迷える少女⑤
帝都ビナルの中心にある貴族の屋敷の一つ。
天井の高さはおよそ三メートル。その中央には、魔導力で駆動する豪華な円形の水晶シャンデリアが、ほのかな赤みを帯びた柔らかな光を放っていた。
四角い部屋の左右の壁には、約二メートルの高さ、一メートルの幅の本棚が左右対称に八つ並んでいる。
そこには魔法研究に関する書物が整然と並び、さらにはイリル大陸各地の地図が記録されたファイルも含まれている。
正面の壁には、血色の悪い貴族の肖像画が中央に掛かっており、その両側にある大きなフルレングスの窓は、厚いシルクのカーテンで完全に覆われ、わずかな日差しさえも通さない。
床には赤いビロードの絨毯が敷かれており、掃除が行き届いて一片の埃もない。
肖像画の下に置かれた山積みの書類に覆われた執務机は、この広々とした部屋の中ではいささか小さく見えた。
机のすぐ前には、三角形に配置された三つの二人掛けソファが置かれているが、普段はこの書斎に人が来ることはほとんどないため、これらのソファは装飾として存在しているかのようだ。
「オース様、お茶菓子の用意ができました。アンダール公爵様が応接室でお待ちです。」
書斎の扉をそっと閉じた後、メイド服を身にまとった少女が執務机の傍に立ち、巨大な鏡の前に立つ貴族に向かって恭しく一礼し、淡々とした抑揚のない声で報告した。
彼女の視線の先にいる貴族は、後ろ姿だけでも彼の乱れた銀灰色の短髪が目を引く。
鏡に映ったその姿——オースという名の貴族は、眉をひそめ、年齢に似合わぬ落ち着きを見せる顔つきだった。
蒼白で痩せた顔は、薄暗い光の中で冷ややかで威圧的な雰囲気を漂わせている。
彼の瞳は血で満たされているかのように鮮紅であり、その深紅の瞳孔には何とも言えぬ空虚さが宿っていた。
フェンリル山脈の魔狼の皮で作られたマントを羽織っているが、その下には淡い灰色のスーツをきちんと着こなしている。
王国の国王と呼ばれてもおかしくないほどの威厳を持つ彼だが、この広い部屋の調度品には無頓着な様子が伺えた。
鏡の前の絨毯は、彼が長時間立ち尽くしていたために、微妙な凹凸ができていた。
少女の報告内容にはすでに予想がついていたようで、オースは鏡に映る自分を見つめながらしばし黙考し、その後、ゆっくりと執務机の方へと歩み寄った。
オースが彼女に向かって歩み始めると、少女は緊張してひそかに唾を飲み込み、次の指示に備えるように息を殺した。
その少女の美貌は、イリル大陸でも絶世と称されるほどであった。
滑らかな火紅色の長髪は白いリボンで結ばれ、頭にはレースで飾られたメイドのカチューシャをつけている。
妖精のような美しい容貌は、見る者すべての男性を瞬時に魅了する。
しかし、彼女もオース同様に血色が悪く、冷たく無表情な表情が、その美しさに冷ややかさを加えていた。
斜めに下ろされた前髪が血紅色の瞳の一部を隠し、その目には心の動揺を隠すかのような平静が漂っている。
淡いピンクの唇は、咲き始めのピンクのバラのつぼみのようであり、その唇の下から覗く小さな尖った牙が、彼女に危険な美しさを与えていた。
白い襟付きのワンピースにフリルのエプロンを重ね、短いスカートの裾と黒いガーターストッキングの間には、20センチ足らずの肌が露出していた。
太ももはストッキングの端でしっかりと引き締められており、過剰に肉感的ではなく、美しいラインを見せている。
赤いローヒールの小さな足が外八文字に立ち、呼吸に伴うかすかな震えさえも、その美しさを損なうことはなかった。
冷ややかで無感情な表情は、彼女の美貌をどこか手の届かない存在に感じさせていた。
清純さと可憐さが溶け合い、さらにメイド服によってその魅力は一層引き立てられている。
そこに立つだけで、まるで完璧な彫像のように見えるのだ。
「アンリリズ、しばらく魔力を補充していないだろう?」
「……」
オースから突然の問いかけを受けた彼女の蒼白い頬が、瞬く間に赤く染まった。冷静を装っていたメイドの態度も、一瞬で動揺に変わり、彼女は困惑した様子で口を噤んだ。
オースが言う魔力の補充は、吸血鬼の間ではよく知られた儀式であり、主従間で血液を吸い合う行為を指す。
通常は従者が主に血液を捧げるが、主が従者に血を与える場合もある。
オースの言う補充とは後者のことである。
彼女はオースを至高の存在として崇めていたため、その行為が彼女の心中で描く「オース」のイメージをどこか壊してしまうように感じ、思わず生理的な抵抗を覚えた。
しかし、オースはこの儀式を拒むことを許さなかった。
なぜそうするのか、彼女には説明されたことはなかったが、今回も例外ではないだろう。
オースは決して拒否を許すはずがない。
「その……」
アンリリズは呟いた。魔力を補充する際の光景が脳裏に浮かび、顔が火照るように熱くなった。
「アンリリズにはまだ魔力の補充が必要ないですから……それよりもオース様、どうかお茶菓子をお楽しみください!……え?」
アンリリズが言葉を終える前に、オースが突然彼女の背後に現れた。強烈な圧力が彼女の背中に伝わり、その瞬間、彼女は恐怖に体を震わせた。
「オース様?」
「今の君の体調が普通じゃないことは感じている……なぜ言わない?」
オースの声が彼女の背後から聞こえたが、アンリリズが振り向こうとした瞬間、彼女の体は何かに縛られたように動かなくなった。
「……」
「忘れるな……君は今、眷属として生きている。そのためには、自分の体を大切にしなければならないんだ。」
オースの言葉には、説明しがたい哀愁が滲んでいた。しかし、その感情は一瞬で消え去り、彼女が今まで見たことのないオースの姿に驚きを隠せなかった。
オースが急に見せたその表情には、言葉にできない哀しみが滲んでいた。
しかしそれはほんの一瞬のことだった。
アンリリズは今まで、このようなオースの姿を見たことがなかった。
普段から冷徹で感情を表に出さない彼が、こんなにも哀しげになるとは、過去に何か思い出したのだろうか、と彼女は思いながら、ゆっくりと振り返った
「アンリリズは、決してオース様に逆らうつもりはございません……もし許されるのなら、永遠にオース様のおそばにいたいと、そう願っております」
「ならば……素直に私の言うことを聞くんだ」
オースは腕をアンリリズの前に差し出し、彼女はもはやその要求を拒むことができず、口をわずかに開けて彼の腕に噛みついた。
鋭い牙が皮膚を貫き、血液がアンリリズの口内に染み込んでいく。
強烈な鉄臭さが彼女を吐き気と嘔吐感に襲ったが、長い間続いていた軽い眩暈は次第に消えていった。
ごく……ごく……。
耐え難い吐き気が次第に薄れた時、アンリリズは逆に新鮮な血液を求め始めていた。
口に広がる温かい血液はまるで美酒のように彼女を酔わせ、その味に没頭していった。
理性を超えた本能が体を支配し、冷たかった四肢が次第に温かくなっていく。
そして、その満たされる感覚は彼女を止められないほどに魅了していた。
彼女に大量の血を吸われていたにもかかわらず、オースは全く影響を受けているようには見えなかった。
アンリリズが彼の腕を離された瞬間、力が抜け、彼女はその場に倒れ込んだ。
唇の端には、まだ少量の血が残っていた。
「……これで十分だろう。ちゃんと定期的に『食事』を取らないと、大変なことになるぞ」
血の力が体内に満ちて、もう動けなくなったアンリリズは、まるで猫のように大人しくオースの腕に抱かれた。
そして、柔らかな毛皮のソファにそっと横たえられた。
「……オース様、大丈夫でしょうか?」
彼女は消え入るような声でオースに問いかけた。
しかし今のアンリリズには、体を支える力すら残っていなかった。
「今の程度では、ただのかゆみだ……だが、長い間血を摂取していなかったお前が急にこれだけの量を吸収すると、血の力が充満して反動が来るだろう。おそらく、しばらく眠ることになるな」
動けないまま、アンリリズは小さく頷いたが、もはやオースに返事をする力すら残っていなかった。
ソファに身を預け、彼の姿がぼんやりと視界に残っているだけだった。
「アンリリズ、お前はここ数日よく働いてくれた……ゆっくり休むんだ」
オースの言葉が耳元で聞こえるか聞こえないかというところで、重い眠気が安リリズの意識を押し流していった。
遠ざかるオースの足音が風のように薄れていき、彼女はそのまま深い眠りに落ちていった。
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