、当然ですがね。三箇月前にも旅人が来ました。彼女――女性の旅人でした――も僕等の所に遣って来たんです、猫を連れて。仲間を捜して居ると云うので、其の猫を調べて見て下さいと言ったんです。そしたら案の定ですよ。言わなくても分るでしょう? 彼女達もさっさと町から出て行きました。……之は僕等が帰港して居た時の話です。僕等は正直に言って町の者達とは関り合いに為りたくありませんから、町に新しい旅人が来たか何うか凡てを確認して居る訣では無いんです。若しかしたら僕等が居ない間に旅人が来て居て、海猫や猫が一羽一匹増えて居る可能性だって有るんです。然う云う意味では貴方達は非常に幸運だったと言えるのでしょうね。偶然僕等と出会えたんですから。僕等も出来る丈帰って来る様にはして居ますけどね、魚介類許りじゃ飽きますし……。其れでも一箇月くらい帰らない事が有るんですよ。町の人と会いたくないから。でも貴方は僕等に会えた……本当に幸運ですよ。其れから改めて忠告もして置きます。急いで町から出た方が好いですよ。何故かって? 決って居るでしょう。行商人が何時来るか分らないからですよ。彼等、行商人が来るのは四、五日後とか言って居ませんでしたか? 駄目ですよ、信じちゃ。嘘なんですから。判切言って町を出て十年以上経つ僕等には――ああ然うだ、彼等、僕等の事を十年も帰らないとかって言ってませんでしたか? 彼等に取って、昔と云うのは十年前を指すんですよ。多分二十年三十年経っても十年以上って言い続けるでしょうね。まぁ兎も角十年も居ないと分るんですよ――違和感が有るんです。子供の頃は気にして居ませんでしたが行商人は食べ物が減って来ると現れるんです、唐突に。未だ食料庫に行って居ないからどの位減って居るかは分りませんがね。でも一定量以下に為ったら来ますよ。決して週に一度とか、定期的に来る訣では無い。此の町は時間感覚が狂って居る所が有りますからね。然うなんですよ。彼等自身に悪意が有る訣では無いんです。無関心な丈なんです、時の流れに対して。まぁ時間に限らず他の凡ての事に就いてですがね、興味が無いのは。僕等もね、此の町を出て行こうかと思った事が有りますよ。旅人に附いて行って、何とか為らないかとね。考えましたよ。でも矢っ張り此の町から離れられないと云うか、何だかんだ言って見捨てられないんですよ。僕等の様な人間も毎年少し丈ですが出て来ますからね。ひょっとすると、何時かは僕等の方が数が多くなるかも知れません。だからまぁ信じて待って居るんです。旅人さん、貴方にも目的が有るんでしょう? 僕等もですよ。何時か、此の不自然な町を疑問に思う人達がもっと沢山出て来るかも知れない。僕等は其れを待って居るんです。現に之迄に新しい町を見附けようと船で航海に出た者達は、皆僕等の所に来て呉れましたからね。遣って見るもんですよ。旅人さんも諦めないで下さい。ああ済みません。無駄話が過ぎましたね。先刻も言いましたけど急いだ方が好いですよ。正直に言って、目の前で二羽と一匹に変身する所を見たくは有りませんから。彼等の事なら大丈夫です。気にしませんよ、黙って突然居なくなっても。だからどうぞ行って下さい。訊きたい事? ああ何うして教えるか何うか迷って居たのかと云う事でしょう? いや、言い訣の仕様も無いんですが。実を言うとですね、一箇月前にも来たんですよ、旅人が。其の人は乱暴と云うか、あの暢気な彼等の気質に余程惹かれて居たと云うか、僕等が親切心で真実を教えた所、怒りを買って了った様で怪我人が……其れで警戒して居たんです。済みません」
話し終えた船員を残して、年若い男は婀娜やかな女と熊の様な大男を連れて舟を漕いだ。
婀娜やかな女が急いで中央に連れて行けと言ったからだ。婀娜やかな女の話に依ると、行商人が来るのがもう直ぐであるかららしい。
舟を漕いで行く途中、年若い男は婀娜やかな女に何度も何度も謝罪する破目に陥った。
曰く、あれ丈他の動物と違って居るのに気附かないなんて信じられない。
曰く、力を使おうとする度に気附いて貰おうと努力して居たのに……云々。
文句を言われる毎に平謝りをして居た。故に舟は遅々として前に進まなかった。見兼ねた大男が「代ろうか?」と櫂を渡すよう促したが婀娜やかな女が止めた。
激怒しているらしく、代る必要は無い、此奴に最後迄遣らせる。然う言って聞かなかった。
だが、時間が無いんだろう? と大男は食い下がったが、其れでも婀娜やかな女は交代する事を許可しなかった。
舟が十七階建てに着いた時、既に太陽は中天に達して居た。婀娜やかな女は西側の船着き場に移動する様に言った。
指示通りに西側に着けようとすると今度は脚を蹴られた。何の積もりかと問うと移動しろと言った丈で有って、舟を停めろとは言って居ないと断じた。
其の後は婀娜やかな女の操り人形と化した。癪と云えば癪だったが此の状況を打破出来るのが婀娜やかな女一人である以上、歯向うに歯向えなかった。
婀娜やかな女は距離を離して十七階建ての方に舟を向けろと言った。言われた通りに年若い男は舟を動かした。
婀娜やかな女は丁度好い位置に来たら合図するから舟を其処で停止させろと更に指示を飛ばす。年若い男は舟を微妙に移動させて行く。
中々思った様な位置に停まらないらしく、婀娜やかな女は彼是と微調整を要求した。
然うして居る内に、之は単に婀娜やかな女の嫌がらせなんでは有るまいか、と云う疑惑が胸の裡に拡がって来た。
然し婀娜やかな女は頗る真剣な様子で指示を出す。婀娜やかな女は巫山戯て居る様子も楽しんで居る様子も無い。
之は何うしても必要なのかと訊こうとした瞬間、婀娜やかな女は鋭く「停めて!」と叫んだ。慌てて舟を静止させる。
婀娜やかな女は水に手を入れて暫くの間、然う遣って凝として居た。やがて水が揺らめき始めて大きな波が発生した。波が有っても舟は全く揺れなかった。
振動の無い舟は徐々に沈んで行き、完全に水の中に這入り込んだ。水の感触は無かった。濡れる事も無かった。水に完全に這入ると同時に水は消えて舟が反転した。引っ繰り返る。
然し光景は先程と何も変って居なかった。目の前には十七階建てが有る。周りに目を向けても沈む前と何も変って居ない。
婀娜やかな女は十七階建てに行くと言って又舟を動かす様に年若い男に要求した。年若い男は従い十七階建ての船着き場に舟を停めた。
「御疲れ」と労いの言葉を掛けてから婀娜やかな女は建物の内部に這入った。
年若い男と大男は顔を見合わせてから後を附いて行った。中に這入ると婀娜やかな女に事情を訊こうとした。が出来なかった。内部には婀娜やかな女の他にも人間が居た。
全身が黒尽くめで顔を隠して居る。見た事の無い人間だった。だが之が行商人だと直観的に思った。果して其の勘は当った。婀娜やかな女が黒尽くめの人間達を行商人と呼んだからだった。
「危なかったねぇ……もう茲迄来て居たとは。後もう少し彼処に居たらあたし等も動物達の仲間入りだったって訣かい」
婀娜やかな女の言葉には答えず行商人達は外へ出て行った。何う云う事かと訊く前に婀娜やかな女は年若い男の質問に回答を寄せた。
「あたしにも原理は好く分らないんだけどさ、彼奴等が町に行くと動物に為るんだ。あたしと違って連中は直ぐに行けるみたいだから、多分もう少し遅かったら間に合わなかっただろうね。茲さ、同じに見えるだろう? でも違うよ。同じじゃない。あの町とは決定的に違う。見た目は似てるけどね。でも全くの別物さ。附いて来な」
然う言って婀娜やかな女は上に向った。階段を登って行く。然うして四階迄来た所で行き止りに為った。
上へ行く為の階段は見当らない。婀娜やかな女は年若い男に調べて見る様に言った。建物の情報を取得して行く。
四階建てだった。十七階建てでは無かった。年若い男は慌てて建物の外へ出る。十七階迄有った。
だが情報として取得して見ると四階迄しか存在して居ないのだった。年若い男は町全体の情報を集めた。町の構図自体は変って居なかった。只、以前の町よりも圧倒的に小さかった。
一番高いのは此の十七階建てに見える四階建ての建物。之が中央に有った。其処から一階ずつ低くなって行くのも変らない。
だが一番高いのが四階である為に総じて町全体の面積も狭かった。そして誰も居なかった。猫や海猫と云った動物も居ない。
つい先刻迄居た筈の行商人達も姿を消して居る。戻って来た年若い男を見て、婀娜やかな女は言った。
「違って居ただろう? 完膚無き迄に。先刻あたしが舟を頻りに微調整させて居たのは茲に来る為だったのさ。あんたの能力を使った移動と同じだよ。あれも基本的に特定の地点でしか発動しないだろう? 今回の場合は水を媒介にした物だからね、あんたでも出来たみたいなんだけど、此の場合はあたしが遣った方が好い様な気がしたからさ、然うしたって訣。時間も無かったしね。何うも例のあれ――行商人が来ると動物に為るって云うの――は場所に関係して居るみたいだね。取敢えず町から出て了えば効力を発揮しない限定的な物と見て間違い無いと思うよ。だから町を出て、あの船員の船に同乗して航海しても無力化されるんじゃ無いかとは思うんだけど、あたしの勘も外れる事が有るしね……迂闊な事は出来ないと思ってさ、今回は此方に来る事を選んだ訣よ。まぁ詳しい事はあの子が知ってるだろうから訊いて見れば好いさ」
「と云う事は、出方も分ってるのか?」と言う問いに婀娜やかな女はすんなり答えた。
「勿論さ。あんたにも直ぐに分るよ。四階の部屋に文字通り其の儘な物が有る」
婀娜やかな女は再び自分に附いて来る様に言った。年若い男と大男は従い、黙って附いて行く。
四階迄行き部屋の一室に這入った。円柱が七本有った。其れを見乍ら婀娜やかな女は言った。
「ふふっ、全く同じだろう? あたし等が最初に脱出した時と……基本的にはあの時と同じさ。さ、さっさと行くとしよう。好い加減にしないとあの子に置いて行かれて了うよ」
婀娜やかな女は柱の一本を指差した。言われずとも何をすれば好いのか容易に察する事が出来た。
年若い男が柱に手を附けると、婀娜やかな女と大男が其々《それぞれ》年若い男の右肩と左肩に手を置いた。
「じゃ、頼むよ」
年若い男は分ったと言って頷いた。目を閉じて意識を集中させて行く。
石柱の成分は不明。硬度が高い。破壊自体が不可能。作られた時期も不明。新旧すら定かでない。円柱の直径は凡そ六米。
四階天井から一階床迄伸びて居る。太さは常に一定で変らない。材質も変化しない。凡て同一の石で以て出来て居る。
元々は岩を切り出して作られた物。床と柱は一体化して居る。一階の総面積は一二〇〇平方米。二階三階四階も変らず建物全体の面積は四八〇〇平方米。
建物は縦四十米、横三十五米、高さ二十五米の四階建て。天井・壁・窓・床の材質は分析不能。
只、柱と同じく容易に破壊出来る物で無い事は慥かだった。屋上が有る。扉は施錠されて居り、出る事は出来ない。
建物の窓は凡て閉められ鍵が掛って居る。一階の入口とも言うべき場所の扉は開いて居た。外は中庭の様に為って居る。
其処には三〇〇人の人間が集まって居た。周りは壁で囲まれ外部は見えない。又、予想通り外部の情報を集めようとしても全く叶わなかった。
一階には舞台が有る。然程大きくは無い壇上。其処に少年が居た。黒服を着た少年。あの少年だ。間違い無い。少年は舞台の上から斯う言った。
「待って居たよ。君達なら来て呉れると信じて居たよ」
年若い男は静かに瞳を開けて、予期して居た通りの光景を見た。眼前の少年は言う。
「さて、其れじゃ其方の二人には案内を頼もうかな。其の扉の前で待って居る三〇〇人の精鋭達を連れて来て呉れ。演説は君が遣って呉れるよね。僕は直ぐに脱出出来る様に陣を描いて置くから。取敢えず君の婚約者の居るあの水の町で好いだろう?」
「其の前に、出来る事なら説明して貰えると助かるのだが?」
年若い男の言葉に、少年は意外そうな顔をした。
「然うかい? でも然うは言っても、もう粗方の事は把握して居るんだろう? 態々《わざわざ》僕が説明する迄も無い様な気がするけれど……何うしても君は僕の口から状況を説明して欲しいと言うのかい?」
年若い男は頷いた。少年は細く長く息を吐いた。
「然うだねぇ……取敢えず、質問に答えるのは無理だよ。僕も好く分って居ないから。其れに状況を説明しろと言われてもね……。扉の外で待って居る三〇〇人は新しく〈円環〉を歩む事に為る新人さ。僕等は茲で〈円環〉を脱出する様に促す役目を負って居るとしか言えないな。僕も最初に斯うなった時は驚いたよ。でも茲の、建物の中に這入った時点でもう駄目なんだ。彼等を招き入れなければ脱出する事も出来ない。進む事が出来なくなって了うんだ。彼等を招き入れるしか手が無い。そして、君達も知っての通り一度建物に這入ったら、もう〈円環〉を突き進むしか無い。何より彼等自身、〈円環〉からの脱出を願って茲に遣って来て居る。である以上、僕等には〈円環〉から脱出する様に促す義務が有る。其れにね、何度来ても茲に辿り着いて了うんだ。何う云う経路を選んだ上で遣って来ようが最終的には開始地点に戻って来る。其れ丈なら好いけどね、其処には何故か新しい脱出者が三〇〇人も待って居るんだ。然うして彼等も参加する。そして其の中の幾人かは君達と同じ様に――自力だろうと他者の力を借りてだろうとそんな事には関係無く――茲に戻って来るのさ。其処には必ず三〇〇人の新人が居て、其の新人も何時かは……分るかい? 永久に繰り返し続けるんだ。終りが無い。之こそが〈円環〉だよ。茲からの脱出こそが我等参加者全員の悲願。然うだろう? 尤も、脱出を諦めて、気に入った世界で暮し始めて了う者も多い様だけどね。君達は未だ諦める気は無いのだろう?」
「茲から新人を無視して行っちまうってのは何うだ?」
大男が口を挟んだ。
「其処の扉は開いて居るだろ? で、外に通じて居る筈だ。だから其の儘――」
「無理だよ」と大男の言葉を遮って少年は言った。
「周りは高い高い壁で囲まれて居る。登れないし壊す事も出来ない。勿論、茲へ来た時に使った様な移動術も無理だ。発動しないんだよ、何う云う訣か。発動させるには彼等を茲に連れて来て、例の演説を行うしか無い。演説の後でなら何の支障も無く使えるんだ」
「詳しいな」と年若い男が言うと少年は苦笑した。
「そりゃね……何回も何回も繰り返し繰り返し、味わい続けて居れば嫌でも詳しく為らざるを得ないよ。僕はもう何度も茲に戻って来て居るんだ。戻って来て居るのに出られずに居る。何時来ても茲は変らないよ。三〇〇人の人間が案内を待って居て、然うして演説を行うんだ。其れの繰り返しさ。何う云う経路だろうと茲に辿り着き、其の度に僕は犠牲者を増やして居る……。だから、其れ丈の犠牲を払ったんだから、僕は絶対に茲から出なくちゃ行けないんだよ」
婀娜やかな女が不意に歩き出した。大男に目を向けて「行くよ」と言った。大男は慌てて附いて行く。二人は唯一の入口に向ってゆっくりと歩いて行った。
年若い男と少年も舞台の袖の方に歩いて行った。然うして客席からは見えない位置に円を描いた。四人が楽に這入れる程度の大きさの物を。
「直ぐに用意して置く必要は有るのか? 別に後でも好い気がするが……」
「駄目だよ。基本的に演説を行う迄は予定調和だけど、其処から先は状況に依って変るんだ。前に一回新人に捕まっちゃって豪い目に有ってね。だから予め用意して置く。新人達が茲に這入って来たら、僕が舞台袖から二人を呼ぶから演説が終ったら直ぐに茲に来て脱出。細かな作戦会議とかは其の後……」
「君は本当に〈円環〉から出られると思って居るのか?」
年若い男は一番気に為って居る事を訊いた。
少年は黙って作業をし、最後に水の這入った小瓶を置いて準備を終えた。其れから徐に男に視線を向けた。力強い瞳が目に映る。
「出られるさ、必ず。絶対に出られる。僕が未だ探索して居ない場所だって有るんだ。其れに脱出の鍵は若しかしたら特定の経路を使った上で茲に戻って来る事かも知れない。或いは時間制限が有るのかも知れない。未だ未だ試して居ない事は沢山有るんだ。諦めるのは其れからだよ」
「成程、其れは又遣り甲斐が有りそうだ」と年若い男は言った。
耳にざわめきが聞えた。と同時に扉が閉まる音が聞えた。婀娜やかな女と大男が遣って来て言った。
「案内したら扉が勝手に閉まったよ。出られないのも事実らしい。なぁ姐さん?」
「此奴に新人の案内を任せて、其の隙に一往出口を探して見たんだけど何処にも無いよ。あたしの勘でも茲からは出られないって言ってるし、矢っ張り演説する以外に選択肢は無いみたいだね」
「それじゃ……」と少年は年若い男を促した。
「出来る丈、旨く遣って見せよう」と年若い男は言った。
然うして歩き出す。舞台の中心へと。男が姿を現すと会場は静まり返った。一度、目を動かして舞台袖を見る。三人は頷いた。決して気取られない様に静かに深呼吸をする。
腹に力を込めて壇上の男は言った。
「諸君! 我々は〈円環〉の中に居る!」(了)