毒が回りきる前に、必殺技を打っておきましょう
「──────、───────────────────です」
「……え?」
その言葉を言い終えた瞬間……俺の視界に異変が起きる。
うん、まさしく異変だ。明らかにおかしい点があるんだ。
だって─────こんな良いタイミングで、ここまで都合悪く部室の扉が開くなんて事あり得るだろうか。
「……来栖?」
どうやら耳もおかしくなってしまったみたいだ。先輩の囁きを聴きすぎたせいか。
俺には、扉の方からの声が朝見のものに聞こえたんだけど。
「く、来栖君!?ちょっ、先輩……えぇ!?は、破廉恥じゃないかぁっ……!」
そしてトドメに、榊原殊葉にしか見えない高い身長と榊原殊葉にしか聞こえない慌てふためいた声がこの甘い空間を引き裂き、朦朧とする俺に言い逃れできないほどの情報を与えた。
「あれま。乱入されちったァ……じゃあ来栖クン、続きはまた今度って事で」
「来栖。来栖?何してるの?」
近づいてくる朝見に動じる事なく、灰崎先輩は俺の上から離れない。
「く、来栖君……さっきのからまだ少ししか経ってないのに、君という男は……」
「すみません、どいてもらえますか。来栖が可哀想なので」
「かわいそ〜?どこがァ?こんな嬉しそうに蕩けた顔しちゃってるじゃん。ほらほら」
「来栖の頬を突かないでください。なので、出来れば今すぐ死んでください」
「『なので』が意味を成していないねェ」
朝見の黒い深淵のような瞳が、灰崎先輩を睨み─────対する先輩は、どちらかと言うと未だに俺の方を見つめていた。
「あ、あのっ、ボク達!来栖君と一緒に帰りたいなーって思って……ここに来たんですよ!」
俺は戦闘不能状態だし、灰崎先輩は動こうとしないし、朝見は朝見だしで、損な役回りを買ってくれたのは榊原だった。
「ふゥん、そうなの」
「そ、そうなんですよ……あはは……」
「はい。なのでどいてください」
「……」
「……」
「……あ、あのぉ……」
「ン〜、もしかしてワタシに一人で帰れって言ってる?」
ごめん榊原。今日のこの人は折れないようだ。
「え!え、ええええっと、そういう事じゃなくて……」
「そういう事です。死んでください」
「そういう事らしいです……」
「うーん……どうしよっかなァ」
俺を真っ直ぐと見つめた数秒の後、灰崎先輩はようやく立ち上がった。俺は慌てて愚息の起of勃がバレないように股間を隠すため、なんとか身体をテーブルと垂直な方向に戻す。
「じゃあ、四人で帰るってのはどうかなァ……」
「……四人、ですか」
「そ、それで良いんじゃないかな!?ねぇ星!!」
献身的な榊原の行動が功を奏したのか、朝見の表情は徐々に和らいでいった。
「じゃあ……仕方ありませんね。今日はそれで─────」
「─────とか、普段のワタシならそうやって妥協したんだけどねェ」
……だがその瞬間、朝見の顔が歪な笑顔に変わる。
「……はい?」
「来栖クンに関しては、悪いけど妥協出来ないなァ。ごめんね!」
─────俺からすれば甘い波動と悍ましい波動が混ざり合って、中和もせず混沌とした波動が漂う空間になっている中……先輩の一言によって更に状況が悪化したように感じた。
「線堂はどうして貴女のような人を放置していたんでしょう。私はもう我慢の限界なのですが」
「そう?ワタシは結構我慢出来る方だけどねェ」
そう言った先輩は──────言葉とは真逆の行動を取ったのだ。
腕を、大きく振りかぶった。
「ッ!何を……」
朝見が両腕で防御をし、榊原が間に割り込もうとし、それでも止まらない先輩の平手は─────
大きく回り込んで、俺の顔面に命中した。
ー ー ー ー ー ー ー
「兄さん」
「……」
「兄さんッ!」
「ぬおっ」
体育倉庫の扉の前、大の字で寝そべっていた詩郎園豪火は目を覚まし、自身の状況を理解した。
「……あぁ」
傷だらけの手足。砂の付いた制服。
「……負けたか、オレは」
最後まで諦めず、去ろうとする進を追いかけた故に倉庫裏から離れた位置に彼は倒れていた。
しかし豪火一人が気絶していたという状況こそが、彼の敗北を物語っている。
「良かった……流石に生きていましたか」
「心配してんのか?ガラにもねぇな」
「私だって家族の心配くらいします!……特に、最近の兄さんは様子がおかしいので」
「そうか?」
「そうですよ!だって、あんな……」
どう見ても弱者な来栖悠人を師匠と崇めるその姿は、闘争を好む獰猛な豪火の性格とはかけ離れているようにしか見えない。
「お前にまで心配をかけるとは、情けねぇな。……どうだ、久しぶりに一緒に帰りでもするか」
「お断りします」
「なんでだよ……」
豪火が呆れたように笑いながら、砂が付着した頭を掻いた瞬間──────彼は気付いた。
自分は七華に呼ばれて起きたのではなく、さっきから漂うこの匂いによって目覚めたのだと。
「でも、どうしてもと言うのなら私が特別に……」
「……悪ぃ、七華。行かなきゃならねぇ」
「え?」
─────その匂いを改めて吸い、全身の傷を無視し豪火は立ち上がった。
ー ー ー ー ー ー ー
「えーっと……何発殴れば良いのかな?」
灰崎廻の右手は往復するたびに来栖悠人の頬を叩く。ぱちん、ぱちんと人を殴るにしては弱々しい音が響く中─────
「なっ、何してるんですか!」
朝見星が彼女の腕を無理矢理抑える形でそれを止めた。
「気でも狂いましたか?……やっぱり、今ここで私が─────」
「ま、待つんだ星!もしかしたら今のはSMプレイの一環で、来栖君がM側なのかもしれないじゃないか!」
「何言ってんの?」
「何言ってるのかなァ?」
「すみませんでした……」
焦燥しきった殊葉が頬を赤らめながら俯いている中、星は廻を押し除けて悠人へ駆け寄り……そこで、確認した。
「……気絶、してる……?」
その来栖悠人はとても意識があるようには見えない。目を瞑り、安らかに寝息を立てる彼は……さっきのようにかろうじての反応が出来る状態より良いようで悪いような、一介の高校生に判断は出来ない容態。
「あ、貴女のせいで─────」
「気付いてなかった?来栖クン、さっきからずっと調子悪いみたいでさ……」
「……え」
星と殊葉の脳裏によぎる─────悠人の奇行。
屋上にて。彼は去り際に、二人の前で渾身の嘔吐を披露していた。
「……じゃなきゃ、あんな『ヒント』……言わないしね」
『朝見の気色悪い波動を至近距離で浴び続けて気分が悪いって言ったんです』
咄嗟の言い訳にしては解像度が高く、そして何より……普段彼が絶対に口走らないような、秘密にしているはずの自身の能力に関する言葉だった。
頭が回りきっていない確固たる証拠。廻に対する『思わせぶり』な態度も、それが影響していたのかもしれない。
「き、気付いていたのならどうして叩いたりなんかして……来栖君が余計に……!」
「ン〜……しょうがなくねェ?だってタクシー使うには─────駄賃が必要じゃん」
─────地響きが、鳴る。
「な、なんだい!?この音は……」
小学生の頃を思い出すような、廊下を思いっきり走る音。ただ、小学生では絶対に出せない大きさの鳴動が、やがて近付き……。
「廻ッッ!!」
「「っ!?」」
廊下から発せられたその爆音に、二人は咄嗟に耳を塞いでしまった。
「痴話喧嘩か!?あんま師匠に迷惑かけてんじゃねぇぞッ!!」
詩郎園豪火─────もはや都合の良いデリバリーヤンキーと化した彼が、本日二度目となる呼び出しに応じた。
「……あ?おい待て……なんで師匠が寝てる?まさかテメェが……」
「違ェよ馬鹿。ここまで様子がおかしいと流石にやべェから豪火を呼んだワケ。来栖クンと家近いでしょ?運んであげて。あ、これ来栖クンのバッグね」
「それなら喜んでするが……師匠を殴ったんだろ?そこまでしなくても電話とか……」
「お前電話しても大体寝てるだろうがァ!さっさと行けよタクシー!」
「お、おうッ!……い、いや待て廻……」
「まだなんかあんのかよ」
悠人を担いだ豪火は廊下に出てから振り返り、不安げに廻に言った。
「体調悪いなら病院に連れてった方が良いんじゃないか?」
「……その心配はいらねェ─────『ワタシとオマエと同じ病気』だから」
一瞬のアイコンタクトの後、豪火は頷いた。
「なるほどな。確かに、ただの病気やら廻の暴力やらで師匠ほどの男が倒れるはずがないか……よしッ!オレに任せておけッ!」
控えめな駆け足の音が鳴り響き、遠ざかって聞こえなくなった所で……オカルト研究部部室の中の三人は顔を見合わせた。
「「……」」
「……え、っと……」
─────気まずさに耐えられなかった榊原殊葉の一言により、激動だった今日の事件は幕を閉じる。
「……さ、三人で一緒に帰るって言うのは……」
「何言ってんの?」
「何言ってるのかなァ?」
「……で、ですよねぇ…………」




