無名者の葬儀 ⑥
「来たのか、オース将軍。」
書斎に足を踏み入れた瞬間、部屋の奥からオースが忌み嫌う声が響いた。
愛乃の葬儀の悲しみから未だ立ち直れていないせいか、その声に対する嫌悪感がますます募る。
「最近の生活は、さぞ快適に過ごされているのだろう?」
穏やかでありながらも、策略に満ちた声。
しかしオースは、そこに露骨な敵意を感じ取った。
「カリ将軍、無意味な話をするつもりがないなら、手短に用件を言ってもらおうか。今日は雑談のために呼ばれたわけではないはずだが?」
「さすが吸血鬼といったところか、人の心を見透かす力は相変わらず魅力的だな。」
「何度も言っているが、吸血鬼に人の心を読む力などない。」
言葉の応酬を交わしながら、オースは対面のベルベットの椅子に腰を下ろす。
その向かいには、彼が心底嫌悪し、協力を避けたいと思うグランデ帝国軍の「右将軍」──タンリル・カリがいた。
わずかに肥満した体を、豪華な絹のローブで覆い、整えられた顔立ちは清潔感が漂っているものの、吊り上がった目は見つめる相手に不快感を与える。
カリは実戦に赴くことが少なく、もっぱら後方で戦術や戦略の立案に従事していた。
数々の戦場を駆け抜け、陰の仕事も引き受けて「グランデ帝国左将軍」の地位に就いた自分とは異なり、目の前のカリは、帝国の命運を左右するような不可解な戦争で手段不明ながらも局勢を一変させ、自身と並ぶ帝国軍の指揮権を得ていた。
そのため、カリは帝国軍の下層兵士からの支持を得られていない。
だが、カリ自身は兵士たちの評価を気にする様子もない。
帝国とエール共和国の間で、彼が策謀を巡らせて展開している国境戦略威圧が、両国の大型国境戦争を数年間も防いでいることが確かな事実だ。
仕事の上での関わりだけであれば、オースもカリの存在にそれほど不快感を覚えなかっただろう。
「オース将軍について、ちょっとした話を耳にしたのでな。」
そう言いながら、カリは狡猾な笑みを浮かべる。
平静を装いつつも、オースは何か不穏な気配を感じずにはいられなかった。
「今日は君の名誉のために、わざわざここに招いたのだ。」
「回りくどいことはやめてくれ、カリ将軍。直接言ってくれ。」
オースは、遠回しで率直さに欠ける話し方が苦手で、カリはまさにその話術の名手だった。
「慌てるな……君がこれから聞くのは、私からのちょっとしたお願いにすぎない。」
にこやかに見上げるカリの丸みを帯びた顔は、一見すると恐ろしさとは無縁だが、その笑みには不気味なものがあった。
カリと視線を合わせるのを避けるため、オースは部屋の調度品に目を向けた。
書棚には埃をかぶった本が並んでおり、長い間手に取られていない様子だった。
揺らめく薄暗い蝋燭の光に照らされ、古典的な趣を持つ肖像画も不気味に見える。
「……もしもまだ話がまとまっていないなら、改めてお邪魔するが、カリ将軍?」
「そんなことはない。既に決めている。ただ、どう伝えるかを考えていたのだ。」
オースに対する敬意を装いつつも、カリの口調は明らかに威圧的な意図を含んでいた。
「君には、永遠にグランデ帝国から去ってもらいたいのだ。」
「私が……グランデ帝国を去れ、だと?」
カリの要求にオースは嘲笑するように微笑んだ。
カリが何かしらの弱点を握っているとしても、そんな理不尽な要求に従うつもりはなかった。
「カリ将軍が、私にとって不利な情報を掴んでいるにしても、そのような権利があるとは思えませんが?」
「ビナールでは最近、奇妙な失踪事件が続発している……この数日だけで十数件だ。」
カリは事件調査の資料をオースの前に突きつけ、冷笑を浮かべる。
「私がビナールを離れていた間に、そんな奇妙な失踪事件が起きていたとは……」
愛乃を伴ってアンメンへ向かう前に、夜間の警備を強化するよう帝都守備隊隊長に指示しておいたが、わずか数日でこれほどの事件が続発するとは驚きだった。
「そして、君が夜間巡回を指示した守備隊隊長は、一昨夜から行方不明だ。」
「まさか……」
隊長まで失踪したという報せに、オースは信じられない表情を浮かべた。
——あの男まで……
守備隊の隊長は、自分が非常に嫌いなタイプの人間ではあるが、魔術師による殺人事件を扱う際には、彼は非常に頼りになる存在だと言える。
なにしろ、彼の体内には常人をはるかに凌ぐ魔法への抵抗力が備わっており、普通の魔術師であれば、あの男に出くわした瞬間におとなしく降伏せざるを得ないのだ。
もしあの男ですら連続失踪事件に巻き込まれ、行方不明になっているのなら、今回の事件は普通の魔術師が犯すものではないのは明白だった。
「この件については、私が戻り次第、すぐに犯人の追跡を開始するよう手配いたします。現場に残る魔力の痕跡を辿れば、犯人の所在を特定するのは容易いでしょう……」
「それは君の出る幕ではない……それよりも、今の君にとって本当に大切なのは自分自身のことじゃないのか?」
カリの顔に浮かぶ奇妙な笑みを見て、オースは胸中に渦巻く強まっていく違和感の正体に気付き始めた。
なぜカリは、自分が外出していた間に発生したビナルでの失踪事件をことあるごとに自分への脅しに使いながらも、自分が戻った後に犯人の追跡を始めると言った瞬間、それを阻止しようとするのか?
カリからの呼び出しが業務の相談のはずが、彼には問題を解決しようとする意志が全く感じられない。
むしろ、彼の言葉には常に押さえつけるような圧があったのだ。
すべての疑問と違和感は、オースの脳裏に浮かぶ荒唐無稽とも言える可能性へとつながっていった。
「まさか……あの失踪事件は全てお前が……」
「君が匿っているあのメードが、かつて陛下を暗殺しようとしていた暗殺者だという事実……もしこれが明るみに出れば、我が帝国軍の上層部は相当に面倒なことになるだろうな」
カリは実に穏やかな口調で、オースですら全く知らなかった事実を告げたが、彼自身はそれが重大なことだとは全く思っていないようだった。
だが、この真偽の定かでない話を耳にした時点で、オースは冷や汗が滲み出ているのを感じていた。
当時、アンリリズを救い出した際には特に深く考えなかったものの、今こうして振り返ってみると、彼女には確かに多くの謎があったことに思い至った。
だが同時に困惑したのは、カリがなぜそんな奇妙な情報を知っているのかという点だった。
――アンリリズを救出した時、周囲には確かにグラン帝国の暗殺部隊の死体が散乱していた……
オースの脳裏に当時の光景が再び蘇り、謎として放置していたすべてが、今、目の前のカリの言葉と完璧に結びついていくかのように感じられた。
だが、オースはその問題点に気付いたが、ただ無力に頭を垂れることしかできなかった。
彼の唇は強く噛み締められ、急激な圧力のせいで血が滲み出ていた。
今の自分は、カリと対等に反抗する立場にはいないのだ。
たしかに自分は左将軍の肩書を持ってはいるが、実際の軍権はすでにほぼカリの手中に収まってしまっていた。
上層部と密かに結託し、軍内に耳目を配し……
もし宮廷で対峙することになったとしても、自分は孤立無援の身に過ぎないのだ。
絶対的な権力の圧力に直面した時、自分に忠誠を誓っていた兵士たちも生き延びるためには息を潜めるしかない。
その選択を責めることはできないと、オースは理解していた。
カリの陰謀に気付いた自分は、まさにカリの罠にはまり、必然的に【異端者】としてグラン帝国から追放されることになるのだ。
それは自分だけではない。かつて自分と関わりを持った人々もまた――
カリの言葉に従わずに残ろうとすれば、冷酷な手段を厭わないカリが、自分と関係する者たちにどんな残虐な手を下すか、考えるまでもなく、オースには一目瞭然だった。
オースが自分の言葉に揺さぶられていることを察知したカリは、ますます顔を歪め、残酷な笑みを浮かべた。
彼は立ち上がり、目の前にいるこの異郷から来た【外来者】を見下ろし、最後の通告を突きつけた。
「もしあの女をビナルで再び死なせたくないのであれば、素直に彼女を連れてグラン帝国から出て行くことだ」
「……承知しました。以降のグラン帝国の軍務は、貴殿にお任せいたします」
彼らを守るためならば……
オースは怒りを必死に堪え、恭しく頭を垂れるしかなかった




