諸刃の剣なので威力は高めです
俺の幼馴染である三上春はよく、同じく幼馴染である線堂進に対してこう言ったりする事がある。
『進くんさぁ、よく今の笑い方するよね。くくく、ってやつ。キモいからもうやめようねぇ』
『うん、進くんさぁ、良い加減その変な笑顔やめようねぇ。わたし達まで恥ずかしくなってくるから』
今、春の気持ちがよく分かってきている。進が時々キモくなるのはずっと前から知ってる事だけど、そうじゃなくて……『普段一緒に過ごしている人の嫌な一面』を指摘する時の気分に理解したんだ。
俺に強制する権利は無いけど、出来ればやめてほしい。
灰崎先輩─────あんたにそんな悲壮感漂う表情は似合わない。飄々と薄ら笑いを浮かべるのが灰崎廻じゃないか。
でも、灰崎廻の『弱さ』を見れる人間だと判断されたのなら……なら、後輩としての役目を全うしようじゃないか。
先輩を立ててやる、思考の軌道を戻してやる……ただそれだけを。
「やっぱ童貞って処女の方が好きなんじゃないの?ワタシはもう、中一の頃に捨てたし」
「……」
「来栖クンがイカれてたから、脇っていうワタシの『初めて』をあげられるけど……それ以外は何も残ってないよ。…………お尻の方まで、しちゃってんだぞ?」
「……」
「なのにキミは初めてだらけ、でしょ?ワタシに使っちゃって良いのかなァ?もしかしたら、いつか後悔するかもしれない──────」
「……だから?」
「うぇ」
「だから何ですか?結局先輩は何を言いたいんですか?」
「え、それは……その……はは」
困ったように笑って誤魔化す灰崎先輩。
はぁ、これだから女は。急に不安になってウジウジしがちだ。
「確かに俺はNTR嫌いの純愛過激派ですけど、先輩が処女かどうかは関係ないでしょ」
「うぇっ?」
まぁ、俺はそもそも朝見とのアレが起きる前は普通にNTRで抜いてたし。後天的にNTRがめちゃくちゃダメになっただけで、処女とか非処女とか……どうでも良い。
それで何が変わるかを評価出来るほど、経験豊富じゃないんでね。
「ありますか?無いですよね?そもそも寝てもいないし」
「で、でも」
「今この瞬間に知らん男が乗り込んできて先輩とヤリ始めたら、そりゃ心優しい俺でもブチギレますよ。普通に殴りかかって豪火君を呼びます。呼ばれたいんですか!?」
「な訳あるかィ……」
「そうじゃないなら関係無いです。処女非処女は全く関係無い!結局のところ大事なのは─────」
『大事なのは今』……そう言うつもりだった。
でも、こう言いたくなってしまったんだ。
「大事なのは今……と、『これから』です」
「これから?」
「……さっき、今この瞬間にって言いましたけど、やっぱり─────この後帰った後に先輩が誰かとヤってたら、それは、その……」
「……」
「なんか……キツいっす」
感情を上手く表現出来ない。もっと、もっと伝えたい言葉があるはずなのに、今の俺の脳では出力できない。
だが─────そんな言葉でも、先輩はきっと俺の意思を汲み取ってくれたんだろう。
「しないよ」
そう言って、優しく微笑んだ。
─────いつもの調子が戻ってきたような気がして、俺の口角も綻びそうになる。
「正直言うと、高校入ってからだるくなっちゃって一回もしてないしね。それでも昔の噂だったから、広まっても否定出来なかったけど」
「そう、ですか」
「……じゃあさ、来栖クン。例えば今この瞬間に、ワタシとキミを誰かが見ているとして……それも嫌だったりする?」
つまりは、この状況を見られているとしたら、という事か。
「え、嫌です」
質問の意味を理解した瞬間に─────何故か俺は即答していた。
「ふゥん、どうして?」
「……うーん、その、なんていうか……見られたくない、です」
複雑な感情を、咀嚼出来た部分だけとりあえず口に出してみた。
「ワタシの脇舐めてるところを?ふはは、そりゃ間抜けな姿だろうしなァ」
「あ、いや俺じゃなくて」
「ン?」
「俺じゃなくて、先輩を見られたくない──────」
言った瞬間、俺は口を手で塞いだ。
……信じられないほど醜い感情だった。どうしてだろうか。どうして俺にこんな気持ちが生まれてしまったのだろうか。
「っ、今のは……忘れてください」
付き合ってもいないのに。俺はただご褒美をもらっているだけなのに。灰崎廻という人間の気まぐれの恩恵、溢れてきた蜜を啜っているだけなのに。
『独占欲』とか深刻そうに語っているラブコメを馬鹿にしていたのは、他でもない俺のはずなのに。俺らしくない……これじゃあさっきの灰崎先輩の事なんか言えない。俺はラブコメが嫌いで、でも恋がしたくて、だから、そのためには……っ。
「……ダメ、かな」
「へ?」
「今のを忘れるのはちょっと、もったいなさすぎるなァ─────」
そう言った灰崎先輩は……机の上に置いてあったペン立てから一本ボールペンを抜き取り……。
「よっと」
─────ドアに向けて思いっきり投擲した。
もちろんダーツのように刺さるわけがなく……ガツン!と音が鳴り、ボールペンは無力に床に着地する。
「な、何を……」
「いやァ、ちょっとネズミがいてさ。来栖クンが見られたくないって言うなら、徹底しないと」
「は、はぁ。そっすか……」
「んじゃ、覗き魔もいなくなったところで──────」
パーカーでグルグル巻きになった先輩の右手が俺のネクタイを掴んだ。
そして──────グンと強い力で思いっきり引っ張られる。
「うおっ……!?」
視界が転換し、唐突な体勢の変更にバランスを崩しそうになった俺は咄嗟に手をつく。
「っとと─────」
ついた場所は机の上だった。そして、長机に倒れ込むような姿勢で……硬直する。
「腕、ずっと上げてるの疲れるからさァ」
俺の鼻先の数センチ下にある─────灰崎先輩の唇。
長机に仰向けで飛び乗った灰崎先輩と、ほぼ密着している状態で覆い被さる……俺の身体。
二つを繋ぐ、互いの吐息。
「ほら、これなら楽」
寝そべったまま腕を上げた灰崎先輩の腋と……再び相見える。
「……では、良いっすか」
「ふはは、どんと来やがれィ」
正直昏倒寸前だ。シチュエーションがエロすぎて波動がものすごい量と勢いになっている。脳に直接電マを当てられているような快感と不快感が同時に響いている。
ただ、それでも─────俺の能力が『見る』とか『嗅ぐ』とかじゃなくて良かったと思う。
この光景をしっかりと見て、嗅覚を邪魔されることなく、味わう事が出来るんだから。




