少し反応が遅れてしまいました
灰崎家のフローリングに人体が打ち付けられる音が響く中、灰崎芹香は微笑んだ。
「やんちゃだねぇ、やっぱり男の子がいるとはしゃいじゃうんだね」
「いやいや……廻は大丈夫とか言ってたけどよォ、高校生にもなって……」
「それを言うのは来栖君が帰ってからで良いでしょ!」
「……まァ、そうか……」
自分でも少し廻を気にしすぎだという意識がある灰崎徹は渋々了承しながら、しかし階段の方を気にかけていた。
「良い?私はちょっと昼寝するから。ちょっかい出さないでね」
(なんか、脅されてたりしねェよな?あの廻が、あんなモヤシ男と一緒にいる理由がまだ分からねェ。本当にただ仲がいいだけなのかァ……?)
ため息を吐きながら、灰崎徹は立ち上がった。
そう─────その瞬間だった。
悠人は一階のトイレに入り、廻は部屋に戻ったその時─────事件は起きてしまった。
……トイレにて。
「はぁ。全く……やっぱり能力に関しては分からない事だらけだ。……影山の事もあるし、そろそろ四人目の能力者とかいてもおかしくないよな」
とか呟きながら、来栖悠人は己の愚息を握っていた。
「…………クッソ、何だよあのダボダボのスウェット……クソが……」
彼の煩悩は留まることを知らない勢いだった。先刻の灰崎巻希とのトラブルへの劣情を、どうにかして消したい悠人はそれを全て廻への劣情へ変換する事にした。
─────つまり、彼は焦っていた。信頼していた自分の能力の『穴』を見つけた上に、早く煩悩を消し去りたいと急ぎ……注意が散漫になっていた。
だから、トイレの鍵をかけ忘れるという彼の今までの人生の中でもトップクラスの大やらかしをしてしまった。
「……徹ぅ?行くのはやめなって言ったでしょー……」
「違ェよ、ちょっとトイレ行くだけだ」
当然、嘘である。
灰崎徹はリビングから出て、階段の様子を見るが……そこには誰もいない。
「もう部屋に戻ったのか……まァ、暴れ回ってねェなら良しか」
既に目的を達成してしまった彼だが、トイレに行くと言ってしまった以上は建前であろうとも、してきたように芹香に見せなければいけない。
つまり─────ただ立って待っているよりは、本当にトイレに入って時間を潰した方が良いと考えたのだ。
「何も出そうにはねェけど、しゃァない」
ドアノブに手をかける。なぜなら鍵がかかっていないから。
ドアを開ける。なぜなら鍵がかかっていないから。
中には誰もいないはずだった。なぜなら鍵がかかっていないから。
「くっ、先輩……!」
「あ?」
「え?」
そして─────男達は出会ってしまった。
トイレという、その中に二人以上は基本的に存在しないはずの空間で、高校一年生と二人の娘の父親が、遭遇してしまった。
しかも片方は性器を丸出しにしているという、最悪の状況で。
「……あェ?ン?な、なんで……」
目の前に光景に脳が追いつかない。
股間を露出した目の前の高校生を現実だと認められない。
「……あ、あァ!?て、てめェ─────」
そして家のトイレに変質者が現れた事を理解し、『他人の家のトイレで何してやがんだ、この変態がァ!二度と廻に近付くんじゃねェ!』とでも言おうとして徹は大きく口を開けたが……その開口は驚きであんぐりと開いてしまった故の行動へと変わる。
来栖悠人の性器は、あり得ないほどデカかったのだ。
徹自身はもちろん、今まで見てきたいかがわしいビデオ等、あらゆる媒体での男性器を超越した存在。二次元でしかあり得ないような太さと長さがそこに顕現していた。
(このナリで、どんなナニ持ってやがるんだコイツはッ!やはり危険な存在─────)
「落ち着いて聞いてください」
「ッ!?」
信じられない光景だった。
来栖悠人は……さっきまで自身の愚息をしごいていたその両手を、まるで投降するかのように顔の横まで上げたのだ。
「これはあなたの娘さんの……廻さんのせいなんです」
「な、何を言って……」
「考えてみてください。私の身になって。先程私は廻さんに誘惑され、このようにバキバキになってしまいました」
「バキバキになってしまいましたァ!?んで廻のせいにしてんだよ……!」
「その状況でッ!勉強が出来ると思いますか!?私は勉強会に来たんです、ならば……」
「……」
「するしかないじゃないですか」
灰崎徹は畏怖していた。
(何でコイツこんな冷静なんだ????)
来栖悠人にとってはあり得ないほど絶望的な状況なはずが、彼は淡々とあり得ないほど馬鹿げている言い訳を続けていた。
が─────徹が思うほど、悠人は無感動な人間ではない。
(はい終わった終わった終わった終わった終わった終わった終わった終わった終わった終わった終わった終わった終わった終わった終わった終わった終わった終わった終わった終わった終わった終わった終わった終わった終わった)
人生の終わりを悟りながら─────逆に冷静になった脳をフル稼働させ、最後の悪あがきをしているのだから。
「ま、待て……廻が誘惑したって言うけど、どんな風にだよ」
「娘のそういう一面は知らない方が良いのでは?」
「ッ、それはまァ、確かに……だけど、誘惑されたのなら何でオマエはここで……発散しようとしてんだよ」
「……と言うと?」
「その──────廻の誘いに乗ったりとかは、しねェのかって言ってんだよ!!」
もはや徹は自分はなぜ声を荒げているか分からなかった。言っている内容も意味不明だった。
だが、目の前の恐怖すら感じる巨大さの敵に打ち負けないためには、勢いで自身を鼓舞する他無かった。
「うちの娘達はどっちも可愛い。そう思ってんのは親だけじゃないはずだ」
「同意です」
「ならどうして誘惑に乗らないッ!てめェ、廻に恥かかせてんじゃ─────」
「大きければ良いってもんじゃないって言ってたんです」
「え」
「その前に……大きければ良いもんじゃない、みたいな事言われたんです。元カレとはそれが原因で別れた、とか……」
──────信じられないほど冷たい空気がトイレに立ち込める。
「……」
「……」
「……すまん」
「いえ……」
「なら……廻の事を考えた行動だったってワケか」
「それに、私は交際関係を築いた上でそう言った行為をすべきと考えているので、そう……そう言う事です」
悠人は畳み掛けるチャンスだと判断し、徹に訴えた。
「それに、今日は先輩の方から誘ってくれた勉強会なんです!せっかくの機会を、こんな状態で過ごすのは申し訳ないので」
「そうか……」
「そう言う事なんです」
「そう言う事か……」
徹は腕を組み、頭を悩ませ─────頷いた。
「昔の話だ。廻がな、男と一緒に歩いてるところに仕事帰りに偶然出くわして……怒っちまったんだ、こんな夜中まで男とほっつき歩きやがって、って」
(何の話だろう、急に話し始めやがった)
「その男はオレが睨んだだけで逃げてった」
(当たり前だろ、夜中に知らんおっさんに睨まれたらそりゃ逃げるだろ)
「また別の男は、ヘラヘラした態度だったくせにオレが怒鳴った途端に逃げて……廻を置いてった」
(俺も下半身丸出しじゃなきゃ逃げたかったけど)
「後輩クン、オマエには度胸がある。オレってほら、身体がでけェから。怖がられる事も多いんだが、オマエは逃げようともしなかった」
(……それは、間違いなく─────)
『あなたの娘さんの元カレと話して強面の男への耐性がついたからです』とは言えなかった。
「……しませんよ、そんな事」
「─────なら、頼む。廻を一人にしないでやってくれ」
その願いに、悠人は即答した。
「逆ですよ。一人だった俺を、あの人が居場所になってくれたんです。捨てられるとしたら俺の方じゃないですかね」
「─────気に入ったァ!漢気あんじゃねェかオマエ!」
「うごっ」
悠人の両肩をガシッと掴み、徹は笑う。
「そうだよなァ、廻は普通に良い子なんだ。それを分かってねェ奴が馬鹿なだけで……」
「あは、ははは……」
(良い子ではないだろ……)
─────その時、二人は安堵していた。
灰崎徹は娘の理解者がいた事への安堵。
来栖悠人は生き延びることが出来た事への安堵。
故に、気が緩んでいた。
(なァんで部屋戻っちゃったんだろワタシ。来栖クンの自家発電とか邪魔する一択でしょ)
彼女が忍足で二階から降りてきている事に気付けなかった。
(あれ、ドア開いてる。あんな巨砲のくせに意外と早漏ってかァ──────)
彼女がそこに現れるのを、予期出来なかった。
「あァ、認めるぜェ。(廻と仲良くして良い男は)オマエしかいない……!」
「俺なんかで (灰崎先輩が)良いのなら、喜んで……!」
「……は?」
「え?」
「ン?」
トイレの中に広がっていた景色は、愚息を反り立たせる来栖悠人と彼の肩を握る灰崎徹が熱い言葉を交わし合っている、あまりにも異常すぎる状況。
……灰崎廻の脳内に、宇宙が広がった瞬間だった。
 




