眠っても状態異常は治りません
「……ぁ」
懐かしい感覚だった。
誰かの背中の上で呑気に寝ながら、人間特有の揺れに……とても発展した現代文明の乗り物では許されないような上下の揺さぶりに身を任せるのは。
「……豪火君」
「おぉ、起きたか師匠」
「え……どういう状況?」
目を擦りながら、周囲を見渡し……そこがいつもの下校ルートの途中だと気付く。
「廻が師匠を殴った。オレがそれを嗅ぎつけて現れた。廻がオレに師匠を運ばせた。で、今」
「すげぇ分かりやすいね、ありがとうございます」
ずっとおんぶしてもらうのも申し訳ないし、降りようとしたのだが……思っていたより身体が動いてくれなかった。
「『能力』の影響だろ?寝てりゃ治る。今は落ち着いていた方が良いぜ」
「あ、あぁ……そうですか」
簡単にそう言ってのけた豪火君の言葉には不思議な安心感があった。
「豪火君と灰崎先輩にも、こういう風に能力で体調崩したりって事あるんですか?」
「まぁな。オレの場合は変な匂いを嗅ぎすぎて気持ち悪くなったり、廻の場合は……アレだろ?人間の顔が歪んで見えるんだろ?……そんなん見させられたら気分も悪くなる」
「……確かに」
気持ちが悪くなる、というのは三つの能力に共通しているのか。嗅ぐ、見る、感じる……それぞれ異なるアプローチで俺達は波動を感知している。何か……基準のようなモノがあるのだろうか。
でも─────『視覚』と『嗅覚』で不快感を抱いて『気分が悪くなる』のと、『不快な波動を感じて気分が悪くなる』のは……一緒のモノとして考えて良いのだろうか。
……俺の方が、悪いものを摂取してしまっている気がする。
「俺達の能力って……結局なんなんですかね」
「なんなのか、って?」
「誰が何のために俺達に与えたのか。何も分からないじゃないですか」
「……」
俺達は何も知らない。もしかすると、この能力を使い続ける事の代償だってあるかもしれないのに──────。
「きっと大丈夫だ」
「え?」
「だって……こんな能力を与えられるほどやべー奴が身近にいるんなら、オレの能力が反応してるはずだからな」
「まぁ、それはそうですけど」
「今のところ、師匠と線堂を超えるくらいやべー匂いの奴には会った事ねぇからな!安心しろって!」
「……っ」
その図体の大きさも相まって─────俺を支える背中には、まるで父の後ろ姿のような安心感があった。
故に感じてしまう……罪の意識。
俺はこんな真っ直ぐな人間を騙し、利用しているんだ。
「……豪火君」
「なんだ?」
「……俺、は……本当はっ!そんな……君が、師匠と呼ぶような人間じゃあ────」
「あー、言いたい事は分かってるぜ、もう」
「……へ?」
「とっくに気付いてるっての。師匠が肉体的に強い奴じゃねぇってさ。カラダ見れば分かるって」
あっけらかんと、豪火君は言った。
「じ、じゃあなんで俺を──────」
「オレさ、この『能力』の事は信頼してんだ。この鼻の具合はよ……」
「……俺も、信頼自体はしていますけど」
「だろ?だから……師匠は強い。喧嘩は弱くても、『何か』の戦いではすげぇ強い奴なはずだぜ」
「で、でも……」
「『虚勢であろうとも、上に立つ者としての立場を全うできるのなら、それは真となる』……親父がよく言ってた言葉だ」
今、豪火君がその言葉を俺に送った理由なんて一つしかない。
この関係性は続いても良い。そう言いたいんだ。
「七華だってそうだ。普段は意外と可愛い奴なんだけどな、人前に立つと生意気になりやがる」
「えぇっ、アレが……?」
「ハッハッハ!そういうもんだぜ、人間って。特に女はな!廻だってそうだろ」
「灰崎先輩が?」
「能力を手に入れてからのあいつが前髪上げてたのなんて……初めて見た」
「!」
「まぁ、だからよ。あいつと上手くいかなかったオレが言うのもなんだけど……師匠なら出来るッ!廻を守ってやってくれ」
「……守る、ですか」
あの人が……明るくて、強くて、暗いはずなのにいつも輝いているあの人が誰かの庇護を必要とするイメージは、どうしても浮かばなかった。
「と言っても、やっぱり分からないですよ。俺自身の強さなんて……」
「─────師匠、もしかして『能力』の『応用』を知らないんじゃねえか?」
「……は?応用?」
え、な、何それ。初めて聞いた概念なんだが。
「オレも廻も、嗅いだり見るだけじゃなくて……少しだけ『応用』が出来んだよ。オレはあの技は……少し危険だからあんま使わねーけどな」
「……」
豪火君ほどが言う、『危険』─────それがどれほどのモノか想像出来なかった俺は……どんな技なのか聞くのをやめてしまった。
「その力を使えばきっと、師匠の『強さ』は見えてくる。オレの鼻を信じて、師匠はドーンと構えてりゃ良い!何が来ようとな!」
「……そう、ですね…………」
眩しいほど輝かしい言葉と自信。でも、一緒の目線になって側を照らしてくれる……そんな感覚。
揺れるリズムに身を任せ、再び微睡の中に溶け込む中、俺は少しだけ──────こんな兄がいる詩郎園七華が羨ましいと感じてしまった。
ー ー ー ー ー ー ー
「……かぁー…………」
フードを被り、電車のドアに思いっきり身を任せながら、灰崎廻は感嘆の声を漏らした。
機械的な揺れは、立っていようとも彼女を微睡へと誘う。
(来栖クンのあの発言……『気色悪い波動を浴び続けて』、か。『浴びる』って表現はァ……うーん、『見る』とか『嗅ぐ』とかではなさそうだけど……分かんないなァ)
『浴びる』という事はつまり、波動が自分に降りかかっている事を認識していると考えられる。そして降りかかった事によってなんらかの効果が発揮され、それによって『気分が悪く』なったとも言える。
(波動に……『触る』?よく分かんないけど─────『波動の内容』に関しては……)
推理でも何でもない、ただ悠人がその言葉を口にした理由がそれしかないだけだった。
だが……廻はその仮説を信じたくなかった。
(『ラブコメの波動を感じる』能力なんて、そんなの……辛すぎるでしょ)
廻は『日常の波動を見る』能力によってあらゆる日常を見る事に対して不快感を抱くようになり、その目を来栖悠人の前以外では閉じている。
(ワタシの理屈で言うと来栖クンは……恋愛なんか一生出来ないみたいなものじゃん。まさかそんなはずはないでしょ。そんな、はずは──────)
もし、本当にそうだったとしたら?
─────そう考えずにはいられなかった。
「……」
目を瞑り─────さっきから永遠に考え込んでしまっている、その『言葉』を思い出す。
廻が『彼』の上に乗り、甘い言葉を囁き、性の乱れへと誘った……その返答。
『灰崎先輩とは、ちゃんとした流れでそういう事したいです』
「っ─────」
彼は、来栖悠人はどんな思いでそう言ったのか。どれほどの葛藤の末そう言ったのか。その言葉を言葉通り受け取って良いのか。そもそも自分は求められているのか。
(楽観的には……)
来栖悠人は『灰崎廻との性行為は、交際など恋人関係を結んでから常識的な順序を経て至りたいと考えている』故にあの発言をした。
(悲観的、だと……)
来栖悠人は『自身の能力のせいでラブコメに不快感を感じるため、灰崎廻と性行為に及ぶ訳にはいかず出来るだけ傷付けない断り方をしたかった』故にあの発言をした。
(せっかく新しい友達も出来て、過去とも決着を付けて、青春を歩める準備が整ったのに……そんなの……あり得ない、よね)
フードを深く被り、廻は─────瞼を強く閉じ、どこかへ行ってしまった眠気に思いを馳せた。




