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デバッガーではないんですけどね

 灰崎廻はドアを開けた瞬間に、莫大な量のストレスを脳に浴びた。


(ワタシだってそりゃ、家族一緒に過ごしたかったけどさ)


 彼女は家族の事を愛している。母も父も妹も愛している。


 だからこそ、彼らの顔が歪んでいる姿を見たくはなかった。家族イコール吐き気を催す気持ちの悪い存在と自分の脳と目が判断してしまうのが辛かった。だからこそ彼女は家族との関わりを極力減らしていたのだが、今日の遭遇は避けられなかった。


 そして廻は意識を『切り替えた』。


 逆にこの状況を利用出来るのではないか、と。


 ─────来栖悠人という『非日常』を利用して、家族に重なる『日常の波動』を払拭出来ないかと考えた。


(まァ、ダメだったけど)


 来栖悠人の能力が『ラブコメの波動を感じる』能力だと仮定して、廻は父親に『娘を取られたくない父親』という役をさせた。ラブコメにしか登場しない役ではないが、ラブコメではよく見る展開だ。


(ワタシの能力が来栖クンに反応しない理由は、来栖クンの能力が非日常的存在だから。つまり、来栖クンが感じられる『波動が来栖クンとお父さんの間に発生すれば』お父さんの顔がまた見れると思ったけど……ダメだった)


 だが、まだ甘かっただけかもしれない。


 例えばそう─────来栖悠人が気絶するほどに強烈な波動を発生させれば、日常の波動を打ち消せるかもしれない……故に、廻は言った。


『灰崎巻希とキスをしろ』、と。


 妹の顔をもう一度見るために。













 ー ー ー ー ー ー ー












「いやいやいやいや!やっぱり無理ですって!」


「えェ〜?理由話したじゃん、愛する妹の顔をもう一度見るために灰崎廻は────」


「それは分かりますけど、高校生が中学生にキスはアウト中のアウトでしょう!?」


 俺に倫理観があって良かった。無かったら『まぁバレなければ良いかw』でまんまと誘いに乗って10年後くらいに『同意はありませんでした』『実はあの時中学生でした』って訴えられて人生終了してた。


「それに巻希ちゃんの意思はどうなるんですか。俺となんて……」


「普通に無視するよ」


「やっぱダメですって……それこそ本当に殺されちゃいますよ、先輩のお父さんに」


「えェ〜?ちょっとチュってするだけだって─────」


 そう言った灰崎先輩は身を乗り出して顔を近付ける。


「こういう風にさ!」


 状況を説明しよう。


 別に、マジでキスされた訳じゃない。ただ─────俺の唇当てられた人差し指一本、その向こう側には灰崎先輩の唇があった。


 そして、奇しくも今日の先輩の服装はスウェット。……緩んだ胸元が、逆さまの双丘の付け根を覗かせている。


 向かい合って座っていた俺たちだったが、そうしていてよかった。もし部室みたいに隣で勉強していたら─────スタンドアップしてしまった俺のバットがバレていたところだった。


「ダメかなァ」


「ダメですね!ところでトイレ借りても良いですかね!」


「ン、良いけど……あ、二階のトイレじゃなくて一階のを使った方が良いかも。工事してもらう予定なんだけど、ちょっと壊れてるっぽいんだよね」


「あ、分かりました。となると、えっと……」


「案内するよ」


「っす……」


 小学校の頃を思い出す。まだ進と三上以外にも普通に友達がいた時のことだ。友達の家に行って、催してしまった時の自分への失望と言えば。トイレの場所聞いたり案内してもらったりって、何故かめちゃくちゃ恥ずかしいんだよな……。


「階段降りてェ、左のところ」


「はい……」


 それくらい簡単なら別に着いてこなくても良いのに、灰崎先輩はわざわざ階段の上から俺を見ていた。


「左ですよね?ここの……」


「あ、来栖クン!そこ─────」


「え?」


 足を踏み出し、進もうとした瞬間─────体重をかけていた手すりが、突如消失する。


「は?」


 体勢を崩した直後、理解した。手すりの一部分だけが欠如していたんだ。そのせいでバランスを崩して、階段から転げ落ちた……ただそれだけの事。


「いってて……」


「うーわ!痛そ……大丈夫?」


「まぁ、そんな高くなかったんで……多分」


 身体の痛みよりも、ドゴンドゴンと大きな音を立てながらすっ転んでしまった方が辛い。恥ずかしさで心が痛い。


 というか、手すりが欠けているのなら二階に上る時に気付くはずなんだけど……まぁ良いか。


「廻ー?どうかしたのー?何か音が……」


「あァ、何でもない!ちょっと物落としちゃってさ」


 リビングから聞こえた先輩の母親の声。灰崎先輩が俺の事を全然心配していないのは不服だが、事を大袈裟にしないでくれたのはありがたい。


「巻希ィ〜?ちょっとこっち来て、面白いモノ見れるよ!」


「は〜?だる……今行く〜!」


 前言撤回です。俺が灰崎廻という人間の行動理念を把握しようなんて無謀にも程があったんだ。心配してないとか大袈裟にしないでくれたとかそういう論理的な行動じゃない、どうしてこの状況であなたは妹を呼ぶのか。


「うわ陰キャ、どうしたの!?」


 ─────が、現れた巻希ちゃんの顔は笑顔ではなく、心底驚愕したような表情になっていた。


「もしかして階段から……?」


「こ、転んじゃって」


「え、本当に大丈夫なの?階段から落ちて頭打って死んだりとか普通にあるし……お姉ちゃん、これが面白いって流石にさぁ……高二になってまでそんな幼稚なノリしてるのキツいよ」


「ち、ちくちく刺さる言葉だねェ。姉に向かってそんなこと言うんじゃ……」


「はぁ……お姉ちゃんってそういうとこダメだよね。誰もが自分に優しくしてくれるって思わない方が良いよ?無駄に顔が整ってるから今まで生きてこれただけで、友達いないのって普通に自分の性格のせいだって分かってないの、ほんと直した方が良いよ。陰キャにまで捨てられたらどーすんの?自分は捨てる側〜みたいにヤリ●ンアピールで達観してるけど、ただ都合の良い穴としか見られてないからね、お姉ちゃん」


「あ、ぇ、あ、ぁ……うん……」


「マジかよ、姉妹喧嘩にしては片方が強すぎる」


 口喧嘩でボコボコにされ戦う前に完全敗北してしまった灰崎先輩はすっかりしょぼくれながら、俯いて指をいじっている。


「陰キャ、もしかして立てないくらいやばい?ちょっと待ってね、マキが行くから……」


「あぁいや、それほど痛くはないけど──────」


 俺の言葉は、遅かった。


「巻希、ちょっと待っ────」


「え?」


 後ろを向いた瞬間、巻希ちゃんの身体のバランスが崩れる。


「あれっ」


 灰崎巻希は……俺と全く同じように、手すりに体重を乗せていたせいで手すりの無い部分で体勢を崩し、そして────転んだ。


「ちょっ、やば……っ!」


「ッ!まずい─────」


 何がまずいかと言うと、巻希ちゃんが落下してくるルートの終着点には……そう、俺がいるんだ。


 俺と同じように転んだということは、その高度も同じ。つまり……『落ちる』というよりかは、さっきから言っているように低めの位置から『転ぶ』という表現の方が近い。


 何が言いたいかというと─────俺と巻希ちゃんがぶつかるまでの時間は、一瞬だった。


「クソが……!」


 両手を大きく広げ、足を伸ばして自分の面積を広げる。


 咄嗟に俺が思いついた行動は、巻希ちゃんのクッションになる事だった。というか、選択肢はほぼこれしか無い──────


「いてっ」


「ぐぅぉ……」


 視界は暗転し、全身に痛みを上回る圧迫感が押し寄せる。どうやら受け身を取ろうとした巻希ちゃんの手のひらが俺の太ももに直撃したようで、そこは確かに先週の怪我も相まって痛かったが……まぁ、それ以外は意外と大した事ない。


 それよりも、巻希ちゃんにのしかかられてるせいで未だに目の前が暗いんだけど……。


「……ん?」


 と、出した声はくぐもっていた。


 目の前に広がる景色は、灰色一色。確か巻希ちゃんは灰崎先輩のスウェットと同じのを着て過ごしていたはずだから、それの色だというのは分かる。


 それらの情報を踏まえて─────次の瞬間、俺は全てを察した。


「ぷはっ、はははははははは!!ちょっ……面白すぎでしょ、その転び方は流石に……w」


 人間を最大限馬鹿にしたような笑い声が響き……俺は息を止めた。


 ─────中学生の股の匂いを嗅ぐわけにはいかないから。


「巻希と来栖クン……ガチでT●L●veってんじゃん……ぶっ、あははははははは!」


「まっ、待って、陰キャ……もしかして、マキのっ、あそこに……!」


 結論から言うと、俺の顔の上に巻希ちゃんの股が覆い被さり、俺の股の上にマキちゃんの顔が乗っていた。


(……あ、これが人生の終わる瞬間かぁ)


 なんて思いながら、一呼吸だけ吸ってしまった俺は──────危機的状況で遺伝子を残したがる雄の本能に翻弄される、素晴らしき生命体だった。

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